No.125:side・kota「黒い塊。その名は――」
「なんだ?」
突然聞こえてきた音に、団長の表情が険しくなる。
方角は騎士団宿舎の方……爆弾というほど激しくはないけれど、それに近い何かだ。
団長に倣い、僕も音の聞こえてきた方向を見つめる。
騎士団の宿舎も、王城の敷地内に作られていて、詰め所との距離もそんなに遠くはない。つくづくこの王城の大きさに驚かされるばかりだけれど……。
と、詰め所の中から何人か騎士が駆け出してきた。
遠くてよくわからないけれど、表情は険しく、何か激しく捲し立てているような……。
と、詰め所の出入り口からまた何かが出てきた。
ずるり、といった様子で姿を現したのは……。
「なんじゃありゃ」
どす黒く、禍々しい触手だった。
タコの足のようにも見えるそれは、出入り口ごと、目の前の騎士たちを薙ぎ払う。
石造りの宿舎の壁が、クッキーか何かの様に砕け散り、跳ね飛ばされた騎士たちが、まるでボールか何かの様に跳ね回る。
「なんだ、なんだぁ!?」
「っ! 礼美ちゃん!」
「うん!」
「あ!? おい、お前ら!?」
驚く団長。僕と礼美ちゃんはその横をすり抜けるように駆け出した。
団長が僕らを止めるべく声を上げるけれど、待ってはいられない……!
宿舎から飛び出している黒い触手は、少しずつ数を増やし、すぐそばで倒れている騎士の人を上から叩き潰したりし始めた。
「が、ぐ……!?」
二度三度と騎士を潰した触手は、あろうことかそのまま中に騎士を取り込んでしまう。
見れば、倒れていた騎士たちも、また一様に触手の中へと取り込まれていった。
「ひどい……!」
「く……!」
飲み込まれた騎士たちを助けようと、僕は手に持った刃に意志力を込める。
触手の中にいるであろう騎士に、当たったらごめんなさいと心の中で謝りつつ、僕は光り輝く螺風剣を振り抜いた。
「光刃閃!」
気合とともに放たれた光の刃が、まっすぐに黒い触手へと突き立った。
途端、触手は痛みに耐えかねるように激しく身悶えし――。
「ってぇなー!」
「……え?」
つながっているであろう、宿舎の中から、聞き覚えのある少年の声が聞こえてきた。
その声に、礼美ちゃんが足を止める。
僕も、刃を振り抜いたままの体勢で、身体を硬直させた。
今の、声は……?
硬直する僕らの前で、触手がずるりと宿舎の中に引っ込んでいく。
そして立ち上る土煙の中から、誰かが姿を現した。
「なにすんだよ、オイ……。いてーじゃねーかよ……」
目には大量の隈をこさえ、身に付けた魔導師のローブはまるでボロ布のように。
右腕は何があったのか、黒く禍々しい触手に取って代わられて。
痛む頭を押さえるように、残った左手で顔半分を覆い隠しながら。
「ジョージ、君?」
魔導師団の速術師、ジョージ君がそこには立っていた。
信じられないという顔で、彼を見つめる礼美ちゃん。
ジョージ君はそんな礼美ちゃんにちらりと目をやり、すぐに僕の方を睨みつけた。
「いてーじゃねーか……。さっきの、てめーだろー……?」
その視線に篭るのは、敵意。
目の前の光景にひるむ僕に、彼は容赦なくそれを叩きつけてきた。
「なにしてくれてんだよ、てめぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「ぐぅっ!?」
下から掬い上げるように伸びてきた触手を、寸前でガードする。
けれど、想像以上の力に、ガードした剣を上へと弾かれ。
づぐっ。
「ぐ……!?」
さらに一直線に伸びてきた触手に、お腹を貫かれた。
螺旋状にねじられた触手が、僕の内臓をぐりぐりと抉る。
「光太君!? やめて、ジョージ君!」
「いたかったじゃねーかよー……。こんなもんじゃねーぞ……!」
「ぐ、はっ!?」
突然のジョージ君の行動に、礼美ちゃんが涙目で制止を訴えるけれど、ジョージ君はそれを無視し、さらに触手を抉り込ませようとする。
ずぶ、ずぶ、と触手が少しずつ押し込まれていく感触と痛みに、呻き声が上がる。
まずい、このままじゃ……!?
痛みに朦朧とする意識に喝を入れ、上段に弾かれたままの剣に力を込める。
「く……ああぁっ!」
一息に振り下ろした刃で触手と断ち切り、僕はそのまま膝をついた。
ジョージ君から切り離された触手は、まるで初めからそこに存在していなかったの如く、黒い霧上の何かに代わりながらその場から消えた。
触手によって塞がれていた穴から、ゴボリと血が溢れる。
「光太君!!」
「はっ……はっ……はっ……!!」
礼美ちゃんが、荒く息を吐く僕の傍らに膝をつき、治癒の祈りを捧げてくれる。
途端に溢れていた血は止まり、ゆっくりとではあるけれど、傷が塞がっていった。
そんな光景を見て、ジョージ君が右腕を振るう。
「おらぁ!」
「きゃ!?」
狙ったかのような触手による一撃は、僕と礼美ちゃんの間に正確に打ち込まれ、その衝撃で、礼美ちゃんは尻餅をつき、僕はあえなく吹き飛ばされた。
「ぐあ……!」
「光太君! ジョージ君、何するの!?」
「なにするのじゃねーよ……なにしてんだよ……」
傷から絶え間なく発せられる激痛に耐えながら、何とか顔を起こすと、幽鬼のような表情で、ジョージ君が礼美ちゃんを見つめていた。
視線は落ち着きなく揺らめきながらも、礼美ちゃんから外そうとはしていない。
青白いその顔は、まるで死人のそれだった。
「なに、なおそうとしてんだよ……。そいつはこれからしぬんだよ……!」
「どうして!? どうして、光太君を死なせようとするの……!」
僕の前に立ち、庇うように両手を広げる礼美ちゃん。
彼女の目の前では、今まさに倒れている僕に向けて、ジョージ君が触手を振り下ろそうとしているところだった。
目の前の、まるで人が変わってしまったかのような彼に、礼美ちゃんが必死に語りかけた。
「やめてジョージ君! どうしちゃったの? なんで、こんなひどいことをするの!?」
背中からその表情を伺うことはできないけれど、頬を伝ってこぼれるそれは雄弁に彼女の心を伝えてくれた。
突然変わってしまった、親しい少年の凶行。それに、心を痛めている……。
けれど、ジョージ君は、そんな彼女の問いには答えず、ただ敵意を吐き出した。
「いらねーんだよ、そいつは……。ひとのもんを、かってにうばいとっていくようなやつは……」
「人の、物? 光太君が、ジョージ君の何を奪ったっていうの!?」
「だから、うばわれるまえに、ころすんだよ……いま、ここでぇ!!」
凄絶なまでの殺意に、身震いが起きる。
ジョージ君は、僕のことを本気で殺す気だ……!
僕は何とか体を起こし、また血が零れはじめた傷を抑えながら、目の前で僕をかばってくれている礼美ちゃんの背中に声をかけた。
「礼美ちゃん、逃げて……!」
「!? 何言ってるの!?」
僕の言葉に、礼美ちゃんが振り返る。
その両目からは、絶え間なく涙が零れ落ち、僕のいうことが信じられないという様に首を横に振った。
「絶対にダメ! 今逃げたら、光太君、絶対に……!」
「彼の狙いが僕なら、礼美ちゃんは安全だ……。けど、今のジョージ君は何をするか……!」
「なら、なおさら逃げられないよ! 光太君が、死んじゃ――キャッ!?」
逃げない、と叫んだ礼美ちゃんの身体に、触手が巻き付く。
そのまま勢いよく引きずられ、ジョージ君のそばに引き倒される。
「っ! 礼美ちゃん!?」
「なに、ひとのものとろうとしてんだ、てめー……」
ジョージ君は、先ほどはなった殺意をそのまま視線に込め、僕を睨みつけた。
思わず、彼の瞳を覗き込んでしまう。
「てめーはきにいらねーんだよ……」
「っ……!?」
背筋が凍る。
年齢にして、十になるかどうか。
そんな子供の中に、激しい感情が渦巻いているのが見えた。
今までに見たことのない、ドロドロと濁った、何か。
「いきなりでてきて、ひとのものをかってによー……」
ジョージ君の口から、言葉が零れる。
瞳に篭ったそれがそのまま吐き出され、僕の耳の中へと染み込んでくる。
これは、一体……!?
「光太く……んぐ!?」
戦慄する僕に声をかけようとした礼美ちゃんの口に、猿轡のように触手が絡みつく。
「かってにしゃべってんじゃねーよ……いまからこいつがだるまになるのをみてろ……!」
「……っ?! ……っ!」
ジョージ君の言葉に、激しく抵抗を始める礼美ちゃん。
ジョージ君の声色から、その本気を受け取ったのだろう。
「ぐっ……!」
僕は何とか剣を支えに立ち上がる。
身体を動かすたびに、傷から血が溢れるのを止められない……! 痛みも強いし、内臓に傷もついてるだろう……。結構、やばいかも。腕も、上がらない……。
「うごいてんじゃねーよ……いま、ころしてやるから……!」
目の前で立ち上がった僕を見て、ジョージ君がさらにその感情を滾らせ、触手を振るう。
目の前に迫る触手を前に、僕はなすすべもなく、それを見つめていた。
「おっとぉ!」
その触手を、いつの間にか接近していた団長が弾き返してくれた。
「あぁっ!?」
「だん、ちょう?」
「すまんな。遅くなった」
団長はそう詫びると、僕とジョージ君の前に立った。
そして僕たちを囲むように、外に警邏に出ていた騎士団の人たちと、魔導師団の人たちが輪になって取り囲んでいた。
オーゼ様の姿や、アルルさん、ヨハンさんやケモナー小隊の人たちの姿も見える。
団長、みんなを呼びに行ってたんだ……。
団長が、険しい表情で、オーゼ様の方を睨みつけた。
「……神官長よ。いうとおりに、集められるだけ集めたが……その結果がコウタの大怪我か?」
「その責は私にある。任せてくれ」
団長の詰問に、オーゼ様は素早く僕に近づいて、傷に掌を当てる。
「う……!?」
「申し訳ありません、コウタ様……。すぐ、治療いたします」
痛みに一瞬呻くけれど、オーゼ様が祈り始めると、その痛みも和らいだ。
少しずつではあるけれど、傷も塞がっていく……。
僕が治療されるのを見て、ジョージ君が一際険しい顔つきになった。
「おい、じじい……なになおしてんだよ……!」
「おっと、動くな」
触手をうごめかせ、僕に攻撃しようとするジョージ君を、団長が一歩前に出て牽制する。
同時に、彼を取り囲っているみんなが、武器を手に構え、魔法を準備する。
「なんだよ……じゃまなんだよ……!」
「邪魔もするさ。……何に憑かれたかは知らねぇが、暴れやがって……。大人しくしろよ?」
団長がゆっくりと彼に近づいていく。
絶えず蠢く触手の動向を気にしながらの捕縛……うまくいくのかな……。
「んだよ、じゃますんじゃねぇ! こいつらのあいてでもしてろ……!」
ジョージ君が叫ぶと、途端に触手が蠢き、その中からどろりと人が飛び出した。
飛び出してきた人は一人ではなく、かなりの人数が中から飛び出してくる。
さっきの騎士たち以外にも、触手に取り込まれていたのか……!
「なんだ……?」
触手から吐き出された人に警戒し、団長がやや下がる。
どちゃりと音を立てて落着した人たちが、ゆっくりと顔を上げる。
両の耳から、ヌチャヌチャと音を立てながら触手が飛び出し、それが動くたびに、ビクンと体を震わせた。
だけど、そんな状況にも関わらず、触手から飛び出した人たちはいやに無表情だった。感情をどこかに置き去った様な彼らは、手に持った武器をゆっくりと構える。
「ちっ。あっさり取り込みやがって……ガキの遊びにゃ、付き合わねぇぞ!?」
「おっさん……てめーには、こいつだ……!」
目の前の光景に、怒りをあらわにする団長に、ジョージ君は言い放ち、触手とつながっている右肩から、また人を捻りだした。
鋼の長剣を腰に携えた、その剣士は、やっぱり耳から触手を飛び出たせたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「アスカさん……!?」
「やれ……!」
血の気も引き、真っ青な顔をした彼女は、ジョージ君の命ずるままに、腰の剣を手に取った。
腕に触手を引っ提げて、ジョージが殺しにやってくる。
彼女は囚われ。彼は傷つき。さて、残りは?
以下、次回。