No.220:side・remi「虚ろを覗く」
――大きなスライムから助けられた私たちの元へ、一冊のノートを持った隆司君が帰ってきました。
真剣な顔をした隆司君はノートを真子ちゃんに手渡しながら、それが宰相であるマルコさんの自宅から持ち出した日記帳であると言いました。
「宰相マルコの日記帳!?」
「らしいもんだけどな。ホレ」
驚いた真子ちゃんは、隆司君からノートを受け取ってその中を読んでいきました。
「……なにこれ、人体生成? なんで宰相がそんなもん研究してるのよ……?」
「さあな。しかもその過程で何故かガルガンドが生まれてるし。ラミレスかヴァルト辺りが何か知ってればと思ったんだけど……」
「人体……生成……?」
隆司君と真子ちゃんの会話の中に出てきた一言に、私は覚えがありました。
まだうまく動かせない体を起こし上げようとすると、慌てたように光太君が私の体を押し止めました。
「礼美ちゃん! 駄目だ!」
「光太君、でも……」
「なんだ? 何か知ってんのか礼美」
私が起きたことに気が付いてくれた隆司君が、私の方へと近づいてきてくれました。
光太君にお願いして、何とか上半身だけ起こした私はまだ意識がはっきりしない頭を振りながら隆司君の方を見ました。
「隆司君……マルコさんは、人間を……作ろうとしていたの……?」
「あ? ん……まあ、この日記を読む限りはそういう感じだな」
私の言葉に隆司君は一つ頷き、スゥ……と目を細めて私の瞳を見つめてきました。
「礼美。何を知ってる?」
「……っ」
まるで詰問するような隆司君の雰囲気に、私は思わず萎縮してしまいます。
今までにない、冷徹ささえ感じさせるその雰囲気に、私は言葉を失ってしまいます。
そんな私を庇うように、光太君が私の前に出ました。
「やめろ、隆司。礼美ちゃんは、まだ完全に回復してないんだ!」
「……まあ、そうだな。悪い、礼美」
光太君の言葉に、隆司君はすぐにばつの悪そうな顔になって頭を掻きます。
隆司君の雰囲気が霧散すると同時に、私はあわてて声を上げました
「ま、まって……!」
私は、まだ伝えていないことがあるんです。今すぐ伝えないといけないことが……!
ですが、体が回復していないのは事実。私の体は、危うく倒れかけてしまいます。
そんな私を、光太君が優しく抱き留めてくれました。
「礼美ちゃん? 今は、いいんだよ。ゆっくり休んで」
「ありがとう光太君。でも、急がないといけないの……」
暖かい光太君の腕の中に安心感を覚えながらも、私は光太君の優しさを振りほどき、隆司君と真子ちゃんの方を見上げました。
「――礼美。何があったのよ?」
「急がないと、いけないの……もう、神位創生はすぐにでも行われるかもしれないの……!」
「どういうことだ?」
私は、私がスライムへととりこまれるまでに見聞きしたものを話し始めました……。
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「きゃぁっ!」
縛られたまま、私は地面に転がされました。
場所は魔王城の地下。けれど、私が探索した限り、こんな地下空間が存在していたなんてわかりませんでした。
魔法か何かで、巧妙に隠されていたんでしょうか……!?
「レミ様ぁ! このっ、下郎!!」
「なんとでも喚くがよいわ。もうこの娘に用向きはないゆえ」
そして、台座の上に座ったガルガンドに首根っこを押さえられたアンナ王女が、大きな声を上げていました。
あの台座がなんなのか、私が思案を巡らせるより早く、足音が私の元へ近づいてきました。
「おお、マルコ様。準備は終わりましたかな?」
「ええ、おおむね。魔王国にいる者は全員、魔王城の中へと招き入れてあるよ」
「いったい、何をするつもりですか……!」
私は大きな声を上げ、何とかガルガンドとマルコさんの気を引きます。
この二人が何をしようとしているのか、それは分かりません。けれど、少しでも時間を稼いで、状況を打開しないと。
「なに、か。実はな。今まさに谷を越えて勇者たちがこちらに来やっているのよ」
「勇者……光太君たちが!?」
私の質問に答えたのか、あるいは別か。ガルガンドが言った言葉は私の心に希望を灯してくれました。
皆が、来てくれている……! よかった……!
「故にな、いささか急がねばならなくなった」
「急ぐ……何をですか!!」
急ぐという言葉に、焦りのようなものは感じませんでしたが、私は何とかその邪魔をしようと声を荒げます。
もうすぐそこまでみんなが来てるなら……!
「神位創生を、よ」
「そんなことをして、何になるんですか!! たとえ神位を呼び出しても、この世界は壊れてしまう……! そんなことをして、なんになるんですか!!」
たとえ無様でも、私は叫び続けます。
何がきっかけで相手の気を引けるかわからない。口が動く限りは、喚き続けろ。
真子ちゃんが、教えてくれたことの一つです。そうすることで、少しでも情報を引き出して、そこに活路を見いだせれば……!
「今ここにはいない魔王様だって、そんなことは望んでいないはずです! マルコさん、何故!!」
私がそう叫ぶと、台座に向かって歩いていたマルコさんの足が止まりました。
そういえば、彼は魔王様という言葉に過剰に反応していたのを思い出します。
……今、この国のどこにもいない魔王。その存在に怯えているのであるとすれば……!
「今すぐ神位創生を止めれば、魔王様だって、あなたを許してくれるはずです! だから――」
「………」
私の言葉に反応して、振り返ったマルコさんの瞳は。
「私を、許す?」
どこまでも、ほの暗い闇色をしていました。
その闇の向こう側が、どこかに通じているかのような……虚色。
狂気さえ孕んだそれで私を見据えつつ、マルコさんが三日月のように笑いました。
「許しを請う必要は、ありません」
「な、なぜ!?」
「何故なら、魔王様は今まで一度も私にお声をかけてくださったことがないからです」
「……え?」
裂けた様な笑いを固めたまま、マルコさんが大きく手を広げました。
「魔王国が開国してから百数年。国はここまで大きく育ちました。それは全て、魔王様より賜った英知、そして使命があってこそ」
カタカタと、何かが震える音がしました。
「民たちはよく育ち、国を広げ、そして我らを称えました。賞賛の言葉が止む日はなく、日々はただ平穏に過ぎていきました」
脳裏に響く異音に、私は心を揺さぶられました。
それは、恐怖? あるいは、別の何か?
「……しかし今日に至るまで、魔王様がその御足でこの大地を踏みしめたことはございません。その御尊顔を拝見したこともございません」
私は、聞こえてくる音の正体を悟りました。
「ですが、ある日魔王様の玉座に一人の赤子が据え置かれているのを発見しました」
それは、私の歯でした。
合わない歯の根が鳴らす音でした。
「角と翼と鱗を備えた、竜のような容姿を持った赤子……皆は、それを魔王様の御子だと信じ、新たな魔王の誕生だと喜び舞いました」
マルコさんの言っているのはただの昔語り。事実を淡々と告げているにすぎません。
ですが。
「なら、何故魔王様はお姿を見せてくださらないのか?」
その表情は、一ミリも変わりません。
虚のような眼。裂けた口元。そのどちらも、微動だにしません。
激情も諦観も憐憫も悲哀もなく。ただ事実だけを淡々と告げていました。
「アレが魔王様の御子であると皆は信ずる。しかし、それに足るだけの材料はどこにもない」
狂ったように語る彼の姿。
私はその姿に、恐怖を覚えました。
「何故、魔王様は我らにお言葉を下さらない? 何故、魔王様はそのお姿を拝見させていただけない? 何故、何故、何故、何故……何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故?」
人と似ているようで決定的に異なるその姿に、異様なまでの恐怖を覚えます。
その姿は、どこまでも人間そのものでしかないはずです。
彼の言っていることも、理解できないわけではありません。
ヴァルトさんやラミレスさんのように、その姿が異形なわけではありません。
恐怖するだけの理由が、そこにあるはずがない、のに。
私の体は、心は全霊でその存在を否定しました。彼は、ここに居てはいけないのだと。
彼はいったい……!?
「嗚呼、魔王様……たった一言、そのお言葉を賜りたい……たとえそれが私のすべてを否定するものだとしても……」
「あ、あなたは……!」
彼はそれだけ言い切ると、私など存在していないというように、ガルガンドが座っている台座へと足をかけました。
それを確認し、ガルガンドは台座を起動させます。
「さて、勇者レミよ。こうなってしまっては我から告げるよりほかないが、頼みがある」
「た、頼み?」
マルコさんの異様な雰囲気の飲まれ、固まってしまったアンナ王女の首を掴みながら、ガルガンドはニヤリと笑ってこう言いました。
「これより我らが転移すると同時にこの城で一つ術式が起きる。それによって人が死なぬように祈ってくれ」
「人が……!?」
私がそのことについて問いただすより早く、ガルガンドの姿が消えてしまいます。
同時に、城の全体が発行するかのように、私のいる地下室が強い光を発しました。
何が起きているのかわかりません……けれど、今の私にできることは一つ。
「っ……!」
私は、祈りました。
ガルガンドのいうとおりに、誰も死なないように。
ガルガンドの言葉は、まず間違いなく罠です。けれど、私にはそうせざるを得ませんでした。
なぜなら、マルコさんはこの城に魔王国の人たちを集めたといったから。今魔王国には、もともと住んでいた人たちだけじゃなく、アメリア王国の人たちも含まれているはずだから。
ここしばらくの間でお世話になった人たちの無事を、私は祈らずにはいられませんでした。それが、ガルガンドの思惑通りだったとしても。
やがて光は私の全身を包み込むように強くなっていき、意識が遠のいていき――。
私は、すべてとひとつになりました。
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「……その時の祈りを、あの巨大スライムの繋ぎに使われたのね」
「礼美ちゃん……」
光太君が、私の体を抱きしめてくれます。
マルコさんの瞳を覗き込んだ時の恐怖がぶり返し、震えていた私の体が落ち着きを取り戻しました。
そんな私の前に屈みこんだ隆司君が、重ねるように問いかけてきました。
「……転移した? それはマジか?」
「わからないけど……その場からはいなくなったから……」
隆司君の言葉に私は一つ頷きます。
あの台座に仕掛けられていたのは、たぶん転移のための術式だったんだと思います。
「……だとすると」
隆司君は真剣な表情でつぶやき、立ち上がります。
けれどすぐにいつものような表情になり、だらっと肩から力を抜いてしまいました。
「……まあ、どうあがいてもやばいまんまだ。やることが変わるわけじゃねぇ」
「ちょっと隆司。一人で得心得てないで説明なさい」
そんな隆司君の様子を見て、少しいらいらした様子で真子ちゃんがその頭を叩いてしまいます。
「あたしはてっきり、ガルガンドの奴はこの魔王国の中心で神位創生するつもりだったと思ってたんだけど?」
「俺もこうなる前はそう思ってた。ただ、真古竜の記憶を継いだおかげで情報が増えたんでな。一つ推測が立った」
そういって隆司君はあっけらかんとこういいました。
「連中、魔王国を超えた向こうにある、偽神の遺骸を利用して新しい神位を創生するつもりだ」
「……………………は?」
突拍子もない隆司君の言葉に、真子ちゃんの目が点になってしまいました。
偽神の遺骸って、何のことなんだろう……?
古い竜の記憶を受け継いだ隆司。
彼の話に、皆耳を傾ける。
以下、次回。