No.119:side・kota「化け物退治に、源理の力」
僕たちが出た広い空間には明かりがほとんどなく、周囲の様子も良くわからない。
けれど、さっきまでわずかにでも感じていたはずのネズミの気配が欠片もしなくなっている。
代わりに充満しているのは、むせ返るような血の匂い……。
「……?」
思わず、静寂の無音を訝しむ。さっきまで、あんなにネズミの足音や声が聞こえていたのに、どうして……? まさか、この血の匂いが原因……?
「っ! 光太君!」
僕がそのことについて考えようとした瞬間、礼美ちゃんが悲鳴を上げた。
その声に振り返ると、広場に唯一存在する光源……その足元に倒れたサンシターさんと、見たこともない巨大な化け物の姿があった。
化け物は、筋肉で覆われた腕を振り上げ、倒れたままのサンシターさんに、今にも拳を振り下ろそうとしていた。
「っ!」
瞬間、僕は螺風剣を引き抜いた。
けれど、今から駆け出しても間に合うはずがない。呪文だって間に合わない。
だから、僕は刀身に意志力を集中する。
礼美ちゃんと一緒に、チーム連携の練習をするとき、僕もまた、新しい意志力の使い方を考えた。
光波旋風刃は規模も威力も大きいけれど、その分意志力の消耗具合がとても激しい。一度打てば、そのまま戦い続けるのも困難になっちゃうほどだ……。
だから、少ない意志力の消費で、十分な威力を出せる技を考えた。
それが……これだ!
「光刃閃!!」
束ねた意志力剣を一直線に打ち出す、遠距離攻撃!
意志力剣みたいに、縦横無尽に飛び回るわけじゃないけれど、速度も威力も戦闘に使うには十分なものに仕上がっているはず……!
まっすぐに飛んだ光刃閃は、振り下ろされかけていた化け物の右拳へ向かって飛んでいき……。
キュボッ!!
と、まるで一瞬で燃え尽きたかのような音を立てて消滅した。
っ!? 今のは意志力で形成した刃……あくまで精神的な攻撃のはずなのに……!?
うまくどこかに当たって、怯んでくれれば儲け物と思っていただけに、驚きが隠せない。
けれど、拳が突然消滅したせいで、化け物が怯み、体勢を崩した。
光刃閃で化け物の拳が消えた理由は分からないけれど、今しかない……!
「大丈夫ですか!? サンシターさん!」
化け物の注意を引くように大きな声を上げ、駆け足でサンシターさんに近づいていく。
「う……! コウタ様……!」
「礼美ちゃん! サンシターさんを!」
「うん、わかった!」
礼美ちゃんにサンシターさんを任せ、僕は化け物と相対する。
拳を失った化け物はややよろけたものの、すぐに僕の声に反応したのか、ゆっくりとその頭部をこちらに向ける。
距離と暗闇のせいでよくわからなかったけれど……こいつの頭、ネズミに似てる……!?
ネズミの化け物の頭部が、ネチャリと粘液が粘つく音を立てながら口を開いた。
「……ふむ? 貴様が来やるか……」
「っ!? その声は、ガルガンド!?」
その口から漏れ聞こえてきた皺枯れた翁の声に、また驚く。
なんでこの化け物の口から、ガルガンドの声が!?
いや、そんなことより……!
「貴様! どうしてここに!?」
「しつけのなっておらぬ畜生を躾に参っただけよ。主らに会うなど、毛頭思わぬ……」
僕の詰問に、クツクツと笑い声を漏らしながら、ガルガンドはそういった。
躾のなっていない畜生……? いったい何のことだ?
ガルガンドの言葉を訝しむ僕に答えてくれたのは、礼美ちゃんからわずかな治療を受け、そばに倒れていた真子ちゃんを彼女に預けたサンシターさんだった。
「コウタ様! どうも地下のネズミたちは、ガルガンドが魔法で操っていたものの様なのであります!」
「魔法で!? どういうことです!?」
「理屈は分からないでありますが、この付近にいたネズミたちが融合してできたのがその化け物であります! その際、ガルガンドが耳慣れぬ呪文を……!」
「口が減らぬ男よ……。その口、しばし閉じやれ」
ネズミの化け物が、サンシターさんの方を煩わしそうに視線を向け、拳が消滅した右腕を突きつける。
途端、消滅した拳の切り口がブクブクとまるで泡立つように膨れ上がった。
何をする気かは知らないけれど……!
「させない!」
地面を蹴り、サンシターさんの前に立つ。
同時に、肉が弾ける生々しい水音を立てて、ナニかが噴き出した。
僕は剣を盾のように構え、意識を集中する。
「護れ……!」
祈るように言葉を口にすると、僕の目の前に、礼美ちゃんが展開するような意志力の盾が現れ、化け物が噴き出したナニかを防ぐ。
ベシャベシャと気味の悪い音を立てて、ナニかが盾にへばりつく。
サンシターさんが手に持つ明かりに照らされたそれは、血の色をしたアメーバに見える。化け物から飛び出してもグネグネと動いているあたり、きっと当たらずとも遠からずといった存在なんだろう。
「ぬぅ!?」
「コウタ様! レミ様の盾が使えるように!?」
「教えてもらってね……! 持続時間も、強度も礼美ちゃんほどじゃないよ」
剣を振るって盾を消し、へばり付いたナニかを螺風剣で吹き飛ばす。
さっきの盾も、チーム連携のうちの一つ……。礼美ちゃんと役割を交換できるようにと教えてもらったものだ。
といっても、さっき口にしたように、強度も持続時間も礼美ちゃんの生み出すものとは比べるべくもない。
もし化け物の手から噴き出したのが、骨のような硬いものだったら、防ぎ切れないところだ……。
「厄介なことよ……」
今の一撃を凌がれた化け物……ガルガンドが、化け物を操って僕との間合いを測る。
ゴリ……と足を擦ったとは思えないほど重たい音が響き渡った。かなり体が重いらしい。
なら……捕まるわけにはいかない!
「サンシターさん! 礼美ちゃんと一緒に、真子ちゃんを!」
「は、はい! わかったであります!」
僕の言葉を受けて、サンシターさんが、治療中の真子ちゃんを連れて、僕と化け物から離れていく。サンシターさんは新たに明かりを作って、僕の足元辺りにおいて行ってくれた。
真子ちゃん、頭を打ったのかまだ目を覚ましていないようだ……。なるべく、礼美ちゃんには治療に集中してもらいたい……。
だから。
「……お前の相手は、僕がする。来い!」
「勇ましきことよ……相も変わらず」
僕の宣言に、ガルガンドが煩わしそうな声を上げた。
相手がうっとうしく思っているのであれば好都合。こうして時間を稼ぐだけでも効果があるってことだ。
でも、どうせだから、こいつはここで倒しておきたい。
剣を青眼に構えながら、油断なく相手を伺う。
僕の足元から照らされた化け物は、背の高さだけで二、三メートルはありそうな巨体だ。
サンシターさんの言葉通り、ネズミを素体にしているのか、顔はネズミだ。けれど、瞳はこぼれそうなほどに飛び出しギョロ付いているうえ、血走っている。視線は常にあちらこちらをさまよって、一点に集中していない。
その巨躯も、筋肉に覆われてこそいるけれど、不完全なのか、アバラ骨が顔を覗かせている。
たぶん、この化け物をこの場で使うこと自体が想定外だったんだろう。
ならば、叩けるうちに叩いておく。外に出してもことだし、こんな屋内で派手な魔法も使えないだろう。
決意を固め、剣の柄を力強く握りしめる。
そんな僕を見て、ガルガンドはわずかに嘲るような声を漏らす。
「憎いか? 友を殺そうとした男が?」
「……あいにく、誰かを憎いと思ったことはないよ。例え、お前のような男でも」
挑発するようなガルガンドの言葉に、僕はそう答える。
これは本心だ。誰かの行動に怒りを覚えることはあっても、憎いと思ったことは一度もない。
そんな僕の言葉に、ガルガンドは声に一段と嘲りを含ませた。
「そうかそうか……。己は憎悪を知らぬか。それは、まっこと幸運よ」
「何が言いたい?」
「知らぬがゆえに、幸福なこともあるということぞ? まあ、気にするな」
そう言い終えると、化け物は咆哮した。
どうやら、これ以上問答を行う気はないらしい。
咆哮と同時に、化け物が僕に向かって拳を振り下ろす。
それを後ろに飛んで躱し、また剣に意志力を溜めていく。
さっきのがどういう理由かは知らないけれど、この化け物への有効打となるなら、利用しない手はない!
「光刃閃!!」
下からの掬い上げるような斬撃とともに、光の刃がまっすぐに化け物へと飛んでいく。
化け物が身体を傾いで避けようとするけれど、光刃閃は左肩に当たる。
やっぱり光刃閃が当たった部分が音を立てて消え、今度は破裂したように肩が抉られた。
弾けた肩を右腕で抑える化け物。痛みはないのか、特別表情に変わりはない。……ううん、むしろ、痛いといったような感情自体がないのかもしれない。それほどまでに不気味で、異様な顔つきだ。
目の前の化け物に対して得体のしれない嫌悪感を感じ、僕はとにかく剣に意志力を込める。
早くに決着をつけよう……! あまり長くは戦いたくない……!
「ぬう……。やはり、源理の力が相手では、不利か……」
「? 源理の……?」
不意に、ガルガンドが小声で何かを呟いたのが聞こえる。
源理の……力? いったい、何のことだ……?
聞きなれない単語に答えてくれるわけもなく、化け物はギュウッと体を抑え込むように丸めた。
そして、聞こえてくるのは不可思議な旋律。なんだ……? 魔術言語……じゃない……?
「……?」
思わず様子を見てしまったけれど、それがいけなかった。
戦慄が止むのと同時に、化け物の身体が膨れ上がり、内側から何かが噴き出そうとし始めた。
「!?」
まさか、自爆!?
慌てて後ろに飛んで距離を取ろうとするけれど、向こうが爆発するほうが、はや……!
「光よっ!」
来るであろう衝撃に身構える僕の目の前で、破裂寸前だった化け物の身体が、シャボン玉の膜のような輝きに包まれる。
どむっ!!
次の瞬間、サンシターさんに向かって噴出したであろうナニかがシャボン玉の中に充満する。そして、シャボン玉が消滅すると同時に地面にべちゃりと落ちたナニかはしばらく蠢いていたように見えたけれど、すぐにただの液体へと成り果てた。
その光景に、身を固くするけれど、助かったことに気が付いて、思わずホッと大きなため息を吐いた。
「……礼美ちゃん、ありがとう。助かったよ」
「ううん、いいよ。光太君が無事なのが、何よりだから」
振り返ってお礼を言うと、疲れているのか、青い顔をした礼美ちゃんがそう返してくれた。
……いや、疲れているにしては、生気が感じられない。まるで、信じられないことが起こったとでも言うほどに、傷ついているように……。
「……礼美ちゃん、真子ちゃんは……!?」
「……っ」
慌てて立ち上がって問いかけると、礼美ちゃんはくっと唇を噛んでうつむいた。自分の無力を噛みしめるように。
そして、ゆっくりと一点を指差す。
「マコ様……しっかりしてくださいであります……!
そこには、必死に真子ちゃんに声をかけるサンシターさんと……。
「……う……うぅ……」
瞳を閉じたまま、しかし苦しそうにうめき声を上げる、真子ちゃんの姿があった……。
ガルガンド撃退! まさかの自爆であります! 赤いアメーバなんて、ひっかぶりたくはないですな!
そして目を覚まさない真子ちゃん。彼女の身にいったい何が!?
以下次回ー。