No.196:side・remi「宰相マルコ」
私が、ガルガンドの手によって、魔王国に連れ去られて、数日が経ちました。
結局ガルガンドは、私の疑問に答えてくれることはなく、真偽のほどは謎のままとなってしまいました。
魔王国に到着してからの私たちは、地下の薄暗い牢獄に閉じ込められて、ずっとそのまま――。
「いかがですかな、勇者殿? この国では一般的な、香草を煎じた飲み物なのですが」
「……はい、おいしいです」
「それはよかった」
――というわけでもなく、特別拘束されずに魔王城の中を自由に行動してよいとさえ言われていました。
もちろん、城外に出てはいけないとは言われていますけれど、それもさほど強制力があるわけではありません。
何しろ、連れ去られた人々も、今は魔王城の城下で生活させてもらっているくらいですから……。ちなみに、どちらも私から言い出したことです。
私が今いるのは、城下を一望できる、魔王城の中で一番眺めがよいと言われているテラスです。高さはありますけれど、脱出できないわけではないと思います。……まだ、試すわけにはいきませんけど。
「……あの、アメリア王国の人たちは、今はどうしていますか?」
「彼らでしたら、農業に専従しているドワーフたちの元にいますよ。先祖代々農業に携わってきた彼らの、生きた経験というものは何物にも代えがたい資源ですからね」
「そうですか……」
私の目の前に座る、片眼鏡をかけた男性は、柔和な微笑みをたたえたまま、私にそう告げてきました。
今、私の目の前に座るこの男性の名前は、マルコ。魔王軍四天王、最後の一人にして、魔王国の宰相の地位を任されていると、紹介されました。
出会った当初こそ、高圧的な印象が強かったですが、私の要望をあっさりと飲み込んでくれるなど、どこかつかみどころのない印象の方が今は強いです。
今、こうして私と一緒にお茶を飲んでいるのも、不可解といえば不可解です。
確かに私はみんなと比べて強いわけじゃないです。けれど、それでも勇者と呼ばれている人間を相手に護衛もなしに向き合うなんて……。
「……? いかがなさいましたか?」
「……いえ、何でもありません」
私の視線を受けて、不思議そうに首をかしげるマルコさんに私はそう返事をして、香茶を啜ります。
香草の独特な香りが鼻を強く刺激しますけれど、慣れれば結構おいしいと……。
「待たんかいこらワレェェェェ!!!」
「誰が待ちますかぁぁぁぁぁ!!!」
「うぷっ!?」
「――おや。今日はこの時間でしたか」
突然の叫び声に、危うく香茶を吹き出しかける私とは違い、マルコさんは冷静な様子でテラスから下に広がる庭を見下ろしました。
私もそちらの方へと視線を向けると、アンナ王女と骸骨たちが追いかけっこ……というよりは逃走劇を繰り広げているところでした。
「今日こそは逃げ切って見せますわ!! もうこんな赤茶けた場所はこりごりですのよー!!」
「またんかいダボがぁ!! おとなしく捕まっとけっちゅうねん!!」
「毎日飽きませんな、アンナ王女も」
「え、ええ、そうですね……」
バタバタと忙しそうに駆け回るアンナ王女を見つめながらそんなことを呟かれ、私は思わず苦笑してしまいました。
じっとおとなしくしている私と違って、アンナ王女は隙あれば魔王国から逃げ出そうと画策しているようで、こちらに来てからほぼ毎日あんな感じの追いかけっこに興じています。
最終的には、骸骨たちに捕まって怨嗟の声を上げながら城内に連れ戻されるんですけれど……。
「なんていうか、その、日を追うごとに逃走距離が伸びてますよね……?」
「そうですな。三日程で逃走距離が倍に伸びています。驚嘆すべきバイタリティですな。見習いたいものです」
「は、はぁ……」
そんなに逃げるのが上手になってるんだ……。
なんていうか、アンナ王女もたくましいですね……。
「王国領地から来ていただいた方々からも、多くを学ぶことができました。やはり、今回の一件はすべて成功だったわけですね」
「………」
そう、微笑んで語るマルコさんを、私はじっと見つめました。
……とてもではありませんけれど、ガルガンドにいろいろな指示をしていた人のようには見えません……。
日々の動きを見ても、そのすべては魔王国に住まう人々のためのものに見えました。どうして、神位創生などもくろむのか、まったくわかりません……。
だからこそ、この機会に……。
「……ですが、今回の戦争において、多くの方が犠牲になりました」
私は、ここ数日ずっと黙っていたことを切り出すことにしました。
こうして黙っていても何も事態は動かないし……それに、アンナ王女も自分にできることを頑張っているんです。私も、何かしないと……。
「特に、ガルガンドが関わった領地の中には、死者も出ています」
「存じております」
私の言葉にも、マルコさんの様子は変わりません。
動揺も、誤魔化しもなし……。そんな彼の様子にうすら寒いものを覚えます。
ですが、ここでひるんではいられません。彼の真意を引き出さないと……。
「……もし、アメリア王国と技術交流なさりたいのであれば、あのような形で戦いを仕掛ける必要はなかったはずです。どうして、あのような真似を?」
「その必要があったからです」
「……どういうことです?」
マルコさんはゆっくりと香茶を啜り、話を続けました。
「強い意志力の持ち主と混沌玉の行方を探るには、何よりもアメリア王国内を混乱させる必要がありました。もっとも、どちらの所在も王国側はもとより存じ上げていなかったようでしたが」
「……初めから、神位創生を目的として動いていたと?」
「その通りです」
マルコさんは、私の敵意を含んだ視線もさほど意に介した様子もなく頷きます。
「新たなる神位を生み出すには、何よりも強い力が必要となります。それを探し出すには、戦いという混沌はよい土壌となりました」
「……どうして、それほどまでして神位を?」
私の言葉を受け、マルコさんはじいっと私の目を見つめてきました。
「どうして、ですか」
「ええ……」
今にも吸い込まれそうな、真っ黒な瞳。
その中に感情を見出すことができず、思わず飲まれそうになってしまいます。
「っ……!」
ですが、私はまっすぐにその眼を見つめて背筋を駆け上る悪寒を振り払います。
ここで負けてはいけない。ようやく訪れたチャンスです。
ここで、彼の真意を聞きだし、あわよくば神位創生そのものを止めさせないと……!
「確かにこの国の大地は肥沃とは言い難く、方々を山に囲まれ、その向こうには凶悪な生き物が跋扈しています……」
このお城を管理しているメイドさんたちに聞いた話では、確かにこの国の人たちは、谷を越えてすぐのこの場所にほとんど押し込められるような形で暮らしています。
ですが、生きていくのに十分な食料は確保できているし、人々の娯楽も体を動かす運動という形で存在しています。
少なくとも、今すぐに戦争をしなければならないほどに情勢が逼迫しているわけではありません。
ましてや、神位創生などという手段に訴えなければならないわけでもありません。
「だというのに、なぜ新たな神位など必要なのですか? そんなことをするよりも、アメリア王国の人たちと、親睦を深めるほうが国のためになるし、きっと魔王様だって……」
「………」
私が魔王様について言及しようとした瞬間、マルコさんの顔から表情がストンと抜け落ちました。
「魔王、さま……?」
「え……」
「魔王様が、本当に、そんなことを、おっしゃったのですか?」
うわ言のようにそう呟いて、マルコさんは立ち上がりました。
「ああ、だとするのであれば、私はいったい何をしていたのでしょうか、私の為すべきことは魔王様に代わりこの国を盛り立て、繁栄させることのはず、だが私はその御意志に反した行動をとっていたというのだろうか、だとするのであれば今からでも失敗を取り戻すためにアメリア王国の方々と――」
ぶつぶつと、まるで私などこの場にいないかのように、一人でつぶやきながらぐるぐると檻の中に捉えられた獣のように回り続けます。
その姿に、先ほどまでの冷静な様子は欠片もうかがえません。
いったい、なんなの……!?
「ま、マルコさん!? 落ち着いてください!」
「ああ、しかしだとするのであれば、この失敗を取り戻すために私は――」
「マルコ様」
「――ん、ガルガンドか?」
何とかマルコさんを止めようとする私の耳に、しわがれた声が聞こえてきます。
その声を聴いた途端、マルコさんは憑き物が落ちたように、落ち着きを取り戻しました。
「どうした?」
「城下の者が謁見を望んでおる。はよぅ、言ってやるといい」
「そうか、わかった。それでは、勇者殿。私はこれで」
「………」
私は、マルコさんのあまりの変わりように返事をすることすら忘れ、颯爽と立ち去っていくその後ろ姿を見送ることしかできませんでした。
「――気になるか?」
「っ!」
呆然とする私の耳に、ガルガンドの低い声が響き渡ります。
「気になろう? あの変わりよう……」
「ガルガンド……あなた、マルコさんに何をしたの!?」
私は、ガルガンドにそう叫び声を叩きつけました。
状況と彼の行動を考えれば、ガルガンドがマルコさんに何かを仕掛けたのは明白……!
そう疑ってかかる私の姿を愉快そうに眺めるガルガンドは、首を横に振りました。
「いいや、何も?」
「嘘をつきなさい! そうでなければ、マルコさんのような冷静な判断ができる人が、あそこまで取り乱したり、むちゃくちゃな判断をしたりするはずが……!」
「クックックッ……。疑うのも道理。だが、事実よ」
「嘘っ!」
「事実事実。時として、事実とは何よりも残酷なものよ」
ひたすらに自分の言葉を否定する私の姿を、本当に楽しそうにガルガンドは眺めました。
そのままスイッと上へと上がると、にやにやと笑いながら私を見下ろしました。
「いかに否定しようと事実は事実。もとより、マルコ様の被造物である我に、あのお方への影響力など蚊ほどもない。その道理は理解できよう?」
「っ……!」
私はガルガンドの言葉に、唇をかみしめます。
確かに、理としては通っています……。
ですが、私の知らない抜け道のようなものがあるのかもしれません……!
「疑り深いことよ。だが、それは悪いことではない」
私の表情から何を考えているのか読み取ったらしいガルガンドはそう言って、またニヤリと笑いました。
「より知りたくば、その意思を絶やさぬことよ。強い意志は力となる。それはやがて、神位を作るほど強くな……」
「ガルガンドっ!!」
ガルガンドの物言いに我慢しきれなくなり、私は意志力を使って攻撃を仕掛けますが、奴はそれを受ける前に転移で逃げてしまいました。
「っ……!」
ガルガンドにいいように言われてしまった悔しさと、何一つ真実を探ることのできなかった自分への怒りで、私は顔が赤くなってしまうのを自覚しました。
……結局、私ひとりじゃ何もできないのかな……。
「………」
不意に、私は一人でいることに気が付いて、胸の中に言い知れない寂しさが押し寄せてきました。
「光太君……!」
そんな中で、彼の名を呟いたのは、あるいは無意識だったのでしょうか……。
今の私に、それは分かりませんでした………。
なおも深まる謎。宰相マルコの真意とは?
そして待機中の王都では、隆司とソフィアのデットヒートが?
以下、次回。