おっさんは帰宅して、パンケーキを焼くようです。
「あ、クトーさん。お疲れさまっス!」
家に帰ると、居間の椅子に座ったズメイに出迎えられた。
体が大きすぎて窮屈そうだった椅子から立ち上がり、腰を大きく曲げて頭を下げる。
相変わらず生真面目な彼の、剃り上げてツルツルの頭頂部に声をかけた。
「別に頭を下げる必要はないと、何回言ってもお前は聞かないな」
【ドラゴンズ・レイド】の最古参であり、三バカの一人である重戦士ズメイは、防御能力に掛けては他の誰も及ばない技能を持っている。
Sランクドラゴンのブレスを、完璧に防ぎ切る盾防御スキルの持ち主なのだ。
厳ついご面相に似合わないおっとりとした男で、それを誇ったりもしない。
しかし頑固な一面があり、誰が相手でも敬語を崩そうとしないのもその一つだった。
言われたことを実直にこなすのだが、反面融通も利かないタイプだ。
扱う敬語自体が崩れていて、どうにも下っ端っぽさが抜けない。
「家にお邪魔させていただいている以上、お出迎えするのは当然っスよ。ヴルムの兄貴もほら!」
「いや、ここにいんのは仕事じゃねーかよ。めんどくせぇ」
対照的に、だらけてテーブルに肘をついているもう一人の男は眠たそうな顔で言った。
こちらも三バカの一人、劍闘士のヴルムだ。
二人は、むーちゃんの護衛兼監視としてクトーの家に詰めてもらっている。
目を向けると、テーブルの上にはカードが散らばっていた。
「金を賭けてないだろうな?」
クトーは、外套を脱ぎながら目を細める。
賭博自体は、潜入以外の目的では仕事中原則禁止だ。
仲間内で金関係のやり取りも禁止こそしていないが、度を超えれば制裁を与えると言い聞かせてあった。
ヴルムは手に持っていたカードをテーブルに落とすと、軽く両手を広げて肩をすくめる。
「クトーさんにバレバレの状況でそんな事しませんよ。相手ズメイだし。めんどくせぇし」
「見えないところではやってるのか?」
「まさか。めんどくさくても、オシゴトは真面目にやってます」
ヴルムは極度の面倒臭がりだが、反面要領の良い男だ。
その上、相手に興味があってもなくてもいつも眠そうな顔が変わらないポーカーフェイス。
しかし【ドラゴンズ・レイド】の中ではリュウに次ぐトドメ刺しの才覚があった。
コツを掴むのも上手く、決してバカではない。
常に一番冷静に物を見れる頼れる男……なのだが、女、酒、賭け事が大好きで、本気で危険な状況以外は『めんどくせぇ』と放置する困った男でもある。
ギドラなど、ヴルムが本気にならなければ、危機感もなくふざけているくらいだ。
「むーちゃんはどうした?」
そんなことより、とコート掛けに向かいながら部屋を見回すが、レヴィとむーちゃんの姿が見えない。
クトーが楽しみをお預けされたような気分でいると、トゥスがゆらりと姿を見せた。
『ヒヒヒ。嬢ちゃんたちは風呂入ってるよ。あの竜の赤子が派手に酒ビンを割ったからねぇ』
手にしたキセルをふー、とふかす獣の顔をした仙人の目線を追うと、部屋の床にシミが出来ていた。
「……怪我はなかったのか?」
『尾っぽの先で引っ掛けただけだからねぇ。ただ、飛び散った酒が赤子の毛皮にかかっちまった。割れたビンは綺麗に拾ったが、高いもんかねぇ?』
トゥスがキセルの先で、部屋の隅に置かれた小さなタルを示した。
中を見ずとも、壁の棚には綺麗に酒ビンを並べて置いてある。
一ヶ所空白になっている場所は、人から貰った酒が置いてあったところだった。
以前『ビッグマウス大侵攻』が起きた時に知り合った男から貰った物だ。
「ふむ。まぁ大事なものではあったが、特に高いというわけではない」
むーちゃんとレヴィに怪我がなかったのなら問題ない、とクトーは礼服のシャツ袖をまくった。
そして外套の代わりに、コート掛けにぶら下がっていたエプロンを手に取る。
「お前たちも食っていけ。あり合わせで良ければリクエストにも応えるが」
目を向けたクトーの言葉に、ヴルムが目だけを輝かせた。
食事に関しては興味の薄いズメイと違い、彼は美味いものが大好きだ。
しかし偏食である。
「めんどくせぇと思ってたけど、クトーさんの手料理は役得ですね。パンケーキお願いします」
「甘いやつか?」
「ええ。甘いのは、店で頼むと高いんで」
「良いだろう」
ハチミツとバターのストックはまだあったはずだ。
クトーが頷くと、なぜかズメイがヴルムに苦言を呈した。
「ヴルムの兄貴、少しは野菜も食わなきゃダメっスよ。最近食ってないじゃないスか」
「相変わらずめんどくせぇ野郎だな……俺は食いたくねぇモンは、食わねぇ」
困った様子のズメイに、クトーは助け舟を出した。
「サラダもつけよう。一緒に食え。お前の好きなマヨネーズも作ってやる」
ゆで卵と刻んだ野菜を混ぜてタルタルにしてやれば、甘みのないパンケーキと抜群に合う。
パンケーキの味を二種類作れば文句もないだろう。
それなら食います、というヴルムの返事に、クトーが台所に向かいかけたところで、風呂場の方から悲鳴が聞こえた。
『きゃん! もう、むーちゃんどこ触ってるのよ!』
『ぷにぃ?』
何事かと意識を向けると、ズメイがカチッと体を強張らせ、ヴルムが目を細める。
『ちょっ、動かな、ん……っ!』
『ぷに、ぷにぃ♪』
反響しているのは、レヴィの特に怒っている様子はないが慌てたような声と、無邪気なむーちゃんの鳴き声だ。
特に危険はなさそうだと判断したクトーは、軽く目を閉じて頷く。
「非常に可愛らしい声を聞いた。明日も元気に働けそうだ」
「レヴィのくせに声がエロいな……」
「ヴヴ、ヴルムの兄貴! そそ、そういう発言はよろしくないスよ!!!」
「別に良いじゃねぇか。相変わらずウブすぎてめんどくせぇ奴だな」
顔を真っ赤に茹であがらせるズメイに、ヴルムが呆れの混じった声でそう言い返す。
クトーは軽くため息を吐いた。
「ヴルム。今はいいが、本人にそういう発言をするなよ」
レヴィはあれでも婦女子だ。
下品な話題にも耐性はあるが、自分の胸に関する話題を出された時には数度、パーティーハウスで暴れていた。
ギドラとヴルムがそれを面白がったせいで、備品が壊れたことがあるのだ。
また、ギドラの方には次やったら女装させると告げておいたので、絶対やらないだろう。
釘を刺したヴルムもうなずく。
「分かってますよ。クトーさん怒らすとめんどくせぇんで、黙っときます」
「それでいい」
クトーは、台所に向かって最初に火を起こした。
次に鍋に水を張り、そのまま塩と卵を放り込んで煮立てる。
実際にゆで卵をまともに作るなら菜箸などで転がすが、どうせ潰すのである。
次に野菜を刻んでいると、トゥスがふよん、とやってきた。
彼は食事を取らないが香りは好ましいようで、よく料理をしていると現れる。
『兄ちゃんの料理は特に香りがいい』んだそうだ。
「まだ何もないぞ」
次に包丁で野菜を刻みながら、トゥスに声をかける。
トゥスはその言葉にヒヒヒ、と笑った。
『水の煮立つ匂いも野菜の瑞々しい香りも、それはそれでオツなもんさね。でも、今はちょっくら他の用事があってねぇ』
「聞こう」
クトーは手を止めないまま、刻んだレタスをボールに移すと、次に玉ねぎを取り出した。
二種類だけでも普段食わないヴルムには十分だろうが、むーちゃんもいるのでニンジンも刻んでおこうと考えつつ、トゥスの話に耳を傾ける。
『兄ちゃん、こないだっから、壊された装備の代わりを探してんだろう?』
「ああ」
『武器はあの勇者の偃月刀でいいかもしれねーが、魔法に関しちゃ今も力不足じゃねぇかい?』
「……どういう意味だ?」
クトーの問いかけに、トゥスはユラユラと尾を揺らした。
呑気そうな様子の時は、彼の外見は非常に可愛らしい。
が、今は少し雰囲気が鋭かった。
『そのまんまの意味さね。ピアシングニードルは出来たみてーだが、異空間じゃねぇとこでブネみたいな奴に襲われたら、困るんじゃねーかと思ってねぇ』
野菜を刻み終えたクトーは、その質問に答える前に卵を取り出した。
代わりに薄くスライスしたタマネギとニンジンを突っ込んで少し煮込む。
「手を止めて聞いた方がいいか?」
『いんや、そのままで構わねーさね。兄ちゃんが聞き逃すこともねーだろうしねぇ』
トゥスが特に気にしていないようなので、クトーは料理を続ける。
煮立った卵を取り出して、水につけながら殻をむき始めた。
『兄ちゃんの魔法は強すぎたり弱すぎたりな媒体のせいでイマイチ使い勝手が悪いさね。そこでわっちからの提案だ』
どこか楽しそうな様子で、トゥスはキセルを振った。
『わっちが知る、そこそこ強力な媒体の情報を、兄ちゃんに提供しようかと思ってねぇ』
「ふむ?」
卵を剥き終えると、次にクトーはマヨネーズ作りに取り掛かった。
卵黄、マスタード、塩、油で結構簡単に作れるのだ。
余った卵白は砂糖と牛乳を混ぜて泡立ててパンケーキに添える。
小さな竜巻を起こす風の魔導具で楽をしつつ、クトーは質問を返した。
「俺に使えるのか?」
『ある種の神器だからねぇ。それにちっとばかり妙な魔導具でね。……『溜め』の時間に応じて、使える魔力量が変化するってぇ変わった性質がある』
「ほう」
クトーは興味を覚えた。
茹でで冷やしたニンジンと玉ねぎ、それに卵をボウルのレタスと混ぜて、また風の魔導具を使う。
「どこにあるんだ?」
『その情報の前に、一つ交換条件があるねぇ』
「なんだ?」
『わっちと2人で行って欲しい。そう遠い場所じゃねぇさね』
トゥスの言葉に、クトーはどこか不思議な色合いを感じた。
試すような、ためらうような……あるいは、なにかを期待するような声音。
できたサラダとマヨネーズはとりあえずそのままにして、クトーはパンケーキの材料を素早く混ぜた。
「修験者たちのところか」
『流石にご明察だねぇ』
交換条件の理由は伺えないが、クトーは特にためらいもせずに了承した。
鍋をフライパンに替えて油を塗り、パンケーキを焼き始める。
「構わないが、次の休暇は4日後だ。その間にゴーレムを起動させて、むーちゃんの遊び相手を作る」
あの子と遊べないのは非常に……非常に残念なことだが、装備を得るのは仕事でもあるし、魔王からこの王都と周りの人々を守るためでもある。
「構わないか?」
『急ぎやしねーさね。わっちが生きてきた時間に比べれば、はるかに短けぇ』
「それもそうだな」
クトーは薄めに焼いたパンケーキを、ポン、と皿に落とした。
『どれもこれも、いい匂いだねぇ』
「存分に楽しんでくれていいぞ」
時間が経つと消えてしまう香りだ。
トゥスは次の分を焼き始めたクトーの肩の上に移動すると、覗き込むようにその香りを楽しみ始めた。




