おっさんは少女に髪留めを買う。
クトーは温泉街に到着し、無事に検問を抜けた。
「着いたぁー!」
ぴょん、と何故か跳び跳ねたレヴィが、褐色の腕を大きく空に伸ばして声を上げる。
「邪魔になるから早く動け」
クトーがそっとレヴィの背中を押すと、むぅ、と不満そうな顔でこちらを見上げてきた。
つり目ぎみの形のいい目が、陽の光にきらめいている。
「クトーってさ、こう、ワクワクする気持ちとかないの? いーっつもムッツリして面白くなさそう」
「浮かれる気持ちは分かるが、人の迷惑にならないところでやれと言っている。顔は元々こんな顔だ」
表情が乏しい事に関しては、昔から散々言われているので気にもならない。
クトーは検問から続く人や荷車の流れから外れて、正面に作られた柵の前に足を進めた。
検問は盆地であるクサッツの街並みよりも少し高い位置にあり、柵の向こうに街の全景が見渡せる。その左右に作られた緩やかな曲がりの広い坂を降りれば、街に着くのだ。
クトーは邪魔にならない位置で立ち止まり、眼下を見下ろした。
「わぁ……」
レヴィが明るい声を上げ、クトーの横で柵に両手を乗せる。
緩やかに吹き抜ける風は陽の暑さを含んだように暖かく、硫黄の香りが鼻を抜けた。
「何度見ても不思議な光景だ」
温泉街クサッツは、見るたびにまるで別世界に来たような気持ちにさせてくれる。
全てが木造の落ち着いた色合いの街、その中央をまっすぐ伸びる表通りでは人が賑やかに行き交い、太い路地が交差する中心に煙を上げる池がある。
そして街の奥に、温泉の源である活火山が鎮座していた。
幾つかの峰を連ねる低い山で、冬は雪に覆われるが今は青々と晴天に映えている。
「あの池は何?」
「湯畑と呼ばれるものだ。源泉を、人が入れる温度まで冷やすためのため池だな。あの湯畑にタマゴを沈めて作る『温泉タマゴ』と呼ばれるゆでタマゴが美味い」
「そうなんだー」
「白身のトロリと滑らかな舌触りと、蕩ける黄身の兼ね合いが絶妙だ」
その温泉タマゴが作れる木枠と岩に囲まれた湯畑の周囲には、木製の柵や長いベンチが置かれていた。
ベンチや湯畑の周りでは、前合わせを帯で止める、一枚布の不思議な服装をした人々がウチワと呼ばれるものを片手に涼んでいる。
「見たことない服の人が多いね」
「あれはユカタだな。他に、もっと布を重ねたものはキモノというらしい」
多くの人々の中に、マイコと呼ばれる酒の席で踊りを披露する職の者を見つけて、クトーは指差した。
美しい所作で歩く女性を、レヴィが興味深そうに眺める。
「この温泉街を開いた男は海を隔てた異国の民で、その国で着られているものだという事だ。あのユカタという服の方は、宿で貸し出しもしている」
「着れるの!?」
「ああ」
クトー自身は幾度か訪れた事があるものの、着たことはない。
新しいもの好きのリュウは喜んで着ていたが、依頼を受けて仕事をこなしている最中に遊ぶのはどうにも性に合わなかったからだ。
しかしレヴィのユカタ姿を想像すると、彼女には早く着せたくなってくる。
間違いなく可愛いに違いない。
「行くか。まずはギルドだ」
着たいというのなら、一刻も早くレヴィにユカタを着せなければ。
しかしそんなクトーの内心は知らない彼女は、別の事を気にしているようだった。
「先にギルドに行って、宿はどうするの? 早く決めないと埋まっちゃわない?」
「宿の空き部屋情報もギルドにある。そちらで聞く方が早い」
「え? ギルドってそんな事もしてるの?」
きょとんとするレヴィに、クトーはうなずいた。
「ギルドとは依頼の処理をするだけではなく、冒険者を総合的にサポートする団体だ。国家や熟練冒険者の知る裏道抜け道などを隠した地図や、街中の道路の詳細を書いていない概略図なども、求めれば買う事が出来る」
【空白の地図】と呼ばれるもので、冒険者はこれに自分自身で見つけた情報を書き込み、自分やパーティーだけの地図を作り上げるのだ。
誰かに狙われた依頼者を別の街へ逃す依頼を専門に請け負う者達もいて、冒険者の中でも特に『運び屋』と呼ばれている。
彼らの地図が最も詳細で、かつ裏道などにも通じていると言われているが、よほど親しくなり、高額な金を出さない限り手に入れる事は出来ない。
安易に盗もうなどと手を出せば、最悪、殺される事もある。
「他にも、ギルドではありとあらゆる情報の売買も行われている。情報屋は、個人では余程世慣れているか腕前がないと、消される心配が大きいからな」
情報収集には自信があるが、腕前には自信のない斥候は、ギルドと契約を結んだり、あるいはフリーランスでひっそりと活動しているものだ。
契約を結んで子飼いになった者に関しては、普通に商店で店を営んでいたり、あるいは酒場を経営して情報を集めている事もザラにある。
そうした人材は必要があれば長く一ヶ所に留まる事もあるが、ギルドを通して引き継ぎを行い、数年頻度で担当区域を入れ替わるのが一般的だ。
情報屋は恨みを買う事も多く、顔が割れるのを嫌う。
そうした話を、レヴィは大人しく聞いていた。
この辺りには珍しい、外壁や道までもが石造りではなく木造の街並みに目移りするかと思ったが、そんな事もない。
彼女の態度に満足したクトーは、続けて言った。
「情報や、それら雑品の売買に関してもやり方を教えておこう。ついでに、自分の空白の地図を持っておけ。俺のものもあるが、自分で地図を書けるようになっておけば何かと役に立つ」
情報の整理や作業の正確性の向上にもなり、地図書きは何かと利点が多い。
レヴィは大人しくうなずきはしたが、考えごとをするように歩きながら腕を組んだ。
「情報ね……スカウトには、そういう仕事もあるんだ」
「パーティーの危険を回避するために前に立つのも重要な事ではあるが、パーティーの目や耳になる者だからな。情報処理に精通していなければ、ただの囮と変わらない」
レヴィは、前のパーティーでそういう使い方をされていたが、本来スカウトとは頭の回転と危険を察知する能力、身軽に動けて鋭い五感も優れた身体と、全てが高水準で求められる重要なクラスなのだ。
「ギルドに着いたら、地図を買い、宿に着いたら計画を立てるぞ」
「計画って?」
「休暇計画だ」
「はぁ!?」
「何を驚いている」
信じられないものを見るような目をこちらに向けるレヴィが、だって、と口を尖らせた。
「なんで休むのに計画がいるのよ?」
「当然だろう。計画を立てなければ動きが鈍くなる。目的を定め、速やかに動く事で堪能するべきものが堪能出来るんだ」
名所を楽しみ、名産を口にして舌鼓を打つ。
出来れば効率よく動くための下調べをしてから旅行に出たかったが、休暇自体がリュウの強権で発動されたものの為、そこまでしている余裕がなかった。
資料を集めたり取り寄せるだけで二週間はかかる。
一ヶ月温泉旅行に行って休暇しろと言われたのだから、とりあえずここに来なければならなかった。
「あのさ、仕事じゃないんだから自由に、その時の気分で動くのが楽しいんじゃないの?」
「それで不測の事態が起きたらどうする。まずギルドに向かうのも計画性の一環だろう」
レヴィの訓練内容も決めなければならないし、観光をしながら彼女を鍛えるにはますます計画が重要だ。
坂を下って表通りに入ると、クトーは指を立てた。
「いいか。時間を無駄にするのは金を無駄にするのと同じだ。コストという点で見れば、時間と金は等価だからな。その為に、今は特に店も覗かずに……む!?」
クトーは、ふと目に入った土産物屋の軒先に、見逃せないものを見つけて足を止めた。
つられて立ち止まったレヴィが、クトーの視線の先を見る。
「何? どうしたの?」
「……」
クトーは答えずに、店の軒先へ向かった。
住居と一体化した軒先に土産の品をズラリと広げた店で、一番手前に置かれた髪留め。
「これは……」
「いらっしゃい」
衝撃で肩を震わせるクトーに、店主が呑気に声をかける。
「……どうしたの?」
レヴィが、髪留めから目を離せないクトーに少し不安そうに話しかけてくる。
その髪留めには、一つの飾りがついていた。
身長は二頭身程度。
湯気のような三本ツノを生やしている。
手には、ハート形の矢じりを持つ愛の矢。
そして背中にちんまりとした羽。
その、キューピッドのようなピンクの動物。
「可愛い……」
「……………………あなたね」
なぜか額に青筋を浮かべたレヴィが、ひくひくと口もとを引きつらせた。
「今からギルドに行くんじゃなかったの!?」
「後だ」
「今さっき言ってた計画性とかいうのはどこ行ったのよ!? これ寄り道よね!?」
「時には、計画よりも重要なものがある」
「たかが髪留めが!? さっきと言ってる事が違う!」
「いいか、レヴィ」
頭を抱えるレヴィに目を向けて、クトーは真剣に伝える。
「可愛いものは、仕事以外の全てに優先する―――」
なぜか絶句する彼女を放っておいて、クトーは店主を見た。
以前には見かけた事がなかったこの動物に関して、調査しなければならない。
「店主よ。この可愛らしい動物はなんだ?」
「ああ、最近採用されたクサッツの地元キャラクター、センツちゃんだよ」
「センツちゃん……」
名前の響きも可愛らしい。
店主は、ひょいと髪留めを持ち上げてクトーに向けて差し出した。
「買うのかい? 銅貨4枚だよ」
「高ぁ!?」
店主は一回の素泊まりと同等の代金を提示し、レヴィが声を上げる。
「買おう」
「即決!? 私にご飯は奢らないのに!」
迷いなく答えたクトーに対してさらにわめくレヴィ。
クトーは手に入れた髪留めを手に、彼女に向き直った。
「さぁレヴィ。この髪留めを付けろ」
「何でよ! 嫌に決まってるでしょ!?」
周りの人々が大騒ぎするレヴィに何事かと思ったのか、こちらを見ながら通り過ぎて行く。
「何でかと言えば、どちらも可愛いからだ。お前が身に付ければ可愛さ倍増だ」
「ふざけないでよ!」
「何故だ? 着ぐるみ毛布よりは身につけやすいだろう」
「そういう問題じゃない!」
「ではどういう問題だ?」
可愛いものを身に付けるのに、一体なんの不都合があると言うのか。
着ぐるみ毛布の時も思った事だが、レヴィが何故断るのかクトーには良く分からない。
「……むぅ、では自分で付けるか」
しかし、着ぐるみ毛布と違って髪留めは自分で身に付けても眺められないので、あまり意味がない気がする。
そんなクトーに、レヴィはますます顔を引きつらせた。
「ちょっとトゥス! 黙ってないで出て来なさいよ! なんかクトーがいつも以上におかしい!」
失礼な。
ごく普段通りだ。
『ヒヒヒ』
どこからともなく笑い声が聞こえて、姿を見せないながらトゥスがレヴィに反応した。
『お前さんらが、騒ぎになるから隠れて黙ってろって言い出したんだろうに』
「緊急事態よ!」
『付けたらいいじゃねぇか、嬢ちゃん。わっちも可愛いと思うがねぇ』
「ナメられるでしょ!? あんな子どもみたいな髪留め!」
どこが子どもっぽいのかよく分からないが、こうなれば交渉だ。
髪留めを身につける事による利点はあっても、不都合は一切感じない。
有利条件で動かない相手は、逆に不利条件を突きつけると交渉がスムーズに進む事があるのをクトーは知っていた。
髪留めをレヴィに突き出して、頭のスイッチを切り替える。
「交換条件だ」
「こ、交換条件?」
「そうだ」
クトーはうなずき、逆の手で外套の中にあるカバン玉をポンポン、と叩く。
「これを付けなければ、フライングワームを装備に加工するための金は貸さん」
「そこまでして髪留め付けさせたいの!?」
驚愕するレヴィに、クトーは沈黙をもって応える。
妙に張り詰めた空気に関わり合いになるのを嫌ったのか、行き交う人混みが割れて周囲に空間が出来ていた。
レヴィが、苦悩するように顔を歪める。
苦しそうな顔は可哀想になるが、ここは引けない。
「なんて卑劣な……!」
「どう言われようと、条件は変えん」
交渉は、譲歩を重ねるとこちらが不利になるのだ。
一度着ぐるみ毛布の件で引いている以上、ここでさらに譲歩する選択肢はなかった。
『加工代は、高いだろうねぇ』
クトーたちの真剣さと対極にあるのほほんとした声で、トゥスがレヴィにささやく。
『嬢ちゃん。たかが髪留めを、ちょっと我慢して付ける程度で竜皮の装備が手に入るんなら、安いもんじゃねぇかい?』
「う……」
レヴィの表情が動く。
揺らいでいるようだと感じたクトーは、もう一押しを付け加えた。
「もし髪留めを身に付けるのなら、現在折半している魔物退治の報酬を、次回から4:6に変えてやろう」
貸し付ける金の返済金を減らす事は出来ないが、これからレヴィと二人で稼ぐ分については仲間の手が入っていない。
金に関する譲歩の限界だ。
「さぁ、どうする?」
「う、うううう〜!」
結局。
トゥスの素晴らしい助言のおかげもあって、センツちゃんの髪留めがレヴィの黒い前髪を挟んで側頭部に収まった。
恥ずかしそうな表情で横を歩くレヴィに、クトーは満足しながら話しかける。
「可愛らしいぞ、レヴィ。素晴らしい」
「……こっち見るな! この変人、覚えときなさいよ!」
「当然だ。可愛いものはきちんと脳裏に焼き付けておく」
「〜〜〜〜ッ!」
今にも噛みつきそうな顔でこちらを睨んだレヴィは、耳を赤くしながらズンズンと足を早めて進んで行く。
その道の先に、ギルドの建物が見えてきた。




