No.21:side・Sophia「その頃の魔竜姫」
ぺちんぺちん。
「も~。ソフィア様~、いい加減、機嫌治してくださいってばニャー」
「うるさい」
ぺちんぺちん。
私の尻尾が全力で今の気分を椅子の背にぶつけている。
机の上に突っ伏しながら、私、ソフィアは魔王軍前線本部の中に用意された、私専用のテントの中で不貞腐れていた。
原因は言わずもがな。あの男のせいだ。
「何が勇者だラミレスの奴……ただの変態じゃないか……!」
「にゃー。さしものラミレス様も、あんな男が召喚されてるなんて見抜けんですニャー」
さっきからニャーニャーうるさい、私の親衛隊の一人であるミミルがため息をつく。
その隣の方で、誰かがガバッと勢いよく地面に伏せるような音が聞こえた。
「申し訳ございませぬぅぅぅぅぅぅぅぅ!! このガオウが御伴できませなんだばかりにぃぃぃぃぃぃぃ!!」
「武器の手入れをしてたせいで行軍に遅れるとかないにゃー」
「ガオウうるさい」
「申し訳ございませぬぅぅぅぅぅぅぅぅ!!」
どうやらミミルの隣にいたのは親衛隊の一人のガオウだったらしい。口やかましい……というより全体的にうるさい男だ、相変わらず。ただ、忠誠心はミミルより厚い、頼もしい男でもある。
私はようやく顔をあげ、二人の親衛隊の方を振り返る。
土下座体勢のガオウを、呆れたようなまなざしで見下ろすミミルがそこにいた。
ミミルは顔を上げようとしないガオウにため息をついた。
「まあ、ガオちんが一緒に来ても止められたかどうか微妙だと思うにゃよ?」
「どういうことだミミル!? ヴァルト・ルガール将軍の一番弟子である、このガオウより! 異界からやってきた、ただの子供の方が強いと申すのか!?」
「うん」
「ぬわにぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!??」
ミミルの断言に、ひときわ大きな声で叫ぶガオウ。相変わらずの音量だ。こいつの声は百メルト離れていてもよく通る。
ミミルは思わず頭の耳を両手で覆い、私は私で顔をしかめる。
とはいえ、私も同意見だったりするのだが。
「ミミルの言うとおりだ、ガオウ」
「そ、ソフィア様までぇ!? 何故!?」
「確かにお前は強い。だが、その剣は私の喉元に届くか?」
「そ、それは……」
私の質問に、ガオウは頭の上の耳をぺたりと伏せた。
この男、ヴァルトの一番弟子を名乗るだけあって戦闘力は魔王軍でも一、二を争うだろう。
とはいえ、それは一般兵卒の中での話。
私も伊達に魔竜姫など名乗っていない。ヴァルト以外に私の体に触れられる奴はそうそういない。
「……あの男、タツノミヤリュウジの刃は確かに私へと届く。これが貴様とあの男の差だ」
「そ、それほどまでの力の持ち主なのですか!?」
「そうにゃー。しかも純粋身体能力でそれにゃ」
「し、身体能力のみで!? そんな人間、存在するのか!?」
ガオウの驚きももっともだ。今まで私たちが戦ってきた人間たちは、時折驚くような技術を持った者はいたが、基礎身体能力だけで見れば魔王軍の中でも下位以下と断じていいだろう。
女神とやらの加護のおかげで能力値の底上げもできるようだがそれも雀の涙。魔族の肉体には遠く及ばない。
だがあの男はそんな人間たちの力を大きく上回る能力を見せた。
私と剣を交わせるだけでなく、私に背中の翼を使わせるだけの腕の持ち主。
本来であれば、宿敵とも呼べるあの男の存在を、喜びこそすれ嫌悪する理由などない……はずなのに……。
私は奴より受けた恥辱を思い出し、拳を握っていろいろなことに耐える。
「そうだ……それだけの力の持ち主なのに……なんであんな奴なんだ……!!」
「そ、ソフィア様!? お気を確かに!」
「にゃー」
フルフルと体を震わせる私の姿に怯えたようにガオウは一歩下がり、ミミルは同情するような視線を向ける。
「何が嫁だ、何が太ももだ! 私のそういった部分を見るのは一向に構わんが、それを戦場で口に出すなど……!」
「よ、ヨメ!? 畏れ多くも、魔竜姫ソフィア様に対してそのような口を利くなど、生意気な……!」
「しかも戦場でおっぱいポロリされかけたもんにゃー。怒りも憎しみもひとしおにゃー」
「そ、それを言うなぁ!?」
突然の発言に慌てて私は鎧をまとっていない自分の胸を覆い隠す。普段は邪魔だし、その、目立つのでさらしを巻いているのだ。決して恥ずかしいとかそういう理由ではない。
だがあの男との戦いの際、避けきることのできなかった一閃が私の胸を掠り、鎧のみならずその下のさらしまで斬り裂かれてしまった。
慌てて胸を隠そうとしたが、それが仇となって結局引き倒され……。
「あああぁぁぁぁぁぁ!!!」
余計なこと思い出したー!? あいつめあいつめあいつめぇぇぇぇぇぇぇ!!
「ちょっとガオちん、急にうつむいてどったにゃ?」
「は、鼻血が……!」
何かガオウがいろいろ言っているがそれすら耳に入らない。
何がその太もも堪能させてくださいだ変態めがぁぁぁぁぁぁぁ!!
私が怒りのままに地団太踏んでいると、テントの入口に見覚えのある白い耳の娘が入ってきた。
「そ、ソフィア様!」
「む? マナか。いったいどうしたそんなに慌てて」
私の親衛隊最後の一人であるマナは、息を切らせながら私の顔を見上げる。
運動が苦手なこの娘がここまで慌てるとはいったい……。
「ヴァ、ヴァルト将軍がお戻りになられました!」
「ん、そうか」
「で、でも、相手側にひどい傷を負わされてて……!」
「なにぃ!?」
ヴァルトの体に傷をつける、だとぉ!?
私は慌ててテントから飛び出した。そのあとをミミルたちもついてくる。
我々魔族は、人間を凌駕する身体能力を持つが、普段の身体強度自体は人間とそう変わらない。普通に刃は刺さるし、魔法だって通用する。普段の生活においては、力を加減していなければならないほどだ。そうしなければ、自分で自分の体を壊してしまう。
だが闘争心が高ぶっているときは、全身を巡る魔力が我々の肉体の強度そのものをあげてくれる。拳は巌のように、足は鋼のように。そうすることで我々の身体能力を支える土台にするのだ。
そしてヴァルトほどの使い手ともなれば、高位魔法をほかの魔法の補助なしに防ぎきるほどだ。実際そうして高位魔法を防いでいるのを見たことがある。
だというのに、傷を負って帰ってくるなど……。いったい何があったのだ!?
目の前に見えた救護用テントの中へ一目散へ駈け込んだ私は、ヴァルトの姿を探す。
彼は魔王軍の中では唯一の完全なる獣人だ。その姿は一目で……。
「おや、姫様じゃないか」
「ラミレス!」
ヴァルトを発見するより先に、今回の行軍に同行していたはずのラミレスを見つけた。
まあ、行軍といってもヴァルトとこのラミレスの二人だけだったのだが……。
私はその姿を確認すると、肩を怒らせながらそばへと歩んでゆく。
「ラミレス! ヴァルトが怪我をしたそうだが」
「ああ、それが?」
「貴様が付いていながら、どういうことだ!?」
ラミレスは魔王軍、魔導師団の長だ。人間程度、問題にならないほどの技術と魔力を持つ。
そんな彼女が付いていながら怪我を負うなど……!
「そう言われても、手出し無用って言われてたんだよ」
憤慨する私に対し、ラミレスはやれやれと子供を相手にするようなしぐさで肩をすくめた。それが何とも腹立たしい。
「ヴァルトの奴、勇者たちの実力が見てみたいってね。いつもの悪い癖さね」
「だからといって、仲間が傷つくのを黙って……」
「これは閣下。いかがいたしました?」
飄々とした態度のラミレスへと詰め寄ろうとすると、その背後から見慣れた獣の顏が現れた。
体の節々に包帯を巻いた、ヴァルトだ。
「ヴァルト! 怪我は!?」
「大事ありませぬ。それより、いかがなさいました?」
「貴様が怪我をしたと聞いた! どういうことだ!?」
私の言葉に目を丸くして、ヴァルトは苦笑とともに私の背後に目をやった。
それに合わせて私も背後を振り向くと、ミミルはどうでもよさそうに、ガオウは怪我をした師の姿を信じられないように。
そして。
「お前か、マナよ」
「は、はい……」
自分が余計な事を云った、とでも思っているのか。真っ白な耳をぺたりと伏せたマナがそこにいた。
ヴァルトはマナのそばまで歩み寄ると、その大きな手でマナの頭を撫ではじめた。
「閣下への報告はありがたいが、大げさな報告は困るな。閣下は心配性だからな」
「は、はい……」
「自らの配下のことを心配せぬやつがどこにいる」
ヴァルトの物言いに、私は憮然と返した。
ヴァルトは間違いなくこの魔王軍一の使い手だ。それが傷を負って帰ってくるなど一大事以外の何だというのだ。
ヴァルトは続いて、自らの傍らに片膝をついて首を垂れるガオウに目をやった。
「ヴァルト様! 御体の具合は!?」
「見ての通り、支障はない。この後、お前の稽古もつけてやれる」
「ハハッ! ありがとうございます!」
ヴァルトの言葉に、ガオウは厳格な物言いの中にわずかに喜びの色を混ぜて答えた。
ガオウのこの向上心、見習わねばな……。
「それで、ヴァルト。勇者との戦いはどうであった?」
「昨日、ソフィア様がほとんど戦闘できなかった分も報告よろにゃー」
いらんことを抜かすミミルに尻尾を叩きつけようとするが、持ち前の俊敏さで回避されてしまう。こなくそ。
ヴァルトはそんな私たちの様子を微笑ましそうに見つめ、しかしすぐに魔王軍将校としての顔を取り戻す。
傷を負ったままだというのにガオウのように私に片膝をつき首を垂れる。
ああ、もう。怪我が開いたらどうするつもりなのだ、こ奴。
「ヴァルト、無理をするな」
「問題ありませぬ。して、此度の会戦ですが」
私の心配をよそに、ヴァルトは今回の報告を始める。
勇者と呼ばれる人間の数は四人。そのいずれも黒髪黒瞳の少年少女であるということ。
かねてからの報告の通り、その構成は騎士、戦士、魔法使い、巫女であること。
それぞれの地力は、現時点でも私の親衛隊と同程度かそれ以上であるということ。
結果として、一瞬の油断がこの怪我を招いたということ。
「――そして最も注意すべきはおそらく騎士と巫女でありましょう」
「……? どういうことだ」
ヴァルトの言葉に、私は首を傾げる。
話を聞く限り、詠唱破棄で相当な威力を出せる魔法使いと、魔族以上の身体能力を持つあの変態の方が厄介だと思うのだが……。
「この二人から、女神の力を感じました。おそらく、女神の眷属として目覚めかけているのでしょう」
「女神の……」
女神、の言葉に私は目を見開いた。
かつて魔王様がその腕に抱いたとされる女神。魔王様と双璧をなすその力は間違いなく強大。何しろ世界の柱を担うものの一つなのであるから。
そんな女神の眷属として目覚めかけている二人か……。確かに、要注意ではあるな。
「とはいえ、あくまで目覚めかけているだけ。現状において厄介なのは、戦士と魔法使いですな」
「そのことだが」
私はヴァルトの報告を遮って、陰鬱な表情を称えながらヴァルトの顔を見た。
「あの男、どうして消さずに戻ってきた」
「無体なことを申しまするな」
途端に輝かんばかりの笑顔で私の方を見るヴァルト。なんかすごい腹立つ。
「我が轟斧の直撃に耐えたばかりか、私の体を持ち上げるような剛の者を、それだけ消して来いというのは至難の業」
「そもそもあの坊や、極端に死ににくいみたいだからねぇ。ヴァルトでも、殺すのは難しいんじゃないかい?」
ヴァルトの体にしなだれかかり、その足をヴァルトが逃げないようにその体に絡めていくラミレスを見る。
「どういうことだ?」
「私もよくわからないんだけどねぇ。あの坊や、尋常じゃないくらい体機能が発達してるっぽいんだよ。姿隠し使ってなきゃ、あたしが直接調べたいくらいだよ」
「ちょ、やめ……!」
体が絡め取られていくのにうろたえて、何とか引きはがそうとするヴァルトの首根っこにかじりつくラミレス。
私はそんな彼女の様子を無視しつつ、自分の考えを述べる。
「不死者ではないのか?」
「それはないね。不死者なら核があるけど、あの坊やには見当たらなかった。ごく普通の人間だよ。体が異様に死にづらいってことを除けば」
「だからやめろと!? 閣下の御前だぞ!?」
ニュルニュルとヴァルトの体を完全にホールドしてしまうラミレス。なおもヴァルトは抵抗するが暖簾に腕押しだ。そもそも彼がラミレス相手に本気を出しきれるとも思えない。
不死者とは、何らかの方法で魂を核に封じ、それを起点に幾度も蘇る存在だ。魂が核に封じられているので自力で昇天することはなく、核を破壊することによってのみ消滅する。
あの変態が不死者なら核が存在するはずだが、それに気づかないラミレスではない。
ならば奴はいったい……?
「一番近い存在をあげるとすれば……」
「すれば?」
「それは姫様、あんたさね」
もはやいろいろあきらめた表情のヴァルトに抱きつきながら、ラミレスが変なことを言い出した。
「私が? どういうことだ?」
「この魔王軍一の頑強さを誇る竜の娘……あの男と比較できる対象があるとすれば、それだけってことさね」
にやりと妖しい笑みを浮かべるラミレスの言葉に、私は憮然とした表情を作る。
何をバカな。あの変態と私が同じ存在だなどと、笑い話にすらならん。
「ちょうどいいんじゃにゃい? 向こうも、ソフィア様を嫁認定してるし」
「黙れバカ猫」
放った尻尾の一撃を踊るように回避するミミル。ち、伊達に隠密ではないな、やはり……。
「にゃによー。別に女を捨てたわけじゃにゃいんでしょー?」
「それとこれとは話が別だ、たわけ」
だいたいなんで変態に嫁がにゃならんのだ。もっとロマンチックな出会いがいいわい。
ため息をついた私は、まずは目の前の部下をねぎらっておくことにする。
「ともあれ、今回はご苦労であったヴァルト。今は傷を癒すことに専念するがいい」
「ハッ。もったいなきお言葉です、閣下」
ラミレスの下半身に絡め取られた何とも情けない姿ではあったが、ヴァルトは私の言葉にしっかり返事をしてくれた。
私はヴァルトに一つ頷き返し、親衛隊を引き連れてそのまま救護テントを出ていった。
そしたらすぐに中から聞こえてきた色々な音は極力無視する。
……ラミレスは、自重を知らんからなぁ。
「……そ、それで、ソフィア様? 次はどうするのですか……?」
顔を真っ赤にしているマナの言葉に、私は空を見上げて答えた。
「……一週間後、もう一度仕掛けよう。今度は、お前たちも共に」
「私たちも、ですか?」
「ハハァッ! ありがたき幸せ!」
私の言葉に驚いたような顔を見せるマナに、即座に返答を返すガオウ。
私は疑問符を浮かべるマナの顔をまっすぐに見つめた。
「そうだ。なんであれ、障害は排さねばならない。ならば、全力で当たるまで」
「全力で当たろうとして、逆に当てられちゃったんにゃん?」
旋回尻尾撃をつつがなく回避するバカ猫に舌打ちしつつ、マナたちの顔を見つめる。
「ついてきてくれるな、二人とも」
「ハハァッ!」
「は、はい……」
「あれー? 私はー?」
打てば響くように返事を返してくれた二人に満足し、私はそっと拳を握り込んだ。
次こそは、勝つ……!
そんなわけでソフィアさんのターン。あれです、第一章終了的なノリです。邂逅編、みたいな?
次から修行編的なノリの何かが始まるわけです。ついでに伏線をばら撒く作業が始まるわけです。
こっからが正念場ですなぁ……。がんばるぞー。
*八月二十五日、名前ミス修正。キャラの名前ミスるとか死にたい。