第九話 ~古の風に乗って~ ①
―轍洞院家・シテツの部屋(朝)―
カーテンの隙間から眩しい朝日が差し込んでいる部屋。
冷え切った朝の空気に包み込まれたシテツはベッドの中でもぞもぞ
とするだけで出てくる様子はなかった。
そこにコクテツがいきなりドアを蹴破って部屋に入ってきた、彼女
は一直線にシテツが潜っているベッドに近づくと豪快に布団を剥ぎ
取った。
シテツ 「寒っ! 何、何なの!」
何が起きたか分からずパニック状態のシテツ、そんな彼女の襟元を
コクテツは鷲づかみにした。そしてベッドから引きずり下ろすと、
そのまま部屋の外へと連行していった。
―轍洞院家・廊下(朝)―
部屋を出てもシテツはコクテツに引きずられていた。
シテツ 「あの… 寝坊して、ごめんなさい……」
コクテツ「そんな事より、トーマスがヤバいんだよ」
―轍洞院家・トーマスの車庫(朝)―
シテツを引きずったコクテツが車庫へとやってきた。
コクテツ「トーマス、大丈… うん、ダメだね」
二人の前には白目を剥いたトーマスが口から泡を吹いてぐったりと
横たわっていた。
シテツ 「えっ! トーマスどうしたの!」
トーマスの状態を初めて見たシテツは彼に駆け寄った。
トーマス「がぅ…」
コクテツ「夕べから頭痛と咳が出始めて、今朝から寒気が酷くて、所々だけど背骨
も痛いんだって」
シテツ 「今のってそんなに長い説明だったの… てか、それ完全に風邪じゃん」
コクテツとトーマスは黙ってうなずいた。
コクテツ「だから今日は運休にして、トーマスを先生に診てもらうよ」
シテツ 「うん、分かった」
コクテツ「んじゃ、先生とおタマはんに連絡してくるね」
コクテツはシテツを残して車庫から出て行った。
―― 一時間後
一向に回復の兆しが見えないトーマスの顔の横に轍洞院姉妹が寄り
添っていた。
そこへ黒い革製のドクターズバッグを持った先生がやってきた。
先 生 「状態はどうだ?」
コクテツ「電話したときから変わってないんです」
先 生 「そうか」
先生はトーマスの頭の横に鞄を置くと、中から聴診器を取り出して
トーマスの額に当てた。しばらく小まめに当てる場所を変えながら
じっくりと原因を探っていった。
先 生 「ん~、こりゃ龍フルエンザかもしれん」
コクテツ「それって何ですか?」
先 生 「よく分からんが、龍だけがかかるインフルエンザ的な物だろ? 多分」
シテツ 「……曖昧なのって気のせいですよね」
先生はシテツの問いには何も答えずに聴診器を鞄へと戻した。
先 生 「以上だ。後でジャクリーンにテキトーな薬を持ってこさせる」
コクテツ「ありがとうございます」
コクテツが先生に深々と頭を下げると彼は車庫を出て行った。
コクテツ「これで大丈夫だね」
シテツ 「隙だらけの診察だったと思うけど…」
コクテツ「細かいことは気にしないの!」
シテツは凄く不安げな顔で死んだ魚のようなトーマスを見た。
コクテツ「ところで、ちょっと話があるから来てくれる?」
―轍洞院家・リビングルーム―
並んでソファに座りシテツとコクテツはテレビを見ていた。
シテツ 「あのさ、さっき話があるって言ってたけど」
コクテツ「ん? ああ、デンシャの龍をもう一匹増やそうかって話」
シテツは目をテレビから姉の顔に向けた。
シテツ 「それってこんな雰囲気でする話じゃないよね」
コクテツ「うん、だからしない」
シテツは自分の横に置いてあったリモコンを手に取ると、テレビを
消した。
コクテツ「ちょ! 見てたのに!」
シテツ 「デンシャの話の方が先でしょ!」
怒られたコクテツはしゅんとしてしまった。
シテツ 「そんな落ち込まないでよ」
コクテツ「じゃあテレビつけて」
シテツが渋々レテビをつけると、その途端コクテツの表情は明るく
なり嬉々としてテレビを見始めた。
シテツ 「デンシャの話は後でしようか…」
コクテツ「そうだね。一応、簡単に要点を言うと。現状のままだと代わりが居ない
トーマスが休めないから、休日要員としてピンポイントで出てもらえる
龍がもう一匹欲しいなって考えたんだ。別にいつもの運行を二本体制に
するつもりは全然無いから、常駐してもらわなくても大丈夫なようには
しようかなって方向で考えてる」
シテツ 「うん、大体どころか全部分かった」
テレビの番組がCMに入り、コクテツは顔をシテツに向けた。
コクテツ「OK、じゃあ明日からの準備しておいて」
シテツ 「いや、何で丸投げなの!」
コクテツ「う~ん、丸投げって言うか… 私はトーマスの看病があるから家に残ら
なきゃいけないでしょ? だから、しーちゃん一人で龍を捕まえに行く
のに私が準備しても意味ないじゃん」
シテツ 「はぁ? 私… 一人?」
シテツは大きく口を開けたまま固まってしまった。
玄関のチャイムが鳴り、コクテツは放心状態のシテツを置いて部屋
を出て行った。
―轍洞院家・玄関―
コクテツ「は~い」
コクテツが玄関のドアを開けると、黒いコートに身を包んだJBが
立っていた。
J B 「薬持ってきたわよ」
コクテツ「ありがとう」
笑顔で出迎えたコクテツにJBは革製のトートバッグから小麦粉の
紙袋を取り出して彼女に渡した。
コクテツ「これって… 小麦粉?」
J B 「袋だけよ、耐湿性のある袋がそれかセメントの物しかなかったの。中は
東洋の神秘で作られた秘薬がちゃんと入っているわ」
コクテツ「それって、サモ・ハン・カンポーってヤツ!」
J B 「ええ、そんなところね。用法としては一時間おきに中のスプーン一杯分
を飲ませればいいわよ」
コクテツは袋を開けて、真っ白い粉の中にスプーンが刺さっている
のを確認した。
コクテツ「分かった、飲ませてみるよ」
コクテツは袋を大事そうに抱えて玄関を飛び出した。
J B (全部嘘、それは書いてある通り我が家の使いかけの小麦粉よ)
―轍洞院家・リビングルーム―
シテツは自分と龍の戦闘シミュレーションを何パターンも紙に書き
出していた。その結果は全てシテツが死亡するというものだった。
シテツ 「尻尾で潰されて… はい、これで29回死んだ…」
もはや絶望すら感じなくなった彼女が淡々と自分の死亡パターンを
書き連ねていると、リビングの入り口で足音がした。
シテツ 「やっぱ無理! 代わってよ」
J B 「何を代わればいいのかしら?」
シテツがコクテツだと思い声を掛けた先、そこには姉ではなくJB
の姿があった。
シテツ 「へ? ジャクリーンさん何で居るの?」
J B 「先生の言いつけで龍ちゃんの薬を届けがてら看病をしに来たのよ」
シテツ 「あ、薬持ってこさせるって言ってた」
JBはさりげなくシテツの隣に座って彼女の肩に腕を回した。
J B 「それで、私に代わって欲しいことって何かしら」
シテツ 「いや、コク姉だと思ったんで…」
シテツは目の前の自分の死亡パターン一覧表を指さした。
シテツ 「コク姉、私一人で新しい龍を捕まえてこいって言うんですよ。それで、
シミュレーションしてみたんですけど… 絶対に死にます」
J B 「貴方が龍狩りに行って死んでいる間、コクテツちゃんは?」
シテツ 「トーマスの看病です。だから代わって欲しいって」
JBはすっと顔をシテツの耳元に近づけた。
J B 「そうね。そうなればこの家には私とシテツちゃんの二人だけよ」
彼女に耳元で囁かれたシテツの全身に寒気が走った。
シテツ 「いや… なんでジャクリーンさんと一緒……」
J B 「さっき言ったわよ、龍ちゃんの看病をするって」
シテツ 「それってトーマスが治るまで……」
J B 「ええ、もちろん昼も夜も一緒よ。うふふ」
甘い笑みを浮かべるJBからシテツは少しずつ顔を背けていった。
J B 「あら嫌ね、そっぽ向いちゃって。まあ、どちらにしても行き先は天国に
なりそうね」
そう言うとJBはソファから立ち上がった。
J B 「じゃあ、代わりにコクテツちゃんに交代の件を伝えておくわね」
シテツ 「ちょ、まっ… コク姉なら二つ返事でOK出しちゃう!」
J B 「いいじゃない、お留守番したいでしょ?」
シテツ 「いや… その……」
JBの存在により留守番という選択肢すら安全策ではなくなった。
一撃で龍に殺されるか、毎日JBの玩具にされるか、シテツが選択
した答えは。
シテツ 「やっぱ、龍を捕まえに行きます」
―轍洞院家・トーマスの車庫―
車庫に戻ったコクテツはぐったりとしたトーマスにJBの小麦粉を
飲ませていた。
コクテツ「早く良くなるといいね」
トーマス「がう…」
コクテツは心配そうにトーマスの頭を優しく撫でた。その時、背中
からはみ出るほど大きなバックパックを背負ったシテツが車庫へと
突っ走ってきた。
シテツ 「準備できたよ!」
やる気に満ちた彼女の姿にコクテツはポカンとしていた。
コクテツ「しーちゃん… 急にヤル気出してどうしたの?」
シテツ 「ジャクリーンさんと家に居たく… えっと、早く捕まえてきた方がいい
と思って。それで、どこに行けばいいの」
コクテツ「多分ムレウマに行けば一匹は居るんじゃ無いかな?」
シテツ 「それ何処?」
コクテツはトーマスの頭から手を離し、静かに車庫を出て行った。
―轍洞院家・車庫前―
外に出たコクテツは空を見上げていた。
シテツが後を追って車庫から出てきて彼女を見た。
シテツ 「まさか、空の上…」
コクテツ「まっさかぁ」
コクテツは笑いながらシテツの前に歩み寄ってきた。
コクテツ「ちょっと風向きとか方向を確認してたんだ。そのまま立ってて」
姉に言われるままにシテツが動かないでいると、コクテツは素早く
シテツの襟と袖を掴んだ。
コクテツ「行くよ!」
シテツが危険を察知した瞬間、コクテツは華麗に彼女を巴投げで空
の彼方へと投げ飛ばした。
コクテツ「速度、射角良し! 多分届くね」
―空の上―
シテツ 「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
泣き叫ぶシテツの体は物凄いスピードで雲を突き抜け爽やかな青空
を飛んでいった。
―ムレウマ・森林地帯―
悠々と巨大な木々が生い茂る山沿いの森林地帯。
その深緑の中を森林保護レンジャーのオゼ・ウィンザーが大木の枝
から枝へ軽やかに飛び移りながらパトロールをしていた。
一陣の風が吹き抜け、にわかに木立がさざめくと彼は体をピタリと
止めて周囲を見回した。
オ ゼ 「何だ… この嫌な感じは…」
彼は目を閉じ耳を澄ませた。木の葉が揺れる音、動物達の騒ぎ声、
様々な音の中に一つ不可解な音があった。
シテツ 「うぉぉ落ちるぅぅぅぅうぅぅ!」
それが少女の金切り声だと分かった。その直後、彼の横を影が一瞬
で横切り鈍い衝撃音が森に響いた。
オ ゼ 「…… 今のか?」
彼が半信半疑で木を降りると、根元には頭から地面に突き刺さった
シテツが居た。
オゼは目の前で起きている超自然現象に頭が真っ白になった。
それからしばらくして、彼は大きく深呼吸をしてから肩口に下げた
トランシーバーに手を伸ばした。
オ ゼ 「オゼだ。異常事態発生、繰り返す異常事態発生。空から女の子が降って
きた。その子が地面に突き刺さっているから救助の応援を要請したい。
どうぞ」
―ムレウマ・レンジャーベースキャンプ―
シテツは丸太小屋の一角にある質素なベッドに寝かされていた。
若い女性レンジャーのハルナ・サンダースがシテツの額の上の濡れ
タオルを交換しようとすると、彼女がゆっくりと目を覚ました。
ハルナ 「オゼさん! この子生きてた!」
彼女の驚きの声に本を読んでいたオゼが飛んできた。
オ ゼ 「君、大丈夫か」
朦朧とする意識の中でシテツは心配そうに自分を覗き込む二人の顔
を見ていた。
シテツ 「いいえ… でも、生きています…」
オ ゼ 「それだけで十分だ、今はゆっくり休んでくれ」
その言葉を聞いたシテツは再び目を閉じた。充分に眠って回復した
彼女は改めて二人の顔を見た。
シテツ 「助けていただいてありがとうございます」
小さく頭を下げたシテツに二人は優しく微笑んだ。
オ ゼ 「構わんさ、それが俺たちの仕事だから。俺の名はオゼ・ウィンザーこの
ムレウマの森を保護しているレンジャーだ」
ハルナ 「私もレンジャーのハルナ。キミ、名前は?」
シテツ 「轍洞院シテツです」
ハルナ 「轍洞院… どっかで聞いたな。ところでさ、キミはなんでこんな辺境に
一人で来たの?」
その質問にシテツは自分でも忘れていた事をハッと思い出した。
シテツ 「そうだ、早く龍を探さないと!」
彼女の言葉にレンジャーの二人は顔を曇らせた。
オ ゼ 「空から落ちても助かった命だぞ、大事にしろ」
シテツ 「そうしたいんですけど… 私、イストシティでデンシャっていうものを
やっていまして」
ハルナはポンと手を叩いた。
ハルナ 「あー、思い出した! そーだ、イストシティで龍に乗って街と街を移動
できるようになったって。轍洞院ってアレの人か」
シテツ 「そうです。それで、新たにデンシャに協力してもらう龍を探しに来たん
です」
オ ゼ 「そう言う事なら、話が通じる相手を選べば大丈夫そうだな」
シテツ 「心当たりがありますか?」
レンジャー二人は互いに顔を見合わせた。
オ ゼ 「頼み事なら、シルキーあたりがいいか?」
ハルナ 「そーですね、彼は都会に行ってみたいって言ってましたし」
オゼは小さくうなずくと書類棚へ行き一枚の写真持ってきた。
オ ゼ 「コイツなら力になってくれると思う」
シテツは彼に写真を渡された。
そこには山の上に立つ逞しい四肢と大きな翼を持った西洋風の白く
美しいドラゴンが写っていた。
シテツ 「あの… 蛇っぽい姿の方がいいです」
彼女の言葉に再び二人は顔を見合わせた。
オ ゼ 「ここら辺で話が通じる蛇龍はジョーか?」
ハルナ 「ジョー・シュウですか。まー、蛇龍限定なら他に居ないですね」
―ムレウマ・森林地帯―
オゼとハルナの案内で森の中を進むシテツ。
オ ゼ 「休むか?」
シテツ 「よ… 余裕です…… 早く行きましょう」
ハルナ (全然余裕には見えないんだけど…)
自然が作り出す険しい道を歩き慣れているレンジャーの二人は街中
を歩くようにどんどん進んでいった。しかし、二人に比べ圧倒的に
運動不足のシテツは膝を震わせて地面に這いつくばってついて行く
のがやっとだった。
ハルナ 「あっ、そこ穴があるから」
シテツ 「あぁぁああぁーっ!」
ハルナ 「気をつけて…」
ハルナが遅れていたシテツに危険を知らせた矢先、彼女は予想通り
地面にポッカリと空いた穴に落ちていった。
オゼとハルナは慌てて穴に駆け寄って覗いたが、その中は深い闇に
包まれていて何も見えなかった。
ハルナ 「あっちゃ~… あの子生きてますかね?」
オ ゼ 「生きてるんじゃないか? 空から落ちるよりは浅いだろ」
彼は地面に突き刺さったシテツを発見したとき同様に深呼吸をして
からトランシーバーを持った。
第九話 ② へ続く…




