〜恋雨(5)〜誘惑の紅
その姿は、闇の中に差し込む一筋の光ーー炎のようだった。
ーー 鮮やかな赤。燃える赤。輝く赤。
荒々しいけど、確かに美しかった。
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雨音が微かに小さくなった気がした。
背後にあった熱にも焦りが一時、消えた。
樹峯と二人きりで、冷える小屋の中にいた美耶の視線の先には、見慣れぬ男。
雫をしたたせながらもなお、見事に輝く紅蓮の髪。
こちらを凝視しながらも、なおかつ睨むように眇められた灰色の瞳。
体格は非常に良かった。
美耶よりも頭一つは大きい樹峯よりも、背たけはある。
はだけた胸元から露わになっている、程よく付いた筋肉。
ーーどこか、色気すらも感じるのは、気のせいだったのであろうか。
顔立ちも、優れていると言っていい。
(水も滴るいい男って、こういう人のことを言うんだろうなぁ…)
ーー自分の学校で一番女の子に人気があった男の子ですら、この男の前では霞むだろう。
そんな事をぼんやりと考えていた時だった。
突然、身体を深く抱き込められた。
(ーーは、はぃぃ?)
見上げると、そこには穏やかな風貌に似合わぬ厳しい顔をした樹峯がいた。
彼の険を宿した瞳は、こちらを睥睨してくる赤毛の男を睨み据えている。
ーーこの状況が理解できない中、ふと、悪寒が走った。
一触触発の危機。
(やば……)
青ざめる美耶を目端にとらえた樹峯は、彼女を片腕で抱き上げ、腰をあげた。
突然の浮遊に慌てる。咄嗟に樹峯の頭に抱きついてしまった。
一瞬、樹峯が恥じらった様子をみせたが、すぐに雰囲気を鋭くする。
「ーーお前は何者だ。なぜ、ここに姿を現した。答えろ」
先刻までの樹峯ではなかった。
冷淡で有無を言わせない口調だった。
彼の変化に驚き、同時にひどく戸惑っていると、小さな溜息が聞こえた。
赤毛の男が、濡れた髪を片手でかきあげながら、美耶と樹峯を刃のように見つめながら、こちらに歩を進めてきた。
途端に、樹峯から闘志が放たれる。
(なんか、樹峯ちゃん、さり気なく腰の危ないものを引こうとしてませんっ!?)
ーーこれはやべぇっ、と全力で気を失いかける。
ふっ、と赤毛の男が突如、笑った。
恐る恐る彼を見据えた美耶一人に、彼は視線を注いだ。
「ーーこれは、俺への神の褒美なのか?
闇の中で生きると決めた者は、人との接触を許されぬはずなのに。」
赤毛の男が、愉悦を滲ませる。
得体の知れぬものが近づいてくる恐怖ーー否、これは、圧倒的な何かに迫られる恐怖。
彼の鮮やかな赤毛は今、残酷な色と化する。
「いいだろう、存分にお前を愛でてやろう」
それは、血の色。
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ーー鋭利な音が空気を裂いた。
赤毛の男に向けられたのは、鈍く光りを放つ刀身だった。
狙いを定められた男は愉快と言わんばかりに口元を歪めた。
だが、闇に溶ける灰色の瞳は少しも笑っていない。
「俺に剣を向けるのか?面白い」
余裕を浮かべる男に対し、剣を手に殺意を放ち始めた樹峯は非情な表情をしていた。
「……何者だと聞いている。
ーーこの森は、人の入り込めぬ領域。お前が足を踏み入れることなど、決してできぬ。
だが、お前は今ここにいる。」
身震いしてしまいそうな冷たく、無情な声。
ーーでも、美耶を抱える腕は熱く、優しい。
赤毛の男が、一瞬で凍てつく気を纏い、瞳に冷酷な光りを露わにした。
「森神ごときが調子に乗るな。陽の元でしか生きられぬ弱神ーーお前など、ここで一掃してくれる」
物騒な言葉に、思わず美耶は息を呑んだ。
樹峯の額に微かに汗が滲む。
伝わってくる彼の焦り。それでも、必死に美耶を守ろうとしている。
樹峯が剣を構える。
「もう、俺の正体を悟っているだろう?森神」
赤毛の男が沢山の装飾品をつけた腕を軽く掲げた。
樹峯の剣を握る手に力がこもる。
赤毛の男の手に集まるのは、底のない闇。何もかも覆い尽くしてしまう黒い瘴気。
彼の身体が闇と同化する。
「俺は闇神。静寂の夜の覇者。」
ーー 雨を喰らい尽くした夜が襲い来る。
「ーー命神も、俺が手に入れる」
甘くて、傲慢な声と言葉。