08.獣の襲来2
日本語を喋りつつ兄貴の携帯を奪ったクマさん。
こんなの……こんなのって……!
凄い! けど、あんまり格好良い状況ではない!
「……ちょ、ちょ」
恐れはないけど、驚きとか戸惑いとかが頭をいっぱいにする。
クマは盗んだ携帯を見せびらかし、得意げに語り出した。
「ハハハハハ。オレは貴様らを待ち構えていたのダ! お前たちは、いずれ我々の計画の障害になる存在。危険な芽はすぐにでも摘まないとイケません! ははは死ねええエ!」
「ちょ、何こいつ、喋ってるよ! ど、どうしよ。どうすればいいの?」
私はすべきことを自分なりに考え、自分の携帯電話を開いた。兄貴が驚きの声を上げた。
「おお! 結菜が冷静に警察を呼ぼうとしている!」
「違うわ!」
パシャ!
兄貴は落胆し、
「何してんのお前! 写真撮るな! 緊張感ねーなお前!」
「仕方ないじゃんか貴重な瞬間なんだから!」
緊張なんか、好奇心とか探究心に簡単に負けるもんでしょうがよ! 動画も撮ろうかと思ったけど流石に止めるよ! 私の携帯まで奪われたらたまったもんじゃないし!
「フフン、カメラを向けらレルといウノも、中々悪イ気ハしまセンネ。しかシ、それデ見逃しテもらえルとデモ思ってイルのでスカ?」
「いやそんなことは思ってないけど」
「耐えらレルものナラ耐えテごらんナサイ!」
クマさんはクラウチングスタートのような構えをして……それから何の変哲もないタックル!
「ぶ、ぶちかまし!?」
存在そのもののインパクトに比べて、やることが普通!
でも図体がでかいので、結構危ない!
「うおっと」
とか声を上げつつ、余裕を持って避ける私ら。まあ、遅いから簡単に避けれる。
「初速は見切られマシたカ。シかシ、いつマデ耐えられまスカ!? ターンを極めタこノ技ハ、勢いヲ失うコトなく、加速し続ケル!」
一発のタックルで終るはずもなく、二度目が来る。三度目、四度目!
徐々にスピードが上がってきて、私は段々と危なっかしい避け方になってきた。二人は割と余裕。あれ、おかしいな。私が特別弱っちい?
「何つーか、荒削りな技だな。図体の大きさに頼り過ぎているのは、所詮動物だからか?」
「剣、どうする? 結局呼ぶとしたらやっぱ警察か?」
「猟友会は?」
「連絡先が分かんねぇから」
ひょいとクマのタックルを避けつつ、兄貴が今度は私に問う。
「こいつ、昨日の居候と関係あったりしないよな」
「ゼェ……ハァ……え? いや関係ないじゃんそれ」
「二日続けて異常事態が起こったんだ。関連性くらい探るだろ」
「……関連性、ねぇ」
私を「地球を救う存在」というアルスくんと「計画の邪魔」と私を殺そうとしたクマ。真反対。敵対関係? かもしれない。
警察が来たらどうなる?
動物だから逮捕はされないだろうけど、最悪の場合、射殺されるのでは? 人間に危害を加えたとか、そんな理由で。
……尋問が必要。彼が何を企んでるのか知らなきゃ。
でも射殺されたりしたら、尋問もできないじゃん!
「せ、先輩!」
「何だ?」
「生け捕りして!」
無茶な要望だとは思うけど、先輩はあっさり頷いた。
「お安いご用、だ!」
先輩は突進してくるクマさんに向かい合い、……なんと、正面からそれを受け止めた! 勢いを利用して投げるとか、技を絡めた防衛術とかではなく、力でクマさんに勝ってしまった。
「え?」
戸惑うクマさんに襲い掛かるは、先輩の回し蹴り。
横から頭に当たり、クマさんは倒れた。
……何か、クマさん以上の珍人がここにいるような……。
「動物愛護団体から苦情とか来たらまずいな。結菜、今のは見てないことにしてくれよ。……あ、瑞樹、警察呼んじゃった?」
「呼べなかったから」
兄貴は、未だにクマに握りしめられていた携帯を回収。
「そっか連絡してないか。良かった。ホッキョクグマだもんな。しかも言語能力付きだし。こんなん蹴り飛ばしたことがバレたら一溜まりもない」
何の心配してんの。でもかっけぇなこの人。キックでトドメを刺してからのこの余裕の表情。女が惚れるっていうのも分かる気がする。男には……どうなんだろ。ナヨナヨしたのが近寄ってくるか、あるいは「押忍!」と体育会系に慕われるのかな。
「……すごい人だなーホント」
先輩の射程範囲は広いんだろう。守備範囲はそうでもなさそうだけどね。
じゃあ何で兄貴とつるんでんだろ。その辺、ちょっと不思議。
「まあ、キック一発で倒れてるだけだ。そのうち通行人にでも発見されるだろうし、放っておこうぜ」
兄貴はそう言って、帰り道へと踏み出した。自然と帰る流れになって、先輩と私もそれに続く。しかし。
「ちょ、コら、待タんかイ!」
立ち直ったクマさんが言った。
期待の意味でドキっとした私と、面倒臭そうな表情の兄貴と先輩。誰も怖がったり険しい顔をしないのは、ちょっと相手が可哀想な気もしないではない。
クマさんは複雑そうな顔をしながらも、どうにか威勢よく言った。
「ははは。まサカ、オレがヤラれルとは驚きデス。だがしカシ、甘い! オレの真の姿を見せてヤりまス!」
「し、真の姿だと!?」
ということはということはということは……!
「喋るクマは結局嘘っぱちか!」
私は愕然とした。
サンタがいないと悟った時の気分に似てるかも知れない。大人が思ってるほど、あのお爺さんは実在しないのだと知ったときのショックは大したことではない。事実として認識。それだけなんだ。確かに少し騙された気分だけども、子供はヤワじゃないのだ。
けど、それは、場合によってはクリスマスという日に苦味を残す。
本当にクマが喋っているものだと思ってたのに、なぁ……。
「真の姿? おい瑞樹……うおわ、眩し」
「俺が眩しいみたいな言い方すんな! ハゲてるみたいだろうが!」
突然、光が世界を包んだ。いやまあ、多分、包まれているのは世界ではなくて、クマさんと私たちの視界だけですが。
幻想的な世界に、少しだけ胸が躍った。揺れる程はないんだぜ。
光が収まったので目を開いてみると……。
人間がいた。帽子で顔を隠したトレンチコートの紳士。しかし顔を上げると、そこには異常に鼻の長い細目のお兄さんがいる。
「……変身? ちょ、え、嘘……!」
「フ、そうイウ恐れルような反応ヲ待っていたのデスよ」
いや怖がってんじゃなくて、感動。フラッシュを起こしている隙に早着替えをしたんでなければ、非科学的な変身だよ!
しかし兄貴は冷静にツッコむ。
「何だその鼻!」
「うるサイ! コンプレックスデス!」
「兄貴、あんまり刺激しない方が良いんじゃないの? って、遅いか……」
「喰ラエ、普通のラリアットぉぉぉおおお!」
兄貴に襲い掛かる、長鼻の右腕!
それをひょいと避けると、長鼻の首根っことどっかまた別の場所を掴んで、何かよく分かんないけど投げたっぽい。
何たって喧嘩に異常なほどに強い、男より男らしい星野先輩の親友である。先輩の武道ごっこ(本格的)や修行ごっこ(本格的)に度々付き合わされた兄貴は、意外と普通の人よりは喧嘩が強かったりするのだ。
「剣!」
「よしきた」
見事な受け身で着地した長鼻紳士を、星野さんが後ろから押し倒して上半身を上に引っ張り上げる。
キャメルクラッチ。長鼻が若干涙目になっている。二対一ってアンタら。
「ギ、ギブ!」
「しばらくは俺らに手出しすんなよ?」
「しまセン……から……助けテ……」
流石に見てられなかった。
「先輩、そろそろいいんじゃない?」
「そうか? 痴漢にはこれくらいしないと駄目だろ」
「いや、そいつ痴漢ではないと思う……!」
しばらく、嫌がらせは続いた。まあ、先に手を出してきた長鼻さんに文句を言う権利はないけどさ。どうせ痛め付けるなら、せめて尋問とか有意義な時間の過ごし方をすれば良かったのに。
純粋なサディスト達。攻めるだけ攻めて終っちゃったよ。
◇
しばらくして、ようやく解放された長鼻さん。
「フ、お前たちのせいデ、オレは危ウク新シい嗜好に目覚メてしまウ所デシタ」
その「お前たち」に、まさか私は入ってないよね?
「デスが勝った気にナルのハ間違いデス。お前たちが普通の人間だから、こうして手加減してあげテいまシタが……いいでショウ! サイキックを使ってあげまス!」
長鼻が高らかに叫ぶ。
「させるか!」
再び襲いかかろうとする先輩。けど、その手は相手に触れかかった瞬間、パントマイムみたいに空中をべったりと鷲掴みにした。先輩はもう片方の手でさらに攻めたけど、やっぱり何かが邪魔していて届かない。
見えない妨害。
「何だこれ。まさか『壁』? クマクマってまさかお前、『熊』か『虎熊』じゃないだろうな……?」
先輩が言う。
「ちょナニ言ってルか分かんナいっすけど、超能力デスヨ」
長鼻は不敵に笑うと触れることなく、風でも使ったみたいに先輩を吹っ飛ばした。そして私のほうに手をかざすと、
「……イキマス」
「……え、イキマスって? ちょ、いくって何がぁぁぁぁぁ!?」
ふわり。
――踏んでいた地面の感触が消える。
足が着いていない……?
――下に落ち? いや、逆だ。空中に体が。
「おい、結菜!」
叫ぶ兄貴の声さえ、遠い世界のものみたいだった。 空に落ち、飛んでる? 落ちてる? 川? ヤバ、頭だけは守んないとホントに死、飛び散る水の音。体に轟く痛み。
朝の雨で増水した川ん中に落とされたのか、これ……?
「……痛っ――」
流石にヘラヘラ笑ってはいられなかった。殺す気か。
いや、最初から命狙われてるんだったっけ。
「……今のは念動力? サイコキネシスか……」
「その通りデス。スゴイのデス」
得意げに笑みを浮かべる長鼻。しっかし増水した泥水の中である。よく流されずに済んでるなー、と。
いや、今も念動力を受けてるのか……?
手加減されてる?
「着地際にわざと減速してあげたのデスヨ? しかし、次は違いマス。行きますヨ……」
ふわりと、もう一度体が浮き上がる。
コンクリートに全速力で叩き付けられたら死んじゃうよ。
ただ、まあ、絶体絶命のこの状況は、私にとっては恐怖ではなかった。
――むしろ、久しく忘れていたこの緊張感……! 高揚した私のこの胸というか心臓らへんの暴走が止まらない! この世界が超能力や変身や異世界やら謎のネットゲームやらが実在する神秘的な場所だったっていうなら、きっと私もこの危機に直面して秘めたる力を解放し、
ベシ。
その危機は、兄貴による高等部チョップという不意打ちによって、呆気なく終わってしまった。
落下した私は先輩に拾われて無事だけども。
「兄貴ぃぃぃ!」
「え」
「せっかく……せっかく……」
私の人生が、ようやく物語みたくカラフルに輝きかけていたのに、さ。
◇
「警察行こうぜ」
「突き出すのか? こいつ」
「もはや貴重な動物なんかじゃなくて、ただの暴漢だしな」
「まあ、そうだな。けど、剣は交番に顔出しても大丈夫か?」
「……別に犯罪者でも非行少女でもねぇっつうの」
耳を塞ぎ、意識を半分飛ばせばイチャついてるようにも見えなくもない……と思ったけど、やっぱ無理があるか。
とりあえず、交番に長鼻を連れていくことが決定したんだけども。
「スキありぃぃぃぃ!」
という具合に逃げられた。
逃げていくトレンチコートの背中部分には、小さく「サイキック団」と書かれてあった。
「……組織の名前か何かかな? サイキック団」
「もっとセンスある敵がいいなぁ、俺」
先輩は腑抜けた顔で言った。
こうして超常的な現象は、私だけでなく、私の周りの人々をも巻き込んでいくのであった。
大した盛り上がりも見せず、随分と控え目に。
激動の日々。……のはずなのに、満足できない私がいた。