おっさんは、少女に弓の扱い方を教えるようです。
翌日、クトーはレヴィと共に王都の外にいた。
南門を抜けた先にある平原で、弱い魔物の出没する辺りだ。
クトーは少し門から離れた辺りでカバン玉から取り出した的を立て、レヴィを振り向いた。
「準備は出来たか?」
「……これでいいの?」
快晴の空を吹き抜ける風に髪を揺らした彼女が、手にした風竜の長弓を掲げてみせる。
クトーはそれを見て、うなずいた。
「それでいい」
【練気の矢筒】と名付けた細い筒は、風竜の長弓の矢置きに近い真ん中より少し下辺りに設置されていた。
天地の気を魔力に変えて蓄えるその装置は、問題なく作動することは確認済みだ。
後は、レヴィに扱い方を教えるだけだった。
「ぷに、ぷにぃ!」
どこか嬉しそうに、可愛らしいむーちゃんがクルクルとレヴィの周りを舞う。
「むーちゃん、ちょっと危ないからクトーのところに行ってね?」
「ぷにぃ!」
彼女の言葉に素直に従った子竜は、白い尾っぽをパタパタさせながらこちらに向かって来ると、クトーの肩に止まった。
愛らしいむーちゃんの、手触りの良い毛を梳くように撫ででから、クトーは的のそばを離れる。
「普通に矢をつがえた時のように、ツルを引け。念じる呪文は〝番えろ〟だ」
十分に距離を取ったクトーの言葉に従って、レヴィが両手で弓を持った。
高く掲げたそれを下ろすと同時に、ツルを引き絞る。
すると、矢筒が薄く緑の光に包まれて魔力の矢が形成された。
「ーーー!」
レヴィが、矢を放つと同時に詰めていた息を吐き、キュン、と空気を裂く音を立てた風の矢が的の端をかすめた。
「どうだ?」
「ちょっと難しいわね。弓自体が大きいし、感覚が普通の矢と違うし」
納得行かなそうにレヴィが首をひねった。
「でも、少し重みがあるのね。魔力っていうから、何にも感じないかと思ったんだけど」
「ふむ?」
クトー自身はそういう感覚を感じないので、軽く疑問を覚えた。
風の矢そのものに質量はないはずだ。
「矢筒の重みとは違うんだな?」
「そうね。……うーん、なんだろ? 手にかかる重みというよりは、こう、頭の中で想像したのの重みを感じる、みたいな?」
「……イメージの問題か?」
通常、使用者の魔力を吸い上げて長弓は矢を形成するが、レヴィの場合は矢筒がイメージを代替している。
それ自体もクトーのイメージを元にしているので、もしかしたらその辺りに理由があるのかもしれない。
「使い勝手が悪いか?」
「練習すれば慣れると思うけど。弓の訓練自体は、言われたとおりに暇見てちょこちょこやってたし」
レヴィが、もう一度やっていい? と目配せで聞いてきたので、許可した。
改めて矢を構えた彼女は、同じように矢を放つ。
すると今度は、的の中心近い部分に風穴が空いた。
「どう?」
「悪くないな」
本当に慣れの問題なようだ。
《風》の適性を持つ彼女は風の動きが見える上に、投擲武器などの扱いも上手い。
本人が『カッコ悪い』などという理由で嫌がらなければ、こんなものだろう。
「ぷに?」
何度かレヴィが練習している間に、むーちゃんが軽く頭を上げた。
同時に、クトーも気づく。
「レヴィ。魔物だ」
声をかけると、レヴィは次にツルを引こうとしていた動きを止めて、平原に目を向けた。
そのまま軽く、褐色の額に浮かんだ汗を拭う。
「疲れたのか?」
そんなヤワな体力ではないはずだが、今日は気候もいい。
しかしクトーの問いかけに、レヴィは平原に目を向けたまま首を横に振った。
「体は別にそうでもないけど。慣れるまで感覚に違和感があるのよね」
魔導師がイメージの修練をする時に感じるのに似た疲れか、と当たりをつける。
あまり長いことやらせていたら体調に支障が出るかもしれない。
「長弓の実践にはちょうどいい相手かと思ったが、俺がやるか?」
クトーがいるのとは逆側の草むらから現れた魔物を手にした旅杖で示すと、レヴィは軽く鼻を鳴らした。
軽く土の地面を踏みしめて、そちらに向き直る。
「この程度の魔物相手なら、別に心配なんかいらないわよ」
相変わらず、戦闘に関しては自信のある発言をするレヴィが魔物を見据える。
「ただのボーリング・ビーストでしょ? むーちゃんだけケガしないように見ててよ」
「分かった」
現れたのは、茶色の毛並みを持つ四足獣のような魔物だった。
ボーリング・ビーストというそれには耳がなく、代わりに頭から背中にかけて轍状の灰色の硬皮に覆われている。
大きさは小型の獣程度だが、風の魔法を行使して体を丸めた高速回転しながらの体当たりがそこそこ威力がある魔物だ。
それらが十数匹、半円状にこちらを囲むように姿を見せていた。
といっても、この魔物はFランクなので、正直なところ今のレヴィなら片手間にあしらえるだろう。
最悪、弓が扱えなくとも投擲武器と屠殺ニンジャ刀でどうにでもなる。
レヴィは腰に下げていた額当てを頭に巻いた。
すると彼女の衣服が変化して、白ニンジャ姿になる。
ーーー何度見てもいい姿だ。
しみじみとうなずいていると、レヴィが軽く眉根を寄せてこちらをチラリと睨んでから、長弓を構えた。
「行くわよ!」
ギリ、と先ほどよりも滑らかな動作で弦を引いたレヴィが、即座に矢を解き放った。
一体のボーリング・ビーストの額を矢が射抜くと同時に、他の個体が散開する。
内の二体が、そのままレヴィの両サイドを挟むように移動して宙に跳ねた。
クルリと体を丸めて、高速回転を始める。
「フッ!」
軽く息を吐きながら、レヴィがタイミングを計って大きく後ろに跳ぶ。
挟み撃ちを狙ったボーリング・ビーストが、お互いにぶつかって大きく弾かれた。
「2!」
動きながらツルを引いたレヴィは、弾かれて着地した瞬間を狙って矢を放ち、もう一匹を屠る。
「本当に動きが良くなったな」
温泉街からこっち、修練し続けてきた成果だろう。
クトーは感心しながら、自分に向かってきたボーリング・ビーストの噛みつきに対して、旅杖を軽く突き出した。
胸元を真っ直ぐに突かれて、落下した魔物が悶絶する。
「ぷに!?」
「心配するな、むーちゃん。大丈夫だ」
怯えたように縮こまる子竜の背中をポンポン、と反対の手でなだめ、クトーは横に滑るように移動する。
シャラン、とメガネのチェーンが動きと共に鳴り、背後から狙ってきたボーリング・ビーストの爪が宙を裂いた。
ガラ空きになったそのわき腹に、クトーは旅杖を振り下ろす。
たわいもない相手だ。
クトーが撃ち落とした魔物達にも、レヴィの矢が次々と突き刺さって始末して行った。
やがて、残り数匹になったところで、ボーリングビーストたちが逃げだす。
「ふん。私を倒すなんて百年早いわよ!」
「つい半年ほど前なら苦戦していた相手だと思うが……」
クトーと出会ったのは春先くらいの時期で、そこからのレヴィの成長が目覚ましいだけである。
普通の冒険者なら、まだEランクでもおかしくはないのだ。
「いちいち細かいわね!」
「性分だ」
事実を述べただけなのに、レヴィはムッとしたようだった。
「大体あなた……」
とレヴィが文句を続けようとしたところで、おざなりな拍手の音が聞こえた。
「誰かと思えばレイレイとはのう。少し見ぬ間に強くなったもんじゃ」
その声が聞こえたほうに目を向けると、そこに二人連れが立っていた。
1人は、黒い肌をした大男。
伸ばし放題の太く硬そうな髪は大きく広がっており、野生の魔物皮をそのままなめしたような服を身につけている。
もう1人、拍手をして声をかけてきたのは、総白髪の老齢の男。
小柄だが、槍を肩にかけて、背筋の伸びた頑健そうな体をしており、口もとに悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
クトーはどちらの男にも見覚えがあるが、この場にいるはずのない2人の姿に眉根を寄せる。
「ムーガーン王? それに……」
「お爺ちゃん!? なんでこんなところにいるの?」
そこに立っていたのは、小国連の1つである『巨人の在所』の支配者である大地の巨人と、元・辺境伯にして国王ホァンの大叔父、【雷迅】のケインだった。
「我がここにいて何か問題があろうか?」
「クト坊も、久しぶりじゃのう」
それはクトーの中で、あまり繋がりが読めない組み合わせだった。
ケインは、以前、ビッグマウスが侵攻した大森林に隣接した土地の領主で、ムーガーン王はそこから少し外れた南西にある、帝国に近い土地を支配している。
住んでいる場所は似通っているが、クトーは彼らとは別々に知り合っていた。
そして何より。
「……会談は、まだずいぶん先ですが」
小国連会談の来賓の1人が、なぜこの場所にいるのか。
「待つのは好かぬである。我らは国とは呼ばわるが、それぞれに生きる種族。我の不在は特に問題がない」
「他国に踏み入ることには問題があるかと思いますが?」
「友好国であろう。また、我らは縛られはせぬである。自由を尊ぶもの」
ムーガーン王は、王都の南門を眺めて目を細めた。
「ケインに誘われ、フヴェルの小僧の顔を見るのも乙と思った次第」
表情も変えないまま淡々と告げられて、クトーは軽く息を吐いた。
魔王の件が片付いていないままこの場に彼が現れたという事実は、問題の上乗せを意味する。
実情を説明して、護衛のいる屋敷に閉じ込めておくことも出来ない相手だ。
力尽くで押し込んだところで、人に似た姿に化身することをやめられれば巨人が街で暴れまわることになり、しかも巨人の在所との友好が崩れるだろう。
つまり……厄介ごとが増えた。
そんなクトーの内心をよそに、レヴィはケインに駆け寄っている。
心なしか明るい声で、彼女はケインと抱擁を交わした。
「お爺ちゃんはなんでここに!?」
「ほっほ、大きくなったのう。なに、祭りがあると聞いてな。暇じゃし、ムーガーンを誘って遊興の旅と洒落込んだのじゃ」
ビッグマウス侵攻の折に顔見知りとなったらしいレヴィの背中を叩いて、ケインが破顔する。
かつては王位にとすら望まれた王族であり、戦場で一騎当千の名をほしいままにした彼もまた、自由奔放ながら王にとって破格の賓客である。
何せ、彼の協力がなければ現王ホァンが王位を取り戻すことも難しかったのだ。
「領主の仕事はどうしたんですか」
「そんなもん、下が勝手にやるわい。普段から政務に励んどるわけでもないしの」
クトーの苦言に、平然と責任感のカケラもないことを言ったケインはレヴィと離れて、ぽんぽん、と肩を槍で叩きながら、ニヤリと笑う。
その目が、鋭い色に変わった。
「少しばかり、楽しいこともありそうじゃしの?」
含みのある発言から、クトーはケインの目的を察する。
「……誰がバラしました?」
「リュウ坊じゃ」
ーーーあのボケが。
クトーは内心でリュウを罵った。
大方、気の合う相手を戦力として望んだのだろうが、よりにもよってその戦闘力と地位がまるで見合っていない相手を呼ぶなど愚行過ぎる。
「さ、旅に疲れた老人を、ちょっと美味い酒が呑めるところにでも案内してもらおうかの」
ケインがパチリと片目を閉じるのに、クトーは小さく頭を横に振った。




