No.172:side・mako「囚われの騎士、再び」
不気味なほどに静まり返ったフォルクス領内に、軍靴の音が響き渡る。
反響音すら聞こえてくるのではないか、そう感じるほどの静寂が辺りを包み込んでいた。
「……だ、誰もいないね……」
「そうね」
あまりにも静かなフォルクス領の様子に、さっきまでは勢いごんでいたフィーネが早くも尻込みし始めていた。
とはいえ肌でさえ、領内を漂う異常な雰囲気を感じ取ることができた。
まるで、この領内に動く者がもう何もないかのようだ……。
「……王子様、私……!」
「なんでしょう、フェレス」
静まり返った領内の雰囲気に耐えきれなくなったのか、フェレスがアルト王子の前に回り込み、懇願を始めた。
「みんなを、助けに行きたいです……!」
「……わかりました。何人か、供を連れて行ってください」
「っ! ありがとうございます!!」
「誰か! フェレスとともに、囚われた者たちを救出に向かってください!」
「「「はっ!!」」」
王子はフェレスにそう許可を下し、すぐに何人かの騎士にフェレスの護衛を行うように命じた。
「それじゃあ、私たちはいってきます!」
「ええ、気を付けてください」
フェレスは元気に頭を下げると、騎士たちと一緒に他の魔族たちが囚われているであろう場所へと向かって駆けだした。
「……いいの? あの子たちだけ先行させるような真似して」
「状況があまりにも不透明です。あの子の不安を取り除くためと……囚われている方々の安否を確保するためでもあります」
「そう」
王子の言葉にあたしは短く返す。
正直、こんな状況で単独先行なんて、死亡フラグ以外の何物でもない気がするけれど……。フェレスに泣き喚かれても面倒か。
「……にしても、あれだけ派手な音たてたのに、騎士の一人も出てこないなんてね」
「異常ではありますね。フォルクス領にも、周辺の害獣から身を守るための自衛騎士はいたはずですが……」
フェレスと王子の会話を聞いたせいで、長い沈黙に耐えられなくなったあたしはずっと気になっていたことを口にする。
「その自衛騎士だけど、規模ってどんなもんなの?」
「もちろん、王都直衛の騎士団とは比べ物にもなりませんが……それでも、中隊規模の人数はいたはずです」
「ふぅん」
中隊規模ってことは、百ちょっとくらいかしら。
「ただ、魔王軍がこの地を占領した際に、かなりの数がサカー・フォルクスの護衛としてこの地を脱していますので、実際にどれだけ残っているかは……」
「ああ、あのアホ貴族、真っ先に自治領を見捨てたんだ」
これでなんとなく、フォルクスが自治領奪還に躍起になっていた理由が分かった。
要するに、自分が自治領を見捨てたことをごまかしたかったのだろう。
それでも、自分では何もしない辺り、あの男の命運はその時点で尽きてたわけだけど……。
「王子! 前方に敵影を発見しました!!」
「っ!」
アホ貴族のこれからの末路に若干思いをはせていると、最前列の騎士から報告が上がる。
敵影、の言葉に王子が緊張を見せる。
騎士団の演習訓練じゃない。ましてや、魔王軍との戦闘でもない。
本当の意味での、人間対人間。
騎士団の人たちも、ほぼ未体験領域が差し迫っていることに緊張を見せている。
一緒にくっついてきた魔導師団の人たちも、その緊張に煽られたように体を硬直させている。
かくいうあたしも……ぶっちゃけかなり緊張してる。って言うか胃が痛い。胃ってこんなにキリキリ痛むもんだったっけ……。
「マコ様、大丈夫でありますか……?」
「そう言うサンシターは? 顔青いけど」
「自分もあまり良くないであります……」
あたしの隣に立ってくれているサンシターの顔色も、かなり悪い。
これから起こることを想像して、緊張しているんだろう。
そんな中、団長さんだけはいつものようにリラックスして見えた。
「そう硬くなるな。マコもアルトもだ」
「いや、でもさぁ……」
「心配するな。お前らの出番は、一番最後なんだから。露払いは、俺たちに任せろ」
そう軽く言って、団長さんはいつも握りしめている長柄の棒を、さらにギシリと握りしめる。
この人の泰然自若とした態度が、今はとてつもなく頼りになる。
「……敵の数はどうだ!?」
「数は十ですが、あれは……!」
団長さんの声に応える前列騎士の声が、やや怯えを含んだように聞こえる。
何かしら、一体……?
前線騎士の怯えたような様子に、射の一番に反応したのは王子だった。
「皆さん、前を開けてください!」
「王子!? 前に出ては危険です!」
「なればこそ……! お前たちの危機に、私だけ安穏としているわけにはいきません……!」
そう叫び、王子は騎士たちの間を割り裂くように前へ前へと進んでいく。
……王子、猪突猛進っていうかなんて言うか……。ひょっとして、キングが動かなきゃ軍が動かないとか考えるタイプ?
……いや、無いか。ただ単純に、前列の騎士の心配をしただけよね。
だけど、王子が率先して動いたのは、結果的に軍全体にプラスに働いた。
「お前ら! 王子が自ら動いてるんだ! シャンとしろ!」
「「「「「おおおぉぉぉぉぉ!!!!」」」」」
続く団長さんの激に、騎士団員全員が鬨の声で答える。
さっきまであった緊張も、どこかへ吹き飛んだようだ。
王子の行動は、図らずも戦意高揚の効果を果たしたわけだ。
「さて……あたしらも行くわよ、フィーネ、サンシター」
「ええっ!? 危険でありますよ!?」
「承知の上よ。……その上で、ガルガンドがどう出るか見るわ」
サンシターの言葉に、はっきりと返す。
騎士がわずかにとはいえ怯えたってことは、何か外道な手段を使ってるってことだ。
その手段を直接見てみないことには、あいつの目的もわからない。
あたしは王子の後に続くように、騎士たちの間を割って進んでいく。
「はいちょっと通してー! 勇者が前でるよー!」
「ああ、もう! マコ様お待ちになるでありますよー!」
「置いてかないでー!」
あたしの後に続くように、サンシターやフィーネもついてくる。
そして、騎士たちの最前列に立ったあたしが見た光景は。
「……なにあれ」
思わず絶句してしまうものだった。
「……あー……」
「ぅー……ぁー……」
だらりと下げられた手。開きっぱなしの口。
幽鬼もかくやという表情で立ち尽くしているのは、恐らくもともとこの領地を守護していた騎士だろう。無駄に豪奢で鼻に突くデザインの鎧を着てるけど、あれはフォルクスがデザインしたものかしら。
けれど、そんな鎧もどうでもよくなるほどに今の騎士たちは不気味な姿をしていた。
「……ひどい……」
あとから抜けて出てきたフィーネの言葉が、最もしっくりくる。
何しろ……両の耳から黒いヒルのようなものが蠢いているのだ。
時折ビチビチと身体をくねらせ、そのたびに騎士たちの身体がビクンと跳ね上がる。
あんなもん見せられりゃ、そりゃビビるわよね……。
「なんという、ことだ……」
「なんだか、ジョージ君が暴れた時のことを思い出すであります……」
目の前の騎士たちの惨状に、王子は呻き声を上げるが、サンシターがかなり重要なことをいった気がする。
ジョージの時と似ている?
「言われてみれば、そうね……」
サンシターの言葉に、あたしは改めて騎士に取りついているヒルを観察する。
あの時の触手と違い、水に濡れたようにぬらぬらとテカるその身体はあんまり眺めていたいものじゃないけれど……どうも騎士たちを操っているらしいというのは共通してるみたいだ。
「……ジョージ、あんたあんときのこと覚えてる?」
「……正直、あんまり」
ジョージはもはやない右腕が痛むかのように、ギュッと右肩を強く抑えた。
「あんときは、コウタを殺してやろうって気持ちでいっぱいで、周りを操ってるとか、そういうことを考えてたわけじゃねーから……」
「……となると」
ジョージの言葉を反芻しながらあたしは考える。
ジョージ自身で動かしていたわけじゃないけれど、ジョージの状態が回復すると同時に周りの騎士たちは触手から解放されてた。
少なくとも、呪いの大元になるガルガンドの魔力を受信して伝播する電波塔の役割を、ジョージは担っていたはず……。
「……王子、多分、こいつら全員操られてると思うけど、その大元になるやつがどっかにいるはずよ」
「大元とは、ガルガンドでは……?」
「あたしが言ってんのは、そのガルガンドとこいつらを中継する役割を持ってる奴。そいつさえどうにかすれば、少なくともこの人たちはどうにかできるはずよ」
「な、なるほど……」
王子はあたしの言葉に小さく頷く。
そしてサンシターは呻き声を上げた。
「で、では、その方にまた解呪薬を……?」
「もう持ってないよー!?」
《そんな慌てなくてもいいよ》
悲鳴を上げるフィーネの頭の上にこつんと乗り上げたグリモの言葉に、あたしはそちらを横目で見る。
「何か秘策でも?」
《何のための混沌言語だい。奴とその中継とか言うののつながりを切断しちまえばいいのさね》
「それなら、今目の前にいる方々の方を何とかした方が良いのでは?」
「言われてみればそうね」
サンシターの言葉に、言うが早いかあたしは一つ頷いてから混沌言語を試してみる。
問答無用ですべてのつながりを断ち切る呪法だ。下手すると人間関係すら断ち切りかねないが、まあ、そこんとこはフォルクスについた時点でアウトってことで。
「……―――……」
あたしの口から、声ならざる音が漏れ始める。
空に乗り、周囲へと漂っていくそれは、少しずつ大気を震わせる。
空気の分子が共鳴し合うかのごとく、あたしを中心に甲高い音が広がっていき、やがてそれはヒルに憑かれた騎士たちの元へと届いていく。
「 ぁ … … 」
あたしが発する呪法に共鳴するように、騎士たちの身体も激しく震える。
やがてすべての騎士たちにその振動が行き渡ったのを確認し、あたしは最後の引き金を引いた。
「――隔て世界を」
あたしの放った言霊は、違うことなく、ヒルに憑かれた騎士たちの見えない繋がり……呪いは元より、恐らくは運命と呼ばれる曖昧なものでさえ、一息にブツリと断ち切った。
「やった……!」
混沌言語の習得により、そちらの感覚が大いに強化されつつあるフィーネが、あたしの成果に喝采を上げかける。
けれど、それはおそらく早計だ。
《……いや、駄目だね》
「……まったくね。いやになる」
グリモが上げた声に、あたしも顔をしかめる。
確かに断ち切ったはずのヒルと騎士とのつながりは、いまだ健在。
ヌルリと落ちることもなく、相変わらず騎士たちの頭にくっついたままである。
「そんな……!? さっき、ちゃんと切れたはずなのに……!?」
「たぶん、中継地点代わりの奴がまたつなげ直したんじゃない? ガルガンドからの供給を断ったわけじゃないから、何回やっても同じねこれは……」
「そうですか……」
目前の結果にも、王子は落胆を見せることなく前に進んだ。
「騎士たちよ……。同胞は悪しき呪法によって縛られている……これを断つのは容易ではない」
手に持った刃を、また強く握りながら、王子は力強く前進した。
「だからとて、あきらめるために我らはここに来たのではない! 断てぬであれば、利用させぬ! 忌まわしき呪法によって囚われた同胞たちを、せめて戦えぬ様に捕らえるのだ!!」
「「「「「おおおおぉぉぉぉぉ!!!!」」」」」
アルトの命に応えるように、騎士たちはいっせいにヒルに憑かれた騎士たちへと走り出した。
……繋がりを断てないならば、捕まえる、か。
この場におけるベストアンサーだけど……。
「………」
「マコ様? いかがないさいました?」
「……あのガルガンドが、そんな簡単にそれを許してくれるのかしら……?」
心配してくれるサンシターに答えず、あたしは誰にともなく呟く。
騎士たちによる大捕物が展開される中、あたしは懸念が現実にならないことを祈った。
ガルガンド、ジョージを利用した時の技術を見事応用してくれたようです。
同胞との戦いを余儀なくされる騎士団。誰も殺さないアルト王子の願いは実を結ぶか……?
そして、王都ではまた一回転、大きく流れが流転する。
以下、次回。