No.212:side・mako「魔王国、到着」
破滅的な轟音を立てながら、スカイ・シップが竜の谷の対岸側へと到達する。
激しい衝撃、振動。生きた心地もしないような暴力の嵐の中、あたしたちはただ歯をくいしばって耐える。
「……!!」
着地の勢いのままに滑り続けたスカイ・シップは、やがて一つの岩山に向かって突き進む。
断崖絶壁と表現するのにふさわしい大きさだ。あんなものにぶつかったら、スカイ・シップごとあたしたちの体がばらばらになる……!」
「風王結界!!」
スカイ・シップが纏う風を、そのまま前面へと展開し、衝撃緩和のためのクッションに返る。
そして、次の瞬間、スカイ・シップはクッションを間にはさみ岩山へと衝突した。
「―――!!」
声にならない悲鳴が上がり、やがてベキリと船底が破損する音共にスカイ・シップが沈黙する。
「――ぁは……」
誰かが、小さく息を吐いた。
次の瞬間、あたしの隣でずっとおとなしくしていたソフィアがあたしの襟首をつかみ、捩じり上げた。
「………!!」
「ソフィア様!? お気を確かにであります!!」
「待ってサンシター!!」
そばにいてくれたサンシターが仲裁に入ろうとするけれど、あたしはそれを押し止める。
ソフィアの瞳の中には、様々な感情が入り乱れているのがわかる。
「貴様……! 貴様ぁ……!!」
今にも泣きだしそうな顔で、震える声で、絞り出すようにソフィアが繰り返す。
けれど、ただ繰り返すばかり。
震える声も、やがて小さくなっていき、最後にはあたしを掴んでいた手からも力が抜けていく。
「ぐ、う、うぅぅ………!!」
「……もっと罵ってくれていいのよ。あいつを見捨てたのは、あたしの判断だから」
やり場のない感情に翻弄されているであろうソフィアに、あたしはそう告げる。
少なくとも、殴られるだけの覚悟はしていた。実際、それだけのことをしたのだ。
だが、ソフィアはそんな私に対して何かするのではなく、自分の中に感情をしまうことにしたようだ。
いやそれどころか……ソフィアの様子は少しおかしかった。
「ぐ、う、ぐぅ……!!」
荒れ狂う感情の波に翻弄されているというか……まるで感情そのものに苦しんでいるようにも見える。
目の前で、隆司を見捨ててしまった悲しみを受け入れきれずに苦しんでいる……そんな風に見えた。
「……?」
「……真子ちゃん。これからどうしよう」
そんなソフィアの様子に、思わず眉根をひそめていると、後ろから光太が声をかけてきた。
振り返ると、そこには無表情の光太が立っていた。すでに両手には剣が抜かれ、戦闘態勢に入ったままだ。
「……やることは、変わらないわ。このまま前進して、魔王国へ突入。あわよくば、神位創生に取り掛かっているであろうガルガンドを取り押さえるわ」
「そんな!? リュ、リュウジのことはいいの!?」
ジョージに守られたおかげで無傷だったフィーネが、涙声で叫ぶ。
その声に反応してソフィアがピクリと体を震わせるけど、あたしはそれを見なかったことにしてフィーネに言い聞かせた。
「……残念だけど、助けに行っているだけの余裕はないわ。あたしだって、これが最善だとは思わないけど、これ以上進行を遅らせるわけにもいかない」
「で、でもリュウジ、あの高さから落ちたら……!」
「大丈夫ですよ、フィーネ様」
光太もあたしの脇に並びながら、先ほどまでとは違う柔らかな笑みでフィーネを宥める。
……見るものを妙に不安にさせる、完璧すぎる笑みだったけど。
「隆司なら、きっと平気です。今は、彼を信じて、私たちは先に進みましょう」
「う……う、うん……」
光太の笑顔の妙な迫力に押されて、フィーネも何とか頷いた。
……くそっ。わかってたけど、精神的なダメージがでかすぎるわよ……。
「……ハァ。団長さん、みんな無事か点呼とってもらっていい?」
「ああ、わかった」
団長さんにそうお願いして、あたしは船の補強のためにあちこちに散らしていた紅玉を手元まで回収する。
一つ一つにひびが入っていないか確認し……。
「……く」
自分の手がわずかに震えていることに気が付いた。
小さく呻き、あたしは両手をぎゅっと握りしめる。
来るって、わかってたはずなのに……ガルガンドが、逃げ場のない場所で襲撃に、来るって……!
後悔の念が後から後から湧いてくる私の手を、ぎゅっと抱きしめてくれる人がいた。
「マコ様、大丈夫でありますか?」
「サン、シター……」
大きな掌にくるまれたあたしの手の中に、温かい熱が少しずつ戻ってくる。
「……うん、ごめん……少しだけ、つらい……」
「そうでありますか……」
あたしはそう呟きながら、サンシターの胸にわずかに頭を預ける。
サンシターは、あたしをそのまま受け入れてくれる。
後ろで団長さんの点呼を聞きながら、あたしは少しずつ自分を落ち着けて行った。
……大丈夫だ。まだ、いける。
「マコ。全員、とりあえず無事だ。行軍するのに問題はない」
「……ん。ありがとうございます」
団長さんの声に、あたしは顔を上げて振り返る。
あたしの様子を見ても特別何も言わなかった団長さんは、後ろの方を示した。
「魔王軍の方はヴァルトが見てるが、あっちも特別問題なさそうだ。さすがに頑丈だな」
「ならいいです。一刻でも早く、ガルガンドを捕まえないと」
あたしがぎゅっと拳を握っていると、ゆらりとソフィアが立ち上がった。
そちらの方を見ないまま、あたしは声をかける。
「いろいろ、整理はついた?」
「……ああ、すまない」
あまり大丈夫ではなさそうな声色で、ソフィアはそう言った。
憔悴しているのがみえみえだけど、それを追求するほどの余裕はない。
「そ。じゃあ、すぐにでも出発するわ。――アルト王子! そっちは!?」
あたしが声を張り上げると、ブリッジの扉が開いて中からアルト王子が顔を見せる。
「こちらもなんとか無事です……!」
「そう! なら、全員連れて魔王国へ行くわ! さすがに置いてけぼりってわけにもいかないでしょうしね!」
「わかりました!!」
中から「ちょっと待て、某はここにのこ「ズベコベ言ってないでついてきなさい」ギャー!?」なんて騒々しい音が聞こえてくるけれど、あたしは無視して周りの人たちに指示を飛ばす。
魔王国は、ほとんど目と鼻の先……特別城門のようなものは見えず、人々の暮らしている家屋がここからでも丸見えになっている。
……そこに、喧噪のようなものは見られない。巨大な船が、霧を超えて飛んできたというのに。
「……ひょっとして、手遅れ……?」
あたしは胸の内の不安を小さくこぼしながら、スカイ・シップから降りる準備を始めた。
その後、ギルベルトさんが駄々をこねた以外、特別の支障もなくあたしたちは魔王国の領土を踏みしめた。
ちなみにギルベルトさんは、スカイ・シップの修理のために残りたかったそうだ。もちろん、満場一致で却下されたが。
「物資もない、時間もない。そんな状況で一人残らせるわけないでしょうが」
「帰りに関しては、魔王国の方々のお世話になります。ですので、大人しくついてきてください」
「ぬわー! 某の船ー!」
珍しく声を荒げる王子に引きずられるギルベルトさんは何とも情けない姿だったけど、さすがに魔王国の中に入ったらおとなしくなった。
物珍しそうに一般家屋を見つめながら、ギルベルトさんが小さく首をかしげる。
「……しかし魔王国ってのは、静かな国だな。誰もいないように見えるぞ」
「実際誰もいないよ。そんなこと、あるはずがないんだけどね」
ギルベルトさんの正直な感想に対し、ラミレスがそう答える。
近くの露店らしい場所から一つ果物を見つけて、あたしの方へと放り投げる。
「いつもなら、そろそろ店やらなんやら閉めて、家へと帰ろうって時間さ。さすがに商品放り出しっぱなしってことはないけどね」
「でしょうね」
放り投げられた紫色のリンゴっぽい果物をかじりながら、あたしは空を見上げる。
霧を抜けた魔王国の空は、茜色に染まってきているところだった。
竜の谷に突入するときにはまだ青空だったから、結構な時間あの中にいたわけね……。
「マコ様! 騎士団と魔王軍の方々が戻ってまいったであります!」
「なんだって?」
「……やはり、誰もいないようであります。さっきまでいたような形跡はあるようでありますが」
困惑したようなサンシターの報告に、あたしは腕を組む。
「つまり、いきなり魔王国の住人が姿を消した、と」
「……そこの民家で、まだあったかい飲み物を見つけたよ」
光太が近くの民家から姿を現す。後ろには、愕然とした表情のソフィアも一緒だ。
「いったいみんなはどこへ消えたというのだ……?」
「さてね。その答えを知ってるやつに心当たりはあるけど」
「忽然と姿を消した人々。そして残っている生活の痕跡……まるでマリーセレスト号事件だね」
光太が、本気とも冗談ともつかない表情でそんなことをのたまう。
その事件について何も知らないフィーネが、シュバルツに跨りながら無邪気な表情で訪ねてきた。
「マリーセレスト号事件って?」
「……原因不明の船員消失事件よ。乗っていた乗組員は、その痕跡すら残さず消滅。あとには人が乗っていた形跡のある船だけが残されたって話」
「……確かに似てんな」
シュバルツの手綱を引くジョージの同意が、いやに響き渡って聞こえる。
確かに似てはいるけれど、状況が違う。
片や一隻の船。片や一王国だ。……国と言っても、アメリア王国の首都と同じ規模位みたいだけど。
「ソフィア。ここ以外に、魔王国の領土ってないの?」
「……ああ。これより先には混沌の獣が跋扈する荒涼地帯が広がるだけだ。開拓を試みた時期もあったそうだが、結局はこの場に留まるのが最善と判断されたようだ」
暗い表情のまま、ソフィアはそう告げる。
「となれば、ここ以外に基本的に魔王国の人たちに行き場はないわよね?」
「もちろんだ。危険を承知で、混沌の獣の住処に住もうなんて者はいない」
「……なら、決まりでしょうね」
あたしは絶望を吐き出すようにため息をつきながら、顔を上げる。
視線の先にあるのは、魔王城がそびえ立っていた。
「とりあえず、お城に向かいましょう。何もなければ、あそこに宰相のマルコがいるのよね?」
「その、はずだ」
言外に、そんなことがあるわけない、と匂わせながらソフィアがつぶやく。
確かに、この状況で城だけ無事なんて奇跡がありうるわけないわね。
だからと言って、手をこまねいているわけにも……。
「……って、マコ様!? なんかお城から出てきたでありますよ!?」
「はぁ? なんかって何、って何あれ!?」
サンシターの驚いたような声に反応してもう一度視線を向けると、魔王城から何か液体のようなものが噴出しているところだった。
あまりの光景に、光太もソフィアもあんぐりと大きく口を開いていた。
「な、なにあれ……?」
「わ、わからない……あんなの、私は知らない……」
「あ、あ! な、なんだか動いてるよ!?」
フィーネが指差して言うとおり、魔王城から噴き出した何かはうねうねと動き立ち上がり……。
「……って、あれ……!?」
「な、なんだあれは……!?」
あたしとソフィアの驚愕の声に続き、一際大きな光太の叫び声が響き渡った。
「礼美ちゃん!!??」
そう。魔王城から噴き出した何か……おそらくスライムの類だろう。
その立ち上がった先端、おそらく頭部と目される部分が形を変え……。
まさに礼美としか言えない顔へと変化してしまったのだ……。
住民の消えた魔王国。
そして礼美ちゃんへと変化したスライム。
魔王国でいったいなのがあったのか?
以下、次回。