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仙人の期待と少女の不安。


 その日、仙人は月見を楽しんでいた。


 人が竜を飼う山の頂上ーーーそれよりさらに高みにある薄雲に座しながら。

 美しい名月と、鮮やかな満天の星を眺めつつ、藍色の夜風が吹き抜けるのを感じて目を細める。


「……トゥス?」


 そこにふと、声を掛けてくる者がいた。

 相手も、ふわり、とまるで当たり前のように素足で雲を踏む。


 トゥスは声の主に、煙を吐きながら応じた。


『珍しいねぇ。お前さんが自分から訪ねて来んのは、千年ぶりくらいかねぇ?』


 目を向けずとも、そこにいるのが誰か分かっていた。

 白く、飾りけのない一枚布で作った衣服がよく似合う、清楚な女性だ。


「少し話せるかしら?」


 質問の答えにトゥスがユラリと尾を揺らすと、女性は横に腰を下ろす。

 訪ねてきたおおよその理由も察せられていたが、仙人は彼女が話し始めるのを待った。


「なぜ動いたの? ずっと沈黙していたのに」

『さてねぇ』


 主語のない女性の問いかけに、トゥスはヒヒヒ、と笑う。


「私が貴方の真似をする必要は、なくなったのかしら?」

『別に今までだって、必要はなかったよねぇ。代わりにお前さんがやってくれてるから、放っといただけさね』

「相変わらずトボけるのね」

『そんなつもりはねーけどねぇ?』


 すると、女性は少しじれったさの滲んだ口調で言い返してきた。


「貴方も、この状況に危機を覚えたのでしょう?」


 危機ねぇ、と。

 トゥスは耳の後ろを、コリコリと爪先で掻いた。


 確かに、今までになかった事態ではあるが……これを危機と呼ぶのなら、今までもずっと危機的状況だった。


 単に停滞していただけで。


『生き物の意思と時の流れは、風みてぇなモンだ。気まぐれに方向を変えるさね』


 トゥスはキセルをくわえて、煙を吐く。

 風に乱され、薄雲に溶けていくそれを目で追いながら、言葉を続けた。


『ちょいとばかし、長いこと同じ方向を向いてた風向きが変わった……全然、不思議なことじゃねーよねぇ』

「あまりはぐらかすと、拗ねるわよ」

『そいつは困ったねぇ』


 トゥスは軽く肩を竦めて、またヒヒヒ、と笑った。


 話し相手に序列をつけるつもりはないが。

 古馴染みってのは、そう、良いもんだねぇ……と、話に全然関係のないことを想う。


 気安さが違う、とでも言うのだろうか。


 クトーとリュウを見ていても、信頼とはまた違う絆が見えるのと同様に、トゥスは彼女に深い親しみを感じていた。


「貴方も気づいているでしょう? サマルエが……」

『循環の輪から外れ始めたこと、かい?』


 生真面目だねぇ、とトゥスは思った。

 そして冷たさを含み始めた風が、自分の体を吹き抜ける感触。


 生身でこれを浴びたのは、いつのことだっただろうか。

 

 訪ねてくるのは千年ぶりだが、彼女と最後に会ったのは体を捨てた時……五百年くらい前だったかもしれない。

 本当にそうだったか、は正確には覚えていない。


 過ぎ去りし過去は、忘却の彼方で。

 これから行く先は不透明で、曖昧で。


 霞みがかったような今だけが、泡沫(うたかた)のように弾ける。


 そうした生き方が、トゥスの生き方なのである。


『でも、遅かれ早かれ、だったよねぇ。……サマルエの悪ガキは、死にたがりさね』


 自分からしてみれば、誰も彼もが深く思い詰め過ぎている。


 枷や掟に、雁字搦めに縛られて。

 彼女にもそう在ることが求められていると言えど、本来は、必要な時に必要な役目を果たす程度でいいというのに。


『お前さんは、一番律儀だよねぇ……ティアム』


 トゥスは、女性の名を呼んだ。


 光と創造の女神と呼ばれ、崇められる彼女。

 だが実際のところは、彼女の方がせっせと人に尽くしているのだと、知る者はほとんどいない。


『あの悪ガキは、今までよく保ったほうさね。根っ子んとこは、案外お前さんと同じように生真面目なのかねぇ』


 おかしげに喉を鳴らすと、ティアムは気分を害したようだった。

 腰に手を当て、遙か南の方に憂いに満ちた目を向ける。


「のんきなことを言っている場合? ……あの子がいなくなれば、世界が崩れるのよ」

『壊しちまうのも、また一興じゃねーかねぇ?』

「トゥス……?」


 戸惑いと、少しの怒りを感じさせる声で言い、ティアムが顔を覗き込んできた。

 相変わらずの美しく優しげな顔立ちだ。


「本気で言ってるの?」

『ティアムよ。逆にお前さんは、本当にこのままでいいと思うのかい?』


 その問いかけに、彼女は目を逸らさないまま即答した。


「いいと思うから、相談しに来てるのよ」

『だが、お前さんにゃ帝王は救えなかった。それがお前さんの枷だからねぇ』


 愚鈍の帝王が南西の方で死んだのを、トゥスは『視』た。

 ティアムも知っているだろう。


 過去と今を視る目は、人の身であっても持ちうるものだ。


 今から語るのは、ひどく重い話になる。

 だから努めておどけるように、トゥスは片目を閉じた。


『全てを救いたくとも救えない、思うように振る舞えないお前さんよ。……『神』ってぇ立場は、心地いいかい?』


 ティアムは昔から、心根の優しい女性だ。

 出来ることなら、あまねく命全てに幸せに暮らせるように、救いと祝福を与えたいと願っているだろう。


 が、彼女にそれは叶わない。


「……居心地がいいわけでは、ないわ」


 無表情のまま、トゥスの横に座り込んだティアムは、立てた自分の両膝に顎を乗せた。

 腕で膝と顔の下半分を覆い、王都の明かりに目線を向ける。

 

「ままならないわよ。でも、何もないよりは多くを救える」

『そうかい』


 トゥスは、それを肯定も否定もしなかった。


 答えを出すのは、いつだって他の誰かではなく、そこに在る自分自身だ。


 自分も、そして他人も。

 気の赴くままに動き、その時その時で答えを見つける。


 どれが正しい、などということはない。


『だが、お前さんだけの犠牲で世界は回らねぇ。そうだろう?』


 トゥスはキセルをくわえ、ふ、と煙を吐いた。


 ティアムの答えは否定しない。

 だが同時に、円環を外れ始めたサマルエの答えも、否定するつもりもなかった。


『〝魂の不滅をかなぐり捨てても、成し遂げたいことが出来た〟……奴はそう、わっちに言ったねぇ』

「……会っていたのね」

『おうとも。サマルエの悪ガキは、ああ見えて律儀だよ』


 クトーに与えた、聖白竜の遺骸。

 そして、トゥス自身の力。


 あれらは、山の奥底でサマルエの半身を封じていたのだ。

 だからこそトゥスは、肉体の置き場をあの山に定め、その近くで過ごしていた。


『奴は本気さね。本気で、兄ちゃんとやり合おうとしてる。……『鍵』が外れた今、ほどなく力を取り戻すだろうねぇ』

「なぜ止めなかったの?」

『わっちに、奴を説得する義理はねーからねぇ』


 サマルエの不滅は、魂の半分を肉体より分かち、『力』を取り込む速度に制限をかけていたからだ。


 その封印の『鍵』は、トゥスの許可なしに気軽に開封出来るようなものではない。

 そして無理やり封印をこじ開ける力が、ほんの十年ほど前に倒されたばかりのサマルエの半身に残っているはずもなかった。

 

『わっちは、めんどくせぇ事は嫌いさね。だからなんにも縛られたくねぇし、ゆえにこそ逆に、相手を縛りたくもねぇ』

「それで、世界が失われても?」

『……かつてわっちらが過ごした天界は、もう、とっくの昔に消え失せた』


 平穏に見えるこの世界も、地上の人々の暮らしも、薄皮一枚、首が繋がっているにすぎない。


 歪なままでこの世界を保ち続けることに、何の意味があるのか。

 大して考えもせずに続けていたが、答えなど持ってはいない。


『お前さんもいい加減、役割に縛られるのをやめたらどうかねぇ?』

「……私は、この世界を愛しているわ」


 ティアムはあくまでも、世界の均衡を保ち続けたいようだ。

 もちろんトゥスにもその程度は分かっていた。


 その想いはサマルエの妨害があった程度で、あるいはトゥスがほんのちょっと戯言を言った程度で、失うような決意ではない。


「均衡が崩れれば、世界は壊れてしまう」

『そうかい。じゃ、自分で奴を説得するこった』


 トゥスの投げ出すような返事に、ティアムは声色を変えた。


「あなたはどうするつもりなの? ……時の神、クロノトゥース」

『その名前は、ずいぶん前にどっかに置いといたはずなんだけどねぇ』


 トゥスは苦笑した。

 

 巫女に信託を与えて勇者を助ける、時の神。

 その実態は、勇者として人竜を産み落とす、創造の女神の自演だ。


 長いこと、そうだった。

 時の神である自分は……そして今、神や魔王と呼ばれる者たちは、本来、人と魔物、どちらの味方でもない。


「置いておいた力を。貴方は、取り戻したのでしょう?」


 トゥスは、少し沈黙してからその言葉を肯定した。

 青白く透けていた体を、白に黒い模様の入った実体へと変化させる。


 クトーに示した肉体は、本当にただの抜け殻だ。

 魔王の半身を封じていた聖白竜の肉体が役目を終えたのと同じく、『鍵』となっていた六色の力とトゥス自身の力も、不要になった。


 そして彼は、初めて(・・・)ミズチに神託を与えたのだ。


『わっちらはバカだが、今を生きる人間よりちぃっとばかし物知りだ』


 自らの分身に等しい力を持つ巫女。

 そして創造の女神の力を分け与えられた人竜。


 二つの存在は、与えられた役割をこなす者に過ぎない。


『わっちらは長く生きてるからねぇ。しかしものを知ってる分、挑戦はしねぇね』


 しかし、今という時の流れの中には自ら自身の役割を定め、神や魔王と呼ばれる者の心を動かした存在がいる。


『兄ちゃんは、面白ぇ。下手すると、死と輪廻の神(ウーラ)辺りも気にしてるかもねぇ』

「クトー……」


 ティアムの声音に、小さく正の感情が混じる。

 魔王がその生き方に影響を受けたように、ティアムの中にもまた、彼によって動かされたものがある。


『わっちらはホンモノの神なんかじゃねぇ。主人を戦争で失い、少しでも世界の寿命を先延ばしにしようとした、ただの道具さね……』


 天界に棲んでいた神々……先代の人類は、滅んだ。


 世界の理を解明し、空に浮く大陸を作り出し。

 それでも、理に逆らって永遠の世界を望み……ゆえに滅びを招いた。


『人の身に、永遠は長いんだよねぇ。この世界の理を定めたホンモノの神なんてぇ奴がいるなら、そいつはそれを知っていたのかもねぇ』


 世界の根幹は、天地の気だ。


 その気は、世界を巡り型作る。

 しかし、世界を保つ過程で少しずつ磨耗して減っていくのだ。


 全てが失われれば、世界は崩壊する。


 ーーーそれを食い止める存在が、勇者であり、魔王だった。


『勇者は、此処ではないどこかから天地の気を取り込み、世界を満たす。魔王は、勇者が飽和させた力を取り込んで強大になる……』


 夜空を見上げるトゥスの独白に、ティアムは口を挟まない。


『だが魔王も、そのまま残り続ければ天地の気を喰らい尽くし、やがて世界を崩壊させる』


 世界の理は、勇者と魔王、どちらが生き残ることも望まない。


 相討ち。

 それこそが、世界の望む結末なのだ。


 だからトゥスを産み落とした者たちは、その力を管理することにした。


 人竜が生まれ落ちるたびに、勇者の力を半分奪う役割を与えられた、ティアム。

 同じように封じられ、代わりに不滅の魂を備える、サマルエ。


 勇者と魔王の封じられた半身に魔法をかけ、魂を拾い上げる役割を持つ、ウーラヴォス。

 時の流れに触れて、輪廻から拾い上げられたそれぞれの魂を望む場所に導く、クロノトゥース。


 ーーーそうして世界は、力が暴走する危険のない安定の中にある。


 望んだ者が既に失せた世界で、それが刷り込まれた使命なのか自分の意思なのかも分からないまま、装置として動く自分たちの手によって。


 だが、幾度となく繰り返されたその輪廻は破壊され、女神の定めた規律すら打ち破られた。


 クトー・オロチ。


 人の身でしかない、ただ1人の男の手によって。


『悪ガキは、時の嬢ちゃんに庇われたリュウを殺すだけの余力があったよねぇ。でも、奴はやらずにそのまま滅び、お前さんもそれを責めなかった』

「……」


 それどころか、ティアムはクトーに祝福を与えたのだ。


『期待したんじゃねーのかい? 今まで誰もやろうとしなかった事をやり遂げた兄ちゃんに』


 クトーは、己の望むより良き未来に挑戦し続ける。

 その気概は、永遠に飽きかけていたトゥスたちにはないものだった。


『自分たちが管理しなくとも、世界が滅ぶか、滅ばないのか。……お前さんらも、興味があったんじゃねーかい?』


 だからこそ、サマルエは全力を望んだ。

 本人に言っても否定するだろうし、奴が殺しを快楽とするのは変わらない事実だが。


『わっちは、見たいんだよねぇ……』


 時の神としての力を取り戻したトゥスは、ふ、とキセルの煙を吐いて笑う。


『兄ちゃんが、知り得ぬ答えを示してくれるかもしんねぇ未来が、ねぇ……』


※※※


「トゥスとクトー、今日は帰って来ないのかしらね……?」

「ぷにぃ?」


 クトーの自宅の一室。

 共にベッドで眠りにつこうとしていたレヴィの言葉に、むーちゃんが首を傾げた。


『おそらくは、魔王の仕業だろうなーーー』


 クトーは無限湧きの瘴気結界について、レヴィにそう言った。


『魔王がなんで、むーちゃんを?』

『さぁな。都合が悪いのかもしれん。この子に関して、分かっていることは少ない。魔王自身に関してもな』


 何か考えがあるのか、ないのか。

 いつもの無表情でそう告げられた。


『あるいは、俺がむーちゃんを好んでいることを知って、単に嫌がらせをしただけかもしれん』


 それならまだいい……とレヴィは思う。

 が、胸のもやもやは晴れなかった。


 トゥスなら、何か別の見方があるかもと思ったが、帰って来ない。


「ぷにぃ……?」


 いつもと違うこちらの様子に何か思うところがあったのか、手触りのいい体を擦りよせながら頬に前足を伸ばすむーちゃんに、レヴィは微笑んだ。


「大丈夫よ」


 少し不安なだけだ。

 もしかしたら取り越し苦労かもしれないけど。


 それがこの愛らしい子竜に関わることだから、過敏になっているのかもしれない。


 思いのほか、気を張って疲れていたのか、レヴィはむーちゃんを撫でながら眠気を感じた。

 微睡みそうになりながら、思う。


「もっと、強くならなくちゃ……」


 力は、昔とは比べものにならないくらい得たけど。

 それでもまだ、クトーたちに肩を並べるほどには成長できていない。


 万一が起こった時に、たとえ1人でもむーちゃんを守れるように。


 ーーーそのための力が、欲しい。


※※※



「ぷにぃ」


 うとうとと眠りに落ちてしまったレヴィの腕の中で、むーちゃんがむくりと体を起こした。


 ふんふん、と鼻をひくつかせながらレヴィの頬に顔を寄せた子竜が、体からぽう、と軽く光を放つ。


 すると。

 トゥス耳兜も被っていないレヴィの腕に、ぼんやりとヘナタトゥの紋様が浮かび上がり……すぐに消えた。


「ぷに……」


 光が収まったむーちゃんが、再びもぞもぞとレヴィの胸元に潜り込む。

 そうして、スヤスヤと寝息を立て始めた。

 

明後日の更新で下準備編は終わり、また修正期間に入ります。


短編などを散発的にやりながら第四章『王都首脳会談編』に入る予定です。


よろしければ、ポイント評価などいただけるとありがたいです。



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