〜恋雨(15)〜闇の神は彼女を誘惑する
ーー時神のあまりにも真剣な目に言葉に、一瞬、全身にふるえが走った。
なぜ、動揺し、恐怖を覚えたのかもわからなかった。
ただ、心と体が勝手に反応したのだ。
なにか、大切な事を忘れているような気がする。
何に対する恐怖と怯えなのか知れないふるえを押し殺そうとする美耶の頭を闇神はなぜか優しさを感じる手つきで撫でた。
言い知れぬ負の感情よりも、彼の行動に一時呆然とし、翻弄された。
「これからお前に聞かせる話は決してお前を不快にさせる話じゃない。だから、安心しろ」
淡々とした口調だったが、その言葉には確かに美耶を憂い、彼女を安堵させるものがあった。
闇神は、ふっと口元に笑みを刻んだ。
「まあ、それでもまだ不安ならば……」
彼の顔を直視してはならない気がした。
闇神のどこか甘さを含んだ美声が、彼女の耳元で発せられ、熱い息が耳たぶに触れる。
彼から立ち上る、くらくらする様な色気に包まれてしまい、全身が固まった。
闇神の薄い唇が、耳下の首元にあてられ、羞恥に悶えてしまう。
「……っ」
「ーーもう、降参か?」
挑発する言葉と彼の表情に、怒りを示す余裕は全くなかった。
相手が与えてくる熱に、喘ぐ事しかできない。
なにを企んだのか、闇神が今度は美耶のうなじに手をかけようとした時だった。
「………なにをしているんですか」
ドスの効いた声が、完全に違う世界に行っていた二人を引き戻した。
慌てて顔をあげると、そこには天使のような清く美しい笑みを浮かべた時神がいた。
だが、細められた紫水晶の目の奥には暗く燃える炎がちらついている。
「闇神、命神に無体をはたらいてはならないよ。僕が君を殺しちゃうかもしれないから」
優しくて温かい笑顔と美声だが、どちらも凄みを帯びたものだ。
かわいらしい外見に隠された一面に、美耶の羞恥心は一瞬にして吹き飛ばされてしまった。
「……ちっ、邪魔をしやがって。お前に俺を殺す事など出来ないだろう。強がるなよ」
「別に強がったわけじゃないけどー?僕になら君を殺せるよ。なんなら、今ここで殺してあげてももいいよ?」
笑顔を浮かべにらみ合う二人の間に火花が散ったのは、錯覚ではない。
辺りを漂う闇神と時神の殺気に身震いをしそうになった時だった。
「時神、お茶をおもちしました。どうか、気をお休めください」
澄んだ、男の人の声がためらう事なく、二神の間に割って入ってきた。
時神がはっとした顔になる。
「ああ、ありがとう。霧詠。美味しくいただくよ」
急いで柔らかな笑顔を取りつくろった時神は、背後を振り返った。
彼の視線の先には、銀のトレーを片手に足音をたてずに歩いてきた霧詠ーー霧神がいた。
「では、私はこれでーー」
「ああ、ちょっと待って。霧詠も、ここに座って僕たちの談笑に付き合ってよ」
自分の用はこれで終わったと判断したらしい霧神は、再び霧の姿に戻ろうとしたが、時神に呼び止められ、動きを止めた。
「私がですか?」
「そうだよ、これから話す事はぜひ君にも聞いて欲しいんだ。だから、ね?座ってよ」
「……そこまで言われるのなら。わかりました」
小さく頷き、霧神は空いていたもう一つの椅子に静かに座した。時神の横だった。
「どういう事だ、時神。なぜ、霧神などを巻き込む。こいつに聞かせる話ではないだろう」
「そう言わないでよ、彼は僕の大切な従神なのだから。彼にも聞く権利があるはずだよ」
霧神の手前であるからなのか、時神は先刻のようなあからさまな態度は取らなかったが、その目はやはり暗さを宿していた。
闇神は、苛立ちや時神を責める顔をしていた。
また、ややこしくなりそうな雰囲気に、美耶はとうとうしびれをきらした。
「ーーいい加減にしてよ。私、本当に何がどうなっているのかさえわからない状況なの。早く、この状況を打破したいんだけど……。喧嘩する暇があったら、とっとと話をしてくれる?」
一向に話が進んでいない。なんの謎も解明していない。
憤りさえ孕んだ美耶の声に、一時、時神と闇神は固まった。彼女の怒気に驚いたらしい。
かといって、全く怯んだ様子はなく。
「そうだよ、話。大切な。ちゃんとしないと!」
そう明るく言い、時神は天井を仰ぎ見た。
美耶も、彼の視線をたどった。
「さっき言ってたこの五人の事なんだけど、この五人はみんな神であって、命神、かつてあなたを慕った者たちです」
「ーーかつて?」
「ああ、昔の事も全て忘れてしまっているんですね?なら、花謳ーーこの国が始まった時の話からしましょう」
全ての謎が明かされそうな気がした。