No.163:side・Another「朱い朱い、執務室の中で ―アルト編―」
「――というわけなの。ギルベルトさんに、何とか材料費捻出してやってくれないかしら?」
「なるほど……。わかりました。ギルベルトさんにお伺いして、必要分を工面できるように国庫から、代金を用意するようにしましょう」
「ありがとね、アルト王子」
私の返答を聞き、マコさんがどこか安心したように微笑みました。
場所は、私のために用意された執務室。反乱に関する指示を終え、今はその後の経過を待っています。
突然の反乱の報のおかげで止まっていた執務を片付けていた私の元にやってきたマコさんは、薬の材料代を工面してくれないかと尋ねてきました。
この国にとっても有益な話ですので、特別断る理由もありません。
今月必要な物品や、消耗品の残量などを頭の中で計算しながら、私はどれだけの代金を捻出できるか考えます。
残っている書類を片付けていると、不意にマコさんが尋ねてきました。
「……ねえ、アルト王子」
「? はい、何でしょう」
私が目の前の書類から顔を上げると、真剣な表情をしている彼女の視線とぶつかりました。
思わず息を呑むと、マコさんがゆっくりと口を開きました。
「……あんたさ。今回の反乱についてどう思ってるわけ?」
「どう……ですか……?」
マコさんの突然の問いかけに、さざ波のように揺れていた心が、スッと元のように凪いでいくのを感じます。
「ええ。普通、自国で反乱が起きたとなれば、アンナ王女みたいに慌てて鎮圧しようとするでしょう? 政務に慣れていないとあれば、なおさらね。でも、あんたにはそれがあまり感じられない」
「……………」
正鵠を射たマコさんの問いに、私は沈黙で答えました。
そんな私の反応をどういう風に見たのか、マコさんは小さく肩を竦めました。
「あんたがどういう選択をするかは自由だけど、沈む豪華客船に相乗りする気はないの。それだけは、承知しておいてね」
「……肝に銘じておきます」
マコさんの忠告にそう返すと、真子さんは踵を返してすぐに部屋から出ていきました。
私以外に誰もいなくなった執務室の中で、私はぽつりとつぶやきました。
「……安心してください、マコさん。あなたが次に乗る船は、もっと豪華な船ですから」
誰にともなくつぶやいた声に返すように、すぐに扉が開いてトランドが入ってきました。
「アルト王子。フォルクス公爵の反乱に関する経過報告に……王子?」
トランドは手に持った書類から顔を上げた途端、不審そうな顔になりました。
「? どうかしましたか?」
「……いえ、笑っておられましたので……」
トランドの言葉に、思わず口元を押さえます。
……いけないな、どうも……。
「……先ほどまでマコさんがいらしてまして。少しだけ、お話をしていたんですよ」
「そうですか……。それはよろしかったですね。何か、よいお話でも?」
「なんでも、地下のネズミを退治するための特効薬ができたんだそうだ。その材料費に関してだよ」
とりあえず、当たり障りのない話題を出して、私はその場をごまかします。
そのまま、薬の材料費に関しての話を煮詰めていき、それから本題に入ることにしました。
「材料に関しては、こんなところでしょうな……それで、反乱に関してですが」
「……ええ、聞かせてください」
スッと表情を引き締め、トランドの次の言葉を待ちます。
手に持っていた書類に目を落としたトランドは、淡々とした調子で反乱に関する報告を行い始めました。
「まず、他貴族領に関してですが……反乱を起こしてから日が浅いせいか、今のところ目立った動きはありません。早馬を出して、相互に連携を取っているのか確認しておきました。四日ほどで結果が出るでしょう」
「なるべくなら、向こうからの交易品が途絶えることは避けたいですね」
目下の心配は、やはり貴族領からやってくる交易品が途絶えないかどうかです。
この王都にも、少なくない農場や小さな海湖、そしてハンターズギルドの本拠地などはありますが、広大な王都全体の食糧を賄うだけの生産力はありません。王都に住まう国民たちの飢えをしのぐためには、やはり貴族領との連携が絶対の条件となってしまいます。
魔王軍が攻め込んできて、すでに一年以上経過しています。その間に領地が占領されてしまったせいで、王都を支える物品や食料の状況は悪化する一方でした。
勇者の皆様たちのおかげで、最大の海湖を持つヨークや先に広がっていく貴族領との重要な交易地点であるレストなどを奪還でき、多少状況が緩和してきたところへの反乱です。もし、貴族たちが自主的に交易を停止するようなことがあれば……。
最悪な状況を思い浮かべ、一瞬瞳をきつく閉じます。けれど、目を塞いだところで目の前の状況が、よくなるわけではありません……。
すぐに面を上げ、トランドに先を促しました。
「……それで、反乱を煽っていたという人物は確保できましたか? もしできたなら、その者と話がしたいのですが」
「……その事ですが」
トランドは一瞬言葉を詰まらせました。
何か、あったのでしょうか……?
「トランド? どうかしたのですか?」
「……消えたのです」
「……消え……?」
「はい、消えたのです。文字通り。騎士たちの目の前から」
消え、た?
トランドの言葉に理解が追いつきません。何かの比喩でしょうか?
「……すみません、トランド。どういうことなのか、順を追って説明してもらえませんか?」
「はい……。正直、報告を聞いた私も信じられないのですが……」
トランドはそう前置くと、書類に書かれているであろう報告内容を読み上げてくれました。
「王都南区にて発見された不審者は、反乱が起きた経緯を誇張して表現し、アルト王子の権威を失墜させようと画策していたようでした。それを捕らえようと騎士たちが現場に赴くと、すぐに演説を中断し逃走。すぐに路地へと追いつめたようなのですが……」
「……が?」
「その場で地面の中へと溶けるように消え、その場には遺留品と思しきローブだけが残されたそうです」
あまりに現実離れしている報告内容に、思わずトランドの表情を確認してしまいましたが、彼は至って真剣そのもの。少なくとも、冗談ではないようです。
……であれば、騎士たちが見たまま聞いたままを是とするのが良いでしょう。私たちが直接見たわけではない以上、彼らの証言が最大の情報です。
「……遺留品はローブのみですか。他には、何も?」
「はい。容姿に関しても、ローブを目深にかぶっていたせいでまったくわからなかったと……」
「そうですか……」
反乱の扇動者に関して、それ以上の情報は今のところないようですね……。
なら、一番確認したかったことを問いかけることにしましょう。
「……それで」
平静を保ちつつ、私はトランドへと問いかけます。
「反乱が起きた、ということに関する国民たちの反応はどうでしょう?」
「はい……」
トランドは書類を一枚めくり、その中に書かれている内容を読み上げてくれました。
「……神官の方々も努力をしてくださっているようですが、やはり突然の反乱に戸惑っているものがほとんどのようです。多くの上級神官の元へと、かなりの数の国民たちが押し寄せ、パンク寸前の状態です」
「……やはり、そうですか……」
わかりきっていた結果に、私は思わずうつむいてしまいます。
……今までは、確かに騎士団や勇者の皆さんの活躍のおかげで、かろうじて国民たちにそれらの不安を味あわせることはありませんでした。……いや、違う。ただ表面化していなかっただけだ。
国民たちは、いつ魔王軍が攻めてくるのかという恐怖を、日夜味わっていたに違いない。
アメリア王国が建国されてから幾星霜。外敵からの脅威などほとんど存在せず、我々は恒久的な平和が続くのだと、信じて疑っていませんでした。
しかし、父上の訃報と、それに合わせるように竜の谷を越えての魔王軍の侵攻……。突然の出来事に、私はただ無力でした。
私にできたのはただ、変わらぬ明日を願い、何とか王都の中の日常を終わらせないよう、綱渡りを続けることだけ……。
……やはり、この国には……。
「……トランド。おそらく、近いうちに新たな王がこの国の不安を取り除くために立ち上がることになります……」
「おお、では……?」
わずかに目を輝かせるトランドから、私は顔をそらしながら妹の名を告げました。
「……王の名はアンナ。彼女の力強さなら、国民たちを不安に思わせることもなく、力強くアメリア王国を導いてくれるでしょう」
「王子、何を言っているのです……!?」
私の口から告げられた名前に、トランドはすぐに悲しそうな表情に変わりました。
そして執務机のそばまで近寄り、私を咎めるように声を荒げました。
「考えてもごらんなさい! アンナ王女はまだ御年九つ数えたばかりなのですよ!? 広大な領土を誇るアメリア王国の統治、そして魔王軍との戦争……この二つの重みを支えるにはまだ幼すぎます!」
「あの子は一人じゃありません。現宮廷魔導師であるフィーネや神官長のオーゼ。メイド長であるレーテや騎士団長のゴルト……そして、コウタさんやレミさんを初めとする勇者の方々が、彼女を支えてくれます」
「馬鹿なことをおっしゃいますな……。この国を今まで支えてきたのはほかならぬアルト王子、貴方なのですよ? だというのに、今更この国を見捨てるというのですか!?」
「見捨てるのではありませんよ。正しき統治者に、今の席を譲るだけです」
トランドから背を向けながら、私は言葉を紡ぎます。
「そもそも、私に力がなかったから、異界より、我らと何のかかわりもないはずの皆さんを、この国に招いてしまったんです……」
「それを言うのであれば、皆そうです。誰もが彼らを……ただの子供であったはずの、勇者様方を招いたことを悔いております」
トランドの声に、悔しさがにじみます。
召喚された当初は、誰もが嘆いたものです……。平和に過ごしていたはずの異世界の少年少女を、戦いの場に引きずり込んでしまったことを……。
今でこそ、彼らの実力の前に、彼らが戦うことに対して疑問を持つ者はほとんどいません。ですが、彼らが笑い、そして語らう場を見るたびに、私は彼らを召喚した日の胸の痛みを思い出します。
彼らにすがることしかできなかった、あの日のことを……。
「それに王子……あなたがこの国を率いるようにと申されたのは、没された国王陛下ではありませんか……。貴方は、陛下の最後のお言葉を忘れたのですか?」
トランドの言葉に、私は父が亡くなる寸前の遺言を思い出します。
(この国は、優しくあるべきだ……。そう、お前のような優しいものが、この国を導いてゆくべきなのだよ……)
父はそう言って、笑ったまま、天へと召されていきました。
しかし、現実は父の言う様に優しさだけで進んでいけるほど、甘いものではありませんでした……。
故にこそ、反乱は起きてしまった……起きるべくして……。
「……忘れたわけではありませんよ、トランド……ですが、今この国に必要なのは、本当に優しさなのでしょうか?」
「王子……」
優しくあれば、きっと手を取り合うこともできましょう……。コウタさんやレミさんも、魔王軍とそうあることを望んでいます……。
私もそうあればと思い、今日まで必死にあがいてきましたが……それも、これまででしょう。
「時には強引さも必要だったのでしょう……きっと、アンナが持つような……」
私にはない強さ……それがあの子にあります。
きっとあの子なら……反乱を起こした者たちもまとめることができるはず……。
「王子……ッ!」
「トランド、私はね」
何とか私を引き留めようとしてくれるのか、トランドが私を呼びます。
そんな彼に、私は笑みを浮かべながら振り返りました。
「なによりも、この国を愛しているんですよ……」
さっきも浮かべた……ひどく自虐的で、酷薄な笑みを。
その笑顔を見て、トランドがハッと息を呑みました。
「王子……」
「人は私を必要としません……なら、私は素直に表舞台から去りましょう……」
私は瞑目してそう宣言します。
そう、私では駄目なんです……。私では……。
窓から差しこむ朱い夕日が、私の執務室を照らします。
朱々と輝くその部屋の中で、それ以上誰かが何かを語ることは、ありませんでした……。
起きた反乱に、アルト王子は妹にすべてを譲る決意をする。
それは正しいことなのか? あるいは間違っているのか? それは、誰にもわからない。今は、まだ。
以下、次回。