No.179:side・Another「犬も食わない戦いの、結果 ―カレン編―」
「さぁって……と?」
コウたちが巨大な化け物を追って駆け出したのを確認してから、グルグルと腕を回し始めたリュウが、何かに気が付いたようにあたいの方へと振り向いた。
「カレン? お前は、化け物退治に行かねぇのか?」
「あたいは……残るよ」
少しだけ迷いながらあたいは小さく頷いた。
「もし、リュウが魔竜姫にやられたら……あたいがあいつをやるよ……」
リュウにそう言いながら、弓につがえた矢を少しだけ引き絞る。
コウを始めとした連中は、リュウと魔竜姫を戦わせることに何の疑問もないみたいだけど……。
「………」
あたいはちらりと魔竜姫の様子を伺う。
「グルルル……!」
まっすぐにリュウを睨みつけながら唸り声を上げてる。
その姿は正直、狂気に満ち満ちていた。どう考えても、目の前の相手を喰い殺すことしか考えていない。
森の中に狩りに行ったときによく見る瞳だ。手負いの獣……あるいは寸前まで腹を空かせた肉食獣の瞳だ。
いくらシュバルツを一人で撃退したリュウでも、ただでは済まないはずだ……。
どうしてコウもあっちのデカい犬面も、平然とリュウとこいつを戦わせようとするんだよ……!
「まあ、別に残ってもいいけど」
心の中に固い決意を決めたあたいを見て困ったように頬を掻くリュウ。
まるで、あたいがここに残るのが迷惑みたいだ。
「なんだい? あたいがここに残っちゃ迷惑なのかい?」
だから素直にそう言ってやった。
「いいや、別に? 手出ししなきゃ、迷惑でもねぇさ」
リュウは軽く肩をすくめる。
これからあの狂気に塗れた魔竜姫と遣り合おうっていうのに、まるでハイキングにでも行くかのような気軽さだ。
そんなリュウの態度が、妙にあたいの気に障る。
「あんた、今の状況理解してんのかい!?」
「ソフィアと、一対一で戦う。それだけだろ」
「それだけって……死ぬかもしれないんだよ!?」
またも気軽にそう言い切るリュウに頭が来て、思わず激昂する。
そんなあたいの態度に一瞬リュウは目を丸くする。
それから、小さく苦笑して首を横に振った。
「……そう心配すんな。そう簡単に、俺はくたばったりしねぇよ」
「あんたねぇ……!」
あくまで気軽な態度を崩そうとしないあたいの短い堪忍袋の緒もキレそうになる。
そんなあたいを無視して、リュウは軽く手を振りながら一歩前に出た。
「おい、リュウ!」
「お前はそこでじっとしてろよ。すぐに終わらせるからよ」
一歩、また一歩と足を進めるリュウ。
いつ、どのタイミングで魔竜姫が仕掛けるか……。あたいは目をじっと凝らし、いつリュウが襲い掛かられてもいいように矢を握る手に力を込める。
けれど、少しずつリュウとの距離が近づいているってのに、魔竜姫は微動だにしない。
ただ唸り声を上げて、リュウを睨みつけるばかりだ。
なんで……? コウやあの犬面の話を元に考えれば、とっくの昔にリュウの身体が八つ裂きにされてもおかしくないのに……!?
「よう。久しぶりだな、ソフィア」
「グルル……!!」
軽いリュウのあいさつに、魔竜姫が唸り声で答える。
「今回は……ざっとどのくらいぶりだ? もう、なんかいろいろありすぎて、思い出せないくらい、会ってなかったな」
リュウは苦笑した。
「俺は師匠のところにまで行って、ガルガンドに会ったり……ソフィアは真子に前線押しやられたり。いろいろあったな」
何かを思い出すように、リュウは懐かしそうな口調で魔竜姫に語りかける。
魔竜姫は、じっとして、決して動こうとしない。
「その間、ソフィアはさびしかったか?」
魔竜姫は答えない。
「俺はさびしかったよ……。お前に会えなくて、さ」
リュウが語る。
そんな彼の姿に、イライラが募っていく。
「リュウ! いつまでも、そんな風に……!」
「カレン。近づくな」
あたいが一歩前に出ようとすると、リュウの突き放したような冷たい言葉が放たれた。
「……!?」
あたいは、その言葉の冷たさにショックを受けて思わず身を引く。
瞬間、さっきまであたいが立っていた場所を鋭い斬撃が通り過ぎていった。
「え、あ!?」
「今下手に近づくと、斬れるぜ?」
訳も分からずさらに下がる。
一体これ、なんだい!? 訳が分からないよ……!?
「リュ、リュウ!? な、何なんだよコレ!?」
「さあな? 覇気をこんな形で操れるなんて、さすがに思わんかったぜ」
さっきと同じ軽い調子だったけれど、あたいはその言葉の中に強い緊張が含まれているのにようやく気が付いた。
さっきまでの軽い態度……ひょっとして、ブラフかなにかだったのかい!?
おそらく、魔竜姫によってつけられた斬撃痕は鋭い刃で素早く斬りつけたような、深い痕だった。
一撃でも喰らえば、人間の身体くらいは簡単に真っ二つにしてしまえそうなほどだ。
もし、今、リュウの周囲にその斬撃が降り注いでるとしたら……!
「リュウ!」
反射的に、矢を魔竜姫に向ける。
次の瞬間、矢ごと弓を両断されてしまった。
「っきゃ!?」
「だぁら、手ぇ出すなって」
ぱしん!と軽い音を立ててあたいの身体が後ろへと吹っ飛んでいく。
尻餅をつき、顔を上げると、リュウがあたいに向かって軽く腕を振っているのが見えた。
「リュウ……!」
「わりぃな。今度、おまえんちの一番高いメニューとってやるから」
たぶん、リュウの覇気で弾き飛ばされたんだろう。たぶん、あのままだったらあたいの腕なり肩なりを真っ二つにされていたんだろう。
だけど、そのせいでリュウに腕から血が噴き出した。
「っ!? リュウ!!」
思わず叫ぶ。
あたいを助けるのに、魔竜姫の攻撃の射線に入っちまったんだ……!
あたいが、うかつかなことをしたから……!
「ごめん、リュウ……!」
「気にすんな。どっちにしろ、腕一本くらい犠牲にしなきゃこの状況……」
噴き出す血はそのままに、リュウは体を捻り――。
「打破なんか、できゃしねぇんだ!!」
拳を身体ごと打ち出す。
轟ッ!!と風が唸りを上げて、魔竜姫の身体を強かに打ちつける。
「ギャッ!!」
悲鳴を上げて、魔竜姫が吹き飛ぶ。
覇気を使った技の一つ、空打ち……!
目の前の空間をぶっ叩いて、遠間の相手を打ち据える、親父の得意技……!
リュウも、使えるのか!?
あたいがそのことに驚いている間に、状況は急変していく。
「ぐぁ!!」
魔竜姫が唸りと同時に体勢を立て直す。
けれど、再び体を硬直させる。
背中の翼がピーンと突っ張り、痙攣を起こしたかのようにピクピクと震えている。
瞬間、あたいのところに膨大な覇気が滾る。
「う、あっ!?」
莫大な覇気の発生源……リュウは、ズンと腰を落として気合を溜めていた。
「はぁぁぁぁ………!!」
リュウから放たれる覇気をその全身で受けて……ようやく魔竜姫が動かなかった理由を悟った。
あいつは、動かなかったんじゃなくて、動けなかったんだ。
リュウの、このバカでかい覇気を、直に受けてたから……!
「ハッ!!」
リュウが、鋭く呼気を吐く。
瞬間、あたしの足元の小石まで揺らしていた莫大な覇気が、リュウの体の中へと収束した。
息を呑む。あれだけの大きさの覇気が、人間の体の中に収まるもんなのか……!?
「……うん。やっぱりこまい技をぶつけ合うよりは、こっちの方が性に合う」
リュウはニヤリと笑って拳を握り、警戒するように自分を睨みつけている魔竜姫の方へと顔を向けた。
「互いに一撃必殺。好きな一撃を打ち合う。それで、白黒つけようぜ?」
見せつけるように、正拳を魔竜姫へと突きつける。
果たして、それで魔竜姫が理解したのかどうか。
「………」
獣のような体勢を取っていた魔竜姫が、スッと立ち上がる。
まっすぐにリュウを睨みつけて、だらりと両手をぶら下げた。
「……っ!」
思わずつばを飲み込んだ。
あの魔竜姫……なんて覇気を放ちやがるんだい……!
リュウの覇気が、全てを飲み込む巨大な渦潮みたいな覇気だとすれば、あの魔竜姫の覇気は大きく鋭く磨き上げられた、死神でも持つような大きな鎌だ。
下手に隙を見せれば、首を一撃で持っていかれちまうような、そんな馬鹿みたいな覇気してやがる……!
あっちは化け物、こっちも化け物……!
そうか、コウも犬面も、このこと知ってて……!
「ソフィアの全力……初めて見るぜ」
だけど、そんな覇気を前にしてもリュウは笑っていた。
下手をすれば、マジで死ぬ。そんな状況を前にしても、リュウはいつものように笑っていた。
「いいねぇ……見せられるもんは、お互いに全部見せとこうぜ……!」
魔竜姫が深く腰を落としこむ。肉食獣が、獲物に飛びかかるような、そんな構えだ。
対してリュウは、拳を深く引く。
槍を構えるような……そんな体勢だ。
「そうすりゃ、俺ももっと正直になるぜ……!」
「カハァァァァ……!!」
魔竜姫の姿が、一瞬掻き消えた。
「リュ………!!??」
あたいが、悲鳴を上げようとした、その瞬間。
「あぁいしてるぜぇぇぇぇ、ソフィアぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
リュウの、バカみたいに大きな声が、響き渡った。
一瞬、時間に空白が生まれたように感じる。
コマ送りのように、二人の姿が接近していき、そして、交差。
リュウが拳を振り切った時、あるべき場所にソフィアの姿はなかった。
「―――ッ!!」
叫び声を上げようとしたけれど、声が上がらない。
「……?」
思わず疑問に思ってしまったけれど、あたいはすぐに自分の勘違いに気が付いた。
リュウが何かを殴った轟音が、今、聞こえた。
そう。リュウの動きが、あたしが捕らえきれる限界を、完全に上回っていたのだ。
そして、リュウの拳が生み出した衝撃波の圧が、あたいの身体を襲う。
「………!?」
そのあまりの強さに、思わず目をすぼめてしまう。
衝撃波の中で、リュウは魔竜姫を殴りつけた拳の先に軽く口づけし。
「――さっ! 俺の腕の中へどうぞ! 眠り姫!」
すっごくいい笑顔で両腕を広げ、上空から落下してきた魔竜姫の身体を受け止めた。
リュウに顔面をぶっとばされ、その勢いで地面を跳ねかえり、空へと飛んでいた、魔竜姫を。
「………」
そんな光景を、あたいは呆然と見つめていた。
リュウの腕に抱かれた魔竜姫は、さっきまで狂気に犯されていたのが嘘のように穏やかで……どこか安らかでさえあった。
リュウの一撃で、口の中でも切ってしまったのか、口の端から血が流れ出ていたけれど、あの一撃でその程度って時点で、どんだけだよ……。
そんな魔竜姫の顔を、嬉しそうな顔で見つめていたリュウが、ふとあたいの方を見た。
「……カレン! お前、頬!」
「え、あ?」
言われて、頬を撫ぜる。
ヌルリとした感触が、手に伝わった。
見てみると、手の平がべったりと血に濡れていた。
たぶん、さっきのリュウの一撃で飛んだ破片が、あたいの頬を傷つけたんだろう。
その事をぼんやりと考えていると、リュウがあたいにまた声をかけた。
「大丈夫か!?」
「え、あー……大丈夫だよ。あたいも、少しだけど、覇気使えるし」
あたいはグイッと、頬に垂れた血を手で拭う。
ずきりとひどく傷が痛むけど、あたいはそれに構わない。
「こんなの、すぐ治るって」
「……そうか」
そんなあたいの様子を、痛々しげに見つめていたリュウが、くるりとあたいに背中を見せた。
「リュウ? どこ行くんだい!?」
「ソフィアを、ちょっと寝かせてくらぁ。すぐ戻る」
「あっそう……皆には良いのかい?」
あたいは、今も戦っているコウたちの方を指差す。
リュウは少し振り返って、笑った。
「光太たちなら、問題なくぶちのめせるさ。この国を救う、救国の勇者だぜ?」
「……それもそうだね」
あたいも笑ってそれに応えて、立ち上がる。
「あたいは、あっちを手伝うよ」
「そっか。なるべく急ぐけど、別に倒しちまっていいぜ?」
「うん。伝えとくね」
あたいが手を振ると、リュウはそれに応えるように笑って、一っ跳びで跳んで行った。
ずいぶんな跳躍力だ。まあ、あんな馬鹿みたいな覇気見たら、あのくらいは飛べるよね。
「………はぁ」
リュウが見えなくなってから、あたいはうつむいて、ため息をついた。
まさかの、失恋、かぁ……。
「しかも、あの調子じゃ、リュウのべた惚れだよね……」
リュウがあんまりあの女に構うから、苛立ち紛れに当たってやっても、気にもしねぇでやんの……。
「ハハッ……あたい、かっこわりぃ……」
あたいの頬を、血とは別の熱いものが伝う。
はじめっから、望みなんてなかったわけだぁ……。
ズズッと一気に鼻をすする。
「……まあ、いっか」
苦し紛れに、あたいはそう呟く。
あの魔竜姫……確かソフィア。
あいつなら、確かにリュウにはお似合いだろう。
あんな、浴びてるだけで死ぬような覇気の持ち主で。
顔が良くて。
スタイルも良くて。……たぶん、胸もデカい。
女神様が一物も二物も与えたような女だ。あれなら、あたいも負けちまって仕方ない。
しょうがない、しょうがない!!
「だから……っ! 泣くなよぉ……!!」
あとからあとからボロボロ涙があふれてくる。
悔しさに、歯ぎしりが止まらない……。
っちくしょう……! なんであいつなんだよぉ……!
「……っ! それも、これもぉ……!!」
あたいは苛立ち紛れに、化け物の方へと振り返る。
べつに攻めあぐねいているわけでもないみたいだけど、でかすぎてどこを攻撃したらいいかわからないみたいだ。
「テメェらの、せいだ……!」
あたいは持っていた予備のショートボウと矢を取りだし、引き絞る。
「コンチクショォォォォォォォォ!!!!」
力の限り引き絞り、命一杯覇気を込めた、八つ当たりの一撃は、一発で化け物の足を吹っ飛ばした。
「ざまぁみろ、クソッタレが……!」
あたしはやけっぱちに笑ってから、涙をぬぐった。
リュウの奴……! あとでひでぇかんな……!
絶対一発ぶん殴る決意を固めて、あたいは立ち上がる。
絶対殴ってやるからな……! だから……!
「幸せになれよ、コンチクショウがー!!」
あたいの叫びは、果たしてリュウに届いたのかどうか。
それは、女神様にもわからない……っていうかわかってたまるかぁ!!
あたしの叫びは、王都に虚しく響き渡ったのだった……。
嫁との戦いの決着は、同時に一人の少女の恋の終りも告げる。
隆司も罪な男よのぉ……。
一方その頃、領地ではフォルクス公爵を追いつめる瞬間が近づいていた……。
以下、次回。