おっさんは、国王に内心を語るようです。
「チタツが、現れたと聞いたが」
「ああ」
ホアンが珍しく厳しい顔でそう告げるのに、クトーはうなずいた。
王宮の最奥。
ここ最近はメリュジーヌの店を通って通うことの多くなった執務室だ。
今この場には、自分以外に国王ホアン、宰相タイハク、近衛隊長セキがいた。
三人にとっては、魔獣将チタツは魔王よりも因縁の深い相手だ。
「奴は滅んだのではなかったのかい?」
「そう思っていたがな。魔王は自分だけでなく、眷属を蘇らせる手段も持っているのかもしれん」
ブネを倒した時にも、同じような光景を見た。
クトーが倒した後にその魂を手に取り、喰らったのである。
ホアンは、苦み走った顔で深く息を吐いた。
その反応は当然のものだろう。
叔父の命を弄び、自分が物心つく前に王位を奪った相手が蘇ったのだ。
「大人しく地獄の底でくたばっていればいいものを」
「それに関しては、俺もセキさんと全く同じ意見ですね」
軽く眉をしかめた近衛隊長セキの顔の傷も、チタツが放った追手よりホアンを守って逃亡した時のものである。
レヴィの体を乗っ取った前宰相……元はタイハクの副官だった男がそもそもの元凶だが、こちらはホアンたちがその存在を認識する前に、聖魔法によってふたたび魂を昇華していた。
クトーは、シャラリとメガネのチェーンを鳴らしながら首を横に振る。
「が、まだ直接俺がチタツと接触したわけではない。魔王の言葉を信じるなら、だ」
「……君の見立ては?」
「すでに報告を上げているだろう? 事実だとすれば、チタツはこちらに近い誰かを乗っ取っている可能性が高い」
復活しているのか、していないのか。
実際に目にしていない以上、それに関しては憶測の域を出ない。
「僕は、奴と直接対峙した訳じゃない」
どこか思い残しがありそうな口調で、ホアンは言った。
その理知的で整った顔立ちや明るい空色の瞳が、今は憂いに染まっている。
かつて王都奪還の際、彼は最前線に立つことを望んだ。
それが自分の責任だと。
止めたのは、自分を含む、当時仲間として剣を振るっていた者たちだった。
王となるべき存在を危険に晒すことを、誰も良しとはしなかったのである。
ホアンは最終的にその判断を受け入れて、後方で指揮を執った。
「実際にどんな性格なのか知っているのは、セキやタイハク、それに奴を殺した君たちだけだ」
「奴は難儀ですぞ」
タイハクが、白く長いあごひげを撫でながらホアンのつぶやきに答える。
先々代の時から長く宰相を務める彼も、やがて反逆の汚名を着せられて幽閉されていたのだ。
「対策は、既に打った」
クトーは短く言ったが、どういう形でか、は口にしない。
ホアンら三人がそうである可能性は低いが、それこそチタツのような例もあるからだ。
この場合、情報を知る人間は極力少ない方がいい。
そんなクトーの内心を読み取ったのか、ホアンが淡く笑った。
「なるほど、チタツが取り憑いたのが僕たちである、という疑いもまだ晴れていないのか」
「情報が少ないのでな」
その返答に、3人は気分を害しはしなかったようだった。
身を以て、誰かに化けた者の脅威を理解しているからだろう。
「……もし本当にチタツが復活していたら、どういう手を打って来る可能性が考えられる?」
ホアンは、すぐに話題を戻した。
彼らとて元々暇な者たちではない。
「魔王がわざわざその存在を口にしたのは、こちらを疑心暗鬼に陥らせるためだろう、と考えられる」
クトーにしても、結論の出ない話を延々と続けるのは性に合わないのでありがたいことだった。
もしチタツを本当に埋伏の毒にするつもりであれば、あえて口にして挑発する意味はない。
「奴自身は妨害のためと口にしたが、この件に関わっている間に何かをすることよりも、仲間を疑っている俺を見て愉しむのが主目的だろう」
もちろん、妨害そのものも仕掛けて来るだろうが、それは今ではないのではないかと、クトーはリュウ達と話したことで思っていた。
それに今のところ、動きが怪しい者は見られない。
「気になる情報としては、ルーミィが妙な光を目撃したと言っていた」
「見たよ。王都の上空に現れた球を見た者が他にいないか、今調査させている」
「それがチタツや魔王によるものかも分からないが、一応警戒しておくに越したことはない」
ふたたび深く息を吐いて、ホアンは背もたれに体を預けて目を閉じた。
疲れているのだろう。
「……せっかく平和を取り戻したと思っていたが、騒乱のタネは尽きないな」
「俺がリュウとともに旅に出た時から、あまり変わらない」
クトーの返事に、ホアンは懐かしそうな顔をした。
「それは語弊があるな。君たちは、村にいた時から騒動のタネだった」
「む」
「懐かしい話だ。旅の間の君たちのことは知らないけれど」
クトーとリュウの旅は、最初は仲間集めの旅だった。
意図していた訳ではないが、腕を磨く間に旅の間に出会った者たちの中からどんどん仲間になる者が増えて、気がつけば今は大所帯だ。
最初に絡んできた三馬鹿。
貴族に売られそうになっていたところを助けたミズチ。
まだ跳ねっ返りの厄介者だったジョカや、その異質さから魔導師協会を追われて山奥で趣味に勤しんでいたジグ。
荒れていた、この国で。
冒険者として厄介ごとに首を突っ込んでは引っ掻き回す間に、クトーたちは勇者の剣以外の装備も、生まれ育った村に隠されていることを突き止めた。
戻ると、村が王都の兵と魔物によって襲われていた。
そして村を救ったことで、セキからホアンが正当な王位継承者であることを聞かされたのだ。
永き時の中で力を弱めた勇者の装備を得た後、ホアンの保護を求めてケインの元へ向かい、そしてムラクを探し出した。
その頃に、魔王城に至る手がかりを持つ4体の魔物の噂をカードゥーから聞いたのだ。
先王を操るチタツが、その中に含まれていた。
だから、ムラクに勇者の装備を仕立て直してもらい、ジョカを筆頭に各地の中立・反先王派の貴族や豪商を取り込んで準備を整えたのだ。
最後にファフニールの協力を得て反旗を翻し、王都を奪還した。
故に、今がある。
第二の鍵を求めて北の王国に向かったのは、その後だ。
「では、こちらはこちらで手を打とう」
セキがそう口にして、出口に向かった。
「せめて陛下くらいは、どうにか守りたい」
「ああ、頼むよ」
育ての親の背中にホアンが声をかけ、クトーやタイハクに目を向けた。
最初の嫌味以外は、今の発言までセキは何も口にしていないが、内心ではチタツの復活に不愉快な思いを抱いているだろう。
あの魔物が王位を簒奪した手口は、巧妙なものだった。
ホアンの父を病に見せかけて毒殺するのに並行して、セキの評判を落とすような噂を流したのだ。
その上で、彼だけは自分の犯行を疑うように仕向けた上で、逆に罪をなすりつけた。
セキは、王殺しの犯人として槍玉に挙げられたのだ。
おかげで彼は、それと同時に王子誘拐の汚名を背負うことになった。
近衛隊長の足音が遠ざかると、タイハクが悪態を漏らす。
「あの魔物もしぶといことじゃ。まったく目障りよの」
「爺の恨みは、セキに劣らないくらい深そうだね」
「当然ですとも。どれだけあれが愚王であったか、散々お聞かせしたと思いますがの」
物心ついた時には村にいたホアンと違い、タイハクもセキが出奔した後、王城に残って耐えていた。
我慢の限界に達するまで、国が荒れるのをしばらくの間遅らせていたのは、間違いなくタイハクの手柄なのだ。
当時を思い出したのか。皮肉げな笑みを浮かべてタイハクが胃のあたりを撫でる。
「中身が王族であれば憚られる発言ですがの。散々苦慮させられたあの性格の悪い相手が最初から魔物だったとなれば、これはもう遠慮の必要もありますまい」
ホアンを気遣っての軽口なのか、本心なのか。
両方かもしれなかった。
「では、儂は金の動きに目を向けますかの。あやつは魔物のくせに富が好きでしたのでな。いずれ金の動きを見張っていれば尻尾くらい掴めるかもしれませぬ」
「ああ」
タイハクも出て行くと、ホアンはまた表情を引き締めた。
彼の方も、タイハクに気を使って付き合っていたのかもしれない。
ホアン自身に罪がないとはいえ、根が真面目な男だ。
タイハクには迷惑をかけ続けたとでも思っているのだろう。
「……僕たちは、本当に勝てるのかい? クトー」
静かに問いかけてくる言葉の意味が分からず、クトーは片眉を上げた。
「どういう意味だ?」
「前回、僕たちは攻める側だった。魔王に関しても、こちらが直接の標的ではなかった」
「……」
ホアンの危惧は、分からないではなかった。
人間に害をなすという目的は、魔王自身が心から望んだものではなかったのではないかと、クトーは推察していた。
今にして思えば、以前の奴の攻勢は、あまりにも緩やかで積極性に欠けていたのだ。
少なくとも、魔王城で倒すまでの魔王と、今の魔王ではどこか違う印象を受ける。
本当に、やりたい事をやっているような。
目標は以前よりも小さいのに、顔を見せるサマルエは常に生き生きとしていて、退廃的な雰囲気よりも愉悦を強く感じるのだ。
それは、下らない事を本気でしている時のリュウに似ていた。
「今狙われているのは君で、僕たちは当事者だ。以前よりも魔王の足を掴む条件が厳しくなっている」
お前にそれが出来るのかーーークトーはそう問いかけられている気がした。
彼が今見せているのは、為政者の顔だ。
個人の事情よりも国を憂う……と言えば聞こえはいいが。
ホアンからしてみれば、顔も知らなかった叔父の死や、知りもしなかった王位継承権を奪われたことよりも、自分たちで作り上げたものを壊されることのほうが気にかかるのだろう。
だから問うている。
友人としての信頼とは別に、脅威を増した魔王と、狡猾な魔獣将にクトーが対抗できるのかどうかを。
「任せておけ、ホアン」
クトーは、極めて短くそう答えた。
少し不思議そうに瞳を揺らすホアンに、かすかな笑みを向ける。
「相手が誰であろうと、お前たちが欲し、手に入れたものを壊させはしない。決してだ」
内心を読まれていたことに対してか、若き王は軽く目を見開き……そして息を吐いた。
執務机の上で指を組み、目を伏せる。
しかしその隙間から見えた口元は、笑っていた。
「らしいのか、らしくないのか、判断に困るな。なぜ、と聞いてもいいかい?」
クトーは銀縁メガネのブリッジを押し上げると、自身の数少ない友人にこう告げた。
「決まっている、俺にとって仲間の命は……同時に、仲間が望んだ世界を守ることは」
あえて口に出させることをホアンが望むのなら、と。
クトーは自分の信念を彼に伝える。
「ーーーありとあらゆる全てに、優先するからだ」




