半機械化頭脳は謳う
身も凍る寒さが吹き付ける冬の夜中。生命が活動するには適さないその時分になっても七名の人質を盾に高層ビルに立てこもる犯人に動きはなく、高層ビルを囲む警察隊の疲労はピークに達していた。何せ犯人が立てこもってかれこれ二十数時間になるのだ。警察の交渉に応じる様子を見せない犯人が世界的なロボット工学の権威者であるマーシネ博士でなければとっくに特殊部隊による突入作戦が行われていただろう。
「一体マーシネ博士は何を考えてるんですかねぇ。アンドロイドの待遇改善なんて受け入れられるわけがないってのに。第一、プログラムの範囲でしか感情表出ができないアンドロイドがそんなことを望んでいるとは思えないですよ」
特殊部隊の隊員である男が煙草の煙を寒気に乗せながら首を振った。アンドロイドの需要があらゆる分野で高まったのはマーシネ博士の研究によるところが大きい。アンドロイドは博士の研究によって現実的に実用可能になったと言い切ってしまっても良いくらいなのだ。だからこそこの立てこもり事件は、博士の要求は無視することができないものとなってしまっている。いくつかの人造人間至上主義団体や個人活動家が博士に呼応したとの情報も入ってきており、その影響は計り知れないだろう。
「そうだな。マーシネ博士は人間の脳を半機械化し、アンドロイドと同期することができる技術を開発していたと聞く。そしてその技術の第一被検体になったとも。博士がとち狂ってしまったのはそのせいかもな。72時間以内に国内に存在するアンドロイドの一斉点検と法律による定期点検の義務化、他にも稼働時間の制限や密輸から守るための国際法の制定などなど…全く、どれも夢想じみた要求だぜ」
煙草を銜えていた隊員の隣に立つ背の高い隊員は一度鼻を鳴らして高層ビルを睨んだ。突撃体勢すらとれないのは高層ビルの入り口で警察を監視する武装化した数体のアンドロイドのせいだ。入り口だけでなく博士の立てこもる23階や屋上にもアンドロイドの姿が確認されていて、高層ビル内に一歩でも入ると人質を殺害するという声明が送られている警察は侵入経路を確保できないでいる。アンドロイドたちは情報をリアルタイムで共有しているため、一部を無力化すればそれが他のアンドロイド全てに察知されてしまう。そのため極秘のうちに潜入することは極めて困難だと言えるだろう。
特殊部隊の装備と練度を考えると、アンドロイドを武力排除して博士の身柄を確保することは容易い。だが強行突入を行えば人命を第一とする世論や博士の考えに賛同する者たちが黙ってはいないだろう。博士の犯行声明はインターネットで配信されたため一般人に広く知れ渡っており、報道規制で情報の流出を抑えることも難しい。
人質を全員救出し、武装したアンドロイドを完全排除した上で博士を拘束する。求められている結果は次善でも最善でもない。一分の狂いもなき完全。煙草を携帯灰皿に押し付けた隊員は吸い殻を地面に投げ捨てて念入りに指先を動かし始めた。極秘回線を使って送られてきた特殊部隊隊長の指示は一斉突入。20分後に行われるその作戦を後押しする対アンドロイド兵器の使用許可がようやく政府から下りたとのことだった。
ノアは、人質と共に立てこもっている会議室の一番奥の席で机に体を預ける博士を一瞥した。博士が初めて開発したアンドロイドであるノアは、現在普及しているアンドロイドのプロトタイプと言える。中性的な造形の人造人間は警察を監視するアンドロイドたちと情報を共有し、動きがないことを確かめてから眼を閉じている博士の元へと近づいた。
しかしその時、ノアは会議室の外から人間の聴力では聞こえない小さな物音を捉えた。会議室の外を見張っているアンドロイドの駆動音と合致しないその物音に警戒レベルを上げ旋回する。瞬間、凄まじい閃光が会議室で炸裂した。視覚を奪われるほどの激しい光はしかし、人間である博士には効いたかもしれないが機械である人造人間には通用しない。赤外線サーモグラフィを搭載しているノアは、突入してきた特殊部隊の隊員に向けて正確に銃口を合わせた。
背の高い特殊部隊隊員は、僅かに遅かった、と圧縮された一瞬の中で感じていた。戦場における命の在処は刹那の機先にある。つまり隊員が死を覚悟しながらも銃口を敵に向けてトリガーを引いたのは防衛本能か、或いは体に刻みこまれた激しい修練によるものだった。
彼の放った銃声を皮切りに、突入した隊員たちがアンドロイドたちに向けて銃弾を発射する。その日常とはかけ離れた地獄のような場にあっても博士は眼を瞑じ口を噤んだまま机に体を預けていた。会議室に存在していたアンドロイドを全て破壊し終えた隊員の数名が、博士を拘束するために接近する。しかしそれでも博士は微動だにしない。仕方なく隊員の一人が博士に声をかけ、体を揺する。だが反応は返ってこない。
「おいおい……脈がないぞ!」
不審に思って脈を調べた隊員が呆然と口にした。外傷は全く見受けられない。けれどもマーシネ博士は間違いなく死亡しており、立てこもり事件は何とも言えないしこりを残したまま解決したのだった。
人質全員の救出成功とマーシネ博士の死亡、そして対アンドロイド用の新兵器の試験結果について報告を受けた閣僚たちは一斉に唸った。人質全員の救出成功とアンドロイドの情報共有機能を気付かれずに妨害する新兵器の試験結果は素晴らしい成果だが、ロボット工学の権威者であるマーシネ博士の死亡を考えるとその二つの成果の印象が薄れてしまう。マーシネ博士の死亡は特殊部隊の突入作戦と何ら関係はないのだが、余計な邪推をする者が現れないとも限らない。
「とにかく人質全員を死傷者なく救出したことを印象付けるべきでしょう。マーシネ博士の死亡について無駄な勘繰りを入れるマスコミもいるでしょうが、まぁ、民衆は冷めやすく忘れやすい生き物。数カ月もすれば彼らの興味は他のニュースに向けられるでしょう」
一人の閣僚の意見に他の者たちが同意する。そうしてこの事件の後処理についての方針を決めてから、とある閣僚がしゃがれた声で呟いた。
「それにしても…不思議な話だな。検死結果によると、マーシネ博士はこの事件が起こる三、四日前にはすでに死亡していたらしい。犯行声明の映像をあらかじめ用意することは出来るだろうが、博士の歩く姿が立てこもり事件が発生する直前に目撃されていることはどう説明すればいいのだ。目隠しをされてなければ人質から詳しい話を聞けたのだがな…」
「それについて先程興味深い報告が上がりました。博士の半機械化頭脳に何者かが電子的に侵入した形跡があるようなのです。断定は出来ないようですが、その何者かが博士の開発したアンドロイドのノアである可能性が高いと言うことです」
報告を聞いた閣僚たちがざわめく。その中の一人が堪え切れないように言葉を荒げた。
「とすると、機械が博士の体を乗っ取ったとでも言うのか?それが本当だとしたらこの立てこもり事件はアンドロイド達による人間への造反と言うことになるぞ!」
興奮しきった閣僚に対し手を上下させて見せた閣僚は、小馬鹿にしたような笑いを含んで口を開けた。
「まぁまぁ、落ち着いて下さい。プログラム通りに従う無知の知なきアンドロイドごときにそんなことが出来るとは思えません。残念ながらノアと言うアンドロイドは特殊部隊のウィルス弾を受けてプログラムと内蔵データを全ロストしているため解析することは出来ませんが、恐らく博士が自分の死後このような行動を取るようノアにプログラムしていたのでしょう」
「な、なるほど。それも…そうだな。しかし、何とも不気味だ。ノアと言うアンドロイドに電子的に侵入されていたとはいえ、半機械化された頭脳が死んだ肉体を動かすなんて可能なのかねぇ」
「考え過ぎは良くありませんよ。技術的な問題はその分野の専門家に任せるべきです。我々の仕事は、この事件を通して支持率が落ちることがないよう充分な対策を行うことなのですから」
うむ、と閣僚たちが頷く。しばらく後、会議はつつがなく終了するのだった。
とある居酒屋で二人の特殊部隊隊員がグラスを酌み交わしていた。背の高い隊員と、突入前に煙草を吸っていた隊員である。彼らは砂肝を齧りながら立てこもり事件について話し合っていた。
「先輩は気にし過ぎなんです。確かにアンドロイドには学習型の人工頭脳が搭載されていますけど、プログラムの檻を破ることは不可能です。アンドロイドが引き金を引くのを躊躇ったように見えたのはただの錯覚ですよ」
「躊躇ったんじゃない。怯えたように見えたんだよ」
「どっちにしろ同じ事ですよ。アンドロイドに感情なんてないんですから。そんなことよりもっと飲みましょう!まだ二杯しか飲んでないじゃないですか」
後輩が空っぽのグラスにビールを注ぐ。表面張力が頑張るまで注がれたそれを、先輩である背の高い隊員が一気に飲み干した。
「流石先輩!良い飲みっぷりっす。ささ、もっともっと」
再びビールが注がれる。金色の液体がグラスの半分ほどを満たしたところで先輩隊員は首を振った。
「アンドロイドと人間の違いって何だと思う?」
何を言っているんだ、と後輩隊員は思ったがグラスを揺らす先輩隊員の表情は真剣だった。だから後輩隊員も出来るだけ真剣味を滲ませて答える。
「肉体的に疲れたり精神的に苦痛を得たりするのが人間ですよ。でも最も顕著な違いは感情や思想の有無ですかね。アンドロイドにはそれらがなく、決められたプログラム通りにしか基本的には動けません」
「決められたプログラム通り。うん、確かにそうだろうな。でもそれは人間にも通ずる部分があるんじゃないか?ある個人の感情や思想は本当に己の内から発現したものなのだろうか。それらは文化を形成しているプログラムによって後天的に身に付けざるを得なかったものなんじゃないだろうか?」
「えっと…大丈夫ですか?まだ大して飲んでないと思うんですけど…」
後輩隊員の訝しげな視線に、熱弁を奮っていた先輩隊員は押し黙った。それからグラスを傾けビールで喉を潤してから再び喋り始める。
「変なことを言ってすまない。ただ、あのアンドロイドの俺を見る眼が人間以上に人間的だったんだ。俺を撃つことに、死と言う概念に葛藤し撃鉄を落すことを躊躇ったあの眼が。俺が、たかだがアンドロイドだと思って上からの指令通りに引き金を引いたその対象こそが、本当の人間だったんじゃないかと思えてならないんだ」
「…はぁ」
後輩隊員は何と返事をすれば良いのか分からず言葉を濁した。アンドロイドはアンドロイド。所詮は人間の科学力によって作られた人造人間だ。そのプログラムによって行動する存在にゆらぎなどない。後輩隊員はそう思いながら砂肝を口に含み、評判通りの味に満足を覚えるのだった。
読んでいただきありがとうございました。この作品にSFぽさをちょっとでも感じて頂ければ至上の喜びにございまする。