Last Number.「大団円!」
春。日本において、その季節は始まりの季節とされる。
若葉が芽吹き、冬眠を終えた動物たちが活動を再開し、一巡した季節に喜びの声を上げる。
そして人間にとっては、新たな生活の始まりを予感させる季節でもある。
「よっ……と」
とある街角の、とある通り。小さな喫茶店の前で、一人の男が店の前に看板を置く。
色つきのホワイトボードにはカラフルな字体で“祝☆開店!”と書かれ、どのようなメニューがこの喫茶店にあるのか簡単に書かれていた。
通りを訪れる人々に、そのホワイトボードをよく見てもらえるようにしっかりと固定し、男は少し離れて具合を確かめる。
「……うん、良し」
ホワイトボードの具合に納得したのか、男は一つ頷き、視線を上にあげる。
そこには看板が取り付けられ、“アメリア・キングダム”と鮮やかな書体で記されていた。
「……長かったなぁ」
感慨深そうに男が呟くと同時に、店の扉が開き、中から一人の女性が現れた。
「光太君。お店の準備、終わったよ」
「あ、礼美ちゃん! ありがとう、お疲れ様」
光太と呼ばれた男は、礼美と呼んだ女性にそう言って、その両肩を優しく抱いた。
「でも、あんまり無理はしないでね? もう、お腹だって目立ってきてるし」
「えへへ……そうだね」
光太の言うとおり、礼美のお腹はわずかに膨れ上がっていた。
礼美の顔や全身の肉付を見れば誰もが、彼女のお腹の中に新しい命が宿っていると確信できるだろう。
身重な自身を慮ってくれる光太に、礼美は穏やかな笑顔を向ける。
「でも、ようやく夢の始まりに立てたんだよ? 少しくらい、はしゃいでもきっとこの子も許してくれるよ」
「僕はそういうことを言ってるんじゃ……もう」
「えへへ」
礼美の言葉に呆れたようにため息をつく光太。
礼美はそんな光太の様子を見て、申し訳なさそうに苦笑を浮かべる。
呆れ顔の光太もそんな礼美の表情を見て、すぐに笑顔を浮かべて見せた。
「でも……そうだね。あれから、十年……。ようやく、隆司や真子に笑われない程度には、自分の夢を固めることができたんだもんね」
「うん……ようやく、だね……」
光太の言葉に、愛おしそうに礼美は自らの中に身ごもった子を撫でながら、空を見上げた。
突き抜けるような青空。その向こうにいるであろう親友を見つめるように。
……かつて、光太と礼美が異世界を救うために奮闘してから、すでに十年が経つ。
二人の帰還と、その親友たちの未帰還は、彼らの周囲をわずかに賑やかせた程度で、風化していった。
もっとも、親友の家族たちにとっては心穏やかならざる出来事だ。自身の子が、兄弟が、二度と戻らない……。それは、ただ残酷な事実にしかなりえなかった。
死んだというのであれば、あるいはあきらめもついた。だが、戻らないし戻れない。その事実が、親友の家族たちの心情をかき乱した。
光太も礼美も、ただその事実を伝えることしかできなかった。それ以上、できることはなかった。ただそれだけでも、胸が張り裂けそうであった。
最も親しかった親友の家族たちに、その悲しい事実を伝えなければならなかったのが、二人にとっての最大に試練であった。
そんな二人を前へと振り向かせたのは、一人の父親の言葉だった。
「まあ、なんだぁ。惚れた女を逃がすなっていったのは俺だしなぁ……。お前らは、気にせず今まで通りでいろよ。こっちの事は、琴場さんちも含めて、俺がなんとかしとくからぁよ」
辰之宮隆司の父親は、そう言って彼らを許し、その帰還を素直に喜んでくれた。
大抵のものが眉唾どころか虚言であると断じる二人の話を真っ先に信じ、受け入れ、そして周囲への説得へと回ってくれた。
彼の存在がなければ、二人の夢の始まりは、もっと遅れていたことだろう。
光太と礼美は、そんな彼に、そしてあの地に残った親友たちの恥にならぬように、一心に夢へと向かって歩み始めた。
高校の卒業と、調理師としての勉強。レストラン等での、実地訓練。そして、生まれ故郷での開店のための、下準備。
十年かけて行われたそれらはついに実を結び、今日という日に花開く。
その途中で、礼美の性が櫻野へと変わったり、さらに礼美のお腹にもう一人支えるべき家族が増えたりしたが、その辺りはご愛嬌というべきだろう。
店の名前に、かつて過ごした異世界の国の名を冠し、二人の夢はようやくスタートへと立つことができたのであった。
「……いろいろあったね」
「……うん」
十年の間にあったことを思いだし、感慨深く二人は頷く。
そんな二人の耳に、軽やかな足音が聞こえてきた。
「あー! あったあった! おじいちゃんの言ってた通り! ほら、こっちこっち!」
「そんなに急がずとも、お店は逃げませんよ……。はしたないから、スカートで跳ねないでください」
聞こえてきた声に、二人が振り返ると、ショートヘアの利発そうな少女が、後ろを向いてこちらへと歩いてくるもう一人の少女へと呼びかけているところだった。
どちらも、まだ年若い。十代半ばか後半くらいか。
呼びかける少女は膝上のスカートに白いブラウス。髪の毛は肩ほどで切りそろえられている。ちらりと見える表情は、勝ち気そうだが何より嬉しそうに見える。
そんな少女に呼び掛けられる少女は、鼻にかかるほど髪の毛が長く、生まれてから一度も髪の毛を切っていないのではないかと思うほどだ。こちらはジーンズに薄手のジャケットを羽織っている。
元気よく飛び跳ねるブラウスの少女は、ジャケットの少女を呼びながら、光太と礼美のすぐそばまで駈け寄った。
「すいません! もう、お店やってますか!?」
「おバカ。今何時だと思ってるの。まだ開いてるわけないでしょうに……」
追いついてきたジャケットの少女が、ブラウスの少女の後ろ頭をはたき、深々と頭を下げた。
「すいません……。今日、このお店が開店だって聞いてはいたんですけれど、すぐに行くって言って聞かなくて……」
「えー。どうせなら、お店の一番客になりたいじゃない! 文字通りの意味で!」
「だからってこんな早く来てもお店の人に迷惑でしょう、おバカ」
「ちょ、バカって言わないでよ!?」
「おバカはおバカでしょ。ばーかばーか」
「むきぃー! また言ったぁ!!」
にぎやかに二人で言い合いを始める少女たちを前に、光太と礼美は顔を見合わせ小さく吹き出した。
そんな二人を見て、少女たちが不思議そうな顔になる。
ブラウスの少女が、小さく首をかしげて尋ねた。
「? どうしたんですか?」
「ああ、いや、ごめんね?」
光太は微かに目じりに浮かんだ涙を払いながら、懐かしそうな眼差しで少女たちを見つめる。
その瞳に浮かんでいたのは、在りし日の憧憬。
そこにはもういない、別の誰かを見る眼差しだった。
「……昔の知り合いに、二人がそっくりでね」
「へー」
「……フフ。まあ、それはともかく、だ。ようこそ、アメリア・キングダムへ! 君たちが、当喫茶店の第一号のお客様たちだよ!」
「え!? いいんですかぁ!?」
「あの、ご迷惑じゃ」
「フフ、いいんですよー。お店の準備は、もうできてるんですからね?」
「やったぁ!」
「はぁ……」
光太と礼美がそろって肯定すると、ブラウスの少女が飛び跳ねて、ジャケットの少女が困惑する。
時刻は現在午前八時前後。喫茶店の開店には、いささか早すぎるだろう。
だが、二人はそんなことは一切かまわず、店の扉を開ける。
「さあ、どうぞ。お客様」
「わぁ! ありがとうございます!」
「いや、あの。ホント、正式な開店時間にお邪魔し直しますよ?」
「いいのいいの、さあさあ」
ブラウスの少女は意気揚々と。ジャケットの少女は、困惑したまま礼美に押されて店の中へと入る。
「わぁ……!」
中に一歩入ったブラウスの少女が、歓声を上げる。
そこまで広いとは言えない店内には、ピカピカに磨き上げられた調度品たちが、やってくる客を待っている。
真新しい店内独特の匂いと雰囲気に包まれた店内は、やや不可思議な印象を受けるインテリアだった。
洋風か和風か、と問われれば洋風なのだろうが、どの洋にも属さない……まるで、文字通り別世界に迷い込んだような、そんな印象を見る者に与える。
それに気が付いたブラウスの少女が、テーブルや椅子の意匠を観察しながら、礼美に問いかけた。
「なんていうか……不思議な意匠ですね」
「うん……昔、行ったことのある国にあった意匠を、再現してもらったの」
礼美は遠い目をしながら、そう告げ、ジャケットの少女の肩を押しながら、厨房へと回っていく。
カウンターの裏へと回った光太は、コーヒーカップを準備しながら、ジャケットの少女に笑いかけた。
「みんな、オーダーメイドでね。それなりにかかったけれど、満足のいく出来になったよ」
「すごーい!」
「やめなさい、おバカ」
カウンター席の椅子の上に乗り、くるくる回転するブラウスの少女の頭を、ジャケットの少女は遠慮なく張り倒した。
少女たちの様子に苦笑しながら、光太は用意したカップにコーヒーを注いでいく。
「さて、注文を取る前に……開店記念だ。コーヒーをどうぞ」
「ありがとうございます!」
「すいません……」
少女たちは口々に礼を言いながら、カップに口をつけた。
ブラウスの少女は、淹れ立てのコーヒーだというのに、一気飲み。ジャケットの少女は覚ましながら、ゆっくりと啜っていく。
カップの中のコーヒーを飲み干したブラウスの少女は、勢いよくカップを光太に突きだした。
「おいしい! もう一杯!」
「次からは有料です」
「がーん」
「当たり前でしょう」
にこやかに返され、ショックを受けたようによろめく少女を笑顔で見つめつつ、光太は手元にあったメニューを広げて見せた。
「さて。ご注文はいかがです? お嬢様がた」
「えーっと……じゃあこのジャンボアイスパフェひとつください!!」
「あんた朝っぱらから……じゃあ、あたしはこのショートケーキを一つ」
「了解! じゃあ、少しだけ待っててね」
飲み物を飲み干したブラウスの少女のためにお冷を用意してやり、光太は礼美の待つ厨房へと回る。
カウンターからの注文の声は聞こえていたのか、すでに礼美はケーキをワンホールだし、適切な大きさに切っているところだった。
光太は、戸棚にしまってあった大きなグラスを取出し、その中にパフェの素材を持っていく。
と、待っている間暇なのか、ブラウスの少女の大きな声が聞こえてきた。
「あのー! お店の人って、お二人だけなんですかー!?」
「いやー? 時間になったら、厨房専門の人も来てくれることになってるよー! 時間によっては、バイトの子も来るし!」
「そーなんだー!」
必要な素材を二人で盛り、スプーンとフォークを用意し、一緒に持っていく。
カウンターまで戻ると、後ろ頭を叩かれでもしたか、カウンター席に突っ伏したブラウスの少女と平手を振り切ったジャケットの少女の姿が見える。
そんな二人の前に、それぞれの注文の品を用意した。
「はい。ジャンボアイスパフェとショートケーキ」
「わぁい! もぐむぐ、おいしー!」
「相変わらず復活早いわね……そして食べるのも早すぎ。ありがとうございます」
前にパフェが置かれた瞬間復活し、パフェをがっつき始めるブラウスの少女に後れを取りながらも、ジャケットの少女はショートケーキを頬張る。
クリームの甘みにか、その顔がほころんだ。
「どうかな? うちの奥さんの自信作なんだけど」
「はい、とてもおいしいです」
奥さん、の一言に反応したのかブラウスの少女がパフェから顔を上げる。
「あ、やっぱりお二人は結婚してたんですねー! じゃあ、お子さんはー?」
礼美はその質問に、お腹を撫でながらゆっくりと答えた。
「この子が初めて、かな」
「おおー! ここから子供が生まれるのねー」
「何を当たり前のことを……。というより、お腹が目立ってきてるのに、働いていいんですか?」
礼美のお腹を撫でるブラウスの少女を呆れたような眼差しで見やりながら、ジャケットの少女が問いかける。
そんな少女に、光太は肩を竦める。
「僕も言ってるんだけどね……できるだけ、お店に立つって言って、聞かないんだ。君からも、何か言ってあげてくれない?」
「だってこのお店、ずっと私の夢だったんだもん! 光太君だけに独占させないもん!」
「これだもんなぁ」
おどけたように、あるいはむくれたようにいい放つ礼美の様子にやれやれといった感じで、ジャケットの少女に助けを求める光太。
そんな二人を見つめて、ジャケットの少女はゆっくりと目を細めた。
隠しようもない、憧憬がその眼差しには込められ、不意にこぼれたため息が、彼女の感情の強さを十二分に教えてくれる。
「仲がよろしいんですね」
「なんていうか、羨ましいですー」
「フフ、ありがとう。でも、大丈夫だよ」
二人の少女の羨望を込めた言葉に、礼美は穏やかな笑顔を浮かべる。
いつか二人の少女にもやってくるであろう幸せを見つめるように、彼女ははっきりと口にした。
「あなたたちにも、きっと現れてくれる……。私にとっての、光太君のような……心の底から、離したくないと思えるような、大切な人が」
「ほへー。想像つかないですー」
「……あたしも」
少女たちは顔を見合わせ、そういって、自ら注文したメニューの最後の一かけらを口にした。
「ごちそうさまー!」
「ごちそうさまです。とても、おいしかったです」
「よかった。そう言ってもらえると、これからの自信が付くよ」
光太は二人の少女の言葉に笑顔を浮かべる。
少女たちは立ち上がり、互いに財布を取り出した。
「それじゃあ、お会計を」
「もう? もう少し、ゆっくりしていってもいいんだよ?」
「いいえー。わがまま聞いてもらって、さらに長居まではできませんよー」
「そう? じゃあ――」
ブラウスの少女は笑顔で答える。
礼美は少しだけ残念そうだったが、レジまでまわり、少女たちから御代をいただいた。
「ほんと、おいしかったです! きっと、また来ますね!」
「いつになるかはわからないですけれど、また、来ます」
「うん、いつでもおいで」
「それじゃあ、ありがとうございました」
笑顔で礼を言い、店の外へと歩いていく少女たち。
……不意に、彼女たちは光太と礼美へと振り返った。
「――あ、そうそう。忘れてました」
いたずらっぽい笑みを浮かべて、少女たちはその名を口にした。
「――私の名前は辰之宮ラミレスって言います!」
「そして私が、琴場ウェリアです。母様や、隆司おじさまが、よろしくと言っていましたよ」
「「………え?」」
少女たちの言葉に、光太と礼美は一瞬呆け。
扉が閉まる際になる、ドアベルの音で我に返った。
「き、君たち! ちょっと待って!!」
光太は素早くカウンターを乗り越え、店の外へと飛び出す。
荒々しく開いた扉の向こうには、もう誰の姿もなかった。
「ハァ……ハァ……!」
僅かの間荒々しく息を吐いていたが、しばらくして笑みを浮かべて、扉に背中を預ける。
「ハ、ハハ……ひどいや、二人とも……不意打ちにもほどがある……」
「本当だね……」
僅かにさびしそうな、けれど確かにうれしそうな笑みを浮かべながら、座り込んだ光太のすぐそばに礼美がやってくる。
自身のお腹を撫でながら、礼美は空を見上げる。
「この子の事、きちんと紹介してあげたいのに」
「ハハ、まったくだよ」
光太は顔を手のひらで覆い、くつくつと笑い声をあげる。
「でも……また会えるかもしれないんだ。その時に、目一杯文句を言ってやるよ」
「うん、そうだね……」
二人は笑って、空を見上げる。
その空の向こうの親友たちの意地の悪い笑顔を見つめるように。
先ほどまでは、幻想を見つめるようだった二人はそこにいない。
今の二人は、確信を持って空を見上げる。
その向こうにいる、あの二人の意地の悪い笑みを見つめるように……。
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石造りの西洋風な部屋の中に、三人の男女と一人の少女が思い思いに過ごしていた。
「グオー……グゴー……」
来客用らしいソファの上に体を横たえ、顔の上に開いた本を載せた男はぐっすりと眠っている。
来ている衣服は、着物のような様相で、その頭には耳の後ろ辺りからまっすぐの角が生えていた。
その上には、藍色の長い髪をした少女が気持ちよさそうに体を横たえていた。男の心臓の音を聞くように瞳を閉じ、心臓の位置に耳をつけていた。少女の額にも、まっすぐの円錐形の角が生えている。
男が息をするたびに、その小さな体も上下する。
そんな二人の様子を見て、テーブルについていた二人のうち、緩やかなローブ状の衣服をまとった女性が呆れたような声を上げた。
「よくあんな態勢で眠れるわね……」
「フフ。ウィンディの最近のお気に入りは、隆司の体の上らしくてな。ああしないと、よく眠れないらしいんだ」
それを受け、クルリとまいたような角を生やした女性が小さな微笑みを浮かべた。
慈愛を含んだ瞳で二人を見つめる、そんな女性をローブ姿の女性は呆れたような眼差しで見やる。
「いや、そういうこっちゃないんだけど……ん?」
ローブ姿の女性が、何かに気が付いたように部屋の出入り口の方に顔を向ける。
「帰ってきたみたいねー」
「ん? もうか? ついさっき行ったばかりだろう?」
「だから、どっちかの世界にお邪魔してる場合、時間が止まってる扱いになるってわかってるでしょうに」
二人の女性の会話を聞き、男の胸の上で瞳を閉じていた少女がピクリと動いた。
やがて、部屋へとパタパタという足音が近づいてきて、扉を勢いよく開けた。
「お母さん! ただい――」
次の瞬間、今まで眠っていた男を踏み台にして、少女が勢いよく立ち上がり部屋へと入ってきた少女……辰之宮ラミレスへと勢いよく頭突きをかます。
「ま、ッボアッ!?」
「ただいま帰りました、母様」
「うん、お帰りウェリア」
そのまま部屋の外へとフェードアウトしていくラミレスと入れ替わりで、琴場ウェリアが部屋の中へと入ってくる。
母様と呼ばれた女性……琴場真子はローブの裾を払ってなおしながら立ち上がり、娘へと近づいて行った。
同様に立ち上がった巻角の女性……辰之宮ソフィアはドアを開け、その向こうで倒れたラミレスと、その上に跨ってフンスフンスと鼻を鳴らしているウィンディへと声をかけた。
「ほら、二人とも。部屋に入りなさい」
「はい、お母さん」
「オッフ、ゴッフ! お、お母さん……私の心配は……?」
母の言葉に、ウィンディは素直に母の元へと駆け出し、ラミレスはウィンディに喰らったスーパー頭突きのダメージを擦って和らげながら立ち上がる。
そんな彼女に笑顔を向けるソフィア。
「“一番客はお姉ちゃんのもの!”って言って、無理やり今日向こうへと出かけたのはどこの誰だったかな?」
「………ハイ、スイマセンデシタ」
笑顔の向こうにうすら寒いものを感じ、ラミレスは素直に妹へと謝った。
ウィンディはラミレスの謝罪を受け、ムフーと鼻息荒く胸を逸らしたが、それで一応満足したのか、姉の元へと駆けてその体に抱き着いた。
「……ん、許す。ごめんね、お姉ちゃん」
「うう、お姉ちゃんこそごめんね……。わがまま言って無理言って……」
ウィンディの言葉に、今更罪悪感を刺激されたのか、ウィンディの頭を抱きしめ、そっと撫でる。
と、ラミレスは何かに気が付いたように顔を上げた。
「……あれ。そういえば、ヴァルトは?」
「ああ、あの子なら、そろそろ打ち上がってくるんじゃないか?」
「打ち上が……?」
「こんの、バカ王子がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
次の瞬間、激しい打撃音とともに、廊下の外の窓に一人の青年の姿が映った。
口から血を吐きながらもなぜか幸せそうな顔をした青年は、そのまま地面へと落下。
グシャァ!と痛々しい音を立てながら、地面に落着したのが窺えた。
ちなみに、彼女たちがいるのは三階に相当する高さの場所である。
そんな光景を見てしまったラミレスは、どこか遠くを見る眼差しで、自身の母を見た。
「……さてと。お父さんにも報告しないとね」
「うむ」
母子ともども、外で吹っ飛んでいた青年の事は見なかったことにして、部屋の中へと入っていった。
三人が部屋へと入ると、ちょうどソファで寝ていた男が体を起こしたところだった。
「くぁ……。おう、ラミレス、お帰り」
「ただいまお父さん。はい、お土産」
起き上がった父……辰之宮隆司に、ラミレスは分厚い紙の束を手渡した。
凄まじい厚さである。ざっと十センチほどだろうか。
よく見れば、その紙の束は、全て便箋で構成されていることがわかるだろう。
隆司はその束の表面に熨斗のように「隆司へ」と達筆に書かれているのを見て、ラミレスを見上げる。
「……これは?」
「おばあちゃんから。また厚くなったねー」
「マジでなー……。俺が顔を出せるだけの理論がまだ確立できてねぇからなー……」
隆司は乾いた笑い声をあげながら、手に持った分厚い紙束をめくっていく。
内容は、ごく普通の手紙だ。しかし便箋にみっちりと文字が書かれているのを見て、さらにため息をついた。
「あとでお返事かかにゃぁなぁ……。まあ、それはともかく」
隆司は手紙をソファの上に放り出し、ラミレスとウェリアを見やる。
「――で、どんな感じだった?」
「向こうの経過時間は十年のままでした。転移自体は、安定していると思います」
「あと、礼美さん、ついにご懐妊だよ! でもまだ一人目なんだってー」
子供たちの報告に、隆司たちは軽く唸り声をあげた。
「十年か……。こっちは、十七年経ってるわけだが、これって時間の流れに1.7倍の差があるってことでいいのか?」
「そこまで単純じゃないんじゃない? こっちが向こうより早く時間が流れるのは確かっぽいけど」
「それより、十年で子供一人は少なすぎないか……? もはや礼美、何かの病気なのだろうか……?」
「「いや、それは向こうの世界では一般的だから」」
「そうなのか……」
思い思いに、娘たちの時空転移に関する感想を口にする三人。
……向こうの世界とこちらの世界の、完全なる時空転移。
それが、ここ十数年の間、隆司たちが取り組んでいた命題であった。
確かに、自分たちは源理の力を得、人の流れから外れ、この世界へと根を下ろした。
だがしかし、郷愁の想いが全くないわけではない。それに、あの二人のその後も大いに気になった。
そこで、魔王が最後に残した時空転移を真子が解析し、隆司が記憶していた過去の人間の魔法研究などを参考に、安全で確実な時空転移の研究を続けていた。
初めての転移実験は五年ほど前。ソフィア単独での転移と帰還には、成功していた。
ここ数年は、その実験によるデータをもとに、より高い精度での転移が行えるように研究を続けていた。
すべては、隆司と真子……この二人が、元の世界への一時帰還を果たすために。
せめて一言、自らの家族に言葉を残すために。
今日は、ある程度狙った時間へと転移するための実験だった。
光太と礼美、二人の店の開店しそうな時期は、余め隆司の父から聞いていた。
その時間に、きっちり転移できるかの実験だったのだが……。
「で、結果は?」
「だーい成功! きちんと、喫茶店の開店日に転移できたし、ジャンボアイスパフェも食べてきたよ!」
「ガブゥ」
「あいたたた!! お姉ちゃんアイス違う! 食べてもおいしくない! ノー!」
「……法則自体は把握できました。今後は、安定した転移が可能だと思います」
「りょーかい。あとで、とったデータ見せて頂戴」
「わかりました、母様」
うかつなことを言ってウィンディに頭をかじられるラミレスをつれながら、ウェリアは部屋を出て行った。
おそらく、詳細なデータをまとめるためだろう。
自らの子供たちの背中を見送り、真子は小さなため息をついた。
「……ふぅ。時空転移もだいぶ安定してきたわね」
「あとは、俺たちが転移できるかどうかだが……まだ厳しいかねぇ」
「かもしれんな」
ソフィアが眉を曇らせ、懸念を口にする。
「……そもそも、お前と真子以外に、時空転移を安定して起動できるものがいない。やはり、向こうの世界との縁が強く残っているお前たちでなければ、向こうへの扉は開けないということだろうな……」
「ヘタな開き方すれば、どこへ飛ぶかわかんないもんねぇ。あの子たちがやってくれれば、ある程度安定するかもだけど……」
「……さすがにまだ厳しかろうよ。消耗具合が激しすぎらぁな。せめて、ヴァルト辺りがもうちょっと育ってくれりゃぁだが……」
「今あの子は忙しいんだ。無理をいってはいかん」
「だな」
「忙しいって、狼娘の尻追い掛け回してるだけじゃない……」
「「それが何より大事なんじゃないか」」
「ステレオでアホなこと言ってんじゃないわよ……はぁ……」
真子は頭痛がする、というように頭を押さえる。
「このバカ夫婦は……。十七年経っても全く変わらないわね……」
「変わらないさ。私と隆司の愛は、永遠だ!」
「フフフ、当たり前じゃねぇかソフィア。……ッと、いけねぇ」
輝かんばかりの笑顔で宣言するソフィアに、同じ笑顔で返しながら、隆司は地面に一冊の本が落ちているのに気が付いた。
先ほどまで、隆司が明かり避けに顔に乗せていた本だ。
隆司は、その本を急いで拾って、軽くページをめくっていく。
「……よし、どのページも折れてねぇな」
「顔に日よけ代わりに載せといて何を今更」
「まあ、そうだけどよ。でもページがどこかでも折れてたらへこまねぇか?」
「それは分かるけどさぁ。……けど」
真子は隆司がその手に持つ本のタイトルを眺めながら、微かに笑った。
懐かしそうな笑みだ。いつの日かの、自身を思い返しているようでもある。
「その本、まさかこんなに売れるなんて思わなかったわねぇ」
「だなぁ。光太も礼美も、呆れるだろうけどよ」
笑って、隆司は本を閉じる。
分厚い厚紙に覆われた、しっかりした丁装の本だ。
背表紙には金箔押しで、こう記されていた。
“異世界ラブコメ大作戦”と。
「あの三バカが生み出した、あの二人の伝記ものが、両国でのベストセラー……。まさかの展開よねぇ」
「まったくだな。あいつらにいろいろ教えはしたし、ちょっとは流行ればいいなと思った程度だったが、まさかここまでとはねぇ」
苦笑しながら、隆司はテーブルの上に本を置く。
本にはデフォルメされた四人の勇者の姿が描かれ、何か化け物のようなものと戦おうと勇ましく構えている。
これは、二人の伝記を書きたいと言い出した元ケモナー小隊のABCに、隆司と真子が現代日本のライトノベルと漫画の技能を授けた結果、生み出された本だ。
事実を元に、あの三人の妄想を脚色として加えたファンタジー小説で、娯楽の類があまり存在しなかった魔王国とアメリア王国で出版。
世界を救った勇者の伝記として大々的に売り出されたおかげもあってか、あっという間に大ベストセラーとなったのだ。
隆司は笑いながら窓に手をかけ、身を乗り出しながら振り返る。
「さてと。俺は、ベストセラーの大作家先生のとこ行って、最後の巻の話し合いをしてくるぜ」
「うむ。気を付けてな」
「ああ。じゃあな、真子」
「はいはい。……あたしも帰ろっかな。サンシターの事、心配だし」
真子がそう言って、姿を消す間に、隆司は窓から外へと飛び出し、翼を広げて魔王国の城下町へと飛んでいく。
ソフィアはテーブルの上に残された本を手に取り、小さく微笑みながら空を見上げる。
「フフ……礼美。いつか、君の子供の顔を見に行くよ」
その先に繋がっている、異世界の友の笑顔を思い浮かべながら、ソフィアはそう口にした。
すべてを終え、それぞれの道を歩き出す。
それでも、友の記憶はなくならない。
彼らを思う心は薄れない。
そして、生きる意志は、再び縁を巡り合せる。
世界を隔てた、勇者たちの友情物語の続きは……。
また、別の機会にでも……。
「「「「「長い間、ご愛読、ありがとうございました!!!!」」」」」
Thank you for reading!!
The happy end!!
以下、蛇足的なあとがきへ。