No.246:side・mako「四百年前の真実」
ガラスが砕けるような音と共に、辺りの光景が一変した。
七色に変わる世界は灰色の地肌を晒す岩山へ。上を見上げれば、綺麗な青色が目に入った。
さらに周囲を見回せば、突然現れた二頭の竜に驚きの声を上げる人や、あたしたちの姿を認めてか、歓声をあげる人たちの姿が見える。
……あたしたち、帰ってこれたんだ……。
「転移術式」
「っと?」
安堵からため息をつくと、魔王の声が聞こえてきて、あたしの体が地面へと下された。
あたしだけじゃない。隆司とソフィアの背中に乗っていた全員の体が、地面へと下された。
そして、あたしの傍にいてくれたサンシターが、地面をしっかり踏みしめて安心したのか、感極まって涙を流し始めた。
「マコ様……本当にご無事でよかったであります……!」
「うん……あんたもね、サンシター……」
サンシターの顔を見て、あたしも自分で地面を踏みしめ、ようやっとすべてが終わった実感が湧き上がって、一滴涙が零れた。
やっと、終わったんだ……。
ズン。
と、あたしたちが背中から降りたソフィアが、隆司へと一歩近づく。
それと同時に、ソフィアが自分の顔を隆司の首筋へとこすり付け。
―クルルル……―
と喉を鳴らした。
対し隆司も、ソフィアに同様の行為を返しながら、似たような音を喉から発する。
その行為の意味するところを悟り、あたしは半目でつぶやいた。
「……何してんのよあいつら」
「ふむ。今のは竜種が求愛の際に出す求愛音だな。プライドの高い竜種が人の目のある場所でこの音を出すことは全くなく、この音を聞くことができた者には幸運が訪れるという話が、前の世界では伝わっていたな」
「わかってるわよ、知ってるわよ」
したり顔で解説してくる魔王にそう返しながら、あたしはマジマジと魔王を観察した。
あたしが知っている……というより知識として持つ魔王とはずいぶん印象が違う。
背格好は、知識通りだけれど、あたしが知っているよりもずっと感情豊かに見える。
隆司が言っていたけれど、魔王の正体は強靭な器に混沌玉を埋め込んだ、いわば魔族の戦闘形態。用意された器には意思とかはなかったはずだから、行動原理や思考は前の世界の魔族のままのはずだったんだけど……。
「……あんた、ホントに魔王なの?」
「いかにも。我こそ魔王也。なんぞ、聞きたそうな顔をしているな?」
「そりゃぁね……」
あたしは頭の中を整理する。
今知っておくべきは……数百年前の女神誘拐の真相と、今女神はどうなっているか、かしら。
「さて、何から話すべきか……」
「じゃあ、まずは――」
「事の起こりは数百年前。真古竜が没してから百年ほど経ってからの事だ」
「………」
あたしが問うより先に、魔王が勝手に語り始める。
出かけた言葉を飲み込み、あたしは魔王の言葉を待つ。
っていうか、聞いておいて、さっさと語り始めるなよ……。
「偽神の遺骸より湧き出る混沌の獣たちの対応に窮した我は、第一に女神の力に頼ることにした。肉体的強度は問題ではなかったが、純粋な物量に責められてしまうと、どうしてもな」
「でしょうね」
如何に魔法が万能であろうと、さすがに視界の範囲外の状況に対応しきるのは難しい。
あたしでも、素直に増援を要請するでしょう。
「加えて、混沌の獣には生物の覇気に近づいてくる習性があった。おそらく、自らがこの世界にとって代わるためだろう。真古竜の莫大な覇気というマーカーを失ってしまったため、奴らの行動を予測することが難しくなってしまったのだ」
「その追加説明は何に対する追加なのよ……」
察するに、あたしの心の声なんでしょうけどさ……。
魔王はあたしにニヤリと笑ってから、続きを語り始めた。
「当時のアメリア王国は、ようやく大陸の全土へと生活の版図を広げ始めたさなかであったが、我にとっては関係のない話であった故、我はまっすぐに女神の元へと向かった。……今にして思えば無思慮な判断であった。せめて、国王に説明くらいはすべきであったな」
「……あんたから思慮なんて言葉が出るなんてね。長いボッチ生活で狂った?」
「そんな様なものだ」
「は?」
冗談のつもりで放った言葉に思わぬ返答が返ってきて、あたしは思わず魔王の顔を見つめた。
魔王の顔は、特にふざけている様子もなく、あたしの方を見つめ返していた。
「……ええっと、マジなの?」
「大いにマジだ」
「え、なに、どういうことなの……?」
「女神を連れ出し、我は一目散に境界へと舞い戻った。女神の意志力、我が混沌言語、そして境界に残った莫大な覇気を利用して、新たな魔導生物を作るためだ」
魔王の言葉に思わず頭を抱えるあたしを無視して、魔王は話を続ける。
しかし魔導生物って……その作り方は、偽神を作るのとほとんど同じじゃないの?
あたしの視線の意味を察した魔王は、首を縦に振って見せた。
「いかにも。だが、使用する源理の力の量を抑えれば、マルコのような吸血鬼を生み出すこともできる。そこは、まあ、匙加減次第だ」
「なんでそこだけ曖昧なのよ……。で? 生まれたのが、マルコを筆頭とする、魔王軍四天王だったりするわけ」
「それが、そうでもなくてな」
魔王は当時を思い返しているのか、どこか遠い眼差しで空を見上げた。
「……当時、我が連れ出した女神は重い病を患っており、余命幾ばくもない状態だった。我に対して、抵抗する気力もないほどにな。そのことに我は気が付いていたが、それよりも混沌の獣を抑え込む使命を優先した。結果として、当代の女神の憑代は、我が境界へと到達した時点で死亡してしまった」
「……まあ、重病人を無理に連れ出したりすればねぇ」
どういう病だったか知らないけれど、余命いくばくもないような人間を無理に連れ出したりすればねぇ。
……と、そこであたしは一つの情報を思い出す。
「……あれ。確か女神って……」
一つの可能性に思い至り、確認するように魔王を見る。
魔王は一つ頷き、手を上げた。
「その通り。我が次代の女神の憑代として選ばれた」
「ちょ、おま」
予想通りの答えに、あたしは絶句する。
女神に……正確には女神の憑代に宿る、歴代女神から受け継がれてきた強い意志力は、憑代となっている人間が死亡することで次の憑代へと自動的に移り替わる。
そのとき次の憑代として選ばれる条件は、意志力に対する適応が存在すること、先代の憑代との血縁があること、意志力が瞬時に憑依できる距離に存在すること、の計三つだ。この三つのどれかの条件を満たしていれば、誰にでも女神の憑代となる権利が与えられる。
大抵の人間に意志力の適性があるので、基本的に重要視されるのは、先代の憑代との血縁だ。血がつながってさえいれば、親兄弟は当然として、孫曾孫にいとこやはとこだって憑代の大将となる。
が、ここで地味に厄介になるのが意志力が瞬時に憑依できる距離、という条件だったりする。
距離としては、半径百メートル前後くらい。これが、意志力の損失を最低限に抑えて女神の意志力が人に憑依できる距離となる。
この距離内に血縁者がいれば、その人間に憑依できるわけだけど、仮に居なかった場合、意志力の適応が最も高いものに憑代候補が入れ替わる。その対象が、犯罪者であろうが、最悪動物であっても、適応が最も高ければ女神の憑代となってしまうわけだ。
そういうわけで、場合によってはとんでもない人物が次代の女神となってしまう可能性があるから、女神の憑代の死期が近づいたら、その近くに次代の女神の憑代が待機するのが習わしだったんだけど……。
魔王は、その習わしを破った。死期の近い女神を無理やり連れだし、誰一人人間のいない荒野へと女神を連れ、そしてそこで女神を死なせてしまったのだ。
結果として、女神の意志力はもっとも付近にいて、意志力の適応を持っていた魔王の器へと、憑代を変えてしまったわけだ……。
「まさかの話ね……」
「うむ。ちなみに話はそれでは終わらない」
「はい? どういうことよ?」
「その時、我は女神の意志力と周囲に漂う覇気を利用して、魔導生物を生み出そうとしていた」
「……あの、なんかいやな予感が」
「その予感は当たるぞ」
魔王はドヤ顔で頷いて、さらにこう言い放った。
「その時、我が使用していた術式を介し、周辺に漂っていた覇気、そしてその中に残されていた真古竜の記憶の一部が我の中へと流れ込み、我の中で意志力、混沌言語、覇気の三つが絶妙にブレンドされ、我は偽神として生まれ変わってしまったのだ……!」
「ドヤ顔で言い放つなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「ちょ、マコ様落ち着いてでありますよ!」
スパァン!!とあたしがどこからともなく取り出した濡れタオルが魔王の顔面に炸裂する。
えぇい、サンシター、止めてくれるな!!
「なんかひたすら腹立つのよ!! 自分の失敗談をドヤ顔で言い放つ辺りがぁ!!
「お、おっしゃることは理解できるでありますが、まだ話が終わってないでありますよ!!」
「ふむ。旦那が苦労しそうな家庭だな」
「ほっとけぇ!!」
顔に濡れタオルを張り付けたままの魔王に、さらにもう一枚タオルを叩き付ける。
二発も顔に濡れタオルを喰らっていながら平気な様子で、魔王は濡れタオルを顔から剥がす。
「そのままでは、この世界に悪影響を与えてしまう……そう考えた我は、偽神の力を使い、世界の外へと退避したのだ……」
「ほら! 堪えた様子もなく話を続ける!! こういう辺りがなんかむかつくのよぉ!!」
「マコ様、ドウドウ!! ……その、世界の外とはいったい……?」
「先ほどまで、勇者たちが飛ばされていた場所の事だ。あの場所について、説明するのは難しい。世界の原液とでもいうべきか……。我々が住むこの世界を、膜のように包み込む、強大な源理の力の流れ……というべきか? うぅむ」
「源理の力……でありますか?」
「……覇気とか意志力みたいな、特定の力じゃなかったみたいね。もっと、根源的な……世界の魂、とでもいうのかしらね?」
魔王の言葉に、あたしはさっきの世界で感じた感覚を思い出す。
明確に、言葉にできるわけじゃないけど……たぶん、あの場所はこの世界を他の世界の干渉から守る役割を持ってるんだ。
多分、他の世界も、似たような構造になってるんじゃないかしら……。だからこそ、本来は別の世界同士が干渉することはない。
けど、この世界には偽神に準ずる、新たな法則を生み出す力があった……だからこそ、あたしたちはここに引き込まれたわけね。
「勇者たちに力を与えたのも、あの場の力だ。各々にとって、最も適切な役割を割り振った」
「……ひょっとして、あたしが感じたイメージって……」
「おそらく、我が与えた混沌言語によるものだろう」
あー……じゃあ、あの覚醒の儀式で本がめり込んだイメージが浮かんだのは、あたしん中に混沌言語の力が入ってたからかぁ……。
「……で? 世界の外へ退避した後は? 混沌の獣の事は、解決してないでしょう?」
「うむ。なので、偽神の力を駆使して国を作ったのだ。混沌の獣が集まるよう、多くの覇気が宿る獣人たちの国を」
魔王の言葉に、あたしは納得したような、あるいはできなかったような、なんか変な顔になってしまう。
いや、まあ……確かに獣人だけど……。ホントにそう言えそうなの、魔王軍四天王くらいじゃないの……?
「混沌の獣を……では、魔王国はおとりだったのでありますか!?」
「……然り。貴様のその感情も理解できる。だが、我が下りるわけにはいかなかったし、アメリア王国のものたちに任せるのも酷であった」
「でしょうね。世界が滅んで、文明復興を初めて五百年余り……そんな国に、偽神の体から生まれた混沌の獣なんて、災害以外の何物でもないでしょうしね」
女神もいない、混沌言語が使える者もいない、覇気だってつい最近発見されたらしいし……最悪、混沌の獣の来襲で国が亡ぶわね……。
「無論、国を守護するために四天王を配置した。これには、それぞれ大目に源理の力を注ぎ、役割を特化させておいた」
「その特化した役割のせいで、今回の事件が起きたわけだけどね……あ、そうだ」
もし、魔王が魔王国を……もっと言えばその住人たちを造ったというのであれば、少し不思議なことがある。
「なんで魔王国の連中、体の半分以上が人間なの? どうせなら、全部獣にしちゃえばよかったのに」
「一つは、我の知る知識での獣人に農耕知識を持つ者がいなかったため。この荒地では、狩りは絶望的だからな。そしてもう一つは、継承してしまった女神の意志力のためだ。感情を持ちえなかった我は、多くの意志やそれに伴う感情を学び、効率ばかりではない非効率的なやり方を覚えた」
魔王は、山の向こうで今も生活が行われているはずの、魔王国の方を見つめる。
その表情は、どことなく、親を感じさせるものだった。
「……国というのであれば、戦うばかりの獣ではなく、泣き、笑い、怒り、喜ぶ……人間のようなものたちが治めるべきだろう?」
「……そうね」
あたしは魔王に同意しながら、軽く振り返る。
そこでは、世界が救われたことを…そしてあたしたちの帰還を喜び合う、アメリア王国騎士団と……魔王国軍の人たちがいた。
この光景を見れば、魔王の判断は間違いじゃないって……胸を張って言えるわね。
かつての真実。魔王国の建国理由。
まつびろやかになる全てと、近づく別れの時。
以下、次回。