おっさんは少女に事務を教える。
クサッツの街にあるギルドは、他の街とは趣の違う建物だ。
形状は同様だが、異国の街並みを再現したクサッツの様式に合わせて、石ではなく木と土で建物がつくられている。
クトーは中に入って、受付窓口よりも奥にある検品用の大部屋へ向かい、ラージフットの素材引き取り価格を決定した後に、フライングワームの素材加工を依頼した。
「ワームは余さず使うんすか?」
中年太りのエプロンを付けた目利きの職員が、書類を見つつ手ぬぐいで血を拭き取りながら訊ねてくる。
大部屋にはクトー達の他にも数人、床に広げられた敷物の上に狩った魔物を広げている者達がいた。
クトーは職員の質問にうなずいてから答える。
「ああ。使う人間よりランクが上の獲物でな。素材加工の後に丸ごと引き取る。なので、経費を加工賃だけにして欲しい」
「装備化や卸しまで請け負わなくて良いんすね?」
「業者はこちらで探す。時間があるからな」
「そっすか。んじゃ、窓口の方でそう言って下さいっす」
大して珍しい事でもないからだろう、目利きの職員は慣れた口調で答えると書類に検品内容の書き付けを始めた。
ギルドに一括で加工から装備化までを任せるのは楽だが、結局装備品とは個人に合わせるものだ。
既成の形で作って貰ったものがピッタリ合うことは少なく、調整の為にも金が掛かる。
だから、最初から使う人間が限定されていて時間がある場合は、自ら信頼できる工房に持って行って装備者に合わせて作って貰った方が安上がりなのだ。
「……値引きの話なのに、随分あっさりなのね?」
「食料品や日用品と違って、不当な手間賃の値切りじゃないからな」
こそっと話しかけて来たレヴィに、クトーは普通に答えた。
書類を受け取って窓口へ向かう。
そもそも、職人側が吹っかけているわけでもないのに技術料や手間賃を上乗せされた値段にケチを付けるのは、クトーの性に合わない。
技術とは一朝一夕で手に入るものではないし、それを生業にしている人間に対して対価を渋る者には、技術によって作られた物を受け取る権利などないと、クトーは思う。
「魔物は、解体後部位ごとに加工して市場に卸すか、ギルドで物品の入荷待ちをしている客の元へ直接売るのが一般的な流通ルートになる。本来はそこまでが業務だから、最初から金額を上乗せされているだけだ」
「へぇ」
「一部分だけ買い戻す時には素材代が上乗せされないので、その場合も通常ルートで買う時の平均価格よりは安く上がるが、それでも加工賃と他の部位の事務処理代が取られる。下取りという形式を取るから、報酬から差し引かれるんだが」
特に部分ごとに価値や使用法が違う魔物に関しては、その事務処理代が高くなりやすい。
魔物は、薬や毒になるものから装備品になるもの、装飾になるものまで様々なので、用途の幅が広い魔物ほど卸先が煩雑に増えていくのだ。
しかも確実に卸せるとは限らないので、在庫として抱える可能性もある。
そうした物品を保管する場所代なんかもバカにならない。
だから、全て引き取る場合は加工賃のみで済む、という事だ。
フライングワームはドラゴン種なので、皮から内臓に至るまでそれなりに用途が広い。
その卸先一つにつき一つ増える事務処理のせいで、ギルドに頼むと加工代+手間賃として設定されている価格が他の魔物よりも高くなる。
加工する職人への対価を支払う事は惜しまないが、手間を抜いているのにその分まで請求されるのは割が合わないので、クトーはその旨を職員に伝えたのだ。
「なんでギルドの保管代とかを冒険者側が負担するの?」
クトーが窓口で書類を提出すると、書類確認を待っている間にまたレヴィが問いかけてきた。
「いい質問だ。場所代などの負担は全額じゃない。ギルドが取る中間マージンからも出される……が、そもそもギルドは相互扶助組織であり、業者がギルドから素材を買い付けるのは他よりも安く、かつ安定して素材を供給するからだ」
本来なら、買い付ける側に負担させる事務処理代をギルド所属の冒険者側から出す事で安く卸している。
この場合の『他』というのは、様々な国家の兵隊による訓練や駆除、戦争へ加担する大規模傭兵部隊が仕事がない時にやる魔物狩り、裏社会の組織の資金稼ぎなどで狩られる魔物の事だ。
そうした相手に対抗する為のコミュニティとしてもギルドは機能している。
「ギルドは冒険者と業者の間での取引や、冒険者への依頼を仲介する為にあるものだから、ギルド構成員の中には事務員だけでなく冒険者自身も含まれる」
クトーは、自分の胸元をトントン、と叩いた。
そこにある冒険者証がカツン、と硬い音を返してくる。
「仮に冒険者ギルドがなければ、お前は依頼を受けたり魔物を解体する作業をどうする?」
「どうするって……自分でやるしかないんじゃない?」
「自分自身で傷つけないように解体する事は可能か? 出来ないなら、どこへ持っていけば誰が解体をしてくれるのかは分かるか。あるいは、どの素材がどんなアイテムになりどこへ行けば売れるのか」
「えーっと……」
矢継ぎ早に言葉を投げかけると、案の定レヴィは目を泳がせた。
彼女が、ギルドの存在意義を知る事は重要だ。
そもそも物事の流れは、規律を含めてそこに理由があるからこそ定められている。
根本を知っていれば、派生した事柄の理解もしやすくなるものだ。
「ギルドは、冒険者の手間を代わりに請け負ってくれている。ギルドがなければ冒険者は仕事の依頼人はどこにいるのかを探し当て、その場でお互いに折り合いをつけて契約を交わし、報酬の受け取りを相手が渋れば交渉しなければならない。自らの頭と、足と、時間を使ってな」
「それは分かるけど」
「ギルドというのは、冒険者がいなければ必要がない。しかし実際は冒険者や依頼人の方がギルドを必要としているんだ。だから得られる利益はお互いに分け合い、代わりに手間や負担も分け合う。どちらか一方が助け合いに異を唱えれば成り立たなくなる」
そうした意識のない者は、結果として好き勝手に振る舞い、ギルドから排除されて恩恵を受けられなくなるのだ。
さらに逆恨みでギルドに手を出せば、国とギルドが結ぶ協定の名の下に、Bランク以上の暗殺者を揃えたギルド暗殺部隊に速やかに処理される事になる。
「暗殺……」
少し物騒な話にレヴィが表情を曇らせるが、クトーは話をやめなかった。
「素行の悪い者を放置してギルドの信用がなくなれば、困るのは冒険者自身だからな。油断をすれば人は死ぬと言ったが、慢心も油断と同じだ」
クトーは、レヴィの肩を軽く叩いた。
「冒険者は自由だ。しかしレヴィ、全てを自分の好きなように振る舞う事は自由ではなく無法と言うんだ」
「無法……」
レヴィは、静かに床に目を落とした。
「その、無法ってさ。村の畑を荒らしたビッグマウスどもと何も変わらないって事だよね……」
「そうだな」
彼女は、あのビッグマウスの事を話してくれた日から、少しだけ変わった。
クトーに気安くなり、それとは別に様々な物事をきちんと考え始めたようだ。
少し前よりも理解が早くなっているのは良い傾向だった。
窓口職員が確認を終えて目を上げるのを見て、クトーはレヴィを促した。
「実際の手続きを自分で体験して覚えろ。情報に関しても同じ窓口で受け取る事が出来るし、地図や宿の事についても聞くんだ」
「分かった」
レヴィがイスに座り職員の説明を受けるのを後ろで眺めていると、青いキモノを身に付けた女性が職員事務所の奥から現れ、静々とクトーに近づいて来た。
「おいでませ」
声をかけられて目を向けると、白粉を香らせる白塗りの女性が茶目っ気たっぷりに微笑む。
少しの間だけ観察し、それが誰かを知ったクトーは驚いた。
「ミズチ、か?」
立っていたのは、王都のギルド依頼課長を務めている、この場にいないはずの仲間の一人だった。
※※※
「何でお前がここにいる?」
「出張です」
ふふ、と淑やかに口もとに手を当てるミズチに、クトーは眉をひそめる。
イスに座って手続きの説明を受けていたレヴィが、こちらをチラリと見上げた。
「クトー」
「何だ」
「ギルドの人?」
「そうだ」
「……あなたのギルドの知り合いって、女の人ばっかりね。しかも美人の」
意味がよく分からず、クトーはメガネのブリッジを押し上げてレヴィを見下ろした。
「サピーとミズチの二人しか会っていないだろう」
そもそも窓口職員には女性の方が多い。
レヴィは肩をすくめてから説明を受ける姿勢に戻り、クトーはミズチに向き直った。
「……王都のギルド課長が出張するような要件が、この街にあるとは思えないが」
「そうですか?」
うふふ、と笑いながら袖を抑えて頬に手を添えるミズチの姿は美しく可愛らしいが、クトーは旅杖をカツンと鳴らして鼻筋にシワを寄せながら見下ろした。
「職権乱用や公私混同を俺が好まない事は、覚えているな?」
王都のギルド課長は、ヒマな職務ではない。
クトーの休暇先へたまたまミズチが出張しなければならない用事がある、などという偶然は、0ではないだろうが限りなく作為的な匂いがする。
「ええ。大丈夫です。公私混同と言われれば、微妙なところですけどね。どちらかと言えば裏工作でしょうか」
ミズチはそこで『声』を消した。
小さくしたのではなく一切発声せずに、唇の中心に紅を添えた口もとだけを動かして息を漏らす。
無声音を、読唇術と合わせてクトーは正確に読み取った。
『クトーさんが出た後に、リュウさんから連絡があったのです。話が分かる人間をクサッツのギルドに置いて欲しいと』
クトーは同じ無声音で、笑みを消さないままに怜悧な目をするミズチに応える。
『何が起こった』
『理由は言えません。クトーさんは休暇中でしょう?』
あくまでも笑みを消さないまま言うミズチに、クトーは周りの状況を把握した。
窓口の冒険者はこちらに注目していない。
動いている者や手続きをしている仲間を待つ冒険者達の中にも、聞き耳を立てている者はいないようだ。
ミズチの方に目を向けている者はいるが、顔が笑み崩れているかクトーに複雑そうな目を向けているので、彼女の外見に注視しているだけだろう。
『【ドラゴンズ・レイド】は、全員休暇中のはずだが』
『そうですね。ですから、休暇の人間とのやり取りは機密ではなく、乙女の秘密です』
話を続けると、ミズチは頬に添えていた手を再び口もとに持っていき、一本指を立てて片目をつぶった。
誤魔化すつもりなら、受けて立とう。
『お前がギルドにいるという事は、私的な用事の為に仕事上の権限を使ったという事になるな』
『残念ですね、クトーさん。これは【ドラゴンズ・レイド】の依頼ではありませんが、リュウさんという冒険者が受けた依頼に関係する措置なのです。なので、私的というにも語弊があります』
リュウが依頼を受けた。
それも休暇の間に。
クトーは、少しイヤな予感が増した。
『あいつが依頼を受けただと? 休暇中は休めと人に言っておきながら?』
『それに関しては人の事は言えないでしょう? サピーから聞いていますよ。クトーさんがその子を育てる為にEランク依頼を受けたと。ここにはラージフットを換金しに来たのでは?』
どうやら、検品室に入るのも見られていたらしい。
ミズチはクトーが教育した中でも、特に権謀術数に優れている。
頭の回転の速さと切れ味は、交渉の場においてはクトー以上だ。
しなやかさと芯の強さを兼ね備えた彼女は、その柔和な美貌からは想像もつかない程に有能な人材なのだ。
『俺の依頼に関しては道中のついでだ。プライベートで何をしようと勝手だろう?』
『そう、リュウさんと同じですね。つまりリュウさんの勝手にクトーさんが口を挟む権利はない、という事です』
『パーティーとして動いている訳ではない、という事だな?』
『もしパーティーとして依頼を受けて動いているのなら、私がクトーさんに伝えないと思いますか?』
問われて、クトーはシャラリとメガネのチェーンを鳴らしながら首を傾げた。
『休暇を命じたのはお前たちだからな』
『ええ。でも、クトーさんが必要な状況なら、私はお伝えしますよ。知らない所で誰かが死んだら、クトーさんが昔みたいにどうなるか分かりませんもの』
痛いところを突かれて、クトーは苦い顔をした。
あまり、あの時の事に触れられたくはないが、彼女以外に触れる権利がある人間もいない。
『悪かったな』
『気にしてはいません。ですが、動きがある事はお耳に入れておきたかったのです』
耳に入れるだけで詳細を語らない、という事は、まだ大ごとにはなっておらず、クトーの休暇は継続中だという事なのだろう。
『ここに、あいつらもいるのか?』
『いいえ。ですが、来るかも知れないですね』
リュウは感覚で動くが、その感覚がずば抜けている。
あいつが何かを感じてミズチをここに呼び寄せたなら、何かが起こる可能性は高い。
『頭に留めておこう』
『お願いいたします。クトーさんの休暇がつつがなく終わる事を期待してるんですよ、これでも』
だって、とミズチは楽しそうな笑みを浮かべてから、いたずらっぽくクトーを見上げた。
『私も休日には、クトーさんにご一緒出来るかも知れませんし』
その言葉の意味を問い返す前に、ミズチは背を向けて行ってしまった。
「終わったわよ。黙って見つめ合って、何だったの?」
ちょっと不機嫌そうな声で、イスから立ち上がったレヴィが問いかけて来る。
無事に手に入れた街図と空白の地図を丸めて、ポンポンと掌を叩いていた。
「特に何もない。紙が痛むぞ。……手順は覚えたか?」
「自信はないけど、後2、3回やらせてもらえれば出来るようになる、と思う……」
何故そこで不安そうになるのか。
少し不満を覚えたクトーだったが、発言そのものは前向きだったので、特に何も言わなかった。
「宿も取ったわよ。安いところじゃないけど、良いの?」
「食事が美味い、なるべく高い宿を選んだんだろう?」
「ええ」
「なら良い」
クトーは、温泉街クサッツ観光を満喫するつもりだった。
もちろん実益を兼ねている。
レヴィに街図で図面描きを練習させ、地図の書き方を覚えさせるのだ。
そしてクトー自身の持つ街図と照らして、答え合わせをしていく。
またレヴィに、美味い食事の味や高級な場所での作法を覚えさせるのも重要だ。
今後もしVIPの依頼人を相手にする際に、初めて高級なものに触れてカチカチに緊張しているのはいただけない。
高級宿の宿代も折半するので、滞在中に稼ぐ予定だ。
そして数泊してレヴィに作法を覚えさせた後は、クトーの知る安宿に移る。
クトーはそう考えながら、彼女と連れ立ってギルドを後にした。




