おっさんは、黒い鎧の将軍に会うようです。
「何か用か? そちらから訪ねてくるのは珍しいな」
手にしていた鉄の模造刀を地面に立て、ルーミィは額の汗を拭った。
「少し用があってな。迷惑だったか?」
クトーが訪ねたのは、中流層にある憲兵修練場の一角だ。
空は曇っているが、雨が降りそうな気配はない。
練兵後の貸し出し時間を利用して、ルーミィは体を鍛えていたようだった。
いつもの黒鎧は脱いでおり、中着のシャツ姿である。
彼女の着衣がスタイルの良い体に汗で張り付いており、髪を後ろでくくっていた。
「いいや。いつでも歓迎するさ」
いつものように横に控えたセンカに模造刀を渡し、代わりにタオルを受け取って胸元に差し込む。
襟首が伸びて、しっかりとした肩幅とは裏腹に、女性らしく薄く浮いた鎖骨が覗いた。
クトーが無防備なルーミィから軽く目をそらすと、視界の先に鎧を付けて走るノリッジとスナップの姿が見える。
息が上がっているが、バテている様子はなさそうだ。
「あの二人も元気そうな様子だな」
初めに会った頃より、だいぶマシな顔つきになっている。
特にスナップの方は肥えていた頃とまるで別人だ。
「練兵はこれでも得意でな。見所はないが、【ドラゴンズ・レイド】と魔族の争いに巻き込まれて生き残った運の良さは評価できる」
辛辣なのか皮肉なのか、ルーミィから微妙な評価を得た2人は、グルリと修練場を回ってからこちらの近くで走るのをやめた。
そのまま、ビシッと揃った動きで直立不動になると、クトーに向かって腰を折って頭を下げる。
「「クトーさん、ちぃーっす!!」」
「……ああ」
返事をすると、まだノルマが残っているのか、2人は再び走り始めた。
「……なんだあれは」
「さぁな。お前の凄さを語ってやったら、震え上がっていたが」
「どういうことだ?」
特に何か凄いことをした覚えのないクトーは、軽く首をかしげる。
「なんだ、相変わらず名声は隠しているのか」
「隠しているも何も、特に名声を得るような行動をした覚えはない」
クトーは、出来ることをするだけの人間である。
後方支援が主で、前線でも後衛を担当が多かったので、戦果はほとんどが仲間たちのものだ。
「と、本人は言っているが。センカ、どう思う?」
「少なくとも表立ったクトー様の評価は聴こえてまいりません」
「裏向きには?」
「相変わらずのご様子です」
必要なことだけを端的に口にするセンカは特に表情を変えなかった。
「そうか。……まぁいい。それで?」
「外の情報が欲しくてな。何か、ここに来るまでの道中で変わったことはなかったか?」
「ふむ?」
ルーミィは形のいい眉をあげて、おかしげに頬に手を添えた。
「戦争か?」
「察しがいいな。差し支えなければ、北の内情も教えて欲しいところだ」
クトーは、赤い紅を引いた唇を不遜な笑みの形にしたルーミィの目をまっすぐ見る。
「どんな情報を望んでいる?」
「軍備に関して」
「それは愚問だな、クトー」
彼女は、あっさりと首を横に振った。
「上層部と仲違いしたからといって、自分が育てた可愛い元部下が不利になるようなことを言える訳がないだろう?」
「情報を口にしたら不利になるような事が進行しているのか?」
「私は国際情勢の話などしていない。そもそも他国に正確な内情を明かすなど、情報戦に自ら白旗を上げるのと同義だろう」
一般論としては正しい。
が、それが未だに北の国と彼女が内通しているからなのか、逆に関わりはないが義理として拒否したのかは、五分五分というところだ。
彼女の表情や語り口から、本心は読み取れなかった。
「もし必要なら金は払うが」
「情報料か。魅力的だが、あいにくと金には困っていないな」
報酬でも釣れないようだ。
昨日さらったギルドの記録を見る限りでは、今のところ彼女に不審な動きは見えない。
ごく普通に冒険者の依頼を受け、今日のようにノリッジたちと訓練を行う生活をしている。
つい最近冒険者になった彼女だが、すでにCランクに昇格していた。
昇格時間が短すぎるきらいはあるが、来歴と腕前を加味すれば、ギルドの特例措置に値するのは当然なので、それ自体も不審とは言えない。
大方、月に一度開催される集団昇格試験の飛び込みノルマを達成したのだろう。
「では、他国の、あるいは耳にした中で意識に引っかかる噂などはないか?」
「引っかかる噂か。……センカ。何かあるか?」
本人としては特に何もないのか、侍従を振り向いて問いかける。
センカは、無表情のまま淡々と答えた。
「ごく最近、となれば、例の妙な光でしょうか」
「妙な光?」
「そういえばそんな事があったな」
ルーミィが、軽くうなずいて説明し始める。
「一週間ほど前のことだ。近くの森に出かけた際に、閉門に間に合わずに野宿をしていてな。その時に王都の上空に光るなにかが浮かんでいた」
ごく小さなもので、星のまたたきに紛れるようにあったそれは、しばらく上空を漂った後に王都に降りたのだという。
「それしか見えなかったが、聖結界が反応した様子もなかった。何かと思ってな」
「青い光か?」
「どうだろうな。私には白に見えたが。それが?」
「いや」
クトーは言葉を濁した。
トゥスかと思ったのだが、別の何かなのかもしれない。
聖結界が全く反応しない相手は、基本的には本質から聖属性を持つ存在だ。
完全な拒絶反応を見せるのは、魂に瘴気を有するモノ……魔物や、闇属性の存在である。
それ以外の神の加護を受けた属性持ちの冒険者も、聖結界をくぐる際には軽く圧を感じる程度に今の聖結界は強化してある。
「危険なものではないかもしれないが、意識には留めておこう」
「妙なこと、といえばそれくらいかな。個人的に気になっていることが一つだけあるが」
「なんだ?」
「昼食代くらいにはなるかな?」
笑みを含んだ口調で言いながら、ルーミィは親指を脇に向けた。
南西の方向だ。
「腹を空かせた巨龍が、目覚めかけているようだ」
「……帝国か」
「ああ。寝ぼけから覚めれば、動き出すかも知れない。目の前の美味しい餌を喰おうとな」
北の国ではなく、帝国がこちらを攻めようとしている。
その情報は、真実ならば非常に有益なものだ。
まだこちらでは把握していない。
「調べよう。情報提供に感謝する」
「おやおや。草の疑いのある相手からの情報は信用できないかな?」
ルーミィが腰に手を当てながら胸を逸らす。
どうやら見抜かれていたらしい。
「分かっているなら、大人しくしていて欲しい」
「特に不穏な動きをした覚えはないんだがな」
帝国の情報を素直に信じられないのは、北の方角とは真逆の国だからだ。
北が攻めるために戦力を手薄にする目的かも知れないし、最悪の場合、北と帝国が手を結んでいて一斉に動き出す可能性も、現段階では捨てきれない。
「内部蜂起の足がけとして、彼らを鍛えている、という見方も出来る」
「ただの趣味だ。役立たずを使えるようにするのは、北で教練をしていた時からの性分でね」
「そういうことにしておこう」
バレはしたが、目的は一応果たせた。
百戦錬磨の元北の将軍とはいえ、この国は彼女の領域ではない。
釘は刺せたのだ。
疑われていることを知っていれば、当然監視や尾行を意識するだろうし、多少なりとも動きは鈍くなる。
「今度、飯でもどうだ?」
「考えておこう。毒を盛られる心配のない店を見繕っておく」
「楽しみだ」
蠱惑的に笑う彼女に背を向けて、クトーは次の目的地に向かった。




