No.191:side・Sophia「辰之宮という男」
「………」
あてがわれた部屋で、私は一人、ベッドの上でじっと横になっていた。
会議の結果、とにもかくにも移動手段がなければ始まらないということになり、マコがその手段を準備するまではこの城で世話になることになった。
それ自体は別にかまわない。魔王軍の何名かは空を飛べるとはいえ、それでは意味がない。最低でも魔王軍全軍……可能ならアメリア王国軍も向こうへと連れて行くべきだろう。神位創生が……偽神がかかわってくるというのであれば、正直双方の全軍を当てても叶うかどうかわからない。
もっともベストなのは、奴が行動を起こす前に取り押さえられれば良いのだが……。ガルガンドも愚かではあるまい。少数で当たっても返り討ちに会うのがオチだ。
なれば、あとはマコがどうにかするまで待てばよいだけの話なのだが……。
「………」
私は上体を起こして、窓の外からちらりと下を見下ろす。
そこではラミアの女魔導師が、この国の魔導師と何か楽しそうに話をしているところだった。
「本当にきれいな鱗だね、君は……。今すぐ抱きしめたい、いや抱きしめてもらいたいよ」
「やだ、こんなところで! ……部屋に戻るまで、我慢して。ね?」
思わず部屋に備え付けられている花瓶に手が伸びるが、済んでのところでこの国の備品だということを思い出した。
「鎮まれ私の左腕……!」
何とか破壊衝動を抑え込んでいると、いつの間にかラミアのカップルはどこかへと行っていた。
だが、別にラミアのカップルだけじゃない。そこかしこを見てみれば、影になる部分だったりあるいは堂々だったり……魔族のものたちと人間のカップルがそこかしこに見えていた。
「ホント何をやってるんだあいつらは……」
思わずぐったりとベッドの上に体を横たえる。
後はおとなしくしていればいいというのに、魔王軍のものたちは大体おとなしくはしていなかった。まあ、彼らの気性からしておとなしくするのは難しいのだが。
だが、立場も状況もわきまえずに人間と恋仲に落ちるものが多いのはどういうことなんだ……。まあ、相手はほとんどケモナー小隊の連中なのだが。
初めこそ困惑していたものが多かったが、その押しの強さにあっさり押し切られたものは数知れず……中には堂々とした愛の告白にあっさりほだされたしまった者たちもいる。
あんまり前線に姿を見せなかったハーピーたちも、何人かはあっさり落ちている。もうなんなんだケモナー小隊。
しかも城内で落ち着いているならともかく、ケモナー小隊のものたちに連れられて城下町へと出かけてしまった者たちも多々存在する。
……実はミミルなんかがその口だったりする。ホント大丈夫なのか、そんなことして……。
我々は敗者であり、そうでなくとも突然この国へと戦争を持ち込んだ者たちなのだぞ……。下手に姿を見せて、問題を起こしたりしたら目も当てられない。
アルト王子にそのことを謝ったら、逆に謝罪された。「王都騒乱の際に、尽力くださったのに、大したもてなしもできませんで……」とのことだった。
「襲いかかっていて、謝罪されるというのも何か間違っていると思うのだがな」
私はぼんやりとつぶやきながら、ちらりと扉の方へと視線を向けた。
「………」
扉は特別何も言わなかった。ただそこにあるだけだ。
その事実を再確認し、私は少しだけ腹を立てながら視線を扉から外す。
………いや別に待っているわけじゃないのだ。
だがしかし、会議の時から奴の様子はどこかおかしかった。奴らしくないというか、ひどく何かを悩んでいるというか。
きっとそれが原因なのだろう。うん。
だから私が腹を立てるのは筋違いだろう。あの男が、私に会いに来ないことなんて、きっとよくあることさ。うん。
誰かに対する理論武装を終えたあたりで、ガチャリと扉が開く音がする。
「!」
その音に反応して、私はガバッと体を起こし、大きく息を吸い込み。
「入るよー」
入ってきたのがラミレスであるということに気が付いて、そのままの姿勢で動きを止めた。
「姫様。野営地の片付けに行ってた連中が戻って……なんで大きく息を吸い込んだみたいな態勢で止まってんだい?」
「………………なんでもない」
ぶはーと息を吐き出して、首を振ってラミレスに向き直る。
「それで、片付け組が戻ってきたと?」
「ああ、そうだよ。姫様が飛び出してから、大急ぎでこっちに向かったからね」
「……そうだったな。すまない」
私はラミレスに詫びる。
あの日……ガルガンドの姦計にはまってしまったあの日、私はいつも以上にイライラしていた。それこそ、簡単な感情増幅魔法にかかってしまうほどに……。おかげで理性も何もかも吹っ飛んでいた。死者は出ていないようなのだが……奇跡といってもいいだろう。
魔王様から受け継いだ、破壊衝動ともいうべきあのどす黒い感情……。あれは自分で意識して止めることはできない……。
なんというか、自意識と体が乖離してしまうような感覚なのだ。意識はあっても、体と口が勝手に動くのだ。
おかげで、ヴァルト達や国のものたちには多大な迷惑と、恐怖を与えてしまっている。自分でもどうにかしたいと思っているのだが……どうすればいいのかすらわからない……。
魔王様は何を思って、このような体を私に与えたのだろうか……。考えたことはあるが、結局結論は出なかった。
何のメリットもないのだ、そもそも。私の感情の揺れ幅によって、ある程度衝動の大きさや湧き上がる感覚はコントロールできるが……結局最後には吹き出し、そしておさまるまで自分ではどうしようもない……。何かを壊すまで止まらない……。
あるいは、私自身が未熟である証しなのかもしれない。どのような経緯があるとはいえ、結局は戦争に敗北してしまっている。あの男にも、まともに勝った覚えもない。ただの人間である、あの男に……。
「……にしてもひまそうだね、姫様」
「その言い方は……いやまあ、事実暇だけどな」
ラミレスのはっきりした物言いに呆れながら、私は肯定した。
「曲がりなりにも、ここはアメリア王国だ。あまり派手に動くわけにもいかんし、そもそも訓練しようにも相手がいない」
「何言ってるんだい。会いに行けばいいじゃないかい」
「何故私から会いに行かねばならんのだ」
ラミレスの言葉に、いささかムッとしながら答える。
「大体、私のことを散々嫁だのなんだのと叫んだのはあの男だろうが! 会うのであるとすれば、私からではなく、あいつからが筋というものだろうが!」
「言われてみればそうだねぇ。ところで姫様」
「なんだ!」
「あたし、一言もタツノミヤの事だなんて言ってないんだけども?」
「………………」
「ヴァルトかガオウか、ともあれ訓練に付き合ってくれそうなのに会いに行けばいいじゃないかって意味で言ったんだけどねぇ」
「うるさいだまれぇ!」
今度は手が止まらず、備え付けの花瓶が宙を舞う。
まっすぐに飛んで行った花瓶はしかしラミレスには命中せず、その触手で器用に受け止められてしまった。おのれぃ!
「まったく。姫様ってば、タツノミヤのこと大好きだねぇ」
「なにがだ! どうしてだ!」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべるラミレスに、歯をむき出しにして唸り声を上げる。
「だって、特に主語を指定しないと、勝手にあいつのことだって考えちゃうくらいだろ?」
「いや、あれは……!」
あれは、その、寸前のところで奴に思考が言っていたからで!
だからと言って、奴のことを私が好いているなどという超理論では、決してありえん!
そう! この戦争の中で唯一の心残りが奴に勝てなかったことであるのだ! それだけなのだ!
「誰かを好きになるってのは、悪いことじゃないんだよ?」
「えぇい、くっつくな絡むな!」
いつの間にか接近してきていたラミレスが触手でニュルニュルと私に抱き着いてくる。
この女、やたら人に絡む癖があるからなぁ……しかも物理的に。
「想う気持ちは、どんな時でも支えになるのさ。どんな恐怖や理不尽が目の前に現れてもね」
「……なんなのだ急に」
思いのほか真剣なラミレスの声に、思わず毒気を抜かれる。
「急にじゃないさ。いつだって思っていたことだよ。特に、姫様に関してはね」
「どういうことだ」
「例の衝動の事だよ」
ラミレスの言葉に、私はわずかに体を硬直させる。
「姫様だって、わかってるだろ? あれは、自分じゃどうしようもない。誰かにどうにかしてもらうしかない、ってことくらい」
「……そんなことはない。いつの日か、私にもあれを御せる日がやってくる」
「それはいつだい?」
「……いつかだ」
私はギュッと拳を握りしめる。
いつかは、わからない。だが、いつの日かあれを御せるようにならなければならない。
そうでなければ、いつ誤りが起こるかわからない。
「そのいつかを期待するとして……その間はどうするんだい?」
「……どうにかする」
まるで子供のような私の物言いに、ラミレスは苦笑した。
「そこはあたしらに頼るくらいは言ってほしかったねぇ」
「………すまない」
ラミレスは笑ってそう言ってくれるけれど、あまり頼れるものでもない。
……以前、止めに入ったヴァルトに大怪我を負わせてしまったことがあるのだ。……あんな風に、誰かを傷つけるなんてもう御免なのだ。だが……。
「……どうすれば、いいんだ……」
「だから、頼ればいいのさ」
「いったい、だれに」
「タツノミヤにさ」
ラミレスは奴の名を呼んで、私の正面に回り込んでくる。
「姫様がおぼえているかどうかは知らないけれど、あいつは暴走した姫様を平然と受け入れてくれたんだ」
「なに……? そんな馬鹿な」
ラミレスの言葉に、信じられないような気持になる。
よくは覚えていないが……あの日の私は、いつも以上にひどかったはずだ。ガルガンドの感情増幅魔法によって、大幅に増幅されてしまったあの破壊衝動を前にして、あの男は一切引かないどころか、受け入れただと……?
「信じられん。いくら奴でも、体中切り裂かれて我慢できるはずが……」
「あたしが見た時点じゃ、姫様に傷つけられて全身傷だらけだったけど、平然と姫様への想いを口にしたよ」
そう、ラミレスに教えられて胸の奥が締め付けられたような錯覚に陥った。
あの男が……私を……?
「そんな……ありえない。嘘なら、もう少しましな嘘を……」
「嘘じゃない、本当さ。誰かを想う気持ちってのは、時として圧倒的な暴威に対する恐怖すら克服させるっていう、いい例さね」
ラミレスはそう言って、私を離した。
「信じられないっていうなら、タツノミヤに会って聞いてみればいい。すぐに答えてくれるはずさ」
「…………」
私はしばらく黙っていたが、立ち上がり、あの男を探しに向かう。
「行ってらっしゃい、姫様。……がんばんなよ?」
私は無言で部屋の外へと出て行った。
奴がどこにいるかは……匂いを辿ればわかるか……。
私はゆっくりと奴の姿を探すことにする。
自分の気持ちを整理する時間も、欲しいしな……。
隆司が自分を本当に受け入れられたという話を信じられないソフィアは、直接彼に確認することにする。
そして光太は、自分の気持ちに……。
以下、次回。