49.ラスボスはここにいる
一二月。
◇
『セオ:それは魔法じゃなくて手品よ』
『ハンゾー:まぁ、魔法なんてのはそもそも仮称ですからね。大昔の人間からすれば、電話の時点で大魔法ですよ。つまり魔法の有無は、観測者の持つ常識次第というわけです』
『ユイナ:……まあ、私もこの半年間で学びましたよ。超常現象が起こったところで、結局私は満足できない』
私は常に飢えている。きっと満足することのない、欲求の塊。
二〇一二年人類滅亡説。
あれを信じれば、そろそろ何かが起きても良い頃。
そして私の机の引き出しには、この星の命運を左右するリモコンがある。
……そろそろ決断しなきゃ、ということかな。
午後十時。チャットも早々に切り上げ、ぼけーっと宿題にでも取り掛かる。
コンコンと、窓を強く叩く音がした。
鳥でもぶつかったのかと思ったけど、その音はリズミカルに何度か繰り返して鳴った。……いや、ここ二階ですよ? しかもこんな時間に。まさかとは思ったけど、目を向けるとそこに確かに人影があった。
まず目に付くのは白い髪。一瞬服部さんかと思ったけど、違う。
近寄って見てみると、そこに、私の顔があった。
「ぬおおお!?」
びっくりして尻餅ついて叫ぶ。だって軽いホラーですよこれ! 自分の顔が窓の外に! しかもちょっとだけ笑みを浮かべて!
……ちょっと冷静になると、怖いっていうよりイヤですよ。唯一のものだと思っていた自分の顔がそこにある。アイデンティティってやつが揺らぐような心地がして、気味が悪い。私は急いでカーテンを閉める。
「ちょ、こら、閉めないで閉めないで!」
外にいる私がそう言ってジタバタし始めた。
「……心霊現象が喋った」
「結菜。君、そういうのは大好物じゃなかったっけ。それともこの短期間で、ちょっとは常識的な心が生まれちゃったのかな?」
軽蔑するような言い方だったけど、何も言い返すことができなかった。
確かに、ちょっと前の私なら歓喜してたよ。こういう非日常的現象に舞い踊って、是が非でも首を突っ込もうとしてた。
興味がないのは、慣れたから?
それとも、普通の感覚に染まってしまっているから……? 適当に驚いて、適当に逃げて、適当になかったことにして、事なかれな明日を送る? それでも須上結菜を名乗れるのか私は!
「ついでに聞き分けも良くなってる。今の君は、きっと社会に迎合する」
「――迎合なんか」
「するもんかって言える? 言えたよね。本心から言えた。でも過去形なんだ。今の君は普通の冴えない女子高生。このまま歳を取ったらきっと、今の自分みたいな考え方を『若さ』のせいにして、経験を振りかざして『穏やかが正しい』と思い込むようになると思いますよ?」
彼女はそう言って嘲り笑った。私は腹が立って、威嚇のつもりで窓ガラスを叩いた。けど彼女はそんなことでは怯まず、冷たい笑みを浮かべているだけだった。
「ねぇ、開けてよ」
「……嫌だ」
「ケチ」
「開ける理由がないじゃん」
「未来の自分が懇願してんだよ」
「……未来の自分?」
アルスくんの話じゃあ、人工的な時間の移動はできないはずなんじゃ……?
「そりゃ、君が未来に行くと都合が悪いからだよ。隕石と地球が衝突したときの莫大なエネルギーのお陰で、私は過去にも未来にも異界にも行ける力に目覚めちゃった。あっちこっち行ってる間に色んなことをした。過去に遡って鬼を作ってみたり、未来で銀河の終わりを眺めたり。不老不死の薬とか飲んじゃったりもした」
今度は自嘲的な笑み。笑いっぱなしだけど表情は豊か。つまり笑い方のバリエーションが豊富ってことか。
「……永遠を手に入れたってことだよね……」
「だから開けて」
「いや関係ないじゃん。そもそも何のために」
「リモコンを奪うためかな。普通に強奪するほうが、そっちも納得できるでしょ」
「……何それ。普通じゃない奪い方なんて」
「ん? 見る? これが、普通じゃない奪い方」
彼女はコートのポケットからリモコンを取り出した。私の机の引き出しにしまって、厳重に鍵を掛けて保管していたはずのもの。
……まるで、手品。
いやどうせ偽物だああああ! ハッタリに決まってんじゃん! 試しに引き出しを開けてみる。ないないない! ここにあったはずのリモコンが忽然と消えてますよ!
「ななな何じゃそりゃ!」
「ほら、過剰に混乱しちゃうじゃん。だから普通に奪いたいって言ったのに」
「――か、返して!」
私が窓を開けて身を乗り出すと、彼女はからかうように一歩分の距離を退いた。その体は漫画に出てくる超能力者みたいに浮いている。今更驚くことでもないけど。
「それじゃあ、これは預かっとく。取り返したかったらもがいてみてよ」
彼女は終始笑みを浮かべたまま、町の向こうへ飛び去ってしまった。
「……もがくって、どうやって」
「ユイナ!」
後ろから声。アルスくんだった。アルスくんは何か得体のしれない炎の塊みたいなのを私に全力で投げつけてきた!
「うぎゃああああ!? な、何これ」
熱くない。炎は分裂して、燃え盛りながら私を包んだ。まるで私自身が火の玉になった気分。もしかしてこれ、アルスくんが初めて私の前に姿を現したときの……?
「『乗り物』だ。僕が追いかけたところで、彼女は相手にもしてくれないはずだ。あいつを捕まえるんだ。多分、それはユイナにしかできない」
「え、これ体重移動で大丈夫?」
窓の方へ体重をかけると、私の体は斜め下へと動き出した。意外と早! ドッシャーンと嫌な音。外に出ることはできたけど、家を粉砕してしまった。
「うええ、やっちゃった」
「……大丈夫なのかな、君に任せて……」
アルスくんは今更後悔するみたいにそんなことを言っていたけど、まあうん、もう遅いよね。私は手探り状態で乗り物を操作しながら、どうにか未来の私が消えた方向へと飛んだ。
◇
街の上空に、未来の私が浮いていた。
下からの人工的な光と、空からの自然の輝き。それを同時に受ける彼女の姿はどこか神々しくて、私は思わず唾を飲んだ。ちょっとナルシストなのかなーと自分で思わなくもない。だって相手の服装と白い髪以外は、まんま私だしね。
「随分早かったじゃん」
まるで待っていたかのような言動に少し困惑。ここが決戦の舞台……的な? ちょっと不思議だったけど、ともかく強気でいかないと負ける。私は彼女の顔を睨んだ。
「未来人でしょ。過去は全部おみとおしじゃないの?」
「そうでもないんだな、これが。一人の動きがちょっとでも違えば、全体がズレて、色んな人の動きが変わっちゃうんだ。だから、私の知っている過去は参考程度にしかならない。――まあ、最終的な結果は変わらないはずだよ。この星は滅ぶ」
「……決めないでよ。私はまだ、悩んでるんだから」
「悩むっていうのはつまり、一秒先、一時間先、一日先、一ヶ月先、一年先の自分に結果を委ねることでしかないよ。君がしてんのは、責任逃れ」
相変わらず彼女は微笑んでいた。私は……結構追い詰められたような顔をしていると思う。
「……馬鹿にしないでよ」
「人はさ、大抵は過去の自分を恥じる。中二病なんて言葉がそれを象徴してる、と思わない? 過去の自分さえ病人扱いだよ」
「そっちが私を恥じるなら、私だって未来を憂う」
決めた。リモコンのどちらのボタンを押すか、たった今決めた。
私は全速力で未来の私に直進しながら、
「私はアンタみたいな未来は、要らない!」
ヒステリックに近い声で、そう叫んだ。
体当たりする私をギリギリまで引き付けて、未来の私は何か不審な動作をした。私は体重を思い切り左後ろにかけて、彼女との接触を避ける。『私』に体当たりが通用しないってことは、私自身よく知ってるからね。今ぶつかってたら多分、返り討ちに遭っていたと思う。
「滅ぼした結果がアンタだっていうなら、私はこの星を救うよ。――ユイナの『地球救済』を、今からやってのける」
「……なら、私が最後の壁になる。私は強いよ。星野先輩以上に、ね」
彼女はそう言って、手を上空にかざした。そこに光が集まって、ボーリングの球くらいの塊ができた。
「街一つくらい吹っ飛ばす爆弾」
彼女はニヤニヤしながら言った。
「例えばこれを投げて……君が避けたら、街が危ないよね」
「え、ちょ、それ待」
「それ!」
投げるというより落とすような動作で未来の私が何か投下! やばいやばいやばいけど身を呈して街を守る勇気は正直ない!
「ちょ、それアリ!?」
「ナシじゃないでしょ。地球規模の話をしておいて今更何言ってんだか」
彼女は淡々と言って、私がどうするかを待っているみたいだった。私は……アルスくんのこの乗り物がその爆発に耐えられるかどうか正直疑問ではあったけど、正義感……というか義務感……いや、責任逃れの為に、身代わりを買って出ることにした。
馬鹿か私は。これをもし食い止められたとしてどうなるっていうんだよ。向こうはまだ遊び感覚。こんな爆弾くらい、いくらでも落とせるはずだ。
そんなことを考えながら、私は止まることができない。いよいよ爆弾に……届いてその後どうするかは考えないまま……手が届く距離まできた、そのとき。
地上からいきなり青年が大ジャンプしてきた。
「えっ」
呆気に取られる私。青年は光の塊に素手で触れた。
と思ったら光の塊が消えた。
「え、えええええ!」
その男の人は、片手に服部さんを持っていた。高所恐怖症の服部さんは涙目でその手にしがみつきながら、私を見たときには一瞬だけ嬉しそうに笑みを浮かべた。
で、男の人は落ちなかった。私の隣で、私と同じように空中に立っていた。
「な、何者?」
「コンビニで一度会ったが、覚えちゃいないだろうね。……初めまして、超能力者だ。星野さんに連絡を受けて、助太刀しに来た」
「……星野先輩が?」
「異世界人から連絡を受けたとか言ってたよ。下の建物の屋上に、星野さんとその異世界人、光村、キタムラ、君の兄貴と……それから星野さんの従弟なんてのもいる」
透生までいるのか……。
「ついでに無理やりですけど、春風ちゃんと夏鈴ちゃんも連れて来てますからね!」
服部さんが下を指差しながら言った。
「何で!?」
「結菜ちゃんの晴れ舞台ですから、観客もできる限り集めないと、ですよ」
言っていることとは裏腹に、顔面蒼白の服部さん。体を震わせて視線を上に向け、ガチガチと歯を震わせていた。抱えられているだけの生身だもんね、そりゃこの高さは怖い。
「ところで須上さん、僕と服部さんは全く面識ないんだけど、何者なんだこの人」
「えーと、引きこもりニート……?」
「ししし、失敬な! 授業を受けてない大学生です!」
「てか、建物の屋上から見えてるんですか? 私達のこと」
「見えるよ」
「じゃあ、他の無関係な人達からも見えちゃってますよね」
浮遊する人間。いや、火の玉にしか見えないかな。どっちにしろ、結構トンデモ現象だと思うけど。
「マヤ文明のせいにすればいい。今日くらいは許されるさ」
謎の超能力者さんはそう言うと、服部さんを連れて下に降りていった。
ふと見ると、未来の私は腕を組み、ニヤニヤしながら私を見ていた。わざわざ私と服部さん達との会話が終わるのを待ってくれていたことといい、
「余裕……なんだろうね、未来の私さん」
「割とね。いや、もしそうじゃなかったら、君らは弱い者イジメをしてることになるじゃんか? だから私は強くあらねばならんのだよ」
「……アンタがラスボスか」
「いかにも」
彼女は今までの冷たい笑みとは違う……本当に楽しそうな笑みを浮かべた。
「私だけじゃない。私を形成している、幾多の『過去の私』が相手だよ。……いや、君だって結局は私のうちの一人に過ぎない。最終的に訪れる運命には抗えないんだ」
「私はアンタにはならない」
吐き捨てて、私は未来を睨み付ける。
不老不死ってことは、見た目からは想像つかないほど色んな経験を重ねてきたんだと思う。私には及びもつかないようなことを、沢山頭に詰め込んでいるんだと思うよ。
でも、その基盤は既に私の中で出来上がってる。
むしろ、毒されていないとも言えるんじゃないかな。穢れのない子供こそが最強説は、多くの大人が唱えているわけで。
「――行くよ」
「……あはは、懐かしい呼ばれ方。来いよユイナ! 災いの元凶として、救済者の行く末を見守らせてもらうから!」