No.90:side・mako「出来れば逃げたい、この現実」
「……ハッ!?」
「気が付いたでありますか?」
気が付くと、あたしはいつの間にか自分の部屋に戻ってきていた。
そして枕元にはほっとした顔のサンシター。
……ホワイ?
「……えっと……」
とりあえず体を起こす。
特別どこかが痛むわけじゃないし、頭痛がするとかそういうわけでもない。
なんで気絶してたのかしら……?
「マコ様。果物はいかがでありますか? 旬の果物を今むくでありますよ」
サンシターはそういって、チェストの上に載っているかごの中から瑞々しい果物を取って、ナイフで器用にむき始めた。
なんというかこう、いつも通りのはずなのに、いやに優しい感じがするというか……。
「ねえサンシター?」
「はいでありますよ?」
呼ばわって振り向く笑顔のサンシター。
とりあえず笑顔を向けつつ、あたしはその頬っぺたを容赦なく抓り上げた。
「いたたたたたた!!??」
「何かあったのか今すぐいう」
「わ、わかったであります!?」
シャキッと敬礼を取ったサンシター。
あたしはそんな彼の姿に満足し、ほっぺたから手を離してやる。
赤くなった頬を涙目でさすりつつ、サンシターはつぶやいた。
「……でも、後悔しないでありますね?」
「後悔? なんのことよ?」
サンシターの言葉に首を傾げるあたし。
そんなあたしを見て、サンシターは小さくため息を吐いた。
「ではお訊ねするでありますが……気絶する前に何をしていたか、覚えているでありますか?」
「気絶する前? えーっと……」
言われて記憶を手繰る。
今日は確か……朝起きて食堂でフィーネに会って、元気がないのを指摘されて、空元気代わりに頭をくしゃくしゃにしてやって……。
あれ? そこから先、何があったんだっけか?
必死に首をひねって思い出そうとする。
あれ? あれ? 確か……誰かに呼ばれ……? あれ、なによこれ。割と真剣に怖いんだけど。
どうしても、フィーネにあった後の記憶が思い出せないあたしを見かねてか、サンシターが話してくれる。
「マコ様。マコ様は、いつも通り錬金研究室で武器の図案を書いているところを呼び出されたでありますよ」
「え? そうなの?」
と、口では言うが、サンシターに指摘されて思い出す。
そうだそうだ。銃器案が暗礁に乗り上げちゃったから、仕方なく別の武器を作ってみようととりあえず書き溜めた図案引っ張っていろいろ思案してたんだった。
騎士団の連中が使うのだから、竿状武器がいいのかなって思って考えて……。
で、誰が呼びに……?
「呼びに行ったのは、メイド長さんであります」
「ああ、そっか。言われてみれば、錬金研究室に来るの、フィーネかメイド長さんくらいよね」
そもそも魔導師団の半分くらいが、ギルベルトさんのことないものとして扱ってるし。
「で、呼び出されたのがー……」
「会議室でありますね」
サンシターの言葉に、ようやく気絶する前の行動が記憶によみがえってくる。
そうそう、メイド長さんに呼ばれて会議室までいって、ハンターズギルドの使いとか言う女に自己紹介されてー……。
そこまで思い出して、首をかしげる。
「何があったんだっけ?」
「ギルドから依頼されたでありますよ」
サンシターは一拍置いて、ようやく本題に触れる。
「内容は第一級害獣の捜索及び駆除であります」
「だいいっきゅー……」
その名に嫌な予感がする。毛穴が開き、冷や汗がわけもわからず噴出してくる。
不吉な名。それいじょうはいけない……!
しかしわかっていても、あたしにはどうにもできない。体が動かない。サンシターがその名を口にするのを、ただ黙って聞いていることしかできない……!
「早い話がネズ」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??」
あたしはその忌まわしき名がサンシターの口から飛び出す前に、その顔面に枕を叩きつけて、頭から布団をかぶって耳をふさぐ。
聞こえない聞こえない聞こえない聞こえない!
あたしにはなーんにもきこえなーい!
「……というわけでありますよ、マコ様」
「そうね! なにもなかった! そうよね!?」
サンシターの声に、あたしは布団をかぶったまま顔だけ出すというなんかよくわからない化け物みたいなスタイルで振り向く。
けど、サンシターはすべてをあきらめたような、それでいて「覚悟を決めなさい。OK?」と言いたげな表情であたしを見下ろしていた。
「マコ様がいくら否定なさろうとも、ギルドからの依頼はあったでありますよ?」
「なーんもなかった! なーんにもないのよ! アハハハハハハハ!!!」
バサァ!と布団を巻き上げサンシターの頭にかぶせ、あたしは狂ったようにくるくる回る。とにかく回る。遠心力でバターになる勢いで回りまくる。
なーんにもない! なーんにもないのよ! 世界はハッピーなのよぉ!
「マコ様落ち着いてほしいでありますよー」
「わぷっ」
と、顔面に今度はサンシターが投げてきた枕がぶつかって思わず倒れる。
ふかふかお布団のおかげで、もふんと怪我もなく倒れるけど、あたしの顏は青かった。
サンシターの、何の感情も含まれていない冷静な声に、現実を思い知らされたからだ……。
あたしは涙目のまま枕を抱きしめ、ゆっくりと体を起こし上げた。
「……ねえ、サンシター?」
「はいでありますよ?」
相変わらず果物を器用に向くサンシターに、あたしは小声で聞いてみた。
「……この部屋に引きこもっていい?」
「いいのではないでありますか?」
「え」
思わず涙目も引っ込むくらい、あっさり許可が下りてしまった。
え、いいの? それでいいの?
愕然としてサンシターを見つめると、苦笑した彼はお皿の上に切り分けた果物を乗せた。
「今回の依頼は、あくまで騎士団への物であります。魔導師団や、ましてや勇者であるマコ様はこの件に関わる理由がないでありますよ」
「……でも、光太と礼美は協力してるんでしょう?」
「はいであります。でも……」
あたしの前に、うさぎさんみたいに切られた果物を差し出しつつ、サンシターは優しく諭すようにこう言ってくれた。
「無理をして協力して、マコ様が傷ついては元も子もないであります。出来ることと出来ないこと、この区別はつけるべきでありますよ」
「………」
サンシターの言葉に、あたしはうつむく。
出来ることと、出来ないこと……か……。
あたしは果物を一つ手に取り、しゃくっと齧る。
ひんやりと冷たい果物の汁が、口内を満たし、そして喉を滑り降りていく。
……うん。少しだけ、頭が冷えた。
あたしは決意を固め、サンシターの顔をまっすぐに見つめた。
「……サンシター」
「はいであります」
「ごめん、ちょっと付き合ってもらっていい?」
「もちろんでありますよ」
あたしの言葉を聞いて、サンシターはかすかに微笑んでくれた。
そうしてサンシターを伴ってあたしがやってきたのは魔導師団詰め所。
あの忌まわしき、この世の冒涜ともいうべき生き物が王都に発生したということは、間違いなくそいつらを退けるための結界に何らかの異常が現れたということだ。
あたしには、あの生き物と相対して正気を保っていられるほどの精神力はない。アレに対するあたしのSAN値はゼロよ。
でも、結界構造に関わることであるなら、多少なり手伝えるはずだ。
ちなみにサンシターは、あたしが正気を失った時のためのストッパーを頼んだ。どこかで名前が出ようもんなら、即気絶できる自信があるわ。
「変な自信は固めないでほしいでありますよ」
「うっさい」
呆れたようなサンシターの言葉に、顔を赤くしつつ、あたしは詰め所の扉を潜り抜けた。
「おーい! 先代様が残した結界構造を書いた魔導書はどこだっけか!?」
「ひょっとしたら、光輝石異常が出たのかもしれんぞ! ちょっとだれか行って来い!」
「結界発動のための、魔術言語が削れたりはしないの!?」
中は戦場、と呼んでも差し支えない騒ぎだった。
たくさんの魔導師が、詰所の中を右往左往し、あちらでは魔導書を開き、こちらでは魔術言語を確認するための道具を確認し、あるいは光輝石の交換のために、倉庫の中からかなり大きな光輝石を持ち出したりしている。
予想通りの騒ぎね……。さて、誰に話を聞こうか……。
「お!? マコさんじゃねーか!?」
と、あたしの姿を認めた一人の魔導師……|ネコ耳萌えの変態《ケモナー小隊のフォルカ》が立ち止ってくれた。
たくさんの魔導書を抱えたまま、あたしの方に首だけを向けてくれた。
「大丈夫かい!? なんかぶっ倒れたって聞いたけど!?」
「ああ、うん。一応平気。ところで……」
下手に例の生き物の話題を出される前に、あたしは口早にできることがないか尋ねる。
「なにか、あたしにできることってないかしら? もしあったら、手伝いたいんだけど……」
「なら、ちょっと結界の中心に行ってフィーネちゃんの手伝いしてやってくんねぇかな!? 俺ら、この通り資料漁るんで忙しいからよ!」
フォルカはそれだけ言うと、またあわただしく駆けだした。
どうやら本気で忙しいらしい。まあ、王都を守護する結界に異常となれば、こうなるのも仕方ないわよね……。
あたしはフォルカの言われるままに、結界の中心に向かうことにした。
場所は、あたしたちがこの世界に一番初めにやってきた、あの召喚魔法陣……その真下だ。
どうやらあの辺りが、王都にとって中心にあたる場所らしく、結構重要な結界の基点が複数存在するらしい、と以前フィーネに聞いたことがあったのだ。
サンシターを引き連れつつ、心当たりの場所へと向かってみると、小さな魔方陣の周りに人がたむろしているのが見えた。
光源がないせいで、かなり薄暗いが、ぼんやり光っている魔法陣のおかげで歩くこと自体には苦労しない。
「フィーネ、いるー?」
声を掛けつつ近寄ると、魔法陣に屈みこんでいた小さな影が、ビクンと体を跳ね上げたのが見えた。
その影は、慌てたように振り返ると魔法陣が見えないように精一杯身体を広げた。
「ま、マコ!? どうしてここに!?」
「どうしてもなにも、手伝いに来たからだけど」
若干涙目なフィーネに問われ、あたしは首をかしげた。
妙に慌ててるわね。何があったのかしら。
「おお、マコ様、ちょうど良い所に」
「あ、オーゼさん」
鷹揚な感じのする嗄れ声に振り返ると、そこには白髪の神官長の姿があった。
「フィーネ。この際だ、マコ様にも見ていただいてはどうだ?」
「だ、だけど……」
オーゼさんの言葉に、フィーネは躊躇う様にあたしと魔法陣を見比べる。
? ホントどうしたのかしら?
「……ここまで歩いてきたんなら、元気なんじゃねーの? なら気にすることねーだろ」
「その声は……ジョージ? あんたいたの?」
「いたら悪いのかよ……」
久しく聞いていなかった小生意気な声に、あたしは首をまたかしげた。
なんか妙に元気がないわね? なんかあったのかしら?
まあ、それは良いか。とりあえず、オーゼさんの勧めもあることだし……。
「ちょっと失礼するわねー」
「だ、ダメ!? 無理しちゃだめだよ、マコ!?」
あたしはフィーネの肩に手を置いてその体を横にどけようとするけれど、フィーネは何とか踏ん張って、あたしを前に進ませようとしない。
ふむ……。どうやらあたしが倒れたのをどこからか聞きつけて、無理をしないように気を使ってくれているらしい。
地が出るほどに慌てているところを見ていると、良心がシクシク痛むけど勘弁ね?
「地が出てるわよ、フィーネ。サンシターもいるから気をつけなさい?」
「ふえ!? さ、サンシターさんが!?」
「はい、ここにいるでありますよ?」
あたしの後ろで片手を上げるサンシターの姿に、フィーネが顔を真っ赤にする。
その隙にあたしはフィーネの横を抜け、結界の基点となっている魔法陣の魔術言語を読む。
「……んー?」
そして首をかしげた。
結界に異常が出ているかもしれないと聞いて、てっきり魔術言語の方にも異常が出てるもんだと思ったんだけど……。
「見る限り、構成それ自体に異常は出てないわよ?」
「マコ様の目からも、そう見えますか……」
オーゼさんが残念そうにつぶやいた。
「フィーネもそういっているし、原因はここではないか……」
「フィーネの奴、小一時間、魔法陣とにらめっこしてたじゃねーか。それで異常がみつかんねーならここじゃねーってことだろ?」
「そうねぇ……」
魔法陣の大きさは、決して大きいものじゃない。その中に納まっている魔術言語も、数こそはかなりのものだが、決して見間違いを起こすような大きさじゃない。
そもそも、物に刻んだ魔術言語は物理的に削ったりしない限り歪むことはない。こうして、石畳に刻まれているならなおさらだ。この上を頻繁に歩くか、天変地異が起こって王城が傾かない限り、魔術言語に異常が起きる方が異常だ。
「この場所への出入りって、そう滅多にないですよね?」
「もちろん。万人にとって無縁の場所ですし。魔導師や神官たちとて訪れることはありません」
やっぱりね。
となると、原因は……。
「結界を補助してる光輝石……かしらねぇ……」
あたしはそのことを口にして、これから来る未来を思って顔を蒼くする。
確か結界補助のための光輝石って……城を護る城壁にあるのよねぇ……。
引き籠るつもりが、いきなりのアウトドアです。真子ちゃんがんばれー。
まあ、よほど運がない限りはネズミに遭遇したりはしませんし、もし遭遇してもサンシターという名のブレーカーも存在しますし、何とかなるなる。
それでは以下次回ー。