No.80:side・ryuzi「黒曜の大馬」
俺はカレンとともに、件の馬が出るというポイントへと向かっていた。
森の中は案外複雑で、土地勘がないものが入れば間違いなく一時間とかからずに迷うだろう。っていうか実際一回迷いかけたし。前に一人で入ったら、危うく遭難するところだったし。
それ以来、必ず俺は誰かと一緒に森の中へ入ることにしている。よくここを狩場としているカレン曰く、慣れれば大したことはないとのことだが、いつ入っても慣れられる気がしねぇ……。毎日入ってねぇからか?
「にしても、どういうことだい?」
「さあなぁ」
馬が出る場所まであと少しというところで、カレンが疑問を口にした。
どういうこと、とは、以前魔王軍が出たポイントに凶暴な馬がいるという話だ。
単純につなげて考えるなら、まだ魔王軍の誰かが残っているということだろうが……。
「あそこ結構な広場だったからな。どっかの凶暴な生き物が住処にしても、特別不思議じゃねぇだろ?」
「にしても馬だよ?」
「だよなぁ……」
カレンの言葉に、俺は首を傾げる。
今回のギルドの依頼は、馬の調査である。
事前に人が派遣されている以上、馬であることに間違いはないだろう。
問題は、噛みついて人の腕の骨をへし折るほど凶暴であるという点であるわけだ。
……ふつう、馬って草食だから、野生でもそんなに凶暴じゃねぇよな?
確かにシカが人を襲ったなんて話も聞かなくもないけど、角で突くわけで……。
「ッと、そろそろだよ、リュウ」
「ん」
いつの間にか、もう広場の目前まで来ていたらしい。
カレンの合図と同時に、俺は姿勢と息をひそめる。
そのまま音を立てぬようにそっと広場の方を伺った。
依然来た時と変わらずに、広々とした草原が広がっている。
前来た時との相違点を上げるとすれば、中央を占領していたキッコウちゃんが不在であるということ。
そして、その代わりに黒い体毛を称えた巨大な馬が居座っているということだろうか。
「あれが……」
「例の凶暴な馬かい……」
俺と同じように息をひそめながら、カレンは弓に矢をつがえる。
こちらに対して背を向けているため、何をしているのかはいまいちわからない。
今は、草を食んでいるように見えるのだが、その体が巨大すぎるせいで、何を食んでいるのかはいまいち……あ、いや……。
よく見れば、馬の顏がある辺りの草は赤く染まり、その口元が動いているあたりに何やら毛皮のようなものが見え隠れしている。
さらに、隠しようもないほどの血の匂いが、風に乗ってこちらにまで届いてきた。
「あいつ……肉を喰ってるのか……?」
「マジかよ……」
うげー、とカレンが舌を出す。ああいう、野生の動物の肉食シーンとかが苦手なんだとか。
耳を澄ませば、かすかにではあるが、ぐちゅりぐちゅりという、生々しい音までも聞こえてくる……。おそらくカレンには聞こえてねぇだろうけど。
ええっと、体高だっけ……。ともあれ、立った状態でも二メルトを超えそうな巨体だ。胴回りなんか電柱をはるかに上回るだろうし、後ろ脚の筋肉に至っちゃ、俺の胴体より太そうだ。
肉を喰うのも納得の大きさってとこだが……それにしたって馬だ。
たてがみから体毛まで全部真っ黒であるが、節々の特徴は馬そのもの。そんな生き物が、でかいってだけで肉を喰うようになるのかね……?
だがまあ、そう言うのを考えるのは俺の仕事じゃねぇな。
「カレン、悪いが……」
「あいよ……」
俺の言葉に、カレンが弓につがえた矢を少しずつ引き絞っていく。
今回用意したのは、対巨獣用の麻酔薬をしこたま塗り付けた特性の矢だ。
捕縛するにしろ狩猟するにしろ、この手の道具は有効に使うべきだろう。
カレンが弓の狙いを馬に絞る。
そして徐々に徐々に弓の弦を引き絞り、矢に力をためていく。
弦が引き絞られるたび、小さく弓の死なる音が――。
―………―
瞬間、目の前の馬の耳がピクリと動く。
そしてゆっくりと、こちらの方を振り向いた。
とても草食動物とは思えない鋭い眼差しだ。
「げ、気づきやがったか?」
「マジで!?」
こちらを振り向いた馬の存在にカレンが焦るが、弓はぶれずに引き絞られていく。隠す必要がなくなったためか、絞られるスピードが上がる。
馬がゆっくりと顔を上げ、こちらに身体を向けた。
先ほどまで食事をしていた口元は、真っ赤に染まっている。間違いなく肉喰ってたなこいつ……。
馬はこちらを睨みつけると、二、三回地面をその蹄で削る。やる気満々だなオイ。
だが、馬が突撃しようとするより、カレンが弓を解き放つ方が早い。
「シッ!」
鋭い呼気とともにひときわ大きくしなった弓から、矢が解き放たれる。
風切り音とともに飛翔する矢は、その先端から麻酔薬を垂らしながらまっすぐに馬へと向かい。
草を擦るような耳障りな音ともに、馬に横に避けられてしまった。
「イイッ!?」
馬が横に向けて回避行動を取るという奇行に、カレンが思わずといった様子で目を剥いた。
そんなカレンを嘲るように、馬は天に向かって嘶きを上げた。
―ブルルァァアアアアアアアア!!!!―
腹に響くド低音だ。とても馬の鳴き声とは思えねぇな……。
嘶きとともに振り上げていた両前脚を、そのまま勢いよく地面に向かって振り下ろす。
地面が砕ける轟音と共に、巨体が着地する振動がこちらにまで伝わってきた。
「う、うわ!?」
その馬の声にビビったのか、あるいは振動のせいか、カレンの体勢が崩れる。
同時に、馬が地面を蹴り飛ばす音が聞こえた。
その巨体に似合わぬ速度だ。カレンが体勢を直すのも、回避するのも間に合わねぇ!
「!」
俺は急いでカレンの腰を抱き寄せ、馬の背中を飛び越えるように回避する。
俺たちの下を馬が通り抜け、危なげなく着地するのと同時に、背後から木に馬が衝突する轟音が響き渡る。
振り返ると、馬自身の横幅よりも太い幹を持った巨木が芯から真っ二つになっていた。
あれだけの木があの馬の高速頭突き喰らってあれかよ……。
「カレン、作戦変更!」
「お、おう!」
素早くカレンを放り出し、俺は左手に持っていた石剣を改めて右手に構え直す。
初撃に失敗した以上、正面からやりあうしかねぇ。とはいえ、長くやりあうつもりもない。
例の麻酔薬はまだ残ってる。うち一発でも入れば、こっちが優位になるだろう。
カレンが最良のポジションを取るまで、俺が馬の気を引く作戦だ。
カレンがそそくさと森の中へ消えるのを待っていたわけではないだろうが、馬がゆっくりとこちらを振り向いた。
正面から見ると、威圧的な見た目してんなこいつ……。なんつうか……黒○号?
そんな世紀末覇者が跨っていそうな馬は、再び嘶くとこちらに向かって突撃してきた。
だが、先ほどよりも遅い。歯を剥いてこちらに向かってくる。
馬の首の射程に入った途端、馬が首をしならせ俺に噛みついてくる。
「ほっ!」
耳元でガチィ!と鋭い音を響かせる馬の顔面を横目で捕らえながら、俺は素早く横へと転がる。
低い体勢は若干まずいが、時間がかせげりゃいいんだ。無理にやり合うことも……。
と思った矢先。返す刀で首をしならせた馬の歯が、俺の左足を捉えた。
「だぉあっ!?」
思ってたより動きがはえぇし! まさか噛まれるとは思わんかった!
思わずビビって石剣を取り落す俺。だが馬は容赦なく俺の身体を振り上げる。
そしてそのまま勢いよく地面に叩きつけた!
「ぐぉ!?」
凄まじい轟音が、背中から響き渡る。
間違いなく地面の中にめり込む俺。きっしょう、背骨が折れたら治るんかね俺は!?
「だっ、くそがぁ!」
―!?―
地面にめり込んだまま、俺は残された右足で馬の側頭部に蹴りを叩きこむ。
確かな手ごたえとともに、馬が口を開き左足が解放された。
俺は急いで両肘を叩きこんで地面から体を起こし上げ、バックステップで馬と距離を取った。
そして噛まれた足を確認すると、涎と血で汚れた袴が目に入った。
「だー! くそが! 足がヨダレでべたべたじゃねぇか……」
思わず目の前の馬をそのままに、左足を抱えるように足の裏を持った。
だが、汚れの原因は涎だけではない。馬に噛まれた場所から血が溢れている。
血自体はすぐに止まったが、汚れの大半は俺の血か……。
っていうか血が出るってどんな力だよ……。
俺はげんなりしつつ、顔を上げて馬を睨みつける。
相対した馬は、こちらの方を訝しむように見つめていた。
少しイラッとした俺は、中指をおったてながら睨み返してやる。
「なに変な生き物見る目で見てんだテメェ」
―……フン―
俺の声に反応するように、馬が鼻息を鳴らした。まるで俺のことを小馬鹿にするようなそれに、イラッとするより疑問を覚えた。
「なんだこいつ……?」
まるでこちらの言葉を理解しているかのような行動に、違和感を覚える。
馬って、そこまで利口な生き物だったか……?
だが、その疑問に対して答えを得るより早く、馬が勢いよく嘶きを上げる。
―ばるるるるるぅぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!―
「っと!」
その威圧感に、思わずたたらを踏みかける。
同時に振りあげられる両前脚。それが勢いよく地面に叩きつけられた瞬間、何かを弾く音とともに、俺と馬の間に一本の矢が突き刺さった。
「なっ!?」
さほど離れていない木陰からこちらを狙っていたらしいカレンの驚愕した声が聞こえてくる。
どうやら、無事に位置取りが取れたので、隙を狙って矢を放ってくれたらしいが……。
無残に弾き返されてしまったのか? っていうかどうやって?
いぶかしむ俺を置いたまま、馬がぐるりと視線をまわしてカレンの居場所を見つける。
俺から見て、右前の方。馬からすれば左後方。その木の上にカレンは身を縮ませるように腰かけていた。
馬とカレンの目が合う。
「ひっ……!?」
馬の威容に圧されたのか、カレンが怯えたような悲鳴を上げる。
その怯えを敏感に感じ取り、馬がカレンへと向かって一直線に駆けていった。
それを追うように、俺も駆け出す。カレンが必ず逃げ切れるとは思えねぇしな……!
「う、うわっ!?」
カレンが慌てて逃げようとするが、間に合わない!
「んなくそがぁ!」
吠えて俺は地面を砕く勢いで飛び上がる。馬が跳躍する寸前、カレンの身体を抱きしめ、その場から脱出する。
「きゃっ!?」
―ばるぁぁぁぁぁぁ!!―
カレンの小さな悲鳴と、馬の嘶きが同時に聞こえ、飛び立った木の枝が粉みじんに噛み砕かれるのが見えた。
「ヒュー、あぶねぇ」
「あ、ありがと……」
思わず額から汗を流す俺の耳に、カレンの礼が聞こえてくるが、今はそれにかまってやれるだけの余裕がない。
何しろ、馬の表情が先ほどと明らかに変わってきたからだ。
―………―
身体をぐるりとめぐらせた馬はまっすぐに俺を睨みつける。
先ほどまでの、こちらを馬鹿にする気配は消えうせ、こちらを完全に敵とみなしたらしく、圧倒的な敵意が叩きつけられる。
俺は、カレンの身体をすぐそばに木陰に下ろし、ゆっくりと広場の方へと歩いて行った。
「りゅ、リュウ!」
止めようとするカレンの手が空しく俺の袖を掴み損ねる。
俺は振り返ることはせず、ただ馬の方を睨みつけたまま広場の中央へと進む。
馬も、もうカレンのことなど眼中にないとでも言うように俺だけをまっすぐに睨みつける。
……やる気満々じゃねぇか。上等。
「――カレン! もう手を出すなよ? 何度も助けられる気がしねぇからな!」
「え!?」
俺の言葉に、カレンがショックを受けたような声を上げる。
「ちょ、リュウ! 予定が違うじゃないか!?」
「前提が狂っちまったからな!」
馬から目を離さぬままに、俺は取り落した石剣を拾い直す。
そして肩に担ぎあげ、ニヤリと顔に笑みを作る。
「ただの馬狩りのつもりが、こんな化け物が相手だ! 予定どころの話じゃねぇさ!」
「リュウ……!」
不安そうなカレンの声が聞こえてくる。
俺は彼女の不安を吹き飛ばすように、なるたけ愉快そうな声色を上げた。
「そんな声上げんな! ここんとこ、活きのいい獲物がいなかったんだ! 久しぶりに楽しませてもらうさ……!」
―……ヒヒッ!―
俺の言葉に呼応するように、馬も笑顔のようなものを浮かべた。
………そういや、元々笑顔ってのは攻撃的なものなんだっけか。
「こうして牙を見せ合うわけだからなぁ……!」
互いに笑顔を……牙を見せ合いながら、俺と馬が相対する。
俺のそんな姿を見て、カレンが息を呑むのが、いやに大きな音になって聞こえてきた。
そんなわけで、隆司君久しぶりのマジモードです。たぶん、ヴァルト戦以来。え? ソフィア戦? あれもマジです。ベクトルが全く違いますが。
さてはて、肉食な馬が出てきたわけですが、こんなバカげた生き物に抗するすべが、今の隆司にはあるや否や?
次回へ続く!