1.名探偵の弟はサブレギュラーである。
「今回の連続殺人事件はこの村に伝わるわらべ歌になぞらえた見立て殺人ーー俺達はずっとそう思っていた。だけど、真実はそうではなかったんだ」
「ど、どういう事なの、一真くん……? まさか、本当はわらべ歌の通りじゃなかったって言いたいの!?」
「ああ。そう、本当は、犯人が殺害の順番を誤認させる為にわらべ歌を利用しただけに過ぎなかったーー!」
「俺もまだ信じられないけど、ーーこの事件の真犯人は、オランウータンだったんだよ……!」
「な、何だってー!?」
「この中にあいつを殺した殺人犯が居るんだろ!? そんな奴と同じ部屋になんかいられるか! 俺は部屋に戻るぞ!」
「駄目だ、スマホの電波が入らない!」
「チッ、固定電話の電話線も切れてやがるぜ……!」
「ーーどうやら、僕達は何者かによって閉じ込められてしまったようですね。この、陸の孤島に」
「くそっ、ーー待て!」
「今回は偶然とは言え君に会えて楽しかったよ、探偵くん。次はもっと我々に相応しい舞台で会おう」
「きゃあっ!? ーーうそっ、居ない!? もしかして、あの人屋上から飛び降りちゃったの……!?」
「なっ、バカな! くっ、お前達、下に降りて奴を捜せ!」
「……待って下さい、警部。あいつはこのビルの屋上から飛び降りた訳でも、消えた訳でもない。あいつはーーそこの警官達に紛れ込んでいるだけだ」
「……人が折角格好つけたのにこんなにあっさり見破るだなんて、空気が読めてないよね、探偵くん。全く、仕方ないから本物の人体消失マジックを見せてあげるよ……!」
「ーーだが、そこで犯人にとっても想定外の事が起こったんだ」
「そう、彼らは双子ではなく、三つ子だった……! そうですよね、隆元さん、元春さん、ーーそして、隆景さん」
「逆、だったんだ。殺人の計画を立てたのは、加害者ではなく、被害者の鈴木さんの方だったんだよ……! そうですよね、斎藤さん……?」
「ーー流石は噂の探偵さんだね。その通りだよ」
「つ、つまり、本当の凶器は氷だったって事かよ!?」
「いや、恐らくは被害者の血液を凍らせたものかと」
「だけど、あいつの遺体が見付かったのは冷凍倉庫だ! 凶器が凍った血だったなら、溶けずに残ってる筈だろ!」
「確かに、その通り。ーーただし、それは事件の起きた現場が、本当にあの冷凍倉庫だった場合の話だ」
「あいつだ……江ノ原がやったんだ! 江ノ原が俺達に復讐をしてるんだ!」
「落ち着け、江ノ原は8年前に死んだだろう!」
「そうよ、江ノ原は確かにあの時、死んだ筈じゃない! だって、私達、全員で彼を……!」
「……おい、それ以上は止めろ」
「犯人は、お前だ」
突然な上に突拍子のない話ではあるが、俺には前世の記憶がある。
前世の俺は、田中次郎と言う平凡過ぎて逆にかなり珍しい名前の、顔も中身もフツーの男子高校生だった。地味でちょっとオタク気味だった俺のクラスカーストは低い方だったけど、友人も少ないとは言え何人かいて、残念ながら女子にはモテなくて、バレンタインの戦利品は母親がくれたものだけ。部活は入っておらず、バイトは友人と一緒に一度だけ郵便局の年末年始の年賀状仕分けのバイトをしたくらい。死因は海水浴で足がつったのが原因の溺死。
テレビ番組はアニメを除いたらクイズ番組とかのバラエティと動物のドキュメンタリーを好んで見ていた程度。漫画やアニメはバトル物とギャグ物と日常ハーレム物が特に好き。新アニメが始まったらとりあえず3話まで見てから視聴を続行するか否かを決める。甘いものも辛いものもそれなりに好きだけど、コーヒーは苦いから実はブラックだと飲めない。でも、猫舌な兄貴とは違って熱い飲み物は平気。
そして、その辺りの趣味嗜好は、『名探偵法月一真の事件簿』の登場人物である『法月二葉』になってからも変わっていない。
そう、俺は『田中次郎』だった前世の頃に読んだ推理漫画『名探偵法月一真の事件簿』の世界に生まれ変わってしまったのだ。それも、主人公であり様々な事件に遭遇する高校生探偵である『法月一真』の弟である、『法月二葉』として。
前世で読んだ事のある『名探偵法月一真の事件簿』は、前世の世界でアニメ化もされた人気の推理漫画だ。内容を一言で言えば、主人公が遭遇した事件を次々と解決していく、たったそれだけのスタンダードなミステリー物。本格ミステリと比べると色々突っ込みどころもあるけど、普通に面白い漫画だったと思う。ヒロインであり主人公の幼馴染である『井上早苗』と主人公のじれった過ぎる恋模様や時折挟まれるお色気シーン、ギャグシーンも適度にあり、ライバル探偵や宿敵の怪盗との頭脳戦や、年に一度の劇場版アニメでのド派手なアクションシーンも良かった。実写ドラマに関しては、そういうのが好きじゃなかったオタクとしてはノーコメント。でも、漫画の実写化にしてはいい方だったとは思う。なんかんだで最終回まで毎週見ていた。
……話が脱線してしまったが、とにかく、俺には前世の記憶があり、その記憶の中にある漫画そのものの世界に、メインキャラクターの弟として生まれてしまった。
その事に最初に気付いたのは、今から3年前の小学2年生の頃に、兄貴共々誘拐された事がきっかけだ。夏休みの家族水入らずでの旅行中、遊園地で両親とはぐれた兄貴と俺が鏡張りの大迷路でうっかり殺人現場を目撃し、おいかけっこの末に誘拐された時は本気でこれは死んだと思った。サスペンスホラーみたいな状況は目茶苦茶怖くて恐ろしくて、俺は泣いて鼻水を垂らしながら兄貴にくっついていたな。それと同時に、脳みその隅っこで前世の俺が「ここ、漫画で見たとこだ!」なんてふざけた事を呟いたものだ。
実際、その出来事は『名探偵法月一真の事件簿』で、主人公の過去のエピソードのひとつとして読んだ事があった。『法月一真の最初の事件』というタイトルのそのエピソードは、主人公が初めて解決した殺人事件の話だ。内容は法月一真が弟の二葉と共に犯行を目撃し、鏡の迷路を逃げ回ったり、捕まった後は弟を励ましながら監禁場所から逃げ出すというもので、サスペンス要素が高くて大変だ。うん、大変だった。『名探偵法月一真の事件簿』の読者としてはハラハラして結構好きな話だったけれど、当事者としては遊園地がトラウマになるくらいの悪夢である。そもそも、死体を見てしまった時点でトラウマ物の出来事だろう。怖かった。その上前世の記憶が甦るとか更に怖いぞ。とりあえず、前世の記憶どうこうという電波な情報も目の前の殺人事件のインパクトが強すぎて霞んだせいで案外あっさり受け入れられた。
ーー『法月一真の最初の事件』に関する記憶と知識をきっかけにしてこの世界が『名探偵法月一真の事件簿』の世界で、しかも主人公の『法月一真』の弟であると知った俺は、夏休み中だったのを良いことに家に引きこもり、ついでに兄貴とは口をきかなかった。だって、俺が居るのが推理漫画の世界って事は、イコール、殺人事件が多発してる物騒な世界という事になる。それも、主人公が行く先々でそれらの事件は起きるのだ。
前世では、推理漫画の主人公である『法月一真』は、ネットの一部では『死神』だなんて揶揄されていた記憶がある。ミステリー物の主人公は、それ故に事件との遭遇率が異様に高過ぎるくらい高いから、それを揶揄した呼び名だ。まあ、それは兄貴だけではなく、ミステリー物の主人公全員に共通する特徴なのだが。
つまり、「兄貴と一緒に居たら事件に巻き込まれる」と思ってビビった俺は、兄貴に対して反抗期を迎えた訳だ。だが、引きこもってよくよく考えてみると、『法月二葉』の出番はそんなに多くない、たまーに事件に巻き込まれるサブレギュラー。毎回毎回事件に遭遇する主人公の『法月一真』とヒロインの『井上早苗』、そして警察の人達といったメインのレギュラー陣と比べると、遥かに事件遭遇率は低い。そして、身内のサブレギュラーなおかげか、俺自体はそれほど危険な目には合わない。まあ、漫画での出番を思い出すと、背後から殴られたり洋館に閉じ込められたりするかもしれないが。死にはしない、だろう。多分。サブレギュラーだし。脇役だし。子供だし。
そもそも、夏休みが終わって新学期が始まったら、引きこもってなんていられない。というか、よく考えたら殺人鬼に怯えて部屋に引きこもるのは死亡フラグじゃないか。やばい、死ぬ。というか、事件は起きる時には起きるから、どこにいても多分同じだろ、うん。両親や兄貴は、誘拐事件がトラウマになったから引きこもっていると思っていたみたいでそっとしておいてくれたけど、いつまでも部屋に閉じこもっているのも遊びたい盛りの小学生には辛い。結局、一週間後には、俺は開き直って外で友達と遊び回って夏休みを満喫していた。ただ、兄貴とは遊びに行かないようにしたら、兄貴が寂しそうにしていたな。ついでに前世の死因が溺死だったから、プールや海水浴には行かなかったけど。
なんやかんやで前世の記憶を取り戻す前と同じような生活に戻った俺は、兄貴と幼馴染ヒロインの早苗を微妙に避けつつも、普通に日々を過ごした。前世の『田中次郎』は運動は苦手だったらしいが、『法月二葉』は運動神経が良い。特に走る事が好きになった俺は、高校に入ったら陸上部に入ろうと思いながら毎日を過ごしつつ、時折兄貴が何かしらの事件に巻き込まれて解決するのを密かに心配したりしている間に年月が過ぎ、俺は小学5年生となり、兄貴はついに高校2年生になった。
そう、『名探偵法月一真の事件簿』の本編は、兄貴が高校2年生になってから始まる。実際、始まってしまったようだ。毎日をハラハラしながら過ごしていると、高校で殺人事件が起こり、主人公である『法月一真』がその事件を解決した。そして、それを皮切りに、兄貴と早苗は週に数回は殺人事件に遭遇するようになってしまった。その頻度の高さにドン引きするが、兄貴自体は悪くもなんともない。
当時の俺は、リビングでしょっちゅう物騒な事件が報道されるニュースをぼんやり見ながら、事件に巻き込まれては傷を作ってくる兄貴が今日は無事に帰ってくるだろうかと考えていた。だが、ニュースキャスターが、脱走した凶悪犯がどうのこうのと言っているのを聞いてしまったので溜め息を吐く。画面には、悪人面のおっさんの写真が映っていた。
ーーこの脱走犯の顔、『名探偵法月一真の事件簿』で見たやつだ……。
駄目だ、今日もきっと兄貴は事件に巻き込まれる。確か、この脱走犯と遭遇する話では誰も死なないけど、兄貴がまた怪我をしてしまう筈だ。心配で胃がキリキリして、俺はスマホで兄貴に連絡を入れようとして、止めた。
そうだ、漫画では、このニュースを見て兄を心配した『法月二葉』との電話に気をとられ、『法月一真』は背後から頭を殴られてしまう展開だった。何だかんだで兄弟仲の良い兄貴を、無駄に怪我させたいとは思わない。それに、脱走犯の情報は俺が電話しなくても兄貴の知り合いの刑事が兄貴に教えてくれるーー筈だ。多分。一応、兄貴と一緒に居るだろう早苗にメールで教えておこう。
ーーその晩、家の電話に病院から連絡があり、それを聞いた母が病院へ兄貴を迎えに行った。兄貴はやっぱり犯人に殴られてしまったみたいだ。大した怪我ではなかったが一応次の日病院で検査を受けた兄貴が、当たり前のように病院での殺人事件に遭遇したのは、予想は出来たが回避の出来ない出来事だった。推理漫画での主人公補正は、全く嬉しくない主人公補正だよなぁ。
そんな、物騒な事に巻き込まれまくる兄貴に、事件に会わぬよう出掛けるなとは、今の俺はもう言わない。兄貴が高校2年生になり、『名探偵法月一真の事件簿』の本編をなぞるように様々な事件と兄貴が関わり出して数ヵ月が経った頃、兄貴が心配だった俺は、漫画の通りならば事件が起こると分かった上で兄貴の外出を阻止した事があった。その結果、兄貴が解決する筈の殺人事件の犯人は不明のまま、マスコミはその事件を取り上げるのを段々と止めていった。その時俺が感じたの罪悪感と恐怖と後悔は、言葉では言い表せない。それと同時に、『推理漫画の主人公』である兄貴が関わらない事で、どれだけの数の犯罪が闇に葬られ、世間に忘れられていくのかを妄想する。それ以上に、俺が本当の事を言った時に、正義感が強くて優しくてお人好しの兄貴が、本来は救えた筈の人々を救えなかったと知った時の顔を想像して、俺は兄貴の行動に口出しするのを止めた。
……沢山の事件を解決する為に、兄貴を生け贄にしてるんじゃないかとは、思ったりする。でも、俺には兄貴の代わりに事件を解決する推理力も度胸もないし、前世で漫画を読んでいたからって全ての事件のトリックやらなんやらを細かに覚えていられる頭もない。そもそも俺は兄貴みたいに度々事件に巻き込まれない。なんでちょっとコンビニに行っただけでやばい事件に首を突っ込む羽目になるんだよ、兄貴。普通に暮らしていても事件に遭遇する兄貴を、俺ごときが止めれる訳がないし、それならやっぱり兄貴に解決してもらう方が兄貴の無事にも繋がると気付いてからは、俺はもう兄貴を積極的に止めたりしていない。
ちなみに、俺が兄貴に関わらせないようにしたせいで兄貴が解決しなかった例の事件は、兄貴のライバルの一人である超絶美女の警部補が解決していたらしいと後から聞いて、心底ほっとしたのは俺だけの秘密だ。本当に良かった。流石はライバル兼サブヒロイン、惚れそう! 俺はまだ会った事ないけど!
ーーそんな感じで、『法月二葉』である俺はたまに兄貴達と一緒に事件に巻き込まれてはビビって情けない悲鳴をあげたりしているけど、それ以外ではそれなりに普通の日常を送っている。
否、『送っていた』という表現になってしまうかも知れない。やばい、これからは駄目かも。もうこれあかんやつや。俺、今日無事に帰れたらクラスの真中さんに告白するんだ。
現在の俺が若干混乱しつつ脳内で未来を憂いているのは、コンビニ帰りに見かけてしまった人物が原因だ。
見かけてしまったというか、出くわしてしまったと言うべきその相手は、長身をスーツで包んだ大人の男だ。コンビニから家への近道として通ろうとした薄暗い裏路地には、俺とその男の二人だけ。向こうから歩いて来たそいつとすれ違う際に男が誰であるかに気付いてしまって思わず小さな悲鳴をあげて硬直した俺を、男はーー『殺人怪盗』は、立ち止まって不思議そうに見下ろしている。
二十代半ばに見える端正な顔立ちのこの男は、『法月一真』のライバルである『神代春人』だ。ただし、『探偵役』としてのライバルである美人警部補や他校の高校生探偵とは異なり、『神代春人』は、『怪盗』兼『殺人鬼』という悪役タイプのライバルーー要するに犯罪者である。しかも、全国に指名手配されている凶悪な殺人犯だ。
元々は天才的な才能を持つプロの手品師だった神代は、殺人を犯してからは「手品は犯罪の為にしか使わない」という歪んだ信念を持って数々の劇場型犯罪を引き起こし、理解しがたい独自の美学を携えて命と物品を被害者から奪い取る狂人である。殺人鬼としては兄貴に解き明かされて負け続きだが、怪盗としては勝ち逃げ中。早く逮捕されろ。
そして、『名探偵法月一真の事件簿』の人気投票では3回連続で1位。まあ、こういうイカれたキャラは登場する度に盛り上がるし読者としては人気が出るのも分かるキャラだ。こいつがリアルに存在する今は、さっさと塀の中にぶちこまれて欲しいとしか思わないが。狂人キャラは架空の存在だから許されるのだ。
ついでに、劇場版で出番がある時は主人公の兄貴と何らかの理由で利害が一致し、手を貸す事が多い神代は、ネット上の作品ファンの間で『劇場版ちょっとだけキレイな神代』などと呼ばれる事もあった。毎年劇場版が公開される夏が近付くと、掲示板なんかで「そろそろ劇場版神代の季節だな」という書き込みがされていて、その書き込みを見る度に前世の俺はついつい笑っていた。そして劇場版なのに神代が漂白されていない展開だった場合、「今回は普段の神代だったな」などの書き込みがされるので、それを見て更に俺は笑った。
ーー今は、全く笑えないが。
「……」
「……」
真横に殺人犯が居るこの状態、恐ろしすぎて動けない。今まで何度か殺人現場に居合わせたり死体を発見したりして来たが、そうした状況とは似て非なる恐怖が俺の身体を支配していた。今まで見て来た犯人達の動機は人間らしくて、ある程度は理解出来たが、今俺の近くに居る神代の動機は、何かもう理解出来ない。漫画の中で兄貴に何故人を殺すのかと問われて「それが僕の美学だからさ」などと意味の分からない答えを返した狂人は、相変わらず俺の事を不思議そうに見下ろしている。その瞳は、最初は「なんでこの見ず知らずの子供は自分を見て怯えているのだろう」と言いたげだったが、段々と何かを思い出そうとしている風に色合いを変えている事に気付き、俺は慌てて逃げ出そうとした。
「ーーきみ、僕の知り合いに似てるね」
ーー逃げ出そうとは、した。だが回り込まれてしまった上に腕を掴まれたぞこれアカンやばい死んだ。死んだ魚のような目が、じっと俺の顔を見つめていてめっちゃ怖い。
「ただの小学生なら、多分僕を見ただけで怯えたりはしないと思うけど。あの探偵くんの身内なら、彼から話を聞いて僕の事を知っている可能性はあるのかな?」
「……」
「まあ、近くのコンビニでたまたま指名手配犯のポスターを見ちゃっただけかも知れないね。……ねえ、どっちなのかな、法月二葉くん」
そもそもなんで指名手配されてる癖に変装もせず出歩いてるんだ、などと脳内で殺人怪盗に文句を言っていたら、フルネームを呼ばれて戦慄した。こいつ、確か漫画では最初に兄貴にトリックを見破られて以降は兄貴を敵視し、兄貴の周辺の情報を調べ上げてた描写があったっけ。それなら、『法月一真』の弟の名前程度は勿論調べているだろう。でも実際にそれを突き付けられたら恐ろし過ぎる。
震えながらそっと目をそらすと、掴まれた腕に込められる力がもっと強くなった。痛いし怖いし人気投票でこいつに投票した連中の頭を目覚めさせたい。お巡りさんこいつ殺人犯です!
ーーそれでも俺は、心のどこかで高をくくっていた。だって、前世の記憶によれば、『殺人怪盗』が『法月二葉』を殺すような話はなかった。そもそも、現在の俺のような子供が、推理漫画で殺される被害者になる展開はほぼない。ただしミステリアス双子は例外。だから多分俺は殺されはしない、筈、そうでありますようにと思いながら、殺人事件に巻き込まれた時並みに必死に『名探偵法月一真の事件簿』の記憶を掘り返している間に、前世のアニメでも聞いた事のある、有名声優の声そっくりの声が聞いた事のないようである台詞を発した。
「ーー丁度、探偵くんに見せたい、新しい人体消失マジックを思い付いたところだったんだ。きみには助手を頼もうか」
愉しそうな声が聞こえたのと同時に頭に衝撃を感じ、俺の意識は薄れていった。それと同時に、俺の脳裏に『田中次郎』のとある記憶が、今更ながら浮かんで来た。
ーー俺は、毎年夏に公開される劇場版アニメを観に行く程のファンではなかったから、『名探偵法月一真の事件簿』の劇場版は、テレビの地上波で放送されたものを見ていた。それは、前世の『田中次郎』が海水浴で死んだ年も同じで、その年に公開された劇場版を見る事なく俺は死んでしまった。でも、予告だけは見た覚えがある。確か、劇場版では久々に『殺人怪盗』が事件を起こすもので、予告で流れた冒頭のシーンでは『神代春人』が『法月二葉』を誘拐し、『二葉』を捜す『法月一真』と『井上早苗』の元へとあるパーティーへの招待状が届くというものだった。『劇場版ちょっとだけキレイな神代』じゃなく『普段の神代』だった、などと掲示板なんかでは書き込まれていて、とりあえず『法月二葉』は無事に救出されたらしかった、筈。
ーーつまり俺は死なないし、劇場版神代じゃない!
「劇場、版……神代……じゃない……!?」
混乱と恐怖の中で現実逃避に近い希望を見出だした俺は、思わず声に出していた。「劇場版……?」と不思議そうな声が聞こえると同時に身体が持ち上げられた感覚を覚え、俺はあっさり誘拐されたのだった。
ーー前世の記憶があっても、推理漫画の世界だと割りとどうにもならないし、犯罪者はやっぱり恐ろしい。
そして、推理漫画やミステリの世界への転生特典と言うべきものは、恐らく、『犯罪者と関わりが増えてミステリ的な意味で出番増加』なのだろう。だから、転生するならファンタジーな世界の方がある意味平和でおすすめなのではないか。推理漫画の主人公補正は有り難くない。絶対有り難くない。そんな世界の主人公の兄貴のメンタルの強さは凄まじいな。
見る事のなかった『劇場版』の事件を体験し終えて救出された俺が最初に思ったのは、そんな事だった。