二人だけの秘密基地。 -We are replaced-
『秘密基地』をテーマに書き上げた短編小説です。
「秘密基地小説」と検索すれば簡単に見つかるかと思います。
みなさんの作品をどうぞお楽しみください。
私は今、机に向かっている。
何も夏休みの宿題が終わってないからとか、勉強が大好きなんですとか、夏休み明けの予習中ですとか言うわけじゃない。宿題はもうとっくの昔に終わらせているし、勉強はどちらかと言うと嫌いな方だ。
私は今、一枚のルーズリーフと向き合っていた。
何の変哲のない一枚の紙切れだ。別に絵を描くのが趣味だとか、私は手書きで執筆する小説作家だとか言うつもりもない。私が描く絵なんて幼稚園の子供が描いてるみたいなラクガキにしか見えないし、小説はあの文字の多さに目が痛くなってくる。きっと私は文系には向いていないんだろうなぁ。
私は今、一通の手紙を書こうとしていた。
もともと、そのために机に向かっているし、そのためにリーズリーフの紙を持っている。
宛先は河田くんにだ。
書きたい内容は決まっているんだけど、どうしても最初の言葉が出てこない。と言うよりは最初の一文が書き出せないでいる。
まぁ、早い話をするなら直接言えばいいことなんだけど、今の私にこのことを直接言う勇気はこれっぽっちもない。ただ、河田くんには、河田くんだけには教えてあげなきゃいけない、私から言わなければいけないような気がしていた。
そんなことを強く思うようになったのは、きっとこの前の二人で言い争ってたことがあったからだと思う。とにかく、このことを伝えないと駄目になっちゃうような予感めいたものがあったんだ。
けど、それでも直接言うにはやっぱり抵抗があって、こうして手紙を書くことにしたのがはじまりなのかな。
「あー、何書けばいいのかわかんないよー」
持っていたシャーペンを置いて、おもいっきり背伸びをする。
「あぁー。手紙って大変、面倒、疲れるぅー」
もう一時間くらいはこの調子でいると思った。
私は本当に文系には向いていないな、これじゃあね。
「ん、あ、そうか。わかった、わかった」
再びシャーペンを握り、再び机に向かい直す。
そうそう。変に堅そうな言葉を使おうって思うから無理なんだよ。ここは私の言葉で、そうだな、話し言葉みたいな感じで書いていけばいいんだ。なーんだ私って頭いいじゃない。やっぱり私って文系?あ、いや、それはないか。だって「ばら」とか「ぼたん」とか書けない漢字いっぱいあるもんね。
じゃなくて、手紙書かなきゃ手紙。
「書き出し、書き出しかぁ。うん、よし決めた」
――拝啓、河田くん。
突然ですが、河田くんには『秘密の基地』がありますか?
子供の頃の話をしようと思う。
もう十年以上前かな。私も、たぶん亜美も物心が着いて間もない頃の話。いや、そんなに古くないかもしれない。小学校の一年か二年生くらいの話だったかな。たぶん、私が覚えている限りで一番古い記憶。
あの頃の思い出で私が一番最初に思い出すのは必ず亜美の後姿だった。どうしてかはわからない。ただ、いつも何処にいても何をしていても思い出の中の私は亜美の後ろにいた、ような気がした。
「真美ちゃん」
「亜美ちゃん」
「あそこ行こうか?」
「うん、行く!」
互いに互いの名前で呼び合っていたあの頃、私達には二人だけの秘密基地みたいな場所と二人だけの遊びがあった。
「とっかえっこ?」
「うん、そう。二人の持ってるものをとっかえっこするの。それで一番最初にお母さんに見つかった方が負け」
「わかった、やる!」
「じゃあ、そうだ、ランドセル交換しよう?」
「うん!」
遊び方は本当に簡単。ただ二人の持ち物を交換して家に帰って、お母さんに最初にバレた方が負けって言うルール。負けたからといって罰ゲームがあるわけでもなく、勝ったからといって何か商品みたいなのが出るわけでもない。ただそれだけのゲーム。
けど、あの頃の私達にとってそのゲームはちょっとした冒険のようなものだった。ランドセルとか筆箱とかを交換して家に帰ったら、お母さんには悟られないように普通の顔をしながら自分達の部屋へ急ぐ。たまに見つかった時もあったけど、その度にお母さんは微笑みながら頭を撫でてくれた。
結局、二人にしてみれば交換したことが見つかっても見つからなくても正直言ってどっちでも良かったんだと思う。
そんなことより、ただ単にお母さんにかまって欲しかっただけだったんだと思う。
いつしか、そうやって交換して帰ることが当たり前になって、それはもう毎日のように何かを交換しては帰ってきていた。
気が付けば、通学路の途中にある神社の裏手が物を交換する場所になっていて、そこが二人にとっての「秘密の場所」となっていた。
「今日は何を交換する?」
「うーんとね、じゃあ今日は靴!」
「賛成!」
年を重ねるごとに交換するものが大きくなっていた気がした。
上着だとか、傘だとか、ハーモニカだとか、理科で作ったモーターカーだとか、エプロンだとか、給食の白衣だとか、髪留めだとか、名札だとか、まぁ、よく飽きもしないで続けていたなって思う。
本当に感心するくらい凄い。
思えば、もう中学生も二年生の頃になっていた。
桜の花びらがひらひらと散っている季節だった。
「ねぇねぇ、お姉ちゃん。今日はどうするの?」
学校は昼休み。
給食が終わって残りの時間をそれぞれが好きに過ごしている時間。とある教室の一角に二人の双子が向き合って座っていた。もちろん私達だ。
入学の時と二年生への進級の時、このどちらも二人が同じ教室だったと言うことはちょっとした奇跡かもしれない。
「亜美も好きだねぇ。じゃあ、どうしようか?」
「なになにぃ」
妹は体を左右に揺らしながら姉が答えるのを待っている。まるで子供そのものだ。親が用事を済ませるのを待っているような子供。姉のしっかりとした雰囲気とはまるで逆のよう。これで双子なのか?って聞き返しちゃうくらいかも、たぶん。
「よし、じゃあ今日は大胆に行ってみようか?」
「どう言うこと?」
「耳貸して」
「うん」
「えっとね、午後の授業なんだけど、誰にも言わないで席を交換しない?」
「あー、いいかも、それ」
「でしょう。で、どうするのやってみる?」
「賛成!」
そして私達二人は誰にも言わずに席を交換することにした。
先生はもちろん、周りの席の人にも言わない。それで午後を過ごしとおす。それはそれでなかなか危ないものではあった。だって双子とは言っても違う人なんだ。ただ他人じゃないだけで性格とか趣味とか、そういう細かいところは全く違ってくる。そこを踏まえた上で周りの人に合わせるのはかなり大変だった思い出がある。
まぁ、それでも見つかることなく午後の授業を過ごしきったんだけどね。
それが私の中学までの思い出。
夢と幸せに溢れていた頃の懐かしい思い出だった。
高校も二人で一緒の所に進学した。
と言っても近くの普通高校だから別に特別だったってこともない。この辺だと、だいたいの人がこの高校に来るらしくて、だから私達二人が同じ高校でもそれほど珍しいことじゃないんだって担任に言われたことがある。
けど、高校に入った途端にあの「とっかえっこ」遊びはやらなくなっていた。
理由は、よくわかんない。
たぶんだけど、いい年して「とっかえっこ」で遊ぶ高校生って言う印象が急に恥ずかしくなったからだと思う。
二人で話し合うこともなく、その「とっかえっこ」する遊びはまるで自然消滅でもしたかのように消えてなくなっていった。
いつしか二人の会話の中、言葉の中に「とっかえっこする?」って言う言葉が出てくることはなくなっていた。
「ねぇ、亜美?」
「ん?どうしたの?忘れ物でもしたの?」
「違うわよ。亜美に好きな人が出来たって本当なの?」
「わ、ちょ、な、何よ急にっ!脅かさないでったら」
「脅かしてないわよ。聞いただけじゃない」
それからしばらく経った頃、たぶん一年生の秋だったと思う。
私達双子にちょっとした事件が起きた。
「で?誰なのよ、教えなさいって」
「言うわけないでしょ。絶対に教えてあげません」
亜美に好きな人が出来たって言う噂が流れた。こう言う噂は伝わるのが早くて、二、三日でクラス全員に知れ渡ってしまったらしい。
そのお相手は、河田誠次くん。
河田くんも亜美のことを意識していたみたいで、つまりは最初から両思いだったっていうことなんだけど、程なくして付き合い始めていた。
それから双子の生活は少しずつ変わり始めることになる。
それまで一緒に帰っていたはずなのに、亜美は河田くんと帰るために姉を蹴った。休みの日もそうだ。亜美が家に居ない日が一気に増えていた。
そんな少しずつ動き出そうとする新しい生活が半年くらい続いていく。
高校二年生、初夏。
ちょっとした思い付きで、あの「とっかえっこ」遊びが蘇ってきた。
理由は簡単。私がつまらなかっただけなんだと思う。いっつも隣にいたはずの亜美がいないことにちょっとだけ腹を立てたんだと思う。
「ねぇ、本当にするの?」
「するよ。だって亜美だけずるいじゃん」
「何よ、それ。逆恨みってやつ?」
「いいからいいから。はい髪留めも交換して」
「もう、よくないってばぁ」
神社の裏手。
あの小学生だった頃の私達がよく遊んでいた場所。誰も知らない二人だけの場所。二人だけの秘密の場所。そう、そこは二人にとっての秘密基地だったんだ。
「よーし、お着替え終了!」
「もう、おねえちゃ――…」
「ぶーっ!違うでしょ?今の私はお姉ちゃんじゃありませんよ、お姉ちゃん?」
「ううぅ。じゃあ気をつけてね、あ、あ、亜美」
「うん!行ってきまーす」
「はぁ。おねぇ、じゃなくて亜美の馬鹿」
私達は昔みたいに「とっかえっこ」遊びをした。そして亜美になったお姉ちゃんは機嫌良さそうに河田くんとの待ち合わせ場所へと向かっていった。
けど、お姉ちゃんは河田くんに逢うことが出来なかった。
そして帰ってくることも――
ひき逃げだったんだそうだ。それも信号無視。
車体に弾かれた小さな体は八メートル以上も飛ばされて地面に落ちたらしい。医者の人から聞いたら、お姉ちゃんはまだ生きていたそうだ。車に轢かれても、遠くに飛ばされても、地面に叩きつけられても、それでもお姉ちゃんはまだ生きていたらしい。
きっと痛かったに違いない。
想像なんて出来ない痛みだったんだ、きっと。
あー、駄目。もうこれ以上話せそうにない。自分が事故に遭ったわけでもないのに物凄く息苦しい。痛いはずなんてないのに、体が痛い痛いって訴えてる。
もう嫌だ。逃げたい。
でも、これだけ。一つだけ言わなきゃいけないことがある。
私は大きな過ちを犯してしまった。
私はお母さんが来たとき本当のことを言えなかった。私が亜美で、亜美がお姉ちゃんなんだってことを伝えることが出来なかった。だって、もう冷たいお姉ちゃんを前にして「亜美、亜美」って言いながら泣いているお母さんに「私が亜美だよ」なんて言えるわけがない。
ただ、これ以上お母さんに辛い思いをさせたくなくて、そう思って私は口を閉じた。
それから、私は真美になってしまった。
そう、私は嘘をついたんだ。
お母さんに。
河田くんに。
周りの人みんなに。
そして私は嘘をついたまま、真美と「とっかえっこ」遊びをしたまま、誰にも真実を話すことなく一年を過ごし始める。
「はぁー、なんか手紙書きながら思い出しちゃったなぁ」
何か良さそうな思い付きがあったはずなんだけど、結局手紙の内容の方はほとんど進んでなんていない。
書き出しの部分は何とかなったんだけど、肝心の内容が何て書けばいいのかわからない。素直に書いたらきっと混乱するだろうし、かといって長すぎても意味わかんなくて疲れるだけだろうし。
あー、どうすればいいのよ、本当に。
それよりも、昔のことを思い出しちゃっている今の私に手紙が書けるかどうかが一番の心配でもあるんだけど。
「あー、やっぱり無理だ」
誰に言われるでもなく、誰に望まれるでもなく、誰のためでもなく、ただ一滴の雫がルーズリーフの紙に落ちた。
それは私の瞳から、静かに、ゆっくりと、音を立てずに落ちていった。
もう泣かないと決めたはずなのに、そう誓ったはずなのに、そんなことを決心した自分自身を忘れて私は泣きじゃくった。
それでも今度は紙には落ちないようにと必死で堪えながら。
拝啓、河田くん。
突然ですが、河田くんには『秘密の基地』がありますか?
私達にはありました。と言っても基地って言うほど立派じゃなくて、ただ勝手にそうしただけなんですけど。でも確かにありました。
一つ言い忘れてました。突然、手紙を出してごめんなさい。たぶん、おどろいていると思います。でも、おどろかないでください。
今日はどうしても河田くんに言いたいことがあって、でも直接は言えなくて、それで手紙を書くことにしました。ごめんなさい。
さっきの話にもどりますが、私達の秘密基地は神社の裏手です。私達はそこでよく遊んでいました。そこで「とっかえっこ」をして帰っていました。
それで、あの日も「とっかえっこ」をしたんです。
私とお姉ちゃんを「とっかえっこ」したんです。
だから私は真美じゃなくて、亜美なんです。死んじゃったのはお姉ちゃんなんです。
たぶん、めちゃくちゃな手紙で混乱するかもしれませんが本当です。
信じてくださいとは言いません。ただ、河田くんには本当のことを知っていてもらいたくて、もう誰にも嘘なんかつきたくないんです。
ごめんなさい。
それと、ありがとう。
私、嬉しかったです。この前、家に来てくれてお話してくれて。本当に嬉しかったです。
ごめんなさい、何を書いていのかわかりません。
もう書くのやめます。
ごめんなさい、さっきから何を書いてるのかわかんないです。
今、また泣いちゃいました。
本当にこれで書くのやめます。
河田くん、ありがとう。
本当にごめんなさい。
敬具
八月二十一日 菊池亜美。
秘密基地。
それは私だけの場所。
私自身が落ち着ける、唯一の場所。
私達の、私達だけの、もう一つの居場所。
それ以外にも言い方はたくさんあると思う。プライベートルームだとかマイルームだとか個室だとか、それは人それぞれきっと数多くある筈。
でも私の場合、ううん違う私じゃない、私達の場合だ。その私達二人にとってあの場所は本当に秘密の基地だった。
プライベートルームとかそんな言葉とは違う、私達には確かにあったんだ。
二人だけの秘密基地が――