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Satanic express 666  作者: 七針ざくろ
さぶうぇい!
38/48

その1 ~豚の体脂肪率は14~18%~

―轍洞院家・シテツの部屋(朝)―


       朝シャンを済ませたシテツが車掌の制服に着替えていた。

       ワイシャツを羽織り、ボタンを順に掛けていった彼女の手がピタリ

       と止まった。

シテツ 「うっ、キツっ…」

       彼女は大きく息を吐き出し一気にボタンを留めた。




―轍洞院家・リビングルーム(朝)―


       シテツが部屋にやってくると姉が朝食を用意していた。

シテツ 「おはよう」

コクテツ「おはよ~」

       テーブルの上には山のように大量のパンケーキが置かれていた。

       シテツはシャツの襟元を気にしながらそれをじっと見ていた。

シテツ 「… 作りすぎじゃない?」

コクテツ「いつもこのくらい食べてるじゃん」

シテツ 「そうだっけ…」

       シテツは静かに席に着いた。そして、本来なら手を合わせる所を腕

       を交差させコクテツに×を見せた。

シテツ 「ゴメン、今日パス。食欲が無い」

       彼女の言葉を聞いたコクテツが台所から血相を変えてシテツの前に

       駆け寄ってきた。

コクテツ「大丈夫! 具合悪いの? 先生のところ行く?」

       姉の剣幕にシテツは苦笑いを浮かべた。

シテツ 「そうじゃないんだけど、ちょっとね… 心配しすぎだよ」

コクテツ「しーちゃんが食欲無いって、異常事態だよ」

シテツ 「大丈夫だって。それよりさ、制服のシャツ発注してくんない?」

       急に話を変えられたコクテツはキョトンとしていた。

コクテツ「破れたの?」

シテツ 「いや、まだ破っては… じゃなくて、そのぉ……」

コクテツ「きつくなった?」

シテツ 「うん…」

       コクテツは黙ってシテツの体とパンケーキの山を見た。

コクテツ「そりゃダメだね」

シテツ 「何で!」

コクテツ「しーちゃんが太っただけでしょ」

       避け続けてきた核心をあっさりと言われ、シテツはうつむき黙り込

       んでしまった。

コクテツ「確かに大きいのを用意すればそれが一番楽だけど。また太ったら、また

     大きいの。また太ったら、さらに大きいのってエンドレスでしーちゃん

     が肉団子になっちゃうよ」

シテツ 「さすがに肉団子までは太らないよ!」

コクテツ「でも、器が大きくなればできるミートパイも大きくなるよ。今のうちに

     器をキッチリ決めておかないとダメ」

シテツ 「じゃあ、痩せるまで大きいのを着させてよ」

コクテツ「ダーメ。その甘えがロード・トゥ・デブを走る一番の原動力だよ」

       シテツは頬を膨らませ姉を睨み付けた。

コクテツ「でも、制服が着れないんじゃ仕事になんないでしょ。今日から元に戻る

     までケイちゃんに代打で出てもらうから、しーちゃんは早く痩せる事。

     以上!」

シテツ 「ちょ、そんな! 急すぎでしょ、ケイだって予定あるだろうし」

       怒るシテツには一切目もくれず、コクテツは淡々とスマホを弄って

       いた。

コクテツ「ケイちゃんOK。予定全部キャンセルするって」

シテツ 「んなアホな! 予定あるならこっち断ってよ」

コクテツ「という訳で、今日からしーちゃんには緊急ダイエット生活をしてもらう

     から」

       コクテツはすぐにテーブルからシテツの食器を下げた。

       シテツは生気が抜けた目でその後ろ姿を見ていた。




―イストシティ駅・プラットホーム―


       真っ赤な頭巾と制服に身を包んだケイが客に頼まれて写真撮影に応

       じていた。

ケ イ 「どうも~。またのご利用をお待ちしてま~す」

       彼女が客を見送るとコクテツがやってきた。

コクテツ「急にゴメンね」

ケ イ 「いえいえ、気にしないでくださいよ。アタシ自身このお仕事楽しんでま

     すし、何より友達のダイエットのためですからね」

コクテツ「ありがとう」

       コクテツは真っ赤なケイの制服をまじまじと見た。

コクテツ「ケイちゃんの制服ってかなり絞ってあるのに余裕で着れてるね」

ケ イ 「そりゃ、アイドルですからね。体型維持には気を遣ってますよ」

コクテツ「どんな事してるの?」

ケ イ 「無理すると肌が荒れるから普段は軽いエクササイズとかですけど、外食

     続きでちょっと太った時とかはボクサーの減量法を参考にしてますね」




―轍洞院家・リビングルーム(夜)


       テレビの画面にはノリノリで歌いながら格闘技エクササイズを披露

       している師範らしき男性の姿。

       その横でシテツはソファに横になり爆睡していた。


―― 数分後


       コクテツは彼女の寝顔を覗き込み、その額に腕をスッと伸ばした。

シテツ 「痛ったぁ!」

       強烈なデコピンを放たれた彼女は飛び起きた。

コクテツ「お疲れ様、ご飯だよー」

シテツ 「はぁい… てか、帰ってたんだ」

       額を押さえながら食卓に着いたシテツ。しかし、そこには何も料理

       は無かった。

シテツ 「あれ? ねぇ、ご飯は?」

コクテツ「しーちゃんのはコレ。ケイちゃん流ダイエットメニュー」

       コクテツはシテツの前にリンゴを一つだけ置いた。

       シテツは置かれたリンゴを手に取った。

シテツ 「他は?」

コクテツ「無いよ」

シテツ 「はぁ?」

       キレる寸前のシテツを気に留めず、コクテツは自分の前に置かれた

       料理に手を合わせた。

コクテツ「いただきます」

       彼女が食事を取ろうとした瞬間、バリッという音と共にボトッと何

       かが落ちた音がした。

       それはシテツの持っていたリンゴが握り潰され、破片が床に落ちた

       音だった。

コクテツ「し… しーちゃん?」

       目の前の出来事に驚いて食事どころではなくなったコクテツをシテ

       ツは凍り付くような目で睨んでいた。

シテツ 「食事は抜かないで… 絶対痩せるから、食事は抜かないで…」

コクテツ「う、うん… 分かった、ゴメン」

       恐怖を感じたコクテツはそのまま自分の料理を全てシテツの前へと

       差し出した。




―カンパネルラ高校・オカ研部室―


       相変わらず昼なのに薄暗い不気味な部室。

       その中央に置かれた長机でパソコン作業を黙々と続けているメイ。

       その隣にはゆったりした服装のシテツの姿。

メ イ 「う~ん、痩せる機械か…」

シテツ 「作れないかな」

       メイはパソコンの画面を見たまま静かに考えた。

メ イ 「多分大丈夫」

シテツ 「本当!」

メ イ 「うん。ただ、あなたの身体に合わせて作る必要がありそうだからシテツ

     さんの身体のデータを取って、図案化して、それをシンに送って、彼か

     ら物を送ってもらうと… 実際に使用できるのは早くて三日後かな」

シテツ 「三日なんて全然OKだよ」

メ イ 「そう。じゃあ、あなたの身体をスキャンするね」




―轍洞院家・リビングルーム(夜)―


       テレビの前に昨日途中で寝てしまった格闘エクササイズを必死で続

       けるシテツの姿。

コクテツ「ご飯できたよ」

シテツ 「このレッスンだけやらせて」

コクテツ「分かった、頑張ってね」

       コクテツは先に食卓に着き、一人で静かに食事を取り始めた。

       そこへテレビを消してシテツがやってきた。

シテツ 「いっただきまーす」

       食卓に着くなり彼女は物凄いスピードで目の前の料理を片っ端から

       平らげていった。

シテツ 「おかわり!」

コクテツ「早っ!」

シテツ 「運動したから凄くおなか減っちゃって」

コクテツ「そうなんだ」

       コクテツは小さく笑いながら彼女の食器を手に取り席を立った。

コクテツ(コレ痩せるの無理じゃね…)




―カンパネルラ高校・オカ研部室―


―― 三日後


シテツ 「できたって聞いたけど… 何コレ」

メ イ 「パーフェクトボディ養成ギプス」

       下着姿のシテツにメイが淡々と太いコイルバネと合成皮革で作られ

       た拘束具のような物を全身に取り付けていた。

シテツ 「いや、名前じゃなくて… なんでこんなアナログな物なの! メイなら

     もっとハイテクでカッコいい物ができたんじゃないの?」

メ イ 「肉体と同時に精神面も鍛えるためにベストな設計だから」

シテツ 「いや、精神面要らないから」

メ イ 「健全な精神は健全な肉体に宿る。その逆も然りだから、同時に鍛えた方

     がいいかなと思ったんだ」

       何も言い返す気になれなかったシテツはなすがままメイに養成ギプ

       スを取り付けられていった。

メ イ 「いいよ、動いてみて」

       彼女に言われ軽く動こうとしたシテツだったがその身体は全く動か

       なかった。

シテツ 「動けないんだけど…」

メ イ 「スキャンの時に筋肉量も測ってるから、無理な負担は掛からないように

     設計してあるはずなんだけど」

シテツ 「でも無理…」

メ イ 「全力出してる? 最大筋力の8割以上出さないと動かないよ」

シテツ 「それ、無理な負担じゃん!」

メ イ 「厳しい負担かもしれないけど、無理ではないよ」

       メイを論破できないと瞬時に諦めたシテツは歯を食いしばって腕を

       上げてみた。

       その直後、彼女はもんどりを打って倒れた。

シテツ 「痛い、痛い、痛い! 挟まってる! バネが! 痛い! 痛い!」

メ イ 「余分な肉があるうちはそうなるようになってる設計なんだ。負荷に関し

     ては、それだけのたうち回れれば大丈夫だね」




―轍洞院家・リビングルーム(夜)―


シテツ 「ただいま…」

コクテツ「おかえ… どうしたの!」

       出迎えに行ったコクテツの目の前にはげっそりとやつれたシテツが

       息を切らせて立っていた。

シテツ 「メイに… 拷問器具を付けられた……」

       力無く喋ると彼女はそのまま前にぶっ倒れた。


―― 翌朝


シテツ 「痛てて…」

       ソファの上に横になったシテツは体に食い込むバネの痛みに目を覚

       ました。

シテツ 「マジで… 死んでも… 痩せてやる…」

       彼女は歯を食いしばりながらソファから立ち上がった。


―― 三日後


       部屋の隅から隅まで雑巾掛けをしているシテツ。


―― 五日後


       テレビを見ながら格闘エクササイズをしているシテツ。




―轍洞院家・シテツの部屋(朝)―


―― 二週間後


       下着と養成ギプスだけのシテツは鏡の前に立っていた。

       鏡に映る彼女の身体は所々に内出血の痛々しい痕が残っていたが、

       その姿はスーパーモデルのように完璧に引き締まったものに生まれ

       変わっていた。

シテツ 「これで文句無いでしょ」

       彼女はそのままの姿で部屋を出て行った。




―轍洞院家・リビングルーム(朝)―


シテツ 「コク姉! 見て、見て」

コクテツ「あっ、おはよ…」

       シテツに声を掛けられ、彼女の姿を見たコクテツは一瞬息を呑み、

       困惑した表情で固まった。

コクテツ「…… えっと、ゴメンね。ワタシSMは興味無いんだけど…」

シテツ 「そっちじゃない! この体を見て! てか、私もコレ嫌々だよ!」

コクテツ「えっ? ああ、そうなの。痩せてたのは気づいてたから、別に」

シテツ 「そうなんだ…」

       シテツはガクッと肩を落とした。

シテツ 「それで、今日メイの所に行ってコレ外してもらうから明日から仕事復帰

     でいいでしょ?」

コクテツ「OK、ケイちゃんにも言っておく」




―カンパネルラ高校・オカ研部室―


シテツ 「どういう事なの!」

       愕然とするシテツの前でメイはパソコンを見ながらカップ麺を食べ

       ていた。

メ イ 「言ってる通り、外せないんだよ。特殊鋼のバネも特殊繊維を間に挟んだ

     合成皮革も破壊不可能だから」

シテツ 「一生このまま変態拷問ギプスを付けてろって言うの!」

       メイはカップ麺のスープを一口飲んだ。

メ イ 「安心して、それは無いから。そのパーフェクトボディ養成ギプスは文字

     通り「パーフェクトな身体」を作り上げれば自然に外れるようになって

     いるから」

シテツ 「それってつまり…」

メ イ 「あなたの身体はまだまだ練り上げられるって事だね」




―轍洞院家・リビングルーム(夜)―


       テレビに向かい格闘技エクササイズをしているシテツ。

       レッスンの途中で彼女は急にエクササイズを止めた。

シテツ (同じ事をしていても駄目だ… もっと上のレベルを目指さないとコレは

     外れない)

       彼女はテレビの中の師範に向け頭を下げた。

シテツ「シモニタ先生、ありがとうございました! このカポエイラ教室DVDの

    事は忘れません」

       そして、彼女はDVDを取り出しテレビを消した。

コクテツ「ただいま」

シテツ 「お帰り」

       帰ってきたばかりのコクテツはシテツのギプスが外れていない事に

       戸惑った。

コクテツ「そのボンデージ外さなかったの? やっぱ…」

シテツ 「違う、外れなかったの! それより、お願いなんだけど。もうしばらく

     ケイに代わってもらっていい?」

コクテツ「うん、分かった…」


―― 翌朝


       朝食の準備をしていたコクテツの前に本格的なトレーニングウェア

       を着たシテツが現れた。

コクテツ「おはよ… どうしたの?」

シテツ 「コレ外をすために走ってくる。だから食事は自分で用意するよ」

       彼女は台所に行くと迷わずに大きなコップを取り出し、その中へ卵

       を割っていった。

コクテツ「卵焼きには多すぎない?」

シテツ 「かもね」

       シテツはそう言うと、コップの中の生卵を飲み干した。

シテツ 「じゃ、行ってくるね!」

       呆然とするコクテツを残してシテツは颯爽と駆け出していった。

コクテツ(痩せろなんて言うんじゃなかった……)




―市街地(朝)―


       まだ人通りの少ない朝の町をシテツが軽やかに走り抜けていった。



―轍洞院家・リビングルーム―


       腕立て、腹筋、背筋と基本的な筋トレを行うシテツ。



―市街地(朝)―


       シテツはイヤホンを耳に差しながら気持ちよさそうな笑顔で朝日が

       差し込む市街地を走っていた。



―ハッピーイエロークリニック・死体安置所―


       ジャクリーンの監視の下、シテツは天井から吊り下げられた死体袋

       に鋭いパンチを打ち込んでいた。



―神社参道―


       シテツは長く続く石段を一心不乱に駆け上がっていった。

       石段を登り切り、大きな鳥居の前で彼女が両膝に手をつくと、服の

       裾から壊れたバネが落ちてきた。

       目の前を転がっていくバネを見た彼女は両手を拳にして高く突き上

       げ喜びを爆発させた。

シテツ 「やった! やったぁー!」

       シテツが一人歓喜に浸っていると、境内の方から初老の男性が彼女

       の元へ歩み寄ってきた。

       シテツも彼の存在に気がつき振り返った。

シテツ 「コーチ! 何でここに」

コーチ 「明日の試合、お前の勝利をな…」

       彼の言葉で現実に引き戻されたシテツの体が微かに強張った。

       そんな些細な変化を見逃さなかった彼はすぐに彼女の手を取った。

コーチ 「ビビんなよ。ここまで頑張ったお前が負ける訳ねえだろ」

       シテツは大きく一度だけうなずいた。

シテツ 「ハイ!」




―コーラクガーデン ホール(夜)―


       満員の館内はこれから始まる試合への期待で今にも沸騰しそうな程

       の熱気を帯びていた。


       花道の奥では白いガウンのフードを目深に被ったシテツにコーチが

       しきりに声を掛けていた。

       彼女はそれに静かにうなずくだけで何も言葉は返さなかった。

       やがて、静かな会場内に激しくも美しい旋律が流れ始めた。

シテツ 「ヨシッ! 行ってきます、勝ってきます!」

       彼女は自分の顔をグローブをはめた両手で軽く叩くと、力の籠もっ

       た目でコーチの顔をチラリと見た。

       そして、静かに花道を一歩ずつ進んでいった。

       

       花道を進む彼女に対する声援は無く、自らを迎えてくれる入場曲だ

       けを道標にリングへと近づいていった。

       彼女は短い旅の終点であるロープをまたぐと、リングの中央で右手

       を高く掲げ自分の存在を全ての観客に見せつけた。

       自らのコーナーへ戻りガウンを脱ぐと、鍛え抜き一切の無駄が排除

       された筋肉質な彼女の身体が現れた。


       一瞬の静寂の後、リングアナウンサーが相手の名を呼んだ。

       その直後、激しいギターの音が会場中に掻き鳴らされ、観客たちは

       一斉に歓声を上げた。

コーチ 「気にするな」

シテツ 「大丈夫です」

       本音を言えば怖かった。だから、彼女は周りを見ないようにした。

       過酷な練習の日々、支えてくれた人々、自分が立っている位置を探

       るように彼女は目を閉じて様々な物事を思い出していた。



       リングアナウンサーが自分の名を呼んだのが耳に入り、彼女は目を

       開けた。いつの間にか反対側のコーナーには対戦相手の選手が厳か

       に立っていた。

       相手に自分の覚悟を見せつけるように彼女は高く拳を掲げた。

       その後、リングの中央でこれから戦う二人はレフリーからの説明を

       受けた。

       別れ際に相手の女はシテツに冷たい微笑みを投げかけてきた。


コーチ 「やってこい!」

シテツ 「ハイ!」

       彼女が大きな声で答えたその時、ゴングが鳴らされた。




       無名の挑戦者であるシテツが周囲の予想を裏切る形で試合は一進一

       退の攻防を繰り広げていった。

       そんな彼女の健闘は会場を沸かせ、相手の焦りを募らせていった。

       ラウンドが進むにつれシテツへの攻撃は激しさを増していった。

       しかし、彼女は屈する事無く前へ前へと出た。

       ほんの少しの可能性を信じて。



       そして、迎えた最終ラウンド。

       開始と同時に拳の雨がシテツを襲った。何度も顔を殴られまともに

       前を見る事すら難しい状況。

       そんな時、彼女のぼやけてきた視界の中に観客席のコクテツの姿が

       映り込んだ。

       姉は必死に何度も彼女に何かを叫んでいた。

シテツ (何? 聞こえない……)

       声援の渦の中に飲み込まれた声が聞きたくて…

       彼女は自ら足を止めた。

       孤独なリングの中で既に疲れ切った彼女は何よりも姉の存在を感じ

       たかった。


       それが力になると信じて。


コクテツ「……! ……!」

シテツ (もう少し… もう少しで……)

       相手は足が止まった事を逃すはずもなく、攻撃のギアを一気に上げ

       てきた。

       彼女はガードを固め、猛攻に耐えながら目を閉じて姉の声を聞く事

       だけに集中した。

 

コクテツ「しーちゃん! ……!」

シテツ (コク姉… 声を、声を聞かせて……)




コクテツ「しーちゃん! そんな事やってて明日仕事出られるの!」

シテツ 「へ?」

       コクテツが叫んでいた内容が分かった瞬間、彼女の強固なガードは

       音も無く崩れ落ちた。

シテツ (そうだ… 私、制服を着て仕事に戻るためにダイエットして… 

     えっ? 何でボクシングなんかやって……)



シテツ 「んぶッ!」

       完全に集中を切らせてしまった彼女の顔面に渾身の右ストレートが

       叩き込まれた。

       徐々に白く染まっていく意識の中、宙に舞うマウスピースを見なが

       ら彼女はこの件に関するありとあらゆるツッコミ所を無視して一つ

       の事だけを考えていた。



シテツ (もう… 無理なダイエットはやめよう……)



       そして、白目を剥いて倒れた彼女が再び立ち上がれるはずもなく。

       壮絶だった試合に呆気なく幕が引かれた。




―イストシティ駅・プラットホーム―


―― 一ヶ月後


コクテツ「んで、そのまま緊急入院」

シテツ 「そして、退院する頃には私のパーフェクトボディは完全に元に戻ってた

     って訳か…」

       出発時刻を待つ姉妹はトーマスに寄りかかって駄弁っていた。

コクテツ「私はアレがパーフェクトだって思えないな」

シテツ 「どうして?」

コクテツ「あのバッキバキのマッスルはしーちゃんらしさゼロだったから」

       そう言うと彼女はシテツのおなかをプニプニとつついた。

コクテツ「やっぱ、この感触がしーちゃんだもん」

シテツ 「褒められてるのか、貶されているのか分からないんだけど…」

コクテツ「ムキムキよりもムチムチが似合ってるって事だから、褒めてる」

シテツ 「そりゃどうも…」

       シテツは愛想笑いを浮かべた。

シテツ 「でも、今度また痩せろって言われてもやらないよ」

コクテツ「二度と言う気ないから大丈夫」

       二人は揃って声を上げて笑った。

コクテツ「ところでさ、ボクシングやってた時に一緒に居たあのおじさんって誰

     なの?」

シテツ 「知らない。対戦相手も、みんな初めて会った人ばっかだったよ」

コクテツ「…… あの時、しーちゃんって人が変わっちゃってたのかな?」

シテツ 「かもしれない。あんだけ外見が違ったんだからね」




                       〈サブストーリーその1 終〉


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