No.240:side・ryuzi「“穴”」
「フィーネ! 王子たちを連れて、結界の外へ!!」
「う、うん!」
「みなさん……!」
フィーネがアルトのいる場所まで駆けていき、呪文を唱え始める。
アルトはアンナの体を抱きしめながら何かを言いかけるが、何を言うべきか迷うように視線をさまよわせ。
結局いうべき言葉が見つからなかったのか、真剣な眼差しでこう叫んだ。
「……お気を付けて!!」
「転移術式!!」
フィーネの呪文と共に、二人の姿が消える。
さて………。
「……これ割と本気で大丈夫か!? 大丈夫!? ねえ!?」
「作戦の提唱者がなにビビってんのよ!?」
俺の割と本気の叫びを聞いて、真子が逆切れ気味に叫び返してきた。
いやまあ、俺が言い出したことだけどさぁ。
「いや、ここまで剣呑な雰囲気が漂うとは思わんかった! 反省したいんだけど、原稿用紙何枚で書けばいい!?」
「馬鹿な冗談飛ばしてないで、気張りなさい! ちょっとでも崩れたらそれでアウトなんだからね!!」
俺の場の空気を読まない冗談にも、真子は真剣なツッコミしか入れてくれない。
見れば、脂汗のようなものを浮かべている。
そして、光太と礼美は、真子の魔法に意志力を供給するのに一生懸命すぎて、言葉を一つも出せない状態だ。
……やべぇ、なんかミスったか?
俺は覇気が勢いよく流れだしていく嫌な感覚を味わいながら、歯を食いしばる。
―ぎぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!???―
意志力を失った苦しみと、目の前に現れた“穴”の恐怖から大声を上げる偽神。
あれを見れば、今回の作戦にミスはなかったと言えるだろう。
けれど、そばにある“穴”の存在がいやがおうに嫌な予感を加速させる。
偽神にも言えることだが、この世界に存在してはならない存在。“穴”から感じる気配はまさにそれだ。
事実、割れた“穴”からは瘴気が零れてきている。禍々しさという点では、偽神以上だろう。
軽く上を見上げ、穴の中を覗き込む。
「…………ォェ」
軽く後悔した。
その向こう側に何が見えたのか……と質問されたとしても多分答えようがない。
穴の中に視線を上げた瞬間、頭の中をシェイカーか何かで軽くシェイクされたような、そんな気分になった。
見たものは覚えていない。というよりは、脳が記憶することを拒絶した。
元の世界にあった架空の神話、確かクトゥルフ神話とか言うのに“冒涜的な存在”なるものがいるらしい。見たらそれだけで正気をすり減らすとかなんとか。
例えるとすれば、それだ。その性質は違うが、この“穴”の中は、まさに冒涜的だろう。その、情報量が。
見た瞬間に脳がパンクしかけるほど、圧倒的な情報量が視界に飛び込んできた。ただひたすらに、多い。その向こう側に、無数の何かが存在するんだろう。……それが、数多の世界であることを真剣に祈る。今、偽神以上の化け物とかが出てこられると手に負えねぇ。
―ぎ、ぁ! い、いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!―
その偽神も、この“穴”の危険性を見て理解したのか、逃げようともがく。
しかし、意志力を失って肉体の制御統合に不具合でも出てきたのか、巨大な四本の腕はギクシャクと空気をかき回すばかり。
そればかりか、逃げようとして、逆に前へと滑ってしまう始末。見ていてなんだか哀れなほどに……。
「……あれ? なんか引きずられてね?」
「……うん。あたしにもそう見える」
違った。偽神は、何かの力で“穴”の中へと引きずり込まれているように見えた。
―あ、あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!―
ずるり、ずるりと。偽神の体が少しずつ“穴”へと進んでいる。特に誰かが背中が押しているわけじゃない。一応予定としては、魔王軍四天王のヴァルトとラミレスが結界内に突入して、穴へ押し込む手順だったんだけど。
目を凝らしてみると、“穴”と偽神の間にわずかな空間のゆがみが見える。それを視線だけで追うと、偽神へとつながっているのが見える。
それは偽神の肩やら腕やら足やらに繋がって、偽神がずるりと引き込まれるたびにわずかに歪んでいる部分が“穴”へと進んでいるのが見える。
………………。
「………わからないことは考えない!」
「異議なし!!」
真子のすべてを解決する一言に同意し、俺は無心で覇気を真子へと供給する。
何も見てないなにも見てない……。
「偽神、覚悟ォォォォォ!!」
「!?」
とりあえず全てに無視を決め込んで目を閉じていたが、突然聞こえてきた大声に、視線を上げずにはいられなかった。
「オオオォォォォ!!」
―ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??―
偽神が悲鳴と共に、体が勢いよく吹き飛び、またかなり“穴”へと近づいてきた。
偽神の体を吹き飛ばしたのは……巨大な狼人。
偽神ほどではないが、人の身の丈など遥かに超えた大きさを誇っている。四肢の形は獣のそれではなく、人のそれに近いが、頭部は完全に狼だ。
「このまま、この世界から出ていくがいい!!」
「さあ、いくよっ!!」
そしてその肩には触手の下半身を持つ女性の姿が見える。
どうやらあの巨大な狼人、ヴァルトが変身した姿か何かのようだ。
元々混沌の獣と戦うための魔王が生み出した存在だ。混沌の獣の性質を考えれば、巨大な姿を持つ混沌の獣対策に、ああいう風な変身を持っていてもおかしくはないだろう。ひょっとしたら竜種言語の応用かもしれない。
さらに、ヴァルトの肩に乗った触手の女……たぶんラミレスだろう。ラミレスが何らかの魔法を放ち、偽神の体がまたわずかにだが“穴”へと向かう。
「ちぃ! やっぱり、魔法は通じないんだね……!」
「そのようだな! ここからは、私に任せるのだ!!」
悔しそうなラミレスの声と、勇ましいヴァルトの声が聞こえてくる。
状況を考えれば頼もしいことこの上ねぇ。何しろ俺たちはこの場を動けない。偽神の体を“穴”へと押し込む役割を担ってくれるヴァルトの存在は、何にも代えがたいわけなんだが。
「……なんかはっきり見えてきたわね」
「なんのことでせう? 俺には何も見えんぞ!!」
真子のいうとおり、“穴”と偽神に繋がっている何かの姿が、偽神が“穴”に近づくたびにはっきりと視認できるようになってきている。
それは、腕。
“穴”から伸び、偽神へとつながっているそれは、細長い腕だった。
妙に色白い、血の気も見当たらない、まるで死体のような腕だ。
それは“穴”の中から伸びている。偽神の体をがっしりと掴み、離さず、少しずつその体を“穴”の中へと引きずり込もうとしている。
これが一体何なのか……ホントなんなんだろうね、これ……。
「オオオォォォォ!!」
不可思議現象の存在にげんなりしている俺とは反対に、ヴァルトは元気よく偽神の体へと体当たりした。
またわずかに偽神が“穴”へと近づく。
―い、いやだ! イヤダァァァァァァァァ!!!―
そのたびに、偽神が……もっと言えばガルガンドが喚く。
本気で恐怖しているようだ。まあ、見も知らねぇしありえねぇほど長い腕に捕まれて“穴”に引きずり込まれるとかホラー以外の何物でも。
―私は、神だ! 神なんだ!! こ、この世界ヲ、し、支配する………!―
……ああ、なんだ。単にこの世界からはじき出されるのが嫌だってだけか。
一マイクロミリでも同情して損した。
まさにチープな悪役だな。一方の腐りトカゲは。
―ワ、ワレ、マモル……セカ、イヲ……オ……オオォォォ……!!―
掠れた声を上げちゃいるが、もう意識も朦朧としているようだ。今、自分の置かれている状況を完全に把握しちゃいねぇだろ。
まあ、死んだ後も何とか霧となってそこに自分の意識を止め、ようやっと俺を軸に復活しようとしたところで俺に弾き飛ばされ、そしてその残りかすをガルガンドに利用されたんだ。もう自分が何をしようとしているのか、なんてはっきりとわかっちゃいねぇんだろ……。
記憶を除く限りじゃ、高慢ちきな竜種だが、その最後がこれか。哀れな話だ。
そして、偽神を構成する人格の最後の一人、マルコ。
―………―
この状況に至っても、奴は冷静なままだった。
いや、魔王魔王叫ばなくなったおかげで、かなり不気味だ。
表情はガルガンドと腐りトカゲの影になっているおかげで見えないが、こいつが一番おっかねぇんだ。
なにをするのか読めねぇからな……注意しとかねぇと……。
「喰らえぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
―ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!??―
ヴァルトがまた勢いよく体当たりをかまし、偽神の体がまた“穴”に近づく。
もう目と鼻の先だ。あともう一発ヴァルトが偽神に体当たりをかませば穴に届くだろう。
その分、“穴”から伸びている腕もかなりはっきりと見えるようになっている。白い、枯れ枝のような腕だ。ちょっと力を入れたらぽっきり折れちまいそうだが、偽神の体をつかんで引っ張る様子からすると、ちょっと力を入れた程度じゃ折れないんだろうな……。そもそも触れるかどうかも分からん……。
「あと少しだな……」
「ええ、そうね……」
わずかな緊張を滲ませながら、真子と偽神の行く末を見守る。
うまく行けばこれで終わる……はずだ。
最後の一撃に備え、ヴァルトが両手も地について、偽神に止めを刺そうと力を溜める。
「これで終わりだ、世界の災悪よ……!」
―いやだ、いやだ……!!―
ガルガンドが、もがく。ヴァルトの一撃から、“穴”に引き込もうとする腕から。
しかし、その両者から逃げることは敵わず。
「オオオオォォォォォォ!!!!」
―いやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!―
ヴァルトの一撃が決まり、偽神の巨体が勢いよく、“穴”に向かって飛びあがる。
白い腕が引っ張っているのも相まって、偽神の体は容易く“穴”へと引きずり込まれていく。
―ああああああああ!!!!―
最後のあがきとばかりに、偽神の腕が“穴”の縁を掴む。
だが、薄っぺらいガラスか何かを掴んだかのように、“穴”の縁にひびが入る。
崩れるまで、そう時間もかからないだろ――
ガシッ。
「……あ?」
そう、思った瞬間。
―ああ、魔王様……―
黒い黒い腕が、俺の胴体を掴んだ。
いや、俺だけじゃない。真子、光太、礼美……“穴”を作るために動くことのできない者たち全員の胴体を掴んでいやがる……!!
―あなた様は、今、いずこに……!!―
「ちょ、ま……おおおぉぉぉぉ!!??」
「タツノミヤ!?」
偽神の体が“穴”の向こう側に落ちる、それに引きずられ、俺たちの体も“穴”の中へと引きずり込まれる。
ようやく異常に気付いたヴァルトが、俺たちに手を差し伸べようとしてくれる。
俺も何とかヴァルトの手を掴もうと腕を伸ばすが、微かに指先が触れ合うばかり。
そして俺たちは……世界の外へと落ちて行った。
偽神と共に世界の外へと零れ落ちた勇者たち。
彼らはそこで……真の偽神と相対する。
以下、次回。