No.202:side・remi「人であるということ」
魔王国の天気は、基本的に快晴が多いです。
周囲を険しい山に囲まれているためか、なかなか雨が降らないと農家のドワーフの人が愚痴っていたのを聞いたことがあります。
そんな、常に日差しが温かい魔王国の中で、唯一日の当たらない、地下の独房。
私は今、そこに居ました。
「アスカさん……」
私が名前を呼んだ人は、鉄格子の中で何をするでもなくじっとしていて、私の声にも反応を返してはくれませんでした。
「フ、フフ」
時折、何かを思い出したように薄笑いを浮かべる彼女はとても不気味です……。
「……彼女は、こちらへ来てからずっとこの通りだ」
私の隣に立つクロエさんが、淡々とした様子でアスカさんの様子を話してくれました。
「ほとんど動こうとせず、食事もろくに取ろうとしないありさまだ。おかげで、骸骨たちが食事を無理やり口にねじ込まないと、生命維持も怪しい」
「そんな……。そもそも、どうしてこんな独房にアスカさんを?」
「メイドたちが怯えるんだ。ほとんど何も言わずに笑ってばかりで怖いと」
つまり終始あの様子ということですか……。
「……ガルガンドの催眠を解くことはできないのですか?」
私はクロエさんを睨みながら、そう聞きます。
もっとも、これに対する回答は分かり切っていますけれど……。
「それはだめだな。武器がないとはいえ、彼女はアメリア王国の騎士団だ。仮に催眠を解いたら、我々に反抗するのは目に見えている。彼女には悪いが、もうしばらくはこのままだろう」
「そうですか……」
クロエさんの回答に、私は小さく頷き返します。
やっぱり……。それに、ジョージ君の様子から、洗脳中の記憶も残ることは分かっています。アスカさんが思いつめる性質の人だったりしたら、後悔のあまりそのまま自殺しかねません……。
「おーい、めしやぞー。って、クロエ姐さん!? なにしてはるんですか!?」
「なんでもない。レミ、行くぞ。あまり見ていて気持ちのいいものではない」
「はい」
クロエさんの言葉に従い、私たちは独房を後にします。
口の中に無理やりご飯を詰め込まれるアスカさんの姿なんて見たくありませんし……アスカさんだって見られたくないはずです。
「こちらへお前が来て、もう一週間ほどか。この国には慣れたか?」
「はい、一応は……」
クロエさんの質問に、私は小さく頷きます。
そう。こちらへとやってきて一週間ほどになります。
アンナ王女はいまだに脱出をあきらめていませんが、連れてこられたアメリア王国の人たちは順調に順応しているように思えます。
……でも、私はいまだに進展なしです。
ガルガンドから情報を得られることもなく、マルコさんを説得できるわけでもなく……。
「……そういえば、ガルガンドはどこにいるんですか?」
「さてな。ガルガンド殿がどこで何をしているかは、私にもわからない。おそらく、神位創生のための最後の仕上げだろうが」
クロエさんのそっけない返事に、私は小さく唸り声を上げます。
そう。ガルガンドは、今この城内にはいないんです。
マルコさんの口利きのおかげで、私はこの城の中を自由に動くことができます。
おかげで、スライムの錬金術師さんや、ワーシープのメイドさん、それにマーメイドの料理人さんたちと仲良くなれましたけれど……。
私のいける範囲に、ガルガンドの姿はありませんでした。
魔導師の人たちが研究を続けている研究室はもちろん、四天王のひとりリアラさんが使っているというゴーレムの研究所、はては地下の独房の中まで見て回りましたが、どこにもガルガンドの姿はありませんでした。
神位創生に必要なものは、純度の高い意志力。極めて複雑な混沌言語。そして何よりも強い、究極の肉体です。
意志力は……間違いなく私やアメリア王国の人たちを利用するつもりでしょう。混沌言語に関しては、ガルガンド自身も研究を続けているでしょう。
しかし、究極の肉体に関しては一朝一夕にはいかないはずです。仮にゴーレムのような機械の体でそれを再現するとなれば、相応に広い空間と施設が必要になるはずです。
この城の中にあるゴーレムの研究所がそれにふさわしいだけの空間と設備を備えているかはわかりませんけれど、それでも城の中にいないとなると、いったいどこにいるのか……。
何とかして、神位創生を止めさせないと……。
「まだあきらめていないのか?」
「……当然です」
クロエさんに答えて、私は強い意志を秘めて彼女を睨みつけます。
「神位創生は、確かにあなたたちの悲願でしょう。けれど、そのために多くの人たちを犠牲にするのは間違っています」
「………」
「確かにあなたたちは、人間じゃないかもしれません。でも、そんなあなたたちを受け入れてくれる人たちだっているはずです。それはきっと、世界を壊すことより、ずっと素敵な――」
「――貴様に何がわかる」
私の言葉を遮り、クロエさんが強い声を発しました。
……アンデットにふさわしい、強い恨みのこもった声を。
「っ!?」
「貴様のいうことにだって、一理はあるだろう。だが、そもそも前提を間違えているのだ」
「前、提?」
「そうだ」
クロエさんは苦々しげな顔になり、吐き出すようにこう言いました。
「……我々を否定したのは、世界ではない。創造主たる、マルコ様だ……!」
「え……」
クロエさんの言葉に、私は息を詰まらせました。
つまり、彼女たちが神位創生をもくろむ原因は、マルコさん……?
「……どういうことか、聞いてもいいですか?」
「……かまわん」
クロエさんは小さく一息つくと、ポツリポツリと語り始めてくれました。
「この国の者達のほとんどは、我々が生み出された理由は、マルコ様が手足となって働くものを欲した故と思っている」
「はい。私も、そうだと窺っています」
少なくとも、城の中で働いている人たちはそう思っている、というのは確認済みです。
けれど、それは本来のマルコさんの目的ではない……?
「だが、マルコ様の目的は、違った。あのお方は、我々を作ること自体を目的としていた」
「作ること、自体を?」
「そうだ、マルコ様の目的。それは……」
クロエさんが、拳を強く握りしめました。
「意志を持った、生き物を、作ることだったのだ……!」
「意志を持った、生き物……!?」
それは、つまり、人間を作る、ということ……!?
「そうだ。意志を持った人間を作る。それこそが、マルコ様の目的だった……。だが、結果として生まれたのは、我々のような、中身のない抜け殻のようなものたち……」
クロエさんは握りしめた拳で壁を強く叩きました。
ドンッ!という衝撃とともに、壁にひび割れが走ります。
「……生まれてすぐに、落胆されたよ。まだ私が、ただの赤子として生まれたのであれば、何も知らずに存在していられた……。だが、私はこの姿で生まれた。今でもはっきり覚えているよ。私を目にした時の、マルコ様のお顔を……!」
ビシリ、と壁のひび割れが広がりました。
「お前にわかるか……? 生み出されてすぐに否定された者の気持ちが……!」
「………私は」
私には、クロエさんの気持ちを理解することはできませんでした……。
人間は、ほとんどの人が望まれて生まれてきます。
もちろん、望まれないままに生まれてくる人たちもいます。けれど、生まれてすぐにその存在を否定されることは、ないはずです。
誰にだって、生まれてくる権利が、あるはずだからです。
けれど、それは私が勝手にそう思い込んでいるだけだったのでしょうか?
「……もちろん、自身の身勝手は承知の上だ。だが、それでも私は望む。私が生まれたことを、否定されない世界を……!」
そういって、強い光を瞳にともしながら拳を握るクロエさん。
その姿は……どこまでも人間のように見えました。
自身の望みのために、どこまでも邁進する……自分の意思を貫き通そうとする、その姿は……。
けれど、クロエさんが望むのはそういうことではないのでしょう。
彼女が求めているのは人間らしさじゃなくて、人間そのものなのですから……。
「そう。その望みももうすぐ叶う……」
「っ! ガルガンド!?」
私が振り返ると、ガルガンドがそこに居ました。
いつものように嫌らしい笑みを浮かべたガルガンドは、ふわりと浮いて回りこみ、クロエさんのそばへと向かいました。
「ガルガンド殿……」
「もうじき……もうじきぞ。神位創生の準備も、もうじき整う……」
「そうか、もうすぐなのか……」
ガルガンドの言葉に、クロエさんは安堵ともとれる表情になります。
しかし、私は安堵していられません。
やっぱり、どこか別の場所で神位創生のための準備をしていたんですね……!
「悔しいか? いや、悔しかろう?」
「く……!」
私の顔を見て、ガルガンドはひときわ嫌らしく笑います。
結局何もできていない私に、愉悦を感じているようでした。
「酷なものよな……。無論、すべての原因は我にある……。怨めばよい、怨めばよい……」
「……」
誘うようなガルガンドの声には答えず、私は俯きます。
怨むとか、怨まないとかよりも、何もできなかった自分が嫌になります……。
やっぱり私は、一人じゃ何もできないんだね……。
「……!」
けど、すぐに首を振ります。
確かに、ガルガンドの神位創生の準備は阻めませんでした。
けれど、これからは私が意志力を集める作業があります。
その作業を、可能な限り遅れさせることができれば、きっとみんなが……!
「さぁて、次の作業に取り掛かるとしよう」
「次? いったい、何があるのだ?」
「それはもちろん……」
ガルガンドは私を見て、またニヤリと笑います。
「やってくるであろう、勇者様たちの妨害のための準備ぞ?」
「……なにを」
その笑みに、私は背筋がざわめくのを感じます。
ガルガンドは、今までだって誰かを犠牲にしたり盾にしたりすることを戸惑いませんでした。
なら、みんなを足止めするために、何をするのか……。
「クックックッ……」
声を押さえて笑うガルガンドを見て、私はうすら寒い予感に支配されてしまいます。
何とか、何とかして止めないと……!
神位創生の原因、それはマルコにあった?
はたして、マルコの真意とは……。
そして王都では、飛行船が完成した模様です。
以下、次回。