No.159:side・remi「一時の平穏」
隆司君が帰ってきてから一週間。
彼の提案から始まった、私たちの修業は、そこそこに成果を見せ始めていました。
いつものように日課の修業が終わり、特にやることもなかった私たちは、そこそこの広さを持つ遊戯室に集まってそれぞれに特訓を繰り返しています。
「ん~……」
私は小さく唸りながら、いつも呼び出す盾をいろんな大きさ、角度で出現させ、それを出したり消したりを繰り返します。
防御の手段としてだけではなく、隆司君や光太君のための足場……あとこれは真子ちゃんからの提案だったんですけど、敵に対する障害として召喚の熟練度を上げているんです。
この一週間ずっとこれを繰り返し続けたおかげか、自分の周辺に対してなら、ほぼ無意識かつ反射的に防御障壁を展開できるようになりました。
自分の身体の周辺に無数の盾を呼び出す私の姿を見て、真子ちゃんが「絶対守護領域か……?」って呆れたように呟いていたけれど、何のことだろう? そのあとすぐに隆司君が「いや、ATフィールドだろこのレベルは」とも呟いていたけど。
「………」
そして、私の対面に座る光太君は、目を瞑ったまま精神を集中し、御椀のように構えた両手の中に風と氷の礫の入り混じった旋風を生み出していました。
隆司君が持ち帰った魔法剣、そして元々持ってた螺風剣。光太君は、この二つの力を、手の中で構えていない状態でも使えるようになっていました。
この辺りは意志力の応用らしいんですけれど、細かい理屈はよくわかっていないようです。混沌玉のグリモさんも《そういうものだよ》としか教えてくれませんでしたし……。
「……ハァ……」
そして、そのグリモさんから混沌言語について学んでいる真子ちゃんが小さくため息をつきました。
混沌言語の習得自体は、順調にいっているらしく、この間なんかは元始之一撃の術式を、飽和状態のまま保って王城の周りを一周したりしてました。ちょっとの刺激で弾けたら大変だから、そういう危ないマネは控えて欲しいんだけどなぁ……。
だから、今のため息は修行の内容とは関係ないはずなんですけれど……。
「……真子ちゃん、大丈夫?」
「……ん。へ?」
盾を出したり消したりするのを忘れないようにしながら、真子ちゃんに声をかけます。
声をかけられた真子ちゃんは、しばらくぼうっとしていましたけれど、すぐに私が声をかけたと気付いていくれて、こっちの方へと振り向いてくれました。
「え、あ……大丈夫って、何が?」
「なんだか、集中できてないみたいだから……」
少しの間私の方をぼうっと見つめていた真子ちゃんは、また一つため息をついて苦笑しました。
「ああ、いや……ごめん、礼美。なるべく、ため息つかないようにはしてるんだけどね」
「うん、そうした方がいいよ? ため息を吐くと、幸せが逃げちゃうんだからね?」
「うん、そーねー」
私が冗談めかして言うと真子ちゃんは笑って頷いて。
「……でないと、あんな風になっちゃうわけだし」
「ああ、うん。そうだね……」
呆れたような、うっとうしいような顔になって、ちらりととある方向へと視線を送ります。
私も頷きながら、そちらに目を向けました。
そちらにいるのは、隆司君。
「………アー………」
か細い声を上げながら、死んだお魚さんみたいな瞳をした隆司君が、長机の上で見事なブリッジの体勢を取っていました。
これがまた器用なことで、両手はしっかり胸の上に組んであり、今彼の姿勢を支えるのは靴を脱いだ両足と、頭頂部のつむじだけです。靴を脱いだのは、一応机の上だからど思います……。
ちなみに、この体勢に入ってからそろそろ一時間くらいでしょうか。なんていうか、その……。
「……素敵な腹筋だねっ!」
「いいのよ、礼美。無理に気を遣わなくても」
かける言葉が見つからなかった私の肩を、真子ちゃんが慰めるように叩いてくれました。うう……。
どうして隆司君がこんなことになっているかといえば、彼が帰ってきてから一週間が経つからです。
一週間。数字にすれば、七日ですけれど、慣例通りであれば、魔王軍の人たちが攻めてくる頃合いです。
前回、真子ちゃんの活躍もあって前線がおしこめられた彼らは、きっと躍起になって攻めてくるに違いない。特に、ソフィアさん。真子ちゃん、あの会戦の時にいろいろ言ったらしく、汚名を返上するために必死になるだろう、って真子ちゃんも言ってたんですけど……。
彼らが攻めてくるであろう当日になっても、狼煙は一向に上がらず、結局今日もそんな気配すらなく……。
隆司君は前にも一ヶ月、ソフィアさんとニアミスが続いた時期がありますけれど、その時よりもなんだか落ち込み具合がひどくなってるような……。
「ここ一週間、隆司ってば修行が終わるたびにソフィアさんのこと口にしてたからね」
「寝ても覚めてもソフィアソフィアソフィア……。向こうに行く前よりひどくなってるんじゃない?」
苦笑しながら旋風の高さを上げていく光太君の言葉に、真子ちゃんも同意するように頷きました。
二人の言う様に、隆司君はこちらに帰ってきてから、ソフィアさんのことを気にすることが多くなりました。
初めは、長い間会えなくてソフィアさん成分?というのが足りなくなっているのかと思っていたんですけれど……。
「なんていうか、それだけじゃなくて……前よりもずっと、ソフィアさんのことが好きになってるっていう感じだよね?」
「うん。向こうで、何かあったのかな?」
前の隆司君と今の隆司君。比較というのもおかしい話ですけれど、前と比べてずっと積極的になっているというか……。
まるで、好きであることを自覚した、という雰囲気なんです。
自分で言ってておかしいですけれど、とにかくそういう――。
「えぇい、うっとうしい」
「「あ」」
突然、真子ちゃんが、隆司君が乗っている机を蹴り飛ばしました。
真下から突き上げるように蹴り飛ばされた机は、ちゃぶ台返しの要領で倒れていき、その上に乗っていた隆司君は当然――。
「 し ゃ ぁ ぁ ぁ ぁ ぁ … … … ! 」
――地面に落ちることなく、見事に空中三回転を極め、床に着地しました。
何故か、スローモーションに見えたのは、きっと私だけじゃないはず……。
着地を決めた隆司君は憮然とした表情で立ち上がると、真子ちゃんの方へと向きました。
「なにすんだ急に。人が人生哲学に想い耽ってる時に」
「頭の中身が駄々漏れてんのよ。それはそれとして、机の上でブリッジなんかかますなうっとうしい」
「まあそれは同意するけどさぁ」
真子ちゃんが蹴倒した机を、隆司君が元に戻します。
というか、同意しちゃうんだ。さっきのブリッジのこと……。
「そろそろもう一度魔王軍侵攻戦があってもおかしくねぇだろ? お前らが前に魔王軍と遣り合って一週間経つんなら」
「まあね。あたしらが、領地奪還に動いてた時はそうでもなかったけど、ここ最近のパターンを考えると、そろそろでもおかしくないのよねぇ」
隆司君の言葉に少し考える仕草をした真子ちゃんが、どこかに向かって声を上げました。
「ちょっとサンシター? いるー?」
「はい、ただいまー」
呼ばれたサンシターさんが、少し間をおいて私たちのいる部屋に入ってきました。
「お呼びでありますか?」
「なんでお前呼ばれ待ちしてんの……?」
サンシターさんの登場の素早さに隆司君が唖然とした表情になりました。
最近は慣れたけど、やっぱり早いよね……。
「いやぁ。皆様と行動を共にするうちに、城内のメイドの皆様まで差し置いて、なぜか自分が皆様の御側役という立場に……」
「騎士としての立場はどうした」
「それはないも同然でありますので……」
言ってはならない隆司君の一言に影を背負い始めるサンシターさん。
真子ちゃんが容赦なく隆司君の腰を蹴り飛ばし、気を取り直して尋ねました。
「王城周辺の様子はどう? 狼煙とか上がった?」
「いえ、それがさっぱり。物見役の兵たちも、狼煙が上がればすぐに伝えねばならない緊張感で、少しだけ参ってるでありますよ」
「そう……」
サンシターさんの言葉に、真子ちゃんが釈然としない表情になりました。
やっぱり、魔王軍の人たちはまだ攻め入るつもりがないということでしょうか?
「どういうことなんだろうね……」
「いつもなら、定期的にこっちに来てくれてたのにね……」
「お前ら、人に蹴りくれた真子に対するコメントなしとか……」
「あんたなら別に問題ないでしょう? どうせ半不死人間だし」
「いてぇもんはいてぇんだよ」
腰を摩る隆司君に、辛辣な真子ちゃんのコメントが突き刺さります。
隆司君はそんな真子ちゃんを半目で睨みつけますが、すぐに思い出したようにサンシターさんに問いかけました。
「ああ、そういえば。サンシター。俺の部屋にあった札束袋知らねぇか?」
「え? あの、ハンターズギルドでの報酬を無造作に詰め込んでおいたあれでありますか?」
「そう、あれ」
隆司君の言葉に、なぜか真子ちゃんがギクリと肩を竦めます。
そんな真子ちゃんの様子に気づかないまま、隆司君はサンシターさんに問いかけました。
「ここから出る前に確認したときにゃ、ベッドの向こう側に置きっぱなしになってたはずなんだが……」
「そんな無造作に置いてあったら、誰かが持って行ってしまうでありますよ……」
「さすがにそんな奴はこの国にゃいねぇだろ。警邏の担当になってたABCが、ガキと鬼ごっこして遊んでるくらいに平和な国だぞ? 戦争中だけど」
そうなんだよね。この国、魔王国と戦争中なんだけれど、その実かなり平和なんだよね。
それもこれも、魔王軍の人たちが戦闘での犠牲者を最低限に抑えてくれているからだ。隆司君が旅した向こう側では、死霊団の人たちがいろいろと犠牲を出しているみたいだけれど……。
ともあれ、戦争における犠牲者がほとんどいないおかげか、王都の中は全然平和そのもの。
犯罪らしい犯罪もほとんどないっていう話だから、隆司君の言う通り泥棒なんていないと思うんだけどなぁ……。
「確かに、この国では犯罪は珍しいでありますが……」
「ついでに言えば、俺がそんなに金持ってるなんて知ってるやつはほとんどいねぇはずなんだよなー。いるとしたら、同じギルドのカレンとか、後は俺たちとかくらいだぜ?」
さらに隆司君が言葉を連ねると、だんだん真子ちゃんの顏から大量の脂汗が。
……真子ちゃん、お腹の具合でも悪いのかなぁ?
「別に、無くなっても困るような金じゃねぇけど、やっぱいきなりなくなるのは気持ちわりぃんだよなぁ」
「そう思うなら、ちゃんと管理しておいてほしいでありますよ……。何か、心当たりは?」
「あったらお前に聞いてねぇよ」
困ったようにウンウン唸り声を上げる隆司君とサンシターさんをしり目に、真子ちゃんはそろりそろりと出口の方へと向かい始めました。
「……真子ちゃん?」
「・・!、・・・!」
真子ちゃんは口に手を当てて必死に静かにしてほしいとジェスチャーしてきました。
……やっぱり、お腹の具合が悪いのかなぁ。じゃあ、黙っててあげよう……。
そう思い、口を噤む私。そんな私の様子に安心したような真子ちゃんは、そっとドアに手をかけ――。
「皆様ー!! 大変ですー!!」
「きゃぁっ!?」
突然開いた扉に突き飛ばされて、扉の向こう側に倒れてしまいました。
真子ちゃーん!?
「風雲急を告げる謎の声!! 何奴!?」
「人を不審者みたいに扱わないでくださいー!! メアですよ、メアー!!」
考えを途中でやめて振り返る隆司君に、メアちゃんがショックを受けたように叫び返します。
そんなメアちゃんをなだめるように、光太君が手を叩きました。
「はいはい、落ち着いて二人とも……。それで、メアちゃん。大変なことって、いったいどうしたの?」
「は、はい!!」
メアちゃんは光太君の言葉に何度も頷き、深呼吸して、こう叫びました。
「フォルクス公爵が、突然反乱を起こしたんです!!!!」
「「え、ええー!!!???」」
は、反乱ですかぁ!!??
い、いったい何が起こっているっていうんですか……!?
「「………フォルクスって、誰だっけ?」」
「お二人とも、その反応はひどいでありますよ……?」
フォルクス公爵の唐突な反乱に、にわかに慌ただしくなるアメリア王国。
そんな最中で、真子はアルトに厳しく指摘する。
以下、次回。