おっさんは、ぬいぐるみ型ゴーレムを起動させるようです。
「ヌフ。クトーちん……本当に、本当に殴らせないのん?」
ゴーレムを置いた倉庫の中でそう問いかけて来たのは、ガリガリに痩せた白衣の男だった。
目の下に真っ黒な隈と、頬骨の浮いた青白い顔。
せわしなく動く目に、篭った声音の早口。
明らかに健康的ではなく怪しさの塊のような彼だが、体調を崩しているところや犯罪に手を染めているところを、クトーは見たことがなかった。
【ドラゴンズ・レイド】の人形師の青年、ダクである。
「ダメだ」
巨大なトロル・マテリアルゴーレムを前に、クトーは猫背の姿勢でそれを指差すダクに首を横に振る。
ゴーレムは今、膝をつき両手を垂れた姿勢で置物のようになっていた。
「このゴーレムはあくまでもメンテナンス用として使用する。戦闘行動は優先順位を落として、緊急時のみ開放するようにしてある」
ゴーレムの基幹魔法陣修復はきっちり終えていた。
その前には第6案になった異空間魔法陣と聖結界魔法陣が、規模を縮小したテスト版として描かれている。
今は共鳴用の魔法陣を、ゴーレムの周りでギルド魔導師や宮廷魔導師たちがせっせと描いているところだった。
ゴーレムの起動と共鳴テストが成功すれば、今度はいよいよ本番だ。
「ヌフ、だってさ、こんないい手をしてるのにぃ……ちょっと一回だけ、起動したら僕ちんを殴らせて……」
「触るな」
そう言ってゴーレムに近づこうとするダクの襟首を、こちらは疲れた顔をしたフヴェルが掴んだ。
「フ、フヴェルちん。何するのん?」
「その珍妙な呼び方をやめろ変態野郎」
ニタァ、と笑みを浮かべるダクに、白髪の巨人族は嫌そうな顔で応える。
手を離したフヴェルに、彼は残念そうに媚びた笑みを浮かべた。
「ヌフ、殴ってくれないのん?」
「なんでわざわざ、我が貴様を喜ばせてやらねばならんのだ」
端正な顔をさらに歪めて一歩下がるフヴェルに、代わりに前に出た少女がいた。
ピンクを基調とした、スカートの裾が太ももの半分程度しかないメイド服に、可愛らしいエプロンをつけている。
隙なく整いすぎて一発で作り物だと分かる美貌には、張り付いたような微笑みが浮かんでいた。
「殴られたいのですカ、マスター」
そのまま、彼女は一歩だけ助走をつけて、素晴らしく美しい動きで追い突きを繰り出した。
細く小さな体に似合わない俊敏な拳に、為す術もなくダクが頬を殴りつけられて吹き飛ばされる。
「グォルブゥァ!!!!」
グルグルと縦に回転しながら宙を舞ったダクはそのまま血を撒き散らしながら、壁に顔から叩きつけられた。
あまりの事に、周囲が呆気にとられ……ることもなく、何事もなかったかのように作業を続けている。
そんな光景が1日に20回以上繰り返されていれば、そうもなるだろう。
殴りつけた後ピタリと止まった少女メイドは、ゆっくりと姿勢を戻した。
お腹の前で綺麗に両手を組み、瞬きもしないまま停止する。
クトーが目を受けると、張り付いた微笑みは変えずにこちらに目を向けて、少女はコクンと小さく首を傾げた。
「今日も可愛らしくて大変結構な事だ、ルー」
「お褒めに預かり光栄でス、クトーさン」
ルーは、優雅に短いスカートの裾をつまみ、オーバーニーソックスの絶対領域を見せ付けつつ頭を下げる。
そして、スカートの中身が見えるか見えないかという完璧なタイミングで手を止めた後、元の姿勢に戻った。
ルーは、ダクの作り出したゴーレムである。
ゴーレムには複数の種類があり、その中でも大きく二つに分けられる。
一つは、トロル・マテリアルゴーレムやルーのような常駐型。
もう一つは魔法で作り出し、魔力が切れると元の土や金属に戻る生成型だ。
生成型は基本的に単純な命令しか受け付けない。
ゆえに荷運び作業や戦闘要員増強程度にしか使えないが、常駐型は手間も時間もかかる分、より複雑な作業ができる。
ルーは、外見は限りなく人間に近い『ドール型』である。
彼女の身にまとった服装通りに侍女などを務めさせる存在なのだが、彼女がダクに与えられた最優先命令は『ダクが殴ってほしい時に殴る事』だ。
創造主の才覚により、戦闘能力もSランクの魔物を相手に出来る領域にある。
ダクを所構わず殴ること以外は礼節をわきまえ、自己判断で行動できる非常に有能なドールゴーレムなのである。
思考回路そのものは、人と遜色ないレベルに達しており、クトーは彼女を【ドラゴンズ・レイド】の一員として認めていた。
他の仲間たちもそれを認めている。
その創造主であるダクは、何事もなかったかのようにむくりと体を起こして、ズルズルと足を引きずる歩き方でこちらに戻って来た。
「ヌフ、やっぱりルーの拳は良い痛みだよねぇ……」
恍惚とした満足感を見せながら、ダクが頬を拭う。
彼は、変わった性癖を持っていた。
『何かを壊したり、痛みを受けたりすると生きている実感がする』らしい。
その言葉に、クトーはさっぱり共感できないが、ルーの外見については幾度となく話し合った。
今は、より人間らしく瞬きをしたり、表情を微笑み以外にも作ろうとしているらしい。
そんなダクの頬には、殴られたのに傷一つなかった。
彼は、自分の体の中に治癒魔法が自動発動する治癒魔法陣と、『痛みはあるが損傷は軽減する』どういう意図があるのか分からない防御魔法陣を埋め込んでいた。
自分の体すら実験材料だという彼は、確かにユグドリアやフヴェルの言う通り変態なのだろう。
しかし有能な人材だ。
その変態性が人に迷惑をかけないなら、クトーにはとって特に問題はなかった。
「起動に関して、何か支障になりそうなことはあったか?」
前日に渡していた書類の再確認をすると、ダクはニタニタしながら頷いた。
「ないよぉ、クトーちん。最大の欠陥は、僕ちんを殴ってくれない事だよぉ」
「それを欠陥とは言わん」
クトーは即座に言い返し、トロル・マテリアルゴーレムの股の間に目を向けた。
そこに、ずんぐりしたゴーレムが鎮座している。
2頭身くらいで手足のある、丸を基調としたデザインで非常に可愛らしく仕上げたミスリル・ゴーレムだ。
クトーの自作である。
むーちゃんの遊び相手として作ったそのゴーレムは、元のミスリルの上に柔らかい素材をかぶせてある。
見た目には丸いツノのような共鳴器を生やした、ベアー系の魔物をデフォルメしたようなぬいぐるみだ。
「バラウール2号も、上手く動けばいいが」
「……なんだそれは」
クトーの口にした名前を聞きとがめたのか、フヴェルが問いかけてきた。
その言葉に、ぬいぐるみ型ゴーレムを指差した。
「あのゴーレムの名前だ。トロル型も長くて呼びづらいのでな。そちらはバラウール1号と名付けた」
「ヌフ。どっちもいいゴーレムだよねぇ……クトーちん、あの機能は組み込んでくれたの?」
ダクの言葉は妙にこもっている上に早口で聞き取りづらい上に、指示語が多い。
が、クトーは何を言っているのか理解していた。
「学習機能か? 思考オーブを内蔵したぞ」
思考オーブと呼ばれる魔導具は、基幹魔法陣と連携させると学習を始める。
希少な素材で作る魔導具だが、組み込みことによってゴーレムに外部から手を加えなくても、見聞きしたことから自身の最適行動順位を変化させるようになる。
ダクの発明品だ。
ルーにも組み込まれている機能であり、同様に喋る機能も与えてあった。
「この起動実験がうまく行ったら、2号の性能確認がてら、むーちゃん達を連れて少し遠出する」
トゥスは2人でと言っていたが、装備のある場所が修験者の里ということもあり、レヴィが行きたがったのだ。
彼女が初めて依頼を成功させ、感謝された人々なので思い入れも深いらしい。
トゥスは里までは一緒で良いと了承してくれたのだ。
ドラゴンは、街中での育成に向かない。
種族として自然の天地の気が豊富な場所を好むため、あまり街にいさせ過ぎると体調を崩すことがあるのだ。
まして、むーちゃんは幼体なので、気を使って使い過ぎるということもないだろう。
あの山なら、『竜飼いの広場』よりもなお一層、気が満ちている。
やがて共鳴魔法陣の構築が終わると、魔導師たちがその場を離れた。
「ヌフ。いよいよなのん?」
「早く起動しろ」
横で、ダクとフヴェルが目を輝かせている。
だがクトーは首を横に振って、一度魔法陣に歩み寄った。
最終確認は重要だ。
特に、魔力同源で効果の違う魔法陣を並列起動するのはクトー自身も初めてである。
各種魔法陣には、見る限り不備がなかった。
最後に、クトーは銀縁眼鏡のブリッジを指で押し上げてバラウール1号を見上げる。
顔の装甲板は外しており、基幹魔法陣が剥き出しになっていた。
クトー自身が斬撃で削いだ部分も、跡すらなく修復してある。
ダクとフヴェルのそばに戻り、クトーは一言だけ告げた。
「……目覚めろ」
呪文と共に魔力を流し込むと、魔法陣が輝き始める。
クトーの足元近くから、流れるように光が走って行った。
床の魔法陣に魔力が走り終えると、最後にバラウール1号の足の裏から繋がった魔力線を伝って、ゴーレムの内部から基幹魔法陣にまで到達する。
光量が増して行き、やがて眩しさに目を細めるほどになってから……フ、と光が弱まった。
「……失敗か?」
「いや」
フヴェルの問いかけに答えるように、ぼんやりと明滅する魔法陣の奥、バラウール1号の足の間でぴょこん、と2号が立ち上がった。
そのまま、丸い足でぺったりぺったりと床を歩いて、こちらに近づいてくる。
「おお……」
「動いた……」
魔術師たちがざわりと声を上げ。
「ヌフ。動きも滑らか。いいねぇ、クトーちんのゴーレムもいいねぇ。殴り機能がついてるともっと良いねぇ……」
「殴られたいのですカ、マスター」
背後でまたゴルグボァ! と凄まじい音が響いたが、クトーは振り向かなかった。
目の前まで来た2号を凝視すると、ぬいぐるみゴーレムはヒョイ、と手を上げる。
『よう。目覚めたぜ』
凄まじくフランクな口調で、バラウール2号はそう挨拶した。




