No.142:side・ryuzi「隆司、混沌の森の村へとたどり着く」
「混沌の森に着くまでにどのくらいかかってんの?」
「言っても、そこまでかかってるわけじゃねぇぞ? 一週間かそこらだと思う」
「僕らが隆司が帰ってこないって言ってたくらいだねー」
クロエとの激戦から、いくつかの夜を経て、俺はこの国の北端に位置するらしい、混沌の森までやってきていた。
俺の眼前には、見渡す限り横一直線に森が立ちふさがっていた。地平線の彼方まで木々が生えていることを見るに、大陸を横断しているんじゃないかと思われる。
こうしてみる限りでは、広大な森林が広がっているだけで、普通の森とそんなに変わらないように見える。だが、混沌の森と呼ばれる所以は見た目ではなかった。
―ケルルルル!!―
「っと、またかぁ!?」
けたたましい叫び声とともに、森の奥から一匹の化け物が飛び出してくる。
鳴き声は鶏のそれに近いが、鶏なのは頭だけで、全身が羽毛に覆われているくせに、四足歩行でこちらに駆けてくる。ただし足の動きは昆虫のそれに近い。おかげでべらぼうに気色悪い。
俺は肩に担いだ石剣を構え、化け物を待ち受ける。
―ケルルルル!!―
「だらぁ!!」
こちらまで駆けてきた化け物が、鋭いくちばしを俺に向かって叩きつけてくる。それに合わせて、俺は石剣を全力で奴のくちばしに叩きつけた。
甲高い音を立てて、石剣と奴のくちばしがぶつかり合う。
瞬間、全身に襲い掛かる衝撃。
「ぐっ……!!」
そのまま、わずかに俺は化け物に押し込まれた。
やっぱりこいつも……!!
―ヒヒィーン!!―
―!?―
俺が化け物を食い止めている間に、化け物の脇腹にシュバルツの一撃が入る。
額から生えた長く鋭い刃が化け物の体内に入り込み、奴の内臓を斬り裂く。
そのまま、勢いよくシュバルツが化け物の身体を引き裂いた。
―ゲルルァ!?―
斬り裂かれた部位から噴き出すのは紫色の液体。
それを浴びないように下がりながら、俺は油断なく剣を構えた。
化け物はしばらくもがき苦しんでいたが、やがてそのまま地面を身体に横たえ沈黙した。
「……今度は、大人しくくたばってくれたか……」
油断なく化け物の身体を観察しつつ俺が呟くと、シュバルツが肯定するように頷いた。
化け物からあふれ出た紫色の液体の方を見ると、かかった草が石か何かの様に固まっていた。どうやら、石化効果か何かがあったらしい。
「一筋縄でいかないとか、そういうレベルじゃねぇな」
げんなりとつぶやきつつ、俺は森の中をじっくりと眺めた。
この森が混沌の森と呼ばれる所以……。それは、この世界の生態系から大きく外れた生物が数多く存在しているが故だ。
この世界には、ボルトスライムを初めとするよくわからない生物も当然多いが、それでも俺たちの世界と比べて生き物の形が大きく異なるということはない。
魚は水の中を泳いで鰓呼吸をするし、鳥は翼で空を飛ぶ。地面を走る獣はだいたい四足歩行だ。
だが、この森の中ではそういった常識は一切通用しない。さっき出てきた化け物だって、全身の見た目は鳥だが、形は獣、歩き方は昆虫で、体液は石化能力を持つ。もうこれだけで意味の解らなさではトップクラスだ。
これ以外にも、直径一メートル近い眼球を備えた芋虫だの、恐竜っぽい見た目の犬など、文章に起こすのもおこがましい様な冒涜的な化け物たちに何度か出くわしている。
森の出入り口ですらこの有様だが、この奥にはもっと訳の分からない物が出るらしい。
世界の常識が通用しない、魔性の領域……故に混沌。秩序なき、化け物の巣窟というわけだ。
だが、そんな場所にも人は住む。もちろん、森の中ではないらしいが……。
俺がお医者様に言われて尋ねる老師とやらが、どうもそこで暮らしているらしい。
ここに来る直前の村では、この付近に住む連中は、昔から何かを守るために暮らしているとのことだが……。
「正気の沙汰じゃねぇよな、こんなところ……」
ぶつくさ文句を言いつつ、俺は森に沿って平原を歩く。シュバルツは、鎧を展開したままだ。
この混沌の森から出てくる化け物、俺単体では倒しきれないような強さの獣も出てくるため、シュバルツにはあらかじめ戦闘モードで待機してもらっている。
あんな化け物どもが出てくるような森のそばで暮らしてる連中って、一体どんな連中なんだよ……。
果たしてその集落で暮らす連中は鬼か阿修羅か……などと考えていると、目の前に第一村人を発見した。
「……お?」
腰を曲げて、こちらに向かってゆっくり歩くその姿は紛うこと無き老人。
禿げてはおらず、口ひげもたっぷり蓄えられ、頭も口元も真っ白だ。
来ている衣服は、どことなく中華的な雰囲気を醸し出している。これで、和洋中コンプリートってか。
そんなことを考えながら声をかけようとそのジジイに向かって歩いていくと、森の中から何かが飛び出してきた。
「! おい、爺さん!!」
出てきた化け物は、熊だ。大きさは二メートルほど。極めて一般的な熊の大きさだが、普通の熊は前脚が六本も生えてたりはしねぇ。さしずめ阿修羅熊か。
―ガァァァァァ!!!―
阿修羅熊は涎を垂らしながら叫び声をあげ、ジジイに向かって駆けだす。
ジジイはといえば、まるで熊が存在していないかのように、俺に向かって歩いていた。
「チッ! シュバルツ!」
そんなジジイの姿に、俺は大急ぎで駆け出す。
シュバルツにも指示を出すが、阿修羅熊の方が明らかに動きが早い!
「おいジジイ! 逃げろ!!」
それでも何とかジジイを逃がしてやりたくて、俺は大声で叫ぶ。
するとやっと声が聞こえたらしいジジイが顔を上げ、俺を見つめてニッコリ笑った。
見ている人間の心を和らげてくれる。まさに好々爺というべきそんな表情のジジイに向けて、阿修羅熊がそのたくましい腕を振り下ろす。
―ガァァァァァ!!―
くそ、絶対に間に合わねぇ――!!
絶望しかけた俺の目の前で、ジジイがまっすぐ上に飛ぶ。その高さは熊の頭を飛び越えてまだ余りあるほど。曲がった腰を持つおじいさんの脚力ではありえねぇ。断じてねぇ。
しかしその結果、熊のかぎ爪は何もいない空間を勢いよく薙ぎ払うにとどまった。
―!?―
「ほいっと」
さらに落下してきたジジイは、お返しとばかりに阿修羅熊の横っ面に蹴りを叩きこむ。
ドムッ。
凄まじい重低音が辺りに響き渡り、阿修羅熊の身体が吹っ飛ぶ。
そのまま凄まじい勢いでそばにあった木に叩きつけられ、そのまま地面へとへたり込んだ。
盛大に揺れた木から大量に蛍光色の木の実が落っこちてくるが、首があらぬ方向にへし折れている熊にはあまり関係ないだろう。どっからどう見てもご臨終である。
唖然となりそのまま木に叩きつけられた熊を見つめていると、いつの間にか近くまで寄ってきていたジジイが俺の腰をポンポンと叩いた。
「リュウちゃん。リュウちゃん」
「……あ、あ?」
名を呼ばれ、俺がジジイの方を向くと、ジジイはにっこりほほ笑んだ。
「やっと会えたのぅ。待っとったぞ、リュウちゃん」
「は、はぁ……?」
わけもわからず思わず首を傾げる俺を、ジジイはニコニコと眺めるばかりだった。
「あー! おじいちゃん、やっと見つけたぁ!!」
「おー、ミッちゃん」
ようやく硬直が解けた俺は、ジジイの先導に従い彼が暮らすという村までやってきていた。
一緒にいたシュバルツは、もう戦闘態勢は解除している。いくら維持していても、俺たちが動くより、ジジイが化け物を退治するほうが早いのだ。むしろこのジジイの方が化け物だろう。
そんな化け物ジジイに肩を怒らせながら詰め寄り、怒りを隠そうともせずに捲し立てる一人の少女。
ミッちゃんと呼ばれた彼女は、いかにも私怒ってますという様なリアクションとともに、ジジイに指を突きつける。
「もー! 目を離すとすぐどこかに行っちゃうんだから! 最近、森の化け物が妙にざわついてるから、あんまり外に出ないでって言ってるのに!」
「ごめんのぅ、ミッちゃん。リュウちゃんを迎えに行ってやらないと、ここには来れんと思うたからのぅ」
「リュウちゃん?」
申し訳なさそうに謝るジジイの言葉にミッちゃんは首を傾げ、ようやくジジイの後ろからついてきた俺の方に視線を向けた。
「あ、どうも……」
「……あなたがリュウちゃん?」
「いやまあ、名前は隆司だけど……」
俺がそう言うと、何かを納得したように何度か頷いた。
っていうか、そういえばジジイの強さのせいですっかり忘れてたけど、このジジイ、俺が名乗る前から俺の名前知ってるよな? なんでだ?
「じゃあおじいちゃん。グリモさんが言ってた、ここにそのうち来るっていう勇者って、この人なんだ」
「そうそう。この子だよ」
「そっかぁ! 初めまして、勇者様! 私、ミーシャって言います! よろしくお願いしますね!」
「はあ。こちらこそよろしく」
グリモ? っていうかなんで勇者ってばれてんの?
次々と溢れてくる疑問は、詰め寄ってきたミッちゃんもといミーシャの握手責めによって挟む余地もなく飲み込まされた。
ぼんやりと返事する俺を見て、緊張していると思ったらしいミーシャは快活に笑いながら、バシバシと俺の肩を叩いた。
「もー、そんなに硬くならなくていいよ! しばらく、この村で生活する仲間なんだから!」
「ああ、うん……って、おいおいおいおい、なんでそんなことが決まってるんだよ」
ミーシャの言葉に曖昧に頷きかけ、慌てて首を振って否定する。
まあ、確かに目的はこの村だったが、だからと言ってそんな長いこと生活するとは……。
と言いかけた俺を見て、ミーシャが不思議そうに首をかしげた。
「え? でも、覇気の修業をしに、おじいちゃんのところに来たんでしょ?」
「いや、それはその通りだけど……」
「なら、この村で生活するんでしょ! 待っててね! みんな呼んでくるから!」
そう言うと、そのまますごい勢いで、ミーシャは村人たちを呼びに駆け出した。
思わず助けを求めてジジイの方を向くが、ジジイは孫のやっていることを微笑ましそうに眺めているだけだった。到底救援は求められそうにない。
すべてを諦めた俺は、死んだ魚の目でぞろぞろと集まってくる村人たちの姿を眺めることにするのであった。
もうどうにでもしてくれや……。
混沌の森、その名に違わぬ混沌具合だったようです。
そして隆司を待ち受けていたのは、訳の分からない歓待。これは一体?
以下、次回。