おっさんは、代案を用意したようです。
クトーは、フヴェルに苦言を呈された後。
休暇の1日を置いて、執務室にまた顔を見せていた。
彼はこちらを見ていぶかしげな顔をして問いかけてくる。
「現場には行ったのか?」
「行った。お前の言った意味も分かった」
現地に向かったクトーが1日で帰還したのを怪しんでいるのだろう。
書類から目を上げて腕を組むと、彼は椅子の背もたれに体を預けてアゴを上げた。
「説得したのか?」
「いや」
クトーは首を横に振る。
すでに、あの土地をそのまま使うつもりはなくなっていた。
「土地に住んでいる者の中に、知り合いがいた」
「ほう」
フヴェルがピクリと片方の眉を上げる。
「知り合いがいたら、土地を奪うのをやめるのか。自分勝手なことだ」
「そういう意味ではない。話を聞けたと言っているのだ」
そこに住んでいたのは、1人の老人だった。
家族と共に土地を耕していた彼は、農作業の手を休めて話に付き合ってくれた。
昔、ホアンが先代から王都を奪い返すために侵攻した時に、内部蜂起してくれた者の一人である彼は、遠い目で空を見上げる。
『クトー様。ワシはあんたに感謝しとります』
彼は、先代の治世になった頃に、横暴になった憲兵に反抗した息子夫婦を、壁外に追い出されていた。
彼は土地を守りながら、息子達を取り戻す機会を伺っていたのだ。
『あんたたちのお陰で、今こうして暮らせとることを、毎日感謝して祈りを捧げとりました』
彼は諦めた目をしていた。
悲しんでいながらも、老人はクトーに対して悪意は抱いていない様子だった。
『そのあんたたちが、この土地を欲しいと言う。明け渡すのにやぶさかではないのですよ。ワシは』
じゃが、と彼は続けた。
綺麗に草の刈り込まれた斜面を、愛おしげに撫でる。
『それでも思うところはありましてな。ここはワシが親から、そして親はその親から、代々預かって、肥えさせてきた土地ですじゃ。そして取り戻した息子たちも、この土地を守ろうとしとります』
彼の語る言葉は素朴で、その分率直だった。
『孫らも納得するじゃろうと思いまする。新しい場所で、同じ以上に広く肥えた土地ならば、欲しがるかもしれませぬ』
『より利益を得られる、という以外の理由で、ここを離れたくない。……そういう意味か?』
クトーの問いかけに、老人は微笑んだ。
そして言葉を選ぶように、ゆっくりと幾度かうなずく。
『土地には、縁というものがありましてな。そう、目に見えぬ繋がりは、持てるものとして考えにくくはありましょうが』
『繋がり、か』
『ええ。……クトー様がお仲間を捨てて一人でどこかへ向かえ、と言われるのと、もしかしたらそれは、どこか似た気持ちでもあるかも知れませぬ』
【ドラゴンズ・レイド】の仲間を捨てて行く。
それは考えたこともないような話だった。
『ワシが言いたいことは、それだけですの。それでもまだ、クトー様がこの土地を欲するのであれば、ワシが息子らを説得しましょう。お考えいただけますかの?』
『十分に考えよう。話を聞かせてくれた事を感謝する』
クトーは、立ち上がって礼を述べた。
老人はにこやかにうなずいて同じように立ち上がり、尻を手で払う。
『クトー様がそうおっしゃるのであれば、きちんと考えて下さることでしょうの。どうぞ、お気の済みますように』
それで、老人との会話は終わりだった。
「目に見えぬ繋がり。それがお前の言った『神』というものの正体か?」
老人との話を伝えてクトーが逆に問い返すと、フヴェルは無言のまま目を細めた。
軽くコキリと首を鳴らして、深く鼻から息を吐く。
「貴様はどうしてそう、いつまでも人の心の動きに鈍いままなんだ? 少しは成長したらどうだ。人間としてはいい年だろう」
巨人族であるフヴェルは、自分の優に5倍は生きている。
その言葉には重みがあった。
どれほど短気で若々しく見えようと、実際巨人族としてはクトーと変わらない程度の年齢であろうと、その言葉には生きてきた歳月の長さに裏打ちされた重みが。
「大地の神は、土地に宿るのだ」
フヴェルは、淡々と語り始める。
「土の神とて、好んで住まう土地がある。肥え、丁寧に手入れをされ、日々の感謝を捧げられる土地。……年に一度の祭りよりも好ましいのは、そうした毎日の中に笑いがある土地というものなのだ」
いつも不機嫌そうな顔をしている彼には似つかわしくない事を言われて、クトーは少し驚いた。
自分に対する気持ちに敏感な彼は、神経質そうに首を傾げた。
が、睨む目を少し鋭くしたくらいで話を進める。
「王都を巡った時に、俺が好ましいと感じた場所。それが候補地に挙げられていた」
「だから、現地に赴かせたのか」
ふん、と鼻を鳴らして腕組みを解いたフヴェルは、質問には答えなかった。
「で、どうするつもりだ」
「あの土地は使わない」
「別の候補があるのか?」
「いや」
クトーは休みの間に一日考えて、やってみようと思いついたことを口にした。
「それに関連して、もう一日休暇をくれ」
【ドラゴンズ・レイド】として受けた依頼なので、休日に自分の代理として動いてくれるフヴェルの休暇も加味したスケジュールを組んでいるが、週に3日は一緒に働くのだ。
その3日のうち2日程度をもらい、試してみたいことがあった。
フヴェルはトントン、とテーブルを指で叩く。
指先を動かすのは、彼が苛立った時によくやる仕草の一つだ。
普段のぶっちょヅラは、それでもクトーの前では機嫌がいい方なのである。
「きっちり説明しろ」
「いくつかの要素が重なって、試せるかもしれないことがある」
王都の結界の強化。これは、あの土地を使うが、実際に強化のためだけならば畑の一角を借りれば問題ない程度の規模に収まる。
それに関しては、老人は了承してくれるだろう。
もう一つの、闘技場に関する部分だけが問題になるが。
「先日、王都の地下迷宮に潜った時に、いくつか面白いものを見つけた。トロルミスリル・ゴーレムの亜種と、地下迷宮そのものを形成する発光する建材だ」
「それが?」
「このゴーレムの中身を調べているうちに、面白い魔法陣を見つけた」
クトーは自分の机からサラのわら半紙を取り上げ、その魔法陣を羽ペンで書き付ける。
彼の机を滑らすと、複雑な魔法陣の構成を読み取るのに苦労しているのか、フヴェルはグッと奥歯を噛み締めて幾度か見返していた。
「……分からんな。時空魔法と魔力回路の複合に見えるが、用途が見えん」
「これは、異空間に天地の気をプールして魔力に変換し、魔法発動時にこちら側へ放出する魔法陣だ」
ミズチとリュウ、それにニブルにも手紙をしたためて確認を取り、解読したのでほぼ間違いはないだろう。
「それがどう、今回の件と関係する?」
「異空間に、闘技場を立てるということが可能になるかもしれない」
「………………なんだと?」
なぜそんなに沈黙が長いのかよく分からなかったが、フヴェルは驚いた顔をしていた。
「トロルミスリル鉱で出来たゴーレムがなぜ魔法を使えたのか、不思議に思ってな。魔力を通さない鉱物だ。その過程で、この魔法陣を見つけた。これによってカバン玉よりももっと高度な……魔族が瘴気で形成するような異空間を、天気の気を用いて小規模展開が可能になっている」
何が違うか、というと、最大の違いは『生物が内部に入れること』になる。
「この魔法陣を解析し、どうにか人が入れる程度の魔力空間を形成してみた。中は暗闇だったが、天地の気に満ちた空間なので迷宮の建材が反応してな」
迷宮ほどの規模では作れない。
だが、古代転移魔法を使う時と同様に、ミズチやリュウとの複合魔法として行使すれば、観客席と闘技場を作れる程度の異空間を形成する事は可能だと判断した。
維持するには、カバン玉が宝玉を依り代とするように、座標軸を固定して天地の気を循環し続ける必要があるだろう。
おそらくは実用化できる。
「その上で、建材の構造を解明して同様の建材を作るのにも時間がいる。少なくとも一ヶ月程度は集中したいが、実用化のめどが立たなければ諦める」
まるっきり全ての業務をフヴェルに放り投げるわけにはいかないので、休暇を増やして欲しいという提案だった。
だが、フヴェルは首を横に振る。
「貴様な……」
「どうした?」
「古代技術の解明だと……」
そのまま目を伏せたフヴェルが、ブルブルと肩を震わせながら両拳をテーブルの上で握りしめた。
再びギラリと顔を上げた彼をみて、クトーは心底驚く。
彼は、大きな笑みを浮かべて、好奇心に満ちた目でクトーを見ていたのだ。
「大いなる知識を、その手中に得ようとするのが、休暇? 貴様は本当に阿呆だな!! それが出来るのなら、一ヶ月でも二ヶ月でもそっちに集中しろ! そして我も噛ませろ!!」
「……」
予想外の反応に、どう返していいか分からずに、クトーはアゴを指で挟む。
そういえば忘れていたが。
以前、フヴェルの事をユグドリアがこう評していた。
いわくーーー『巨人族の中でも異端な、ニブル以上の研究バカ』、と。
100話目だそうです。
ここまでお読みいただき、ご愛顧誠にありがとうございます。




