47.壁
瓜生正義を見逃した後、パンドラは行方をくらました。
彼女を敵と認識した剣は、毎夜、あてもなく町を探し回った。が、行動範囲はパンドラの方が桁違いに広い。時代さえ軽々と越えてしまう存在。町の中をいくら探したところで、見つかる可能性は低い。
向こうから接触してこない限り、会うのは難しい。それでも、探さずにいられなかった。
その日も、予想どおり見つからない。気持ちが変わらないうちにケリをつけたいという彼女の願いは、見事に叶わぬままだった。
「――糞が」
真夜中。自宅に戻った彼女は、珍しく取り乱した。壊れたラジオをさらに粉砕し、ボロくなった雑誌を破り捨て、借りてきた興味もないバッハを聞き、挙句全てをそのバッハを聞いたせいにした。
結菜が地球を滅ぼすと信じていたあの男。
「瓜生正義もこんな気持ちだったのか――?」
◇
十一月に入った。
息は白くなり、コンクリートに紅葉の絨毯が出来上がる。傘を差すまでもない、小粒の雨が降っていた。土や埃の匂いは、剣にとっては悪いものではなかった。
彼らの通り道の中では、一番秋を感じられる川沿いの道。自然の変化に敏感な剣は、下校中に少しはしゃいだ。隣を歩く須上瑞樹は、あまり興味なさそうに眠たげな顔を浮かべていた。
「……うるさいかな、あたし」
「まあ、少しな。良いんじゃないの、たまには。………………………………………………あたし!?」
一気に目を見開き、叫びに近い声を上げて仰け反る瑞樹。突然の一人称変更。しかも「俺」から「あたし」。
「性転換でもしたのかお前!」
「元から女だっつの! まあ、自分でもちょっと無理があると思うけど」
剣は自嘲的に言った。
「……いや、別に無理があるとは思わねーよ。……思わねーよ? 思ってないからな」
「確実に思ってる態度に見えるけど」
「いやいや思ってない。お前は一応女なんだし」
「一応かよ」
「本来は俺っていうよりも自然なはずだろうが。ただ唐突だったからびっくりしただけであってだな……」
瑞樹は焦りながら弁解を続けた。が、途中でどうでもよくなったらしく、再び目に眠気を宿した。
「……何でいきなり人称変えんだよ? お前」
「もう少し人間らしくいようと思ったんだ」
「は?」
「鬼を自称するくらいだから、俺の血は人外なんだって思ってた。けど存外、普通の人間とそう変わらなかったらしい。清子の話を鵜呑みにすればな」
過去に現れたユイナが、ただのそこら辺の人間に技術提供をした。それだけの話なら、自分達のいう「鬼」は人外というよりも職人だ。
自分は化物なんかではなかった。――特別な化物ではなくて、ちょっと変わったただの人間。
それは、月が変わった今でも、未だに彼女の心を揺らしていた。
「……あたしは」
もうすぐ冬が訪れる。季節は変わる。時間は確実に動いている。受験も崩壊も、既に目前にある。
「自分の立場を、さ」
全部救ってみせるつもりだった。それが化物として生まれた使命なのだと思っていた。自信でもあった。アイデンティティを支える、一つの柱でもあった。
――だけど、そうじゃないってことを。
「受け入れなきゃならねぇんだ」
「そうか」
瑞樹は気の抜けた相槌を返す。自分の真剣さとあまりに温度差があるように思えて、剣は苦笑した。
「そうか、って呆気ないな。『お前はお前のままで良いんだよ』とか、名台詞じみたこと言えねぇの?」
軽く言う剣。、しかし瑞樹は、剣が想像していたよりも真面目な顔をしていた。
「名台詞ねぇ。どっちにしろ自分からは逃れられないんだし、そんな慰めは要らんだろ
変わることはできても、替わることはできん」
「……だよな」
左掌に右手で漢字をなぞりながら、瑞樹は相変わらずの腑抜け声で言う。
パンドラ。剣の脳裏に、ユイナそっくりのあの顔が浮かぶ。替わることはできない。結菜は結菜のままでしかいられない。
積んだ経験の量が違うから別人? 否、……。
◇
現実とゲームの中をひたすら往復しましたよ。
眠ってレベルを上げて起きて学校行って、眠ってレベルを上げて起きて学校行って。
もう以前の私の比じゃあない。負ける気がしない。これだけ準備を整えて負けたら正直もうしょうがない! ってところまできましたよ!
「アルスくん!」
私は一回負けてる。だけど、その経験こそが、今度は私の武器になる。
「今から……行くよ!」
「え」
「え、じゃない! 決着つけんだよ今から!」
「……本当に大丈夫? 万に一にも負けな」
「大丈夫だから!」
絶対。同じ失敗なんかしてたまるか。
すいすいっとダンジョンを進んで、ボスのいる扉へと無傷のままで辿り着く。ここまではもはや完璧。
「芸術の域ですよ!」……こういうこと言い出すと人間って危ないんだろうなーと思わんでもないけど。
扉を開ける。瞬間、暗い夜道が私の前に広がった。
不気味な林。風に靡く木々。パソコンの画面で見ていたときには分からなかったけど、小雨が降っていた。
今通過した扉が消えた。後には引けないってことだ。上等!
少し林の中を進む。人影が目に映った。身構えながら、それに近付いていく。
「挑戦者?」
赤い和服の女。額に角の生えたその姿は、一度パソコンの画面でも見ていた。けどあのときのはドット絵。
同一の次元から見る彼女は、凛とした中性的美人。
というか、
「剣先輩……?」
思わず足が止まる。
模したというより本人だった。顔も体格も一緒。ただ服装や角の力で実物よりも鬼のイメージに近付いていて、写真に撮りたいくらいカッコイイ。
そんな彼女は私を見るなり友人を見るような顔をして、
「お、ユイナだな?」
ふっつーに話しかけてきた。
「え、あ、はい。……喋れるの? NPCなのに」
NPCのNはNONの意で、つまりはプレイヤーキャラクターを示すPCの否定だ。コンピューターに動かされているってことだから、普通はコミュニケーションなんかまともに取れないはずなんだけど、
「一応、俺がこのゲームの肝だからな。完璧ではないにしろ、人格を持たせてもらってんだ」
「……人工知能?」
「そ」
先輩の顔が頷く。確かに、ゲームの中に入れるようなトンデモ技術ならそんなことでいちいち驚くのもバカみたいですけどね。
「まあ俺には仕組みとかよく分かんねーけど、とにかく俺は普通の人間並の知能がある。ついでに一般常識もインプットされてる。今までの敵と一緒にすんなよ?」
口調まで先輩と似ていて、正直ちょっとやりにくい。透生くんの先輩に対する嫌がらせか……いや、案外リスペクトからきてるのかな。まあ、分かんないけど。
分かっていることは一つ。
私は今から、この相手に勝たなきゃいけないってことだ。
地球を救うかもしれない身として。アルスくん達に期待されている身として。一人のゲーマーとして。
憧れの先輩に追い付く為にも。
「――私は選択権が欲しいんです。この星の運命を決定する権限」
「渡す訳にはいかないな。俺の意思はともかく、それを守るのが俺の存在意義だ。死守するよ、文字どおり」
「力ずくでも奪います」
「――茨木童子、参る」
先輩の顔をしたその女は、そう言った直後、消えた。……いや、
――音速の頭突きが、私の腹を襲った。
「ぐほへぇっ!」
響く。響く響く響く! 腹が大太鼓になったみたい。太い一撃が胃の中を反響してるみたい。
正直ただの頭突きなのにめちゃくちゃ痛い。そのまま私の体は吹っ飛び、後方の木にぶち当たってやっと止まった。
「痛てて……ちょ、待」
茨木さんは間髪入れずに見えない速度で接近してきて、掌底を打ち込んできた。
けど!
現実でもこの世界でも突進系に襲われることの多かった私に、もう二度目は通用しない。むしろそっちから近付いてくれるなら、もはやそれはチャンス!
引き付けて避ける。その最中、腕を両手で捕まえる。
自由を奪った。この至近距離から仕掛るは、
「オーバーヒート!」
至近距離専用の爆発技。範囲が狭い分、中心部の威力は絶大だ。
熱が私はら放出される。漲る力って奴が、その辺一帯に広がっていく。もろに食らった先輩だけど、ゲームの中だから丸焦げになる訳じゃない。強い攻撃を食らったらとりあえず吹っ飛ぶ。先輩はさっきの私みたいに吹っ飛んだ。
「これでフリダシです」
先輩は後方の木に当たって止まった。体は煤に汚されて、見た目的には私よりダメージを負っている。
「……驚いた。早いな、対応が」
「あはは、ありがとうございます」
アカウント一つを対価に予習しましたからね。どう来るかは分かってた。最初の頭突きは見極められなかったけど、今後一切、突進は通用しない。
ただ、突進以外の攻撃に関しては情報がない。
「教えてもらえるか分かんないんですけど、技とか幾つあります?」
「手数は多いよ。俺のモデルになった星野剣もそうなんだろ?」
「です、ね。……――負けないよ、先輩」
私の中での、多分一番の「壁」。
越えてみせますよ。たとえアンタが本物より強いとしても。