〜恋雨(13)〜隠された想いと決意
ーー男は、暗闇のなかで静かに佇んでいた。
虫一匹もいないような無音の空間。辺りは、ただ闇があるだけで、何も見えない。
男は、懐から青白い輝きをはなつ腕輪を取り出し、それを荒っぽく見えない床に落とした。
すると、落とされた宝石が、男の目の前に縦に一本の閃光をつくりだした。やがて、その閃光が扇子が開くかのように開いた。その光に、ある人影が映し出される。
男は、その姿がはっきりする前に、光の前で片膝をついた。
『ーー久しぶりだな、森神。何百年ぶりだ?意外と蘇るのが早かったな』
「丁度、五百年ぶりです」
そう答え、首を垂れていた男ーー森神は、青く輝いている光の中に佇んでいる人物を見据えた。
そこにいたのは、白金色の長い髪を耳下で緩くひとつに結んでいる男だった。彼は、青い目にひどく整った容貌をしている。
男は、秀麗な微笑をうかべ、森神を面白そうに見つめた。
『お前が復活したという事は、やはり、あの神がこの世に現れたのか?』
「ーーはい、まだこの世に姿をお見せになられたのは一日前ほどですが」
『で、今はどこにいる?』
男が、座っている椅子の上で頬杖をつき、探るような目をむけてきた。
「闇神のもとにいます。申し訳ありません、奴に奪われてしまいました」
『闇神だと?なぜ、封じられたはずの神がーー。間違いなく、かの神だったのか?」
「はい。あの憎らしい“赤”は、忘れもしません。見間違えはありません」
森神の柔らかな色相の瞳に、今は隠しきれない憎悪と怒りがあった。殺気さえもかんじられる目。
『奴が蘇ったのか。誰の仕業だ?忌々しい。十裏神に刃向かう者が、まだいるというのか』
「ーー命神様は、必ず奪還します。命に代えてでも」
『ふっ、えらく命神に執心だな。まあ、それはいい。だが、覚えておくのだ。命神に感情移入はするな。あとが辛いだけだぞ』
「…………」
『その無言がどんな意味を持つのかは知らないが、注告は確かにしたからな。では、頼んだぞ。必ず、命神を私のもとに連れてこい。闇神をお前が殺せるとは思えないが、腕の一本でも切りおとしてこい』
「……承知」
短くそう答えると、青の光は、吸い取られるようにして宝石の中に消えた。
森神は立ち上がり、迷いなく外へと続く道を歩き出す。
彼の握られた拳が小刻みに震える。今の男の前であらわにしてしまった暗い感情が再度蘇る。
何よりも目障りに思ったあの血のような髪。
何よりも耳障りに思ったあの暗黒の神から発せられた言葉。
何よりも憎く思ったあの嘲笑。
ーー闇神。
(待っているがいい)
今度は、失敗しない。
命神を自分から奪った事を後悔させてやる。
「命神様ーーいや、……美耶」
かならず、救ってみせる。
***
「命神、あなたにお会いできて光栄です。僕は、時神。あらゆる生き物、物の時間を司ることができる神。こんな姿だけど、あなたよりかなり年上なんですよ」
時神と闇神によばれ、改めてそう名乗った美少年は突然の神の登場に固まっていた美耶の手に触れようとした。
ーーだが。
「触れるな」
差し伸ばされた時神の綺麗な手を、横から闇神が叩き落とした。
即座に、時神の機嫌が悪くなる。
「むー、邪魔しないでよ。やっと、念願の命神と会えたのに。これって、僕にとってはもはや奇跡なんだよ!わかってる?」
「わかってたまるか」
「……くそ闇神」
「………おい、素が出てるぞ」
呆れた顔で呟き、闇神は自分の赤毛をかきあげた。
「それより、どこか座る所はないか?命神を休ませたい。色々あって、随分疲れた様子だからな」
「……へえ。結構命神を大切に思っているんだね。あの闇神が。ありえなさすぎて笑えるよ」
「さっさと準備しろ」
「はいはい。もう、にやにやしないから、ちゃんと僕にも何があったのか教えてね」
そう言うなり、時神はこっちだよ、と言って二人を誘導した。
闇神に抱えられたままでいた美耶は、ようやく我を取り戻しーー目の前に広がる光景に一瞬にして目を奪われた。
(うわぁ……)
白亜の神殿は、無数の柱で支えられており、その柱には優美なデザインがほどこされている。
翼を広げる大きな鳥や立派な一本角を持ったユニコーン、美しい精霊、可憐な蝶、さまざま生き物だ。
ふと、天井を見上げると、そこにも無数の同じようなデザインがされていた。
床は大理石のような白く磨き上げられた物でつくられていた。
カツン、と時神と闇神の足音がこだまするのも、これだけ神殿の中が広ければ頷けた。
「なかなか美しいでしょう?」
神殿の内装に見惚れていた美耶に、時神がどこか得意げに笑いかけた。
うん、と美耶が即答すると、時神は本当に嬉しそうな顔をした。
その表情がとても綺麗で、思わず不覚にも頬を染めてしまった。
そんな二人の様子に、面白くなさそうな顔をしたのは闇神だった。舌打ちの音が聞こえたのは言うまでもない。
ぎゅ、と美耶を抱く逞しい闇神の腕に力が込められた時だった。
「ーーさあ、着きましたよ」
時神が美耶に向かって、優しい微笑みを向けた。