〜恋雨(7)〜光の神と闇の神
「ーー命神は渡さない。そして、俺にここで果てろだと?」
ふ、と闇神が心底面白そうに声をたてて笑い出した。彼が額に片手をあて、肩を揺らす。
そんな様子に、樹峯は何も顔に出さない。
「たとえ、俺の邪たる闇の力を取り込もうとも、所詮は弱神たる森神。俺を沈めることなどできない」
笑みを薄いものに変えた闇神はそう告げるなり、差し込んできた陽光に目を眇めた。
「ーーさあ、とっととケリをつけよう。命神をよこせ、森神」
「渡さないと言っているだろう」
これ以上はなく冷たい声を放った樹峯は美耶を背後に庇ったまま、長い右腕を持ち上げ、そしてーー。
「大地でも呼び起こすのか?」
「……」
「大地神ではないお前ごときがか?」
揶揄する闇神を一瞥する事もなく、樹峯は静かに瞼を伏せる。
「……っ!?」
言葉にならない声を上げたのは美耶だった。
ーー樹峯の身辺に淡い光を放つ何かが集まっている。懐くように樹峯に寄り添ってきて、彼の茶色の髪で楽しそうに遊んでいる。
樹峯も一度、柔らかく微笑んだ。
「頼みましたよ。わが同胞たち」
闇神に言葉を向けるときとは打って変わって、優しい顔をした樹峯が放った言葉に、周りに浮遊していた光たちが闇神に襲いかかった。
ーーだが。
「無駄だ」
闇神から 全ての感情が消えた。
迫り来る森神の仲間達にわずかたりとも動じず、彼は再び漆黒の瘴気を生みだしーー。
ーー瘴気から作られた黒の剣が無惨に同胞たちを切り裂いた。
途端、悲痛な金切り声が響き渡った。
「……っ!!」
ないもかもを揺さぶる慟哭。
目を閉じ、耳をふさがずにはいられなかった。
「申し訳ありません、命神様。ーーあなたの心をきずつける声をきかせてしまった」
切り捨てられていってしまった同胞たちの光の残滓を見据えた樹峯が美耶を振り返り、震える彼女の肩を抱いた。
「ーー大丈夫です。もう、終わらせますから」
ふわりと優しく笑んだ樹峯は再び、闇神と対峙する。
ーー闇神が皮肉な笑みをたたえた。
「味方を呼んだのは、とんだ誤りだったようだな。かわいそうに、主と慕う愚かな神によってあっけなく死に陥ってしまうとはな」
少しもかわいそうと思ってない口調と顔で呟きをおとした闇神はふと、美耶に視線を向けた。
「ーーなぁ、命神。おまえ、なぜ森神の名を知っているんだ?強制的に吐かせたのか?」
「え……?」
「さっき、おまえはこいつの名らしきものを口にしていた。本来、神同士は名を呼びあえないはず」
「……?」
闇神の言う事が理解できず、思わず美耶は眉をひそめた。
闇神が美耶に近付こうと、歩を進める。
「この方に近づくな」
冷たい顔をした樹峯が美耶の目前までせまっていた闇神の腕をつかみあげた。
「樹峯…それは私の名ではない。私の愛称にすぎぬ」
「どうだか」
胡散臭そうに目を細めた闇神は、うっとおしい、と樹峯の腕を振り払った。そして、再度美耶を見据え、問いかける。
「嘘はつくなよ。正直に答えろ。お前はこいつから名を聞き出したのか?」
それともーー、と闇神の瞳が影みを帯びる。
「森神が自発的に名乗ったのか?」
「……え?」
なぜ、そんな事を聞いてくるのだろう。
なぜ、そんな不機嫌な顔をしているのだろう。
(ほんと、なにこの人…っ!)
ずっと、続けて起きている意味不明な怪奇現象に付き合わせられている乙女の気持ちになって欲しい。
「ーーっ、だったら何っ!?」
やっと、この身勝手な闇神に言葉を放つことができた。
「てゆーか、さっきからなんなのっ!?いきなり現れて、突然私を命神とかよんで誘拐?とか無理矢理しようとするし、樹峯となんか戦ってるし、意味わかんないだけど!いたいけなJKがこんな理不尽なめにあうことってありえる!?いや、ありえないでしょ!?」
どうしたことだろう。怒鳴り声で散々文句を言ってやるうちに、美耶に闇神という奇怪生物に対する恐怖が消え失せ、だんだん怒りが腹のそこから溢れ出してきた。
ポカンとする樹峯をおいてただひたすら、闇神に罵詈雑言を放ち続けた。
「喧嘩売ってんのかっ!?ああ!?まじふざけんなっ!こんなありえない事ばかりに出会う私の気持ち、少しは考えなさいよっ!神様とか名前がどうのこうのとか知った事じゃないのよっ!」
自分でも不思議なくらい、たくさん悪態をつくことができた。
一度外れた感情のタガはもう二度ととりつけられない。
「こんな事……っ、あーもうっ!ほんと無理っ!私を元の世界にかえしてよー!」
今度は、涙まで溢れ出てきた。もう、限界だった。
色々な感情が止まらなかった。
(かわいい弟に会いたいっ!あったかい家族に会いたい!部活に行きたい!友達と話したい!)
闇神はもちろん、穏やかだった樹峯にまでも恐怖してしまった。
(だって、顔がまじでいっちゃってたし!)
一生で最後のお願いだから、どうか、大好きな人達がいる元の世界に帰らせて欲しい。
それだけを切に願う。
「……命神、泣いているのか?」
「命神様……」
闇神が珍しく動揺した声で尋ね、そして、樹峯がオロオロしながら、泣き崩れた美耶の前に片膝をついた。慰めようとしたのか、樹峯が腕を伸ばしてきたが、それを咄嗟に振り払ってしまう。
「命神様。お許しください。私は非力なため、貴方を、その…元の世界とやらに帰す事は出来ません。それに、貴方が本来ある場所は、この花謳なのです」
「知らないっ、知らない!」
誰がなんと言おうと、美耶の居場所はあの世界だけなのだ。
花謳なんて国は知らない。日本に帰りたい。
この現実を認めたくなくて、美耶は必死になって両膝を抱え込み、顔を伏せた。
「おい、命神」
「命神とかいう人じゃない!私は、美耶…っ!相沢美耶!!」
叫けぶだけ叫んで、美耶は顔を呆然とする二人から力一杯背けた。
(ありえないっ、ほんとにありえない…っ!)
「命神ではない…?」
「…っ、当たり前でしょ!」
闇神が虚を突かれた様に目を軽く見ひらく。
そして、なぜか不敵でしかし甘い笑みを口元にうかべた。
「お前は確かに命神だ。あのときと匂いが一緒だ」
何を言っているのだろう。
「まだ、目覚めてないだけだろう。罪ぶかいな、お前は……だが、そんなお前もいい」
そこで、彼は自身のまだ微かに濡れている燃える様な赤毛を筋肉質な右手でかきあげた。
「やはり、お前はこの俺が可愛がってやろう。さぁ、俺とこい、命神ーーいや……」
「呼ぶなっ!!」
青ざめた顔で止めたのは樹峯だった。
「うるさいぞ、森神。大人しくしていろ、殺すぞ」
「黙れっ、闇神風情がっ!誰の名を口にしようとしている!」
「あー、うっとおしいな…」
焦りを浮かべ、再度術らしきものを放とうと構える樹峯を横目で捉えた闇神は煩しげに目もとを歪め、樹峯に向かって右腕をあげた。
「失せろよ」
その瞳に宿るのは冷酷にひかるもの。
「……っ!」
漆黒の風が樹峯を襲った。音の無い沈黙の風。けれども、その威力はすさまじい。
咄嗟に身を庇うように両腕を自身の前でクロスさせた樹峯は、無情な風に吹き飛ばされた。
「樹峯…っ!!」
「あいつの心配ばかりするのか?命神」
気がつけば、闇神が目前に立っていた。
「気に入らないな。あいつの名を呼ぶくらいなら、俺を呼べよ」
反射的に闇神を見つめ返すと、彼の瞳に一瞬、燃え盛る炎が見えた。
「なぁ、美耶?」
ーードクリと、心臓が隆起した。