No.188:side・remi「濃い霧の上で」
「神位、創生……」
「左様。それが、我らの造主が望みしことよ」
ガルガンドはそう締めくくり、小さく頷きました。
……今、私がいるのは大きな船の上。
といっても、海湖の上ではありません。
かといって、湖の上でもない……。
私たちが今いるのは、とても濃い、霧の上です。
「ふむ? 竜の墓場はやはり不穏かね? それも道理よ」
「……いえ、そういうわけじゃありません」
ちらりと眼下に広がる濃い霧を見下ろしている私を見て、ガルガンドが愉快そうに笑います。
視界さえも確保できなさそうな濃霧の中は、とてもとても深い奈落が広がっています。
落ちたらいったいどうなるのか……想像もできません。
「気をつけよ? 一度落ちれば、我らにも救う手だてなし、だ。……そこな王女も、落下せぬようにな?」
「わ、わかってますわよ!?」
そーっと下を覗き込んでいたアンナ王女が、ガルガンドの言葉にびくりと跳ね上がりながら、答えます。
私たちは今、特別拘束されているということはありません。そもそもそんな必要もないです。
いま私たちが立っている船は、四頭の大きな翼竜の牽引によりゆっくりと前へと進んでいます。
行く先は魔王国……彼らの主であるという、魔王軍四天王のひとり、宰相マルコのもとへと向かっていると、ガルガンドは私たちに告げました。
「……話を戻そう。さて、勇者レミよ。我らの願いは聞き入れてもらえるのかね?」
「……あなたの主である、宰相マルコに協力し、神位創生を手伝え、ということですね?」
「左様。自主的に協力してくれるのであれば、我としても手間が省けよう」
したり顔で頷くガルガンドに気づかれないように、私は歯を食いしばります。
この男、私が断れないとわかっていてこんなことを言っているんです……。
何しろ、この船に乗っているのは私だけじゃない……。私たちが立っている甲板の下、船倉にあたる部分には、フォルクス領で暮らしていた一般領民の人たちと、そこを守護していた魔王軍の人たちが今も気絶した状態で倒れているんですから……!
「話を聞くことなんてありませんわ、レミ様!」
「アンナ王女……でも」
私が何を考えているのかわかったらしいアンナ王女が、毅然とした表情で私に呼びかけました。
彼女はきっと眦を釣り上げてガルガンドを睨みつけます。
「この男、さっきから神位創生に関して説明はしても、そのデメリットに関しては触れていませんわ! どうせ、手伝ったところで、ろくなことにはならないですわ!」
「賢しきことぞ。さすがは王族といったところか」
アンナ王女の言葉に、ガルガンドはむしろ楽しそうに笑い声をあげます。
……そのことに関しては、薄々感づいていました。確かにガルガンドは、神位創生の方法を説明し、故に私やアメリア王国の人たちをさらったことは説明しましたが、神位創生に伴うデメリットもメリットも話していない……。
私の不信を感じているはずなのに、それでも余裕を崩さないガルガンドは一つ頷きます。
「さて、気づかれてしまったのであれば話そう」
「……ずいぶんあっさり話しますのね。もっと焦らすかと思いましたのに」
「焦らすことに意義を感じぬでな」
ガルガンドは指を立てて、神位創生に関して語り始めました。
「さて、まずは欠陥から話そう。神位創生の欠陥は、今ある世界が崩壊してしまうことよ」
「……!」
「はぁっ!?」
予想はしていた言葉に、私は息をのみます。
神位創生……語感からすれば、それは神様を作るという行為であるのは想像に難くありません。
でも、それだけのことをするからには十分な――。
「な、何を考えておりますの!? 狂ってますわ! レミ様! こんな奴の言うこと、聞く必要なんてありませんわ!!」
「そう急くでない、王女よ。確かに神位創生には大きな損失を伴うが、それ以上の益もある。それは――」
「それは、創生した神位による新世界の創造……」
「新世界、創造……?」
聞こえてきた声に振り替えると、そこに立っていたのはクロエさんという女騎士と、アスカさんの姿でした。
クロエさんの後について歩くアスカさんは、ぶつぶつと何かを呟き、ここではない何かを見つめているような、空虚な眼差しでした……。
「アスカさん……。大丈夫なんですか?」
「さて、な。私には彼女が何を見ているかわからないよ。彼女がどんな妄執を抱えて生きているのかは、な」
クロエさんは素気無く言って、私を睨みつけます。
「……だが、私はそれがうらやましい。彼女がそれに縋れるという、その事実が」
「……どういう、ことでしょう」
クロエさんは、嫉妬を感じさせる眼差しで私とアスカさんを交互に見ながら、私の周りを歩きます。
「……我らアンデットには、意志力と覇気は存在しない。あくまで魔力と魔術言語で形作られた、動くヒトガタなのだ」
「……そうは、見えません。とても」
私はクロエさんに答えながら、ちらりと翼竜が繋がれている方を見やります。
そこでは、何人かの骸骨さんたちが、翼竜に親しげに話しかけている様子が見えます。
「おう! がんばれよー、お前らも!」
「わしらも頑張るからな! まあ、何頑張ったらいいかわからんねんけど」
翼竜も、それに応えるように声を上げて鳴きました。
覇気はともかく、意志力がないとはとても思えません……。
「みなさん、本当に生きているみたいな……」
「……あくまで、そう見えるだけだ。源理の力は、この世界で生まれた生物にのみ与えられた力……。我らのような創造物に、それらの力は与えられていない……!」
クロエさんはそう言って、自分の鎧の胸板部分を取り外します。
「見ろ! この体を! この体に、覇気が流れているように見えるか!?」
外気に晒された、がらんどうの鎧の中に、彼女の声が反響します。
続いて、彼女は自分の頭に手をかけ、止め金を外して持ち上げます。
「こんな外れる頭に……意志力が宿っているように見えるか!?」
「………」
見様によっては間抜けに見えなくもない、クロエさんの姿に、私は悲痛な思いを感じずにはいられません。
なぜなら、彼女の顔は今にも泣きだしそうだけれど……一滴の涙も流れていないのだから……。
「切られたところで血も流れない……どれだけの痛みに遭おうと涙さえ流れない……そんな体が、生きていると言えるのか!?」
「……ゆえにこその死者の称号よ。落ちつけ、クロエ」
叫ぶクロエさんをなだめるように、ガルガンドがその肩を叩きます。
荒く息を吐き、息を落ち着かせたクロエさんはゆっくりとした動作で頭と鎧を再び填め直しました。
「……故に我々は、新世界の創造を望む。我らが人と……生き物となれる世界を望む」
「そんな、ことが?」
「できる。神位創造は、いわば世界の生まれ変わりぞ。当然、次なる世界は生まれ出でた神位の思うままに代わる。神位をコントロールする術はある故、あとは作れさえすれば次なる世界は我らの意のままというわけよ」
「神位の、コントロール……」
ガルガンドの言葉に、私は半信半疑です。
仮にも神様。例えガルガンドが作ろうとも、それをコントロールできるとは思えません……。
「ハッ! 信じられませんわね。神位とやらがどういう存在かはわからないですけれど、そう簡単にあなた方の言うことを聞きまして?」
彼らの言葉を鼻で笑ったアンナ王女が、私の代わりにそう聞いてくれました。
言葉に棘があるのは、仕方ないと思いますけど……もう少し、穏便に聞いてくれないかなぁ……。
私の心配をよそに、ガルガンドは涼しげな顔でアンナ王女の背後へと回りました。
「信じる信じないは別の話よ。たとえ結果がどうなれ、我らは実行する。誰が止めようとも、だ」
「ひゅいっ!?」
耳元で囁かれ、アンナ王女が飛び上がり私の元へと掛けてきました。
私はぶつかってくるアンナ王女を抱きしめ、ガルガンドを睨みつけます。
「……お話は分かりました。神位創造によるメリットとデメリットも」
「うむ。理解が早くて助かる」
「けれど、私があなたたちの望みをかなえられるとは思えません。仮にも神格……人間一人が力を振り絞ったところで、満足いくほどの意志力が出せるとは思えません」
「ああ、そのことか。心配はいらぬ」
「……?」
私の言葉に、ガルガンドは肩を竦めました。
私が眉をひそめると、ガルガンドはこう言いました。
「異世界より主らが呼ばれたとき、根源を通ってきたようだ。主らの能力は、常人のそれなど及ばぬほど、強く、純粋なものとなっていよう」
「……!?」
ガルガンドのその言葉に、私は驚愕します。
根源がどうとか、力が強いとか、そこが問題なのではありません……!
「何故、私たちが異世界から来たことを知っているんですか……!?」
ガルガンドが、私たちがこの世界の人間ではないことを知っているという事実です……!
私たちは、この世界に来てからそういうことは周りの人たちに話さないようにしてきました。
無為な混乱を招かないようにという、真子ちゃんの提案からでした。
そのため、基本的には外海からやってきた異国の勇者ということになっているんです。
……もちろん、王城の中を監視していたであろうガルガンドにとって、私たちがこの国の人間でないのは既知のことなのかもしれません……。
ですが、私たちがどこから召喚されたのか、それは分からないはずです……!
私の言葉に、ガルガンドはニヤリと嫌らしく笑いました。
「さぁて、なぜであろぅなぁ……?」
「くっ……!」
私はアンナ王女を抱きしめたまま、何歩かガルガンドから離れるように下がります。
私たちの様子を見て、なおも迫ろうとするガルガンドの肩を、クロエさんが掴みました。
「ガルガンド殿。そこまでにしておくんだ。彼女は、協力者だろう?」
「む……うむ、そうだ。すまぬな」
クロエさんに止められ、ガルガンドはわずかに残念そうな気配を滲ませながら、私たちに形ばかりの謝罪をします。
……この二人の力関係も、よくわかりません……。
クロエさんが激高すればガルガンドが止め、ガルガンドが興奮すればクロエさんが諌め……そんなことがここまでの道中に何度もありました。
単純に、協力者というだけなのかもしれませんが……何かが、気にかかります。
「さて……先ほどの主の問いだが、案ずることはない。主一人でも、十分に神位創造に足る意志力を出力できるはずぞ」
ですが、私がそのわずかな違和感に意識を向ける前に、ガルガンドが私の先の問いに答えました。
「……どういうことです?」
「なに。単純に出力の仕方の違いでな。覇気はガスのように圧縮した力を放出するのが主な使い方。混沌言語は電子回線に走らせた電流のような放出の仕方。そして意志力は蛇口を捻れば出る水のような力でな。捻り方さえ知っているのであれば、人が一人いれば十分に足るはずなのだ」
「へぇ、そうなんです、か……?」
決定的な違和感。
ガルガンドは、今、なんと言いました?
「ガルガンド、あなたは、いったい……!?」
私の次の問いに、ガルガンドは答えません。
どうして彼の例え話に、私たちの世界にあるような、文明の利器が出てくるんですか……!?
真子ちゃんの予想は当たっていたようですが、ここにきて増える謎。ガルガンドとは、いったい?
さて、王都では会議が終わり、それぞれが最終決戦に向けて準備を始めるようです。
以下、次回。