No.176:side・mako「コトバのマコトを司る者」
「う、ぐ……」
吹き荒れる魔力の奔流。そして、その流れが放つ熱波。
その二つに曝され、あたしは地面にへたばっていた。
周りにいた騎士たちも、ほとんど同様だ。
ガルガンドが放った今の一撃、多分原理的には元始之一撃を強化拡大したものだろう。威力の桁も幅もとんでもない。防御して、その上でもあたしたちがいた地点はほとんど壊滅的な被害をこうむっている。
……そう、防御はしたのだ。ただし、あたしじゃない。
あの時点で、あたしは魔法を唱えるだけの余裕はなかったし、そもそも天星なしであれを受けきれるほど、あたしは魔法に熟達しちゃいない。
あれだけの一撃を受け止め、あたしたちを守ってくれた少女の方を見遣る。
「フィーネ……! おい、しっかりしろよ……!」
涙を流しながら身体を揺さぶるジョージの声にも反応しないフィーネ。
彼女はあの瞬間、混沌言語を展開し、あたしたちを守ってくれた。
だけど、あまりにも時間がなかった。結果として防御した魔法の威力の何割かは、彼女自身が被ることとなった。
……真っ黒に焦げた彼女の両手が、その証だ。
「フィーネ……しっかりしなさいよ……!」
あたしは声を絞り出しつつ、何とか立ち上がる。
フィーネはほとんど動いていない。たぶん、さっきの一撃のせいでショック症状でも引き起こしてるんだろう。
早く助けないと……!
そうして彼女の元へ近づこうとする私に、一瞬影が差す。
「うあぁっ!!」
「!? サンシター!?」
聞こえてきた悲鳴は、さっきまであたしのそばにいてくれた騎士のものだった。
鮮血をまき散らしながら吹き飛んだ彼は、しかしすぐに立ち上がる。
「ま、まだまだでありますよぉ!!」
「しぶとい男よ……。しぶとさだけで言えば、あの男にも匹敵する」
呆れたような声を上げるガルガンド。
あたしの前に立ってくれた彼は、しかし立ち上がれるとは思えない程に傷ついていた。
全身ズタボロ。正直、血に濡れていない個所を探す方が難しいほどだ。
「サンシター、あんた……!?」
「逃げて欲しいであります、マコ様!!」
彼の姿に慄く私に、それでも彼は気丈に叫んだ。
「に、逃げるって……」
「この男、マコ様の御命を狙っているであります! 今や騎士団は総崩れ……! 団長たちが、活路を開くであります! どうか、この場は逃げて欲しいであります……!」
「おおあああぁぁぁぁぁぁ!!」
サンシターの声に呼応するように、あたしの背後から咆哮が聞こえてくる。
そちらを見れば、団長さんとかろうじて無事であったろう数名の騎士が、押し寄せてくる骸骨どもを押し止めているところだった。
……止めも万全かクソッタレ。
「今はお逃げくださいであります! この男がマコ様を敵視するのであれば、マコ様こそが……!」
「できるわけ、ないでしょう! あんたたちだけ見捨てるなんて!!」
「見捨てるのではないであります!!」
サンシターに叫ぶと、彼に叫び返される。
彼の声には、誇りさえ伴っていた。
「マコ様は、勇者様たちを連れてくるために一度王都に戻るであります!!」
「勇者……? あいつらを?」
「その、とおりです……!」
ばぎゃぁ!とひときわ大きい音を立てて、骸骨が吹き飛ぶ。
団長さんとは反対方向。そちらでも、アルト王子と数人が押し寄せる骸骨と戦っていた。
「皆様が揃えば敵はありません……! 今は敵わずとも、皆様が揃えば……!」
「あいつらを連れてくるって、どんだけかかると思ってんのよ!! その間に、あんたらみんな……!!」
「死んだりしないであります!!」
あたしが言うより先に、サンシターが叫ぶ。
「自分たちは、希望を持って残るであります! 胸に希望がある限り、自分たちは死んだりしないであります!!」
「常に心に希望を持て……女神教の教えの一つです……! 我らは、常に女神とともにあります!」
「そんな……!」
彼らの見せる覚悟に、見ているあたしの心が締め付けられていく。
彼らの言っていることは、精神論で、状況はそれ以前の問題だ。
騎士団のほとんどは一撃でやられて、残った人たちも時間の問題。
相手は無限とも言えそうな物量で押し寄せてくる上、一番の問題は……。
「ふぅむ。希望、か」
あの男が平然と浮いているということ……!
「結構結構。まだ心は折れておらんようで何よりだ」
「当たり前であります! 自分が守るお方を誰だと思っているでありますか!!」
あるいはあっぱれとでもいう様に手を打つガルガンドに向け、サンシターが胸を張って応える。
「アメリア王国へとはせ参じた勇者が一翼! その魔導の力で自分たちを幾度となく救ってきた大魔導師! コトバ・マコ様であります! このお方がいる限り、自分の心は決して折れないであります!!」
「サンシター……」
畏敬の念を込められたその言葉に、あたしは場違いなことを考えてしまう。
っていうか、あんたにはもっとこう、べつのこと考えて欲しいなぁ、なんて……。
「ふむふむ。確かにその通りよな」
だが、そんなことを考えている余裕はもとよりない。
ガルガンドの奴は二、三度うなずくと今一度天上を指差した。
「さもなくば、このような法論を思いつくはずもなし。さすがは救国の英雄よ」
「……」
見上げれば、再びの魔力チャージ。
「便利なものよな。特定の空間を結界で覆い、その中に残存する魔力を自在にコントロールする魔法」
「……あんた、あの時あの場にいたわけ?」
「さてな」
言われて気が付く。あの結界、構成を支える術法こそ混沌言語だけれど、構成の形はあたしが前にフィーネと協力して構成した魔力偏向結界に似ている。
あの時見せた技術を目コピでもしたのか……やはりこいつ、とんでもない男だ……。
「く!? マコ様! 早く逃げてください!!」
「次の一撃が着たら終わりであります! 自分たちが、時間を!!」
「稼いでみせよ。ほぅれ」
次の瞬間、枯れ枝か何かのように王子とサンシターを吹き飛ばすガルガンド。
再び、鮮血が舞い散る。
「幾度となく、立ち上がるが良い。そのたびに、膝を突かせよう。その希望、手折ろう。その末にこそ、滅星は来やるのだ」
「ふざ、けるなぁ!!」
「誰がお前に屈するものでありますかぁぁぁぁ!!」
王子とサンシターが再び立ち上がる。
そのたびに、血が吹き出し、身体が揺れ、今にも倒れそうになる。
あたしは喉元からやめて、と叫びたかった。
だが、言えなかった。彼らの姿を見てしまっただけで。
彼らが、あきらめていなかったから。
「マコ様!! 早く逃げて欲しいであります!!」
「我らは大丈夫です! さあ、早く!!」
「滑稽滑稽」
叫んでガルガンドを止めようと駆け出す彼らを、奴は軽い調子で迎撃する。
そうする間にも、天上に輝く魔力はその威容を増していく。
怒号。悲鳴。鳴動。全てが、その場を支配していく。
……あたしは、拳を握りしめた。
「――グリモ。いるんでしょ」
《もちろん、ここに》
あたしの声に、ふわりと混沌玉が返事をした。
「……予言の時よ」
《……そうだね》
短くあたしたちは言葉を交わした。
「こうならないために、フィーネを宮廷魔導師に据え置いたのに、残念だったわね」
《立場は人を成長させる……そう考えてたけれど、やっぱりいろいろ足りなかったね……》
グリモは小さく苦笑した。
《……けれどマコ。いいのかい? 先に進めば、あんたはみんなと同じ時間を歩めなくなる。それは、つらいことだ》
グリモの言葉に、あたしはギュッと唇を引き結ぶ。
それは、彼女から聞かされた予言。
あたしがこの世界に呼ばれ、そしてどのような最期を迎えるか。その一つ。
……あるいは、残酷な結末よね。あたし自身、長く迷ったわ。
「……だから?」
けれどあたしは答える。
瞳の中に、決意の炎を滾らせながら。
「確かにあたしはもうみんなと一緒に生きられなくなるかもしれない。けれど、その中で、きっと抱えきれないほどのものを得るわ」
《………》
「今、この瞬間。あたしがやらなきゃ、それを手に入れられない。その結果の方が、よっぽど残酷よ」
話す間にも、あたしの頭上の魔力は空気を軋ませ、膨れ上がっていく。
けど、あたしはそれに構わない。構っていられない。
「……未来は、先に進まなきゃ手に入らない。なら、あたしは今を守るわ。後悔なんて、後でまとめてすればいい。今を守らなきゃ、その後悔だって手に入らないんだから」
《……そうだね》
諦めたように、グリモが呟いた。
《あたしもそう考えたけれど、遅すぎた。気づいた時にはおばあちゃんさ》
自嘲するような響きの中には、あたしへの羨望と嫉妬が混じっているように聞こえる。
けれど、それもすぐに払拭された。
《さぁて、マコ! あんたが決意してくれたなら、話は早い! この世界を支える一柱……あんたに託そうじゃないか!!》
「そうするんなら、さっさとなさい! もう、時間無いわよ!!」
魔力はついに空間そのものさえ軋み上げ、根を上げさせる。
どうやらあたしを完全にここで消すつもりね……! でも、そうはさせるか!!
「マコ様、早く逃げて!!」
「マコ様ぁぁぁ!!」
王子とサンシターの悲鳴が聞こえてくる。
あたしはそんな二人をキッと睨みつけた。
「あたしは逃げない! 逃げてたまるもんですか!!」
「そんな……!」
サンシターの顏が、一瞬歪む。悲痛なそれを見て、あたしは舌を出してみせる。
「今のアンタの言うことは絶対聞かない、ってーの!!」
《……ああ、そうそうマコ。年長者から最後のアドバイスだよ》
子供じみたあたしの行動に呆れたように、グリモはこうつぶやいた。
《たまにゃ、過去を振り返ってみな。今がうまくいかないのは、だいたい過去の悪行のせいだよ》
「ほっとけぇ!!」
反射的に突っ込みを入れた瞬間、混沌玉があたしの体の中……心臓へとめがけて潜り込んできた。
「お、ぐっ」
初めてこの国に降り立った日、覚醒の儀とやらで体に本が潜り込んできたときのことを思い出す。
あれも、そういえばあたしの体の中に眠っていたものを目覚めさせるものだったのよねー。
能天気にそう考えた瞬間、あたしの身体はバラバラになる。
……いや、正確じゃないわね。より詳しく言うのであれば、あたしの存在が混沌言語へと取って代わった。
皮膚。髪。血。肉。骨。内臓から来ている衣服、それこそ排泄物に至るまで、全てが混沌言語に置き換わる。
それらすべては一瞬で世界へと広がり、あたしの意識は宇宙へと飛び出す。
あらまぁ、ファンタスティック。
―ようやく来たな。だが、ずいぶんとのん気ではないか―
広がり続ける意識に思わず楽しい気分になっていると、水を差すように男の声がした。
……そういえば、隆司が夢の中でなんか変な奴にあったって言ってたわね。
―変な奴とはな。だが、正鵠を射ている―
愉快そうなその男の笑い声に、あたしは顔をしかめる。いや、しかめる顔は今、ないんだけどさ。
そんなあたしを見て、男はニヤリと笑った。
―ようやく一つだ。我が役目も、終わりへと向かい始めよう―
……そうね。直だと思うわ。
応えるあたしに、男はもう一言つぶやいた。
―なれば急げ。我にはもう、時間はない―
わかったわ。なるべく急ぐ。
あたしは男にそう答え、拡散していた意識と混沌言語をかき集める。
隆司が夢現の間で出会った男……。そいつと自然に会話する自分に疑問を覚えつつも、あたしは納得もしていた。
たぶん、そういうものなんだろう。あいつも、今のあたしも。
自らの身体を再構築しながら、あたしは今の自分へと思いをはせる。
……もう、あたしを取り巻く時間は今までとは違う。それでも、あたしは幸福だった。
例え人ならざる身へと墜ちたのだとしても、それでサンシターを守れるなら安いものだろう。
あとで後悔も押し寄せるだろうけど、そんときゃサンシターの胸の中で命一杯甘えてやろう。その程度の権利は、あたしにだってあるはずだ。
いずれ来るかもしれない未来を想い、思わず微笑む。
そうしながらあたしは順々に身体を再構築していく。
腕や手足の長さ、肌の色なんかは今まで通り。髪の毛も以下同文だ。
出来れば胸の大きさくらいは変えておきたいけど……。く、やっぱり無理か……。混沌玉が埋まってるけど、カサ増しにはなってないわよね……。
あとは服……これは今まで通りってわけにもいかないわよね。さすがにシャツとズボンだけって、悲しすぎるし。
そうして、改めて自分を作り直し、あたしは目を開ける。
時間にして刹那にも満たない間。それだけで、あたしはすべてを理解する。
……そう、これが。
「真言の継承者……って奴ね」
不敵に笑ったあたしの頭上に、巨大な魔力光が炸裂した。
少女は今を守るため、人であった自分を捨てる。
人より逸脱しながらも、その決意は幸福なものだった。
元より人でない少女に恋する少年のそれも、また。
以下、次回。