No.215:side・ryuzi「古竜の記憶」
――かつて、大地には三つの種族が生きていた。
強大な覇気で大陸の覇者として君臨していた竜族。
計り知れない好奇心のまま、あらゆる知識を吸収し続けた魔族。
強固な意志と統率力で、もっとも繁栄した人類。
永い間、三つの種族は関わりを持たず、干渉せず、ただ緩慢に平和を享受し続けた。
世界の至る所に人は生活の家城を構え、魔族たちは自由気ままに世界を漂い、竜は自らのテリトリーに腰を落ち着けた。
世界に住む種族たちは、それ以上を望むことなく、時間だけがゆっくりとすぎて行った。
だが、ある日。一人の人間がある実験を行いたいと他の種族たちに接触し始めた。
その人間は言った。新たな世界を作りたいと。
その当時、永い永い平和による腐敗が進み、三つの種族は緩やかに滅び行く定めにあった。
その人間は唱えた。新たな世界を作り、今ある世界を滅びより救いたいと。
世界の滅びを前に、憂いを覚えていた真古竜と、知ることを知り尽くしてしまった魔族たちは、その人間の提案に疑念を抱きながらも、協力を約束。
かくして、当時世界最大の人間の都であった都市で、当時の女神の憑代の監督の元、新たな世界を生み出す試みが始まった。
その過程で、多くの失敗、そして成功が生まれた。
その失敗は、真古竜に滅びに直面しているという現実を再認識させ、その成功は魔族たちにとって新たな刺激となって彼らをより研究にのめり込ませた。
永い時間の中で、一人の魔導師が頭角を現し始めた。
魔族より混沌言語を学び、竜から覇気を見取り、女神より意志力を受け取り。そうして得た力を、魔導師は実に巧みに操って見せた。
この男こそ、新たなる世界につながる成果を生み出すかもしれない。そう、研究にかかわったすべてものたちに思わせるだけの力を、その魔導師は見せつけた。
人々はやがてその男に信頼を寄せ始め、魔族たちは水瓶のごとく知識を注ぎ込み、真古竜はその身を信頼によって預けるようになっていった。
そして研究の果てに、世界は新たな神を生み出すことに成功した。
……そこからはあっという間に時間が過ぎて行った。
世界に新たな神が現出した瞬間、世界最大の都市は完全消滅。あたりのものを取り込みながら肥大してゆき、世界はもっと直接的な危機に晒されることとなった。
竜たちは叫んだ。研究の是非はどこにあるのかと。この責は誰が負うのかと。
魔族たちは喜んだ。この滅びを前に、世界はどうなるのかと。
人間は祈った。この世界にいたはずの神に、この世界を救ってくれと。
だが、時間はただ過ぎてゆき、世界はついに小さな島だけとなった。
新たに生まれた神――人はそれを偽神と呼んだ――の力は、圧倒的と言えた。
その前には既存法則は意味をなさず、あらゆる感覚は狂い果てる。
並みの竜では近づくだけで、泥のように溶けて消え去り、魔族たちのほとんどはその情報に押しつぶされ、砕け散っていった。
人類もまた、自らの意思と英知で組み上げたあらゆる兵器を持ち出したが、そのすべてが偽神の前には無為と化した。
小さな島だけとなった世界が滅ぶのも、時間の問題かと思われた。
ここに至って、ようやく三つの種族は手に手を取り合った。
最後に残った竜は、欠片となってしまった真古竜の記憶を継承し新たな真古竜となり。
たった二つとなった混沌玉の片割れは、一つの器に収まり、魔王となり。
かつて栄華を誇った人間たちは、真古竜の残骸より削り出した剣を一人の男に託し、女神の意志力を受け継いだ彼を最後の希望とした。
三種の世界の希望たちは、互いに手を取り、偽神との戦いに挑む。
戦いは果てなく続いた。
偽神の周囲では時間の流れさえ無意味であった。どれほどの時間が過ぎたのか、それは余人の知り得るところではなかったのかもしれない。
だが永い戦いの果て、偽りのままに生まれた神は、勇者の剣により打ち倒される。
偽神は砕け、大地に骸となりて残り、世界に法則と光が戻る。
こうして、世界に平和が戻った。
だが、殺したはずの神の骸は今なお世界を蝕んでいる。
人の業により、再びそれを利用されることを恐れた真古竜と魔王は、人の渡れぬ深い渓谷を残った大陸に刻み、自分たちの手でそれを監視することを誓う。
かつて勇者と言われた、人たちの王はそれを了承し、残された大地で細々と暮らし始めた。かつての禁忌の後を、すべて消し去り。
もはや毒としか呼べぬ神の骸。そこから生まれる異形のものたちを駆逐しながら、真古竜と魔王は長い時を過ごしていった――。
黒い黒い意識の中で、俺は見えない眼を開いて、永い時間旅行を終え、俺を包む意志のようなものに声をかける。
………で? わざわざ俺にこんな昔話を教えて、てめぇはどうしたいんだよ?
―………―
五千年くらいの間の記憶を見せつけられた俺は、かつての真古竜に問う。
あの谷底で、腐りトカゲに取り込まれた後、俺は延々とこの自称・真古竜の思い出話に付き合わされていた。
外で起きている出来事が緩やかに過ぎて行っているように思えるほど、凝縮された記憶の嵐に晒されたおかげで、かなりくらくらしている。実体があったら今すぐこの自称・真古竜の鼻づらをブッ飛ばしているところだ。
……で、なんでだよ?
―……コノ世界ヲ守護シテイル存在ヲ、再認識サセルタメ……―
しばしの沈黙ののち、真古竜はそう言った。
―コノ世界ヲ、守リ続ケテキタノハ、我ラダ……―
だからなんだ? そんなの、俺に今までのてめぇの思い出を見せつけんのと関係あんのか?
―貴様ノ魂ハ、アマリニモ強イ……コウシテ、我ニ取リ込マレテモ、自我ヲ保ツホドニ……―
ほーん。こうして自覚が持ててんのはそのおかげか。
―故ニ知ラシメル必要ガアル……ソノ、認識ヲ改メル必要ガアル……―
認識を?
―ドチラガ、ヨリ残ルベキカ……ソノコトヲ、貴様ニ教エル必要ガアル……―
ほほーん。
―事ノ発端ハ、スベテ人間ノ欲望ガ引キ起コシタ……新タナ世界ヲ作ルナドトイウ妄言ニ耳ヲ傾ケナケレバ、世界ハ今モ平和ダッタ……―
……そーかもな。
そこは、俺も認めるところだ。
この自称・エンシェ(ryの記憶によれば、世界は確かに少しずつ腐っていっていたが、少なくとも偽神が生まれさえしなければ、滅びはもっと後に訪れたはずだった。
滅びを加速させたのは、一人の人間の提案が元だ。
この自称・(ryのいうことにも、一理ないでもない。
―コノ世界ヲ守ルベキハ、人デハナク……我ダ……―
………なるほどねぇ。
まあ、言いたいことは分かった。
―……ナラバ―
その上で、お前さんにひとこと言いたいことがある。いいかい?
―……カマワヌ。今際ノ言葉、シカト貴様ノ同胞ニ……―
「――店子の分際で調子こいてんじゃねぇぞ腐りトカゲがぁ!!!!!」
轟音一蹴。
そう表現すべき様な凄まじい音が、俺を中心に響き渡り、次の瞬間世界が反転する。
強い意志の輝きは黒い意志を白く輝かせ、その中心に俺はいた。
そして、俺の目の前には小さく押し止められた黒い意志が漂っていた。
その黒い意志は突然の出来事を受け入れられず、動揺を俺に伝えてくる。
―ガァッ!? ナ、何故……!?―
「てめぇが使ってんのは結局のところ俺の体だろうが。俺の体だ、俺が使えねぇわけがねぇ!!」
結局のところ、この自sy(ryがやろうとしていたのは単純なことだ。
乗っ取った俺の体に、俺の意思が残っちまったから、自分の記憶を上書きすることで俺の体を改めて乗っ取ろうとしたってだけの事。
だが、それすらも失敗してしまったので、今度は俺の情か何かに訴えかけようとしたんだろうが……。
「ざぁんねぇんだったなぁ!! こっちにゃ自称守護者様に分けてやる情けなんざ、欠片もねぇんだよ!!」
―貴様……愚弄スルカ……!―
「事実だけを述べてやったのよ!!」
俺は怒りのままに拳を握る。
「大体にして、他人の褌で偉そうな面しようってのが気に入らねぇ!! やんならてめぇの褌でやりやがれ!!」
―我ニハモウ肉体ハ……―
「だからなんだ!? 体がなけりゃ人の肉体を奪うのが竜族流か!?」
怒りのままに握った拳を、俺は大きく振りかぶる。
―何ヲ……!?―
「何を、をくそったれもあるかぁ!! とっとと……!!」
固く握った拳を、勢いのまま俺は目の前の黒い意志に叩き付けた。
「でていきやがれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
―ギャァァァァァァァァ!!??―
長く尾を引く悲鳴を残し、黒い意志が消滅する。
「フン、雑魚が……」
俺は小さく自(笑)を罵ってから、ちらりと上を見上げる。
そこには、今の体を通してみる外の世界が写っていた。
「てめぇなんぞにかかずらわってる暇なんざねぇんだよ」
そこに映っていたのは、大粒の涙を流し、叫び声を上げる嫁の姿があった。
「泣いてる嫁をそのままにしておけるかってんだ……!」
俺は意志と覇気を滾らせ、腐った体の中へと新たな体を構築する。
「行きがけの駄賃だ、てめぇが受け継いだとかいう真古竜の記憶、礼金代わりに頂いておくぜ……!!」
にやりと笑って、俺は吼え猛る。
「おおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
瞬間、俺の意識は大きく広がる。
さあ、これからが本番だ……!!
真古竜の記憶を奪った隆司。
ここに、新たなる真古竜が誕生した!
以下、次回。