No.101:side・mako「礼美と真子」
しばらくサンシターの上着を濡らしていたあたしは、ゆっくりと顔を上げる。
あたしが抱き着いていた部分がぐっしょり濡れ、何とも悲惨なことになっている。
ひどく恥ずかしい。この年になって、こんなに泣くなんて……。
一瞬謝罪を口にしそうになり、思い止まる。
「……ありがと、サンシター……」
「どういたしまして、でありますよ」
口にしたのは、お礼。
迷惑をかけたけれど、それ以上に嬉しかった。
こんなあたしを、女の子扱いされたことが。
「少しでもお役にたてれば、自分は嬉しいでありますよ」
「少しどころの話じゃないわよ」
謙遜を口にするサンシターに、あたしは世辞でも冗談でもなくそう口にした。
正直、今サンシターに会ってなかったら、どうなってたのか想像もつかない。
……きっと、礼美が思うような形での魔王軍との決着だけはあり得なくなっていたわね……。
………礼美、か。
「……ねえ、サンシター」
「はい? なんでありますか?」
「ちょっと、聞いてほしいことがあるんだ」
あたしはそういって、医務室の窓を眺める。
外はすっかり夜だ。月が煌々と、部屋の中を照らしている。
サンシターの治療が終わって、あの子と喧嘩別れして……だいぶ時間が経ってるわね。
光太の奴はうまくやってくれたかしら……。
「聞いてほしいことでありますか? 自分でよければ、いくらでも」
「ありがと」
サンシターの心強い言葉に、あたしは顔を綻ばせた。
あたしはゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「……さっきさ。あたし、礼美と喧嘩別れしたんだよね」
「喧嘩別れ、でありますか?」
「うん。まあ、あたしの八つ当たりが原因なんだけどさ」
自嘲するように笑うあたし。
サンシターを怪我させて、礼美にその事を指摘されて、頭が真っ黒になって……。
「いろいろ言って、最後に大っ嫌いって、叫んでね……」
「それは……」
あたしの言葉に、サンシターが言葉に詰まらせる。
確かに、返答に困る話よね。サンシターは、別にあたしの味方ってわけじゃないし……。
でもまあ、そこじゃないのよね、重要なのは。
「……例え、その場限りとはいえ、やはり嫌いというのは……」
「その場限りじゃないわ」
「え?」
サンシターが口に仕掛けた慰めの言葉を遮り、あたしははっきりとこう口にした。
「あたしは礼美の、甘ったれてるというか周りとなあなあで済ませようとする部分が大っ嫌いよ」
「………」
サンシターの目が、小さく見開かれる。
そんなサンシターの様子に構わず、さらに言葉を重ねる。
「というかそもそも、初めは礼美のこと、ガチで嫌いだったのよね」
「初め、でありますか?」
「そ」
頷いて、あたしはゆっくり話し始める。
……懺悔のように、あたしと礼美の昔話を。
「………あたしさ。ませたガキだったのよ。幼稚園……まあ、ちっちゃい子供が集まっていろいろ勉強したりする場所なんだけどさ。その頃から一人で突っ張って、みんなの輪からわざと離れて遊ぶような子だったのよ」
瞳を閉じて、昔を思い出す。
たくさんの子供が集まっている場所から離れた場所で、一人で絵本を読んでいるあたしの姿。
輪の中心にいるのはもちろん、礼美だ。
「で、礼美の奴は昔っから、輪の真ん中にいるような子でね。周りからちやほやされるのがお仕事みたいな子だったわ」
「……だから嫌いだったのでありますか?」
「ううん。それも、理由の一つでもあったんだけどさ……」
わずかに言いよどむ。
正直、人生の恥部というか、黒歴史に近い部分を告白しようとしている。
でも、誰かに聞いてもらいたかった。久しく忘れていた、あの子に対する感情をはっきりさせるために。
一心にそのことを想い、意を決して口を開く。
「……実は、さ。その頃に好きな子がいたのよ」
「好きな子でありますか?」
サンシターが素っ頓狂な声を上げる。
まあ、歯も生えそろわないような子供に好きな子がいるっていうだけで異文化よね。
「うん。まあ、好きって言っても、ちょっといいなとか、そういう風に思ってた感じなんだけど……」
ごまかすようにそう言いながら、当時の光景をまた思い出す。
礼美と、その子が並んで笑っている。
あたしは遠くからそれを見つめていた。
「……その子、礼美のことが好きっぽい感じでさ。いつも一緒にいたんだ」
いつだって、人の輪の中にはその二人がいた。
おままごとなんかすれば、二人はいつもお父さんとお母さんの役。劇をやれば、ヒロインは礼美で、ヒーローがその子。
そんな光景に、幼いあたしは激しく嫉妬していた。
「だもんでさ……。あたし一人で、礼美のこと目の敵にして……。いつも、突っかかってた」
些細な失敗をしようものなら、そのことを激しくなじり。
劇の小道具を隠すなんてことはざら。
ひどいときには、わざと転んだ振りをして、牛乳をひっかけたことなんかもある。
……我ながら、恥ずかしい限りだ。
「今にして思えば、馬鹿馬鹿しいことしてたわねー。例え礼美のこと蹴落とそうと、あの子があたしの方に振りむくこととなんてありえなかったってのに……」
自虐的なあたしの言葉を聞きながらも、サンシターは真剣な表情で静かにあたしの話を聞いてくれた。
茶化すことなく、話の腰を折ることもなく、ただ話を聞いてくれる。そのことが、とてもありがたかった。
「おかげで、当時は村八分よ……。周りの子たちには逆に目の敵にされて、礼美にやったことの数倍はひどいことをされたわ」
靴は隠される、着替えはなくなる、見つかったと思えば残飯まみれだったなんてこともある。
子供のやることだ。容赦なんてない。
おかげで、お母さんが、幼稚園まで相談に行ったことすらある。
「当然、いじめ筆頭は、あたしが恋焦がれていた子だったわ。きっと、礼美のことを護るナイト様を気取ってたんでしょうね」
いつだったか、高い所から突き落とされたことがある。
突き落とした相手を見ようと顔を上げれば、そこにはそいつが立っていた。
優越感に浸った表情で、あたしを見下していた。
ひどい話だ。惚れている相手に突き落とされたのだから。トラウマものだろう。
……でも。
「それでも、あたしはその子のことを想い続けてたわ。きっと、礼美の存在を悪い魔女か何かの様に考えてたのね」
魔女、というのもあながち冗談でもない。幼稚園児とはいえ、ほとんどの人間を周りに集めていたんだから。まさに魔性の幼女だったわね……。
今にして思えば、よく引き籠りにならなかったわねぇ、我ながら。
とはいえ、どんなことにも終わりはやってくる。
「でも、そんな日々にも終わりがやってきた」
「……何があったのでありますか?」
「簡単な話よ」
サンシターの疑問に、あたしは笑って答える。
ちょっと考えれば、すぐにわかることだ。
「あたしに対するいじめは、基本的に礼美に隠して行われてたんだけど、それがあの子にばれたのよ」
「ああ……」
サンシターが納得するように頷いた。
誰だって、汚れた自分は見せたくない。相手が礼美のような、清廉潔白を絵に描いたような子であればなおさらだ。
故に、あたしへのいじめの存在は礼美には隠匿されていたわけだけど、それでも幼稚園児のやることだ。どこかで必ずボロが出る。
「その当時はいろいろとエスカレートしてて、リンチまがいのこともされてたんだけど……。その現場に、礼美が駈け込んできたのよ」
思い出の中で、殴ったり蹴られたりしていたあたしの前に、礼美が立ちふさがる。
そして周りの子供たちを対して怖くもない顔で睨みつけて、一生懸命叱りつけていた。
「もちろん、礼美にその事がばれないように、礼美を引き付ける役もいたんだとは思うんだけどね……。ともあれ礼美はその現場に駆け付けた。そして驚きを隠しきれない連中に、こう叫んだのよ。「真子ちゃんをいじめる、そんな皆大っ嫌い!」ってね」
「レミ様らしいでありますね」
「昔っから変わらないからねー。あたしが、あの子にやらかしたこと覚えてないのかってのよ」
当時を思い返し、苦笑するあたし。
礼美のその言葉に衝撃を受けたのは周りの連中だが、一際驚いたのはあたしだ。
その時はさすがにいじめられ続けで、礼美に対していやがらせする間はなかったのだが、それでも彼女を悪しざまになじった時はある。
それでなくても、あたしは一方的にあの子を敵視していたのだ。どうして自分を助けるのか、訳が分からなかった。
……まあ、単に礼美の正義感が強すぎたってだけの話なんだけどね。
「自分に対する悪意にはとんと気づかないくせに、他人に対する悪意には敏感だったのかしらね……。まあ、おかげであたしに対するいじめはすっかり鳴りを潜めたけどね」
子供なんて単純なものだ。好きになってほしい子に嫌いなどといわれてまで、あたしをいじめようなんて考えを起こす奴はいなかった。
それどころか……。
「その日を境に、礼美があたしと一緒に遊ぶようになったのも大きいかな」
「では、その時からレミ様とマコ様は友達に?」
「そうあたしが呼べるようになったのは、小学校……幼稚園の上の学校に上がってから、さらに何年か経ってからだけどね……」
きっといじめられていたあたしがかわいそうだったのだろう。その日から、礼美は一生懸命あたしに構うようになった。みんなからいじめられないように、という配慮もあったかもしれない。
あたしとしてみれば、礼美を追い落とすチャンス……のはずだったんだけどね。
「それで、マコ様の初恋の方との関係はどうなったのであります?」
「んー……」
サンシターの質問に、あたしは少し黙り込む。
何しろ、あの時ほど落胆を覚えた時はなかったからなぁ……。
「当然、礼美と一緒にいるようになったあたしとも行動するようになったわ」
「おお! では?」
「……残念ながら、それっきりよ」
「へ?」
淡々と言って、あたしは髪を掻き揚げる。
まあ、一言でいえば……白けてしまったのだ。
どれだけ頑張っても振り向いてもくれなかった人が、礼美が付いてくるというそれだけであたしに笑顔を振りまくようになった。
本気でその子に惚れていたなら、あるいはそれでもよかったのかもだけど……所詮は初恋。しかも幼稚園児の恋だ。
現実の前に、一息に冷めた恋は、その時終わりを告げた。
「所詮は礼美目当てで動くような奴だったからね。今じゃ、別の学校に通ってるし、まあ、案外楽しくやってるでしょう。顔はそこそこ良かったしね」
「はあ……」
さばさばとしたあたしの物言いに、サンシターが何とも間抜けな顔になった。
「……まあ、そんな一件があってから、礼美と一緒に行動してたわけ。ここ最近じゃ、あの子のことが嫌いだったなんてこともすっかり忘れて過ごしてたけど……」
「……なら、今のマコ様は、レミ様のことをどう思っているでありますか?」
サンシターの言葉に、しばらく目を瞑る。
瞼の裏に浮かんでくるのは、あたしが嫌いと叫んだ時の礼美の表情。
顔面蒼白で、信じていた親に見捨てられた子供みたいな顔だ。
……今でも、あの子はそんな顔をしているのだろうか。
「……どうかしら。さっきも言ったけど、あの子の甘さは嫌いなのは事実だしね」
「では、レミ様そのものは?」
ズバッと聞いてくるサンシター。あたしは思わず苦笑した。
意地悪だなぁ……。そう聞いてくるってことは、あたしが考えてること、わかってるってことじゃない。
でも、その答えを口にせず、ふざけたような声を、あたしは上げる。
「さーてね。今、あの子と会った時、第一声があたしをぶったことに対する謝罪じゃなければ、絶交かもね」
「え? ぶった? マコ様、レミ様にぶたれたでありますか?」
ぶった、の一言に、先ほどまでの真剣さをどこかへ置いて、サンシターが驚いたような表情になった。
「そうそう。こう、パシーンてね。気持ちいいくらい、綺麗にビンタが入ったわ」
「レミ様がマコ様をぶつなんて、想像もつかないでありますなぁ……」
「あたしだって、考えもしなかったわよ」
まさに青天の霹靂って奴だ。……それほどまでに、あたしの態度がひどかったということでもある。
さーて、あの子に会って、なんて言おうかしら。
と、その時、コンコン、と医務室の扉がノックされ――。
「……サンシターさん、起きてますか?」
――あの子の声がした。
「―――」
「………はい、起きているでありますよ」
思わず息を止めたあたしの代わりに、サンシターが答える。
一瞬止めようとしたけれど、それよりも、あの子が扉を開ける方が早かった。
「失礼しま――」
扉を開けたあの子が、息を呑むのが分かった。
……恨むわよ、サンシター。
心の準備すらないまま、あたしはゆっくり振り返る。
「真子、ちゃん」
「……礼美」
廊下から差しこんでくる月明かりに照らされて、十数年来の友達が、そこに立っていた。
隆司と光太とは逆パターンですね。その後の経緯はほぼ一緒ですけど。
忘れていた幼少の頃の記憶を思い出し、今の想いを確立する真子。
そんな彼女のもとへ、礼美はやってきた。以下次回ー。