〜恋雨(4)〜森神現る
ーー夢でも見ているのだろうか。
木は、人間に変身できるものだっただろうか。
「ーー貴方は…、命神様なのか?
この私を擬人化ーーいや、神人化させるなど」
雨に打たれながらも、どこか夢見心地のように、美しい青年が呟く。
だが、彼以上に驚き、放心していたのは美耶の方だった。
(なに、これ…)
彼女の視界を占めるのは穏やかな風貌の青年。
色素の薄い茶色の髪。腰まである長い髪だ。そして、優しげな新緑の瞳。まとうのは、濃紺の着物。身長は非常に高い。
「ーーこの私を神に選ぶのですね?光栄です。
私は、この瞬間より森神となる。そして、貴方の僕へとも」
ーー森神?
ーー僕?
意味がわからない。なにを言っているのか。
「あなたは……?」
頭が真っ白になっている中で思わず、そう尋ねていた。
ふと、既視感を覚えた。
こんな風に、誰かに尋ねた気がする。
「私の名を聞かれるのですね?命神様。」
ーー命神とは誰のことだろう。
青年が淡く微笑む。
「私は、森神ーー樹峯。世の全ての植物を制する者。
ーー我が主ーー命神様、私と契約を」
嬉々と告げた青年ーー樹峯が、美耶の前に片膝をつけ、首を垂れる。
この、意味のわからない謎の状況。一体どう言う事なのか。
美耶は茫然としーー
「とりあえず、雨宿りっ!!」
樹峯が目を瞬かせた。
*******
(一旦、これまでの状況を整理しよう)
ーーまず、美耶は見知らぬ神秘的な森で気を失っていた。そして、なぜか急に雨が降り出して、とにかく自分が置かれている状況を確認しようと、無我夢中で
走っていてーー今、この目の前にいる人と出会った。
ーーそれも、奇怪すぎる方法で。
「あなた、本当に人間…?私の目が狂ってない限り、確かに木の中からでてきたよね?
まじで、あり得ないんだけど」
雨宿りとしてなんとか見つけた小屋の中で、美耶は薄暗い中でも無駄に美貌をかがやかせている樹峯にむきあった。
「ーー人間ではありません。私は先ほど申し上げたとおり、あらゆる植物達の神ーー森神です。
あなたが、私を神人化させたのですよ。命神様」
穏やかに微笑みながら、樹峯が言う。
「私が…?それに…命神って?」
「奇異なことをおっしゃる。命神様は、あらゆるものに命を与え、神と化させる。
事実、この私を神へと変じさせた。そのような事ができるのは全ての祖たる命神様お一人。あなたが命神様ですよ」
(ーーこの人、頭いってしまっているんじゃっ!?)
俗に言う、中二病というものでは。明らかに、精神が病んでいる。
(漫画の読み過ぎだっ!!)
「命神様?」
「私は、正真正銘の日本出身のJKっ!平凡だけど、結構スペックのある純粋少女!
命神とかいう変な奴じゃなーいっ!!」
どこまでも、自分をわけのわからない命神と信じる樹峯に向かって美耶は叫んだ。
そんな美耶に虚を突かれたらしい樹峯は、目を丸くした。
「にほん…?じぇーけぇー?」
発音しにくそうに繰り返した樹峯が首を微かにかしげた。
彼から発された次の言葉に、美耶は本気で意識をとばしそうになった。
「ーーここは、偉大なる三神が治める国ーー花謳ですよ。お忘れですか?」
(はい?)
「にほん、というものは何なのですか?聞いたことの無いものです。」
(はい……?)
妙に嫌な予感がして、質問を重ねた。
「アメリカ、韓国っ、中国っ、知ってるよねっ!?あと、あと…っ!!」
「はい?」
ーーなんて事だろう。
「混乱されているのか?命神様」
憂い顔でこちらを伺う樹峯に返事一つ出来なかった。
これは、漫画でよくある展開なのだろうか。
ーー異世界にトリップしてしまうという。
*******
「ーー命神様?」
樹峯の声が遠い。小屋の中まで聞こえていたはずの雨音さえ。
ーー知らず、全身が震えていた。
(何、これ……)
誰か夢だと言って欲しい。
この空気の冷たさを。この目に映る薄闇を。この自分の腰にまわる温かい腕をーー
「ーーっ!?」
いつの間にか、包み込むようにして樹峯が美耶を抱き込んでいた。
温かい息が耳元にかかる。
「ーー無礼をお許しください。貴方が震えていらしたので」
「あぁ、本当に何ということを……っ」、と嘆いているのに、彼は少しも美耶を離そうとしなかった。
今度は、別の意味で混乱しそうになった時だ。
ーー突然、小屋の古びた扉がバンッ、と乱暴に開かれた。
ーーそこから現れたのは、闇のなかでも鮮やかに燃える様な髪をした荒々しい男だった。