No.91:side・mako「古き城壁の上で」
「……もう、目、開けていい?」
「とりあえずは、よいと思うであります」
サンシターの言葉を信じ、あたしは目をカッと見開いた。
場所は王都を覆う巨大な城壁の上。結界を補助する光輝石がある場所……らしい。
ここに来るまであたしは目を瞑って、サンシターに手を引かれてここまでやってきた。
今日は迷惑をかけ通しね、サンシター……。あとで何か奢らないと……。
「害獣が怖いというのであれば、王城でお待ちいただければ……」
「いや、さすがにあたしだけ何もしないのは、居心地が悪すぎるんで……」
ここまで案内してくれたオーゼさんの言葉に、あたしはハハハと誤魔化すように笑い声を上げた。
まあ、確かにオーゼさんのいうとおり、無理して光輝石の様子を見に来るよりは、王城の中でフィーネを手伝うほうが……あの生き物に会う確率も低いだろう。
でも、王城においてあたしができることはほとんどない。結界の基点となる魔法陣に異常が見られない以上、それ以外の原因を探る必要があるわけなんだけど……。
そうなると、こうして光輝石の様子を見るか、あとは手当たり次第に魔導書を調べるかになる。光輝石はともかく、魔導書を調べるとなると、単にひとり読み手が増えるだけなうえ、魔術言語の研究に関して、あたしはこの世界の魔導師に比べて圧倒的に知識が不足している。そうなると、フィーネの足手まといにこそなれ、手伝いにはならない……。
だったらこうして、結界補助を担う魔法陣の方の様子を見に来る方が利に適っていると考えたのだ。
……ホント、戦うことでくらいしか役に立たない能力ねこれ。
「……にしても、この城壁結構大きいですよね」
ハァとため息を吐いたあたしは、陰鬱な思考を切り替えるため、今自分の足元にある城壁を眺めた。
王都すべてを覆い尽くす巨大な城壁は、津波にでも備えたのかというくらいの大きさを誇っていた。
軽く五十メルトほどか。厚さもかなりのものだ。少なくとも、あたしとサンシター、それにオーゼさんが並んでも余裕があるほどだ。
積み上げられた石に、長い年月を経た風格が見て取れる。おそらく、アメリア王国建国当時にでも作られたんだろう。
城壁の目的は、基本的に驚異的存在からの防御。
「こんな大きな城壁があるってことは、この国に昔、魔王軍以外の侵略者でもやってきたんですか?」
今のこの国に、侵略者としてやってきた魔王軍以上の脅威はいないだろう。
そう考えて口にしたあたしの疑問に、オーゼさんはしばし沈黙し、首を横に振った。
「いえ。特別そういった記録は残されてはおりませんな」
「……なんで?」
思わずオーゼさんに向かって首をかしげる。
「何故とおっしゃられても……。建国の際の記録を記した書物にも、この王都を建設する際に建てられたとしか……」
「いや、おかしいですよ。なら、こんなバカでかい城壁、建てる意味がないじゃないですか!」
思わず感情的に捲し立てるあたし。
だって、王都の周辺や建国当時に驚異的な存在がいなければ、こんな城壁は不要だ。
これだけの高さや厚さに城壁を積み立てるのも大変だし、何より大量の建材が必要となる。
それを確保するための山や岩場は王都の周辺に存在しない。それらを運ぶためのルートとなる河川も存在しない。
そうなると、一体全体どうやってこの城壁を建てたっていうのよ……。
「……そのことに関しては、グリモも疑問に思っていましたな……」
「グリモ?」
「先代の宮廷魔導師の名です」
突然激昂したあたしの姿を、なぜか懐かしそうに見つめながら、オーゼさんが城壁を撫でた。
「……グリモは、晩年こそはフィーネやジョージ、あるいはギルベルトをはじめとする優秀な魔導師たちに囲まれおとなしくしておりましたが、若い頃などそれはそれは奔放だったものです」
昔を懐かしむように、オーゼさんは城壁の方角を示すように建てられた監視塔らしきものの方を見つめた。
あたしもそれを追って監視塔の方を見る。
石造りの塔は質実剛健を示したような作りで、無駄な装飾は見られない。確かフィーネが、結界を補助する魔法陣は塔の中にあるって言ってたから、あの中に光輝石もあるはずね。
「私やグリモの若い頃は、まだ害獣も少ないながら姿を見ましたからな……。グリモも、あれの姿を苦手としており、魔導師団に入ってまず行ったことが害獣駆除結界の強化だったのです」
「マコ様、しっかりするでありますよ?」
オーゼさんの思い出話をうっかり想像して気絶しかけるあたしをサンシターが抱えてくれる。
しかし、入団して即やったことが結界の強化かぁ……。
先代、グッジョブ。
「……それで、その、グリモ様は何故この城壁の存在を気にかけていたでありますか?」
気絶してフラフラのあたしに変わって、サンシターが質問してくれた。
その質問に、オーゼ様が蓄えた髭をゆっくりと撫でる。
「元々の性分、というのもあったのでしょう。とにもかくにも好奇心が旺盛でしたからな……。誰も疑問に思わないようなことに対してでも、ほんのわずかに違和感を感じれば徹底的に調べずにはいられない性質でしたよ」
「そ、そうですか……」
何とか頭を振って、忌まわしい想像を追い出しながらあたしは頷いた。
図らず先代の宮廷魔導師のことを知ることになったけど……。
そのことを聞いて少しだけ疑問が持ち上がる。
上辺だけ聞いただけだが、グリモとかいう魔導師は自分が気に入らないことに対して徹底的に調べなきゃすまない性格の様だ。
なら……フィーネを宮廷魔導師に指名したことに疑問は抱かなかったのだろうか?
もちろん極度の親馬鹿っていうなら特におかしいことじゃないかもしれないけど……。
「なんだお前さんら。いったい、こんなところに何しに来たんだ?」
「おお、ギルベルト! 久しぶりではないか」
「オーゼ殿も、息災なようでなにより」
あたしが思考に没しかける寸前、馴染みの声が聞こえてきた。
顔を上げると、普段は穴倉ともいえる自分の研究室から出ようとしないギルベルトさんが、眩しそうに太陽を見上げながらこちらに近づいてきていた。
あたしは思わず目を見開いて叫び声を上げる。
「ちょ、ギルベルトさんが外に出るとか、天変地異の前触れ!?」
「某の普段の行動は自覚しているが、そこまで驚かれる云われはないぞ!?」
あ、一応自覚はしてるんだ。
だって、初めて会ったあの日から、ほとんど外に出ている姿みたことないし……。
と、あたしの隣を通り過ぎたオーゼさんが、慈しむような眼差しをギルベルトさんに向けた。
「だがギルベルト。お前はほとんど外に出んからな……。まだ若いというのに、そんなことではいかんぞ?」
「あーあー、わかっているとも。たまには出るさ、たまには」
慈愛に満ちたオーゼさんの言葉は、さすがのギルベルトさんにも応えるらしい。耳を両手でふさぎながら、視線をどこかへとそらした。
しかしさっきオーゼさんの思い出話にもちらりと名前が出てきたけれど……。光輝石を見つけたって実績は、やっぱり大きいのね。
ま、それはおいといて。
あたしはオーゼさんの後ろから顔を出し、ギルベルトさんに問いかけた。
「……で、ギルベルトさん。どうしてここに?」
「結界に異常が出たのではないか、とお嬢に言われてな。結界補助のための魔方陣と、それを強化するためにセットしておいた光輝石に異常が出ていないか確認に来たのだ」
オーゼさんがお説教モードに入りかけていたこともあり、話題逸らしのような感じのあたしの言葉にギルベルトさんはすぐに乗ってくる。
「光輝石となれば、某の領分であるからな! 定期的にチェックはしているが、ネズ――」
「あー! あー!!」
不意に、ギルベルトさんの口から忌まわしい名前が出かける。
が、それはサンシターの突然の大声にかき消されて、聞こえなくなった。
サンシターの声にびっくりしたギルベルトさんは、一瞬体を跳ねてから、煩わしそうにサンシターの方を見る。
「……なんだいきなり?」
「ギルベルト殿! ちょっとお耳をよろしいでありますか!?」
「マコ様、お加減は?」
「な、なんとか……」
サンシターがギルベルトさんに事情説明してくれている間、あたしはオーゼさんに背中をゆっくり撫でてもらった。
し、心臓が止まりかけた……。自分でも思うけど、過剰反応し過ぎよねあたし……。
「――というわけなので、できればその名前は出さないでほしいであります」
「……なんだかな。嬢ちゃんも、女の子ってわけか」
サンシターの説明を聞き終えたギルベルトさんが、なんだか呆れたような眼差しであたしの方を見る。
言いようのない羞恥を感じて、あたしは顔を赤くしてしまう。くっそぅ。
「……まあ、ともあれ。いないはずの生き物が王都に出たってんで、光輝石の異常かもしれんからな。そうなれば、すぐにでも交換せにゃならん」
あたしの様子に構わず、ギルベルトさんは説明を続ける。
とりあえず一回二回と深呼吸して気持ちを切り替え、あたしはギルベルトさんに尋ねた。
「それで、結果は?」
「結論から言えば、結界補助の魔方陣にも光輝石にも異常はみられんかったよ」
お手上げ、というようにギルベルトさんは首を横に振り、空を見上げた。
「こうして結界を見る限りでも、歪みは確認できない。少なくとも……まあ、奴の発生原因は別のところにあるんじゃないか?」
「そ、そうね……」
奴の言葉に顔を蒼くしつつ、あたしはギルベルトさんに倣って空を見上げる。
こうして見ている限りはただの青天井だけど……。
「霊視」
専用の呪文を唱えることで、さらにもう一枚、半透明な天井が現れる。
この呪文は、こうした結界を看破したり、埋め込まれた魔術言語を見破るためのものだ。
あたしが使うと、視界にちらちら魔術言語が映るんでうっとうしいんだけど……。まあ、ともかく、空に移る半透明の結界に、歪みのようなものは見られなかった。
地面に対する接地面を探して、ゆっくり視線を下ろすと、監視塔の向こう側へと降りていく。
城壁から少し身を乗り出して、さらに視線を下ろすと、城壁に沿うように地面へと降りたっていった。
ここから見る限りでも、ひび割れているとかのようなわかりやすい異常は見られない。
「……ここ以外の結界にも異常はないんですか?」
「ないな。全部確認したが、どこか一部にでも異常があれば、全体に影響を及ぼすのが結界だ。こうして正常に動いている限りは、異常はないってことだろう」
「そうですね……」
そもそも魔方陣を形成する円が歪むだけでも効果が変わるんだ。異常があれば一発で分かる。
でも、そうなると……。
「……れ、れいの、い、いきも、もももも……」
「マコ様落ち着いて!」
「そんな無理して思考をまとめようとせんでも」
何とか言葉を紡ごうとして揺れるあたしの身体を、サンシターが抱き留めてくれる。
うう……。呆れたようなギルベルトさんの視線が痛い……!
「問題は、結界の異常もなく、なぜ害獣が王都にいるか、ですな」
「……はいそうです……」
代わりに口にしてくれたオーゼさんの、ダメな孫を見るような生暖かい視線が苦しい……!
「結界が効果を発揮している以上、あれは王都の中には入ってこれないでありますよねぇ……」
「あくまで自主的にはな。結界は、奴の意識をそらすだけだ。誰かが持ち込んだなら、話は違うが……」
「いったい誰がそんな恐ろしいことするっていうんですか!? 鬼! 悪魔!」
「少なくとも某じゃないから落ち着け!」
あれを誰かが持ち込んだですって!? ふざけんじゃないわよ! いったい何の得があってそんなことするのよ!?
もしそんなことする奴がいるってんなら、このあたしが塵となるまで焼き尽くしてくれる……!
「いつになく嬢ちゃんが燃えてんな……」
「マコ様、そこまでこのアメリア王国のことを……」
「いえ、オーゼ様。マコ様は義憤で燃えているのとは違うでありますよ……?」
後ろで何か言っている男の人たちを背景に、あたしは誰とも知れないバカ野郎に対する怒りを燃やしていた。
絶対ゆるさねぇんだから……!
復讐に燃える真子ちゃん! でもまあ、まずは目の前の現実片付けてくだされ。
しかし古い歴史のある城壁とかって、ロマンがありますよねー……。もとは戦争のために建てられたものだとしても。
まあ、それはそれとして、礼美ちゃんたちはネズミを発見できたのかしら? 以下次回ー。