No.248:side・remi「さようなら、異世界」
この世界との……そして真子ちゃんたちとの別れを決意し、私は頷きました。
そんな私を見て、満足そうにうなずいた魔王は、振り返って残った四天王の人たちに声をかけました。
「ヴァルト、ラミレス、リアラ。供をせよ」
「「ハッ!」」
「……はい……」
魔王の言葉に、ヴァルトさんとラミレスさんはすぐに、そしてリアラさんは力なく返事を返しました。
愛する人との別れを経験してしまった彼女に、欠ける言葉が見つかりません……。
今、彼女の胸は張り裂けんばかりの悲しみで覆われているでしょう。
そんなリアラさんに、随伴を命ずるなんて……。
魔王に対して怒りを覚えてしまいます。
もう少し、リアラさんに優しくしてあげても……!
けれど、そんな気持ちもすぐに霧散してしまいます。
「この二人を元の世界へと送り返した後、マルコを迎えに行かねばならんからな」
「………え?」
魔王が、そう口にしたから。
信じられないというように顔を上げるリアラさんに、魔王はニヤリと笑って見せました。
「我は奴を罰した。ならば、我が許さねば、一体誰が奴を許すというのだ」
「………! 魔王、さま……!」
魔王の言葉に、リアラさんの顔がぐしゃぐしゃに歪み、また俯いてしまいました。
声を殺して涙を流すリアラさんを、魔王は優しげな表情で見つめます。
そんな魔王に、私は感嘆の念を抱かずにはいられません。
「……ずいぶん、丸くなったじゃない? それも、偽神になったおかげ?」
「うむ。長く受け継がれてきた、記憶と意志……。我ら魔族に欠落していた二つの感情は、とても素晴らしいものだった」
真子ちゃんの言葉に頷き、魔王は空を見上げます。
「例えようもない、多幸感とでもいうべきか……。我が生まれ、そして生きてきた中で、最も幸福な数百年であったよ」
「そう」
短く二人は会話を終え、真子ちゃんは魔王に背を向けてそのそばを離れていきます。
彼女が開けた隙間を埋めるように、今度は人間の姿を取ったソフィアさんが駈け寄ってきました。
「お父様!! もう、発たれてしまうのですか!?」
「うむ。やるべきことはすべて終えた」
今のソフィアさんの姿は、頭の角や背中の翼はそのままでしたけれど、手足は隆司君のように柔らかな人間のものとなっていました。
竜、というにはいささか遠いソフィアさんの姿を愛おしそうに見つめながら、魔王は彼女の頭をゆっくりと撫でました。
「元来竜種にはなかった、意志による感情制御……。それを備えたお前とタツノミヤであれば、かつての竜種のように疎まれずに生きてゆけるだろう」
「お父様……ですが、魔王国は!」
「国は、お前が治めよ。もはや、古き老害たちの出る幕ではないのだ」
せっかく再会できた父との別れを惜しむ娘にそう言って、魔王は振り返ります。
その視線を追って私が振り返れば、そこには一糸乱れぬ態勢でこちらを見つめる魔王軍の皆さんの姿がありました。
「我と、我が生み出した四天王たちは、いわば旧世界の残した遺産だ。だが、同様に我が生み出した魔王国のものたちは、もはや我の手を離れて自らの生を歩んでいる。……ソフィア。我の同種としてではなく、竜としてお前を生み出したのは、それを理解したからだ」
ゆっくりと魔王軍の前へと出た魔王は、高らかに宣言します。
「ここに! 我は王位を魔竜姫ソフィアへと譲渡することを宣言する! 異議のあるものは申し出よ!!」
その宣言に対し、異議を申し出るものはまったくおらず、代わりに魔族の男女が二人、前に出ました。
ガオウ君と、マナちゃんです。
「恐れながら、魔王様。我らの心はすでに一つです」
「我らが主は、魔竜姫ソフィア様! それは揺ぎ無き、事実でございます!!」
「……よかろう。ヴァルトとラミレスは我が連れてゆく。その後釜は、貴様らが埋めるがよい」
「「ハッ! 謹んで、その大命、拝させていただきます!!」」
魔王の命に、ガオウ君とマナちゃんは、しっかりと頷いて答えます。
ヴァルトさんとラミレスさんが、そんな二人を誇り高く、そして少しさびしそうに見つめていました。
「迷い子一人探しに行くのに、ずいぶん大仰なこったなぁ」
「そう言うんじゃないよ、リュウ。仮にも、一国の王が国を空けるんだよ?」
「……真古竜、タツノミヤ・リュウジ」
魔王は欠伸を掻きながら近づいてきた隆司君の方へも振り返り、小さく頷きます。
「娘を頼む」
「任せろ、お父様」
冗談めかしてそう言った隆司君は、ひらひら手を振りながら魔王の横を通り過ぎて、私たちの方へと近づいてきました。
光太君は背筋を伸ばし、そして隆司君がその前に立ち。
わずかに間が開きます。
「……隆司」
「おう」
光太君が彼の名を呼び、隆司君がそれに応え。
そして、お互いの掌を、目の前で、叩き合いました。
乾いた音が響き、そして二人は笑い合いました。
「お互い、頑張ろうな」
「しっかりやれよ、相棒」
それだけ言い終えると、隆司君は光太君に背中を向け、ソフィアさんの傍へと歩きだします。
たったそれだけで、別れのあいさつを終えてしまった隆司君に、私は少しだけ嫉妬してしまいます。
……まだまだ、私は隆司君ほど光太君の事、わかってないんだな、って思い知らされるようで。
隆司君の背中を目で追っていると、その進む先にいたソフィアさんと視線が合いました。
その瞳の中に浮かんでいたのは、小さな嫉妬。
私がその嫉妬が、私が抱いたものだと同じだと悟った瞬間、ソフィアさんが柔らかく微笑みました。
その笑みに一瞬驚き、私も笑みを返します。
……お互い、これから頑張りましょうね、ソフィアさん。
そんな私の背中に、誰かがどんとぶつかってきました。
「わ!?」
「おいおい、フィーネ。そんないきなりぶつかりに行くなよ……」
「だって、もう会えないかもしれないし……!」
「いけませんよ、フィーネ様。これからお戻りになられるレミ様に、大事があってはなりませんからね」
「も~。ヨハンさんは~、最後まで~お堅いんですから~」
振り返ると、そこにはこの世界に来てからずっとお世話になりっぱなしだった皆さんが、集まっていました。
「フィーネ様、ジョージ君……」
「うう……。レミ、帰っても、私たちの事、忘れないでね……!」
「レミ……悪かったな。それから……サンキュ」
涙をボロボロ流すフィーネ様のすぐ後ろで、照れたように笑うジョージ君。
「レミ様……女神の写し身であらせられたあなたのお姿……このヨハン、生涯忘れることはありません……」
「レミ様~、コウタ様の事~、よろしく~お願いしますね~!」
小さな笑顔を浮かべるヨハンさんと、微かな涙を浮かべながらも笑うアルルさん。
「向こうに帰っても、元気でやれよ!」
「皆様の事、決して忘れませんから……!」
「我々、子々孫々、末代までお二人の事をお伝えしましょう!」
「俺は文でおこします!」
「俺なんか、絵、描いちゃうもんね!!」
ケモナー小隊の皆さん。
それに、遠くの方から手を振る騎士団団長さん……。
皆さんから笑顔で言葉を贈られ、声をかけられるたび、私は、本当にお別れなのだと実感してしまい。
「みなさん……いままで、ほんとうに、ありがと、う、ござい、ました……!!」
私は、堪えきれずに涙を流してしまいました。
けれど、胸の中を満たしているのは、とても暖かなものです。
こんな、返しきれないほど、いっぱいの気持ちを持って帰れるなんて……。
言葉が見つからない私を、光太君が優しく抱き寄せてくれました。
「礼美ちゃん……僕たち、この世界に来れて、良かったね……」
「うん……! うん……!」
ただただ頷くばかりの私を、光太君は優しく撫でてくれました。
「それじゃあ、アルト王子……僕らは、帰ります」
「はい……。向こうの世界でも、女神の加護がお二人にあらんことを……」
「もちろんじゃないですの、お兄様! 私、精一杯、お二人のために祈らせていただきますわ!!」
「ありがとう、ございます、アンナ王女……!!」
穏やかな微笑みを浮かべるアルト王子と、少しだけ泣きそうな顔で、それでも精一杯な笑顔を浮かべてくれるアンナ王女……。
本当に、素敵な人ばかりで……私……!
私は、もう顔を上げていることもできず、ただ光太君の胸に顔を押し付けることしかできません。
そんな私たちの傍に、誰かが近づいてきました。
「……別れは済んだな」
「……はい」
静かな声は、魔王のものでした。
「移動は一瞬で済む。レミよ。この世界の姿、最後までしっかりと瞳に焼き付けておくとよい」
「う、っぐす……はい……!」
魔王に言われ、私は何とか顔をあげます。
けれど、涙でぼやけた視界のせいで、最後のこの世界の姿が……!
―……ォォオオオオ!!!!―
「風王結界!!」
けれど、次の瞬間。
私の心を奮い立たせる竜の一声と、大好きな親友の魔法のおかげで、涙のスクリーンが取り払われ。
「……あ……」
目の前で、全ての人が笑顔を浮かべてくれているのが、はっきりとわかりました。
「みなさん……! どうか、お元気で……!!」
光太君が大きな声で別れを告げています。
私も、精一杯の勇気を振り絞り、声を上げます。
「さようなら、皆さん……! 私たちの事、忘れないで……!」
私たちの別れのあいさつに皆が湧きたち、それぞれに声を上げました。
「コウター!! いずれ貴様との決着、つけるからなぁぁぁぁぁぁ!!」
「ガオウ君、最後位……もう」
「二人とも、しっかりやんなよー!!」
「レーテ姉さまにも、二人の言葉、しっかり伝えておきますから!」
「コウタ様、お元気でぇぇぇぇぇぇ!!!」
「レミ様万歳ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
私は、最後となる、この世界の姿をしっかりと目に焼き付けて。
「それでは、飛ぶぞ」
「「……はいっ!」」
魔王の言葉に、しっかりと頷きました。
そして、目の前が一瞬暗くなり、皆の歓声が遠くなり。
「………」
「………」
気が付くと、私たちは戻ってきていました。
顔を上げると、コンクリートでできたビルや、瓦を置いた屋根の向こうで、ゆっくりと夕日が沈んでいくところでした。
「……戻って、来たんだね」
「……そうだね」
私たちは小さく頷き合い、お互いの格好を見下ろしました。
そして、驚きます。私たちが、さっきまで着ていたあの世界の衣装じゃなくて、こちらへ飛んでくる前の制服姿だったからです。
ただ、細部が若干異なるのが気になりますが……。
―貴様らの記憶を頼りに、この世界の服を再現した。多少違うが、まあ誤魔化しは効こう―
私たちの疑問に答えるように、どこからか魔王の声が聞こえてきます。
頭の中に直接響くようなその声に、私ははっきりとお礼を言いました。
「魔王さん……ありがとうございます!」
―気にするな。貴様らが成したことに対する礼としては少なすぎるくらいだ―
「それでも、ありがとうございます! よく考えたら、こっちに戻ってくること考えてなかったから、服をどうしよう、ってちょっと考えてたんで……」
照れたように後ろ頭を掻く光太君の様子を見てか、魔王がおかしそうな笑い声をあげました。
―おかしな奴だ。まあ良い、我にできるのはここまでだ。健勝でな、勇者たちよ―
「はい、魔王さん」
「マルコさんにも、よろしくお願いします!」
―無事逢えたら伝えよう。それでは―
魔王は最後に、何かの含みを持たせた声を、私たちに伝えてきました。
―最後の報酬は、十年ほど後だ。忘れるなよ?―
「……?」
「それは、どういう……?」
私たちがその意味を問おうとした頃には、魔王の気配はどこにも感じられなくなってしまいました。
「……いっちゃった?」
「……みたいだね」
光太君は小さく頷き、足元から何かを拾い上げました。
「……やっぱり、こっちに残ってた」
「光太君?」
「はい、礼美ちゃん」
光太君はそう言って、私にかばんを二つ差し出しました。
一つは、私のもの。
そして、もう一つは……。
「……これ、真子ちゃんの」
カバンに付いた、小さな、お揃いのキーホルダー。
それは、私が誕生日のお祝いに真子ちゃんに送った、お揃いのキーホルダーでした。
光太君からそれを受け取り、私はギュッと胸に抱きしめました。
……真子ちゃん……。
「……それじゃあ、礼美ちゃん」
光太君は、片手で鞄を二つ、背負うように持って、空いた手を私の方に差し出してくれました。
「……帰ろっか」
「……うん!」
私は笑顔で頷いて、光太君みたいに片手手二つ、鞄を持って、光太君の手を握ります。
少しずつ暗くなっていく私たちの世界の中で、私の心の中は、いつまでも暖かな明かりを灯しつづけているのでした……。
元の世界へと、無事に戻れた光太と礼美。
二人の帰還から時間が流れて十年後。
その後の二人を、わずかに語ろう。
次回、最終回!