45.普通じゃない女
ヘッドギア。……というより、それはもはや被る触手の束だった。要するに気持ち悪いということですよ。
アルス君曰く、それを被って眠ると、ゲームの中に行けるらしい。
「ユイナ。君自身は、ゲームの中にいたという自覚はあるんだよね?」
「……うん、まあ。黒いヒーローをやっつけたりしたよね。覚えてる」
夢だったのかなとも思ったけど、あれは間違いなく実体験だった。あれが本当にゲームの中だったってことは、私はこの触手なしでも一応はゲームに入れるって訳で。
けど、病院で目覚めてから今日まで、どうにかもう一回あの世界に行こうと色んな眠り方を試してみたけど、どれもダメだった。
「君はテレパシーの才能を持っている。そして、この機械は君とゲームとのやり取り……便宜上、通信と呼ぶけど、それを補助する機械だ。ただ、あくまで補助しかできない。正直、あとは君次第だ」
アルス君が言った。私次第っていうのが、心地よく響いた。私がやるしかない。私の行動が私以外をも動かす。私が。この感じ。自己肯定感。
「あれ? でも、兄貴やアルス君もゲームの世界に来てたんじゃ……」
「あのときは君の使っていたアカウントを介していたからね。君のように、自力であの世界に入り込むような真似はできない」
普通はできないことなのか。春風が私と同じような感じでゲームに入ってきたことを、アルス君は把握してるのかな。
「さて、どうする? 今からゲームに行ってみる?」
「……うん。やってみるよ」
たとえ春風が代役をできることだとしても、「できる」と「やる」は違う。私はやる。やってやる。実績を作れば、私は今度こそ私の価値を得られる。
気持ちは高ぶってる。大丈夫、行ける。私は触手を装着し、そのまま畳に突っ伏した。
「コツは、一度死んで向こうで生き返ることかな。勿論、実際に死ぬ訳じゃない。そういう意識を持つだけで良い」
……死ぬ意識。
クマに襲われたあの日の痛みや絶望感を思い出せば、簡単だった。
気が付くと、私は街にいた。
ネオン街。あの黒いヒーローをやっつけたとこ。雑踏。人は沢山いるけど、嘘っぽい。誰も感情を持ってないからかな。
「ところで、ユイナ」
いきなり、俗にいう天の声的なものが聞こえてきた。天の声はアルス君と同じ声だった。
「ま、まさか! アルス君の正体は神様だったのか!」
と言ってみるけどそんな訳ない。そういや……あれか。
私は、さっきの触手ヘッドギアがパソコンと繋がっているのを思い出した。
「もしかしてマイクでも繋いでんの?」
「うん。音声を頭に送り込んでいるんだ。君の様子は画面に映し出されているから、いわゆるTPSの視点で君をサポートできる。一緒に冒険することは、もうできないけどね」
「何かあれだよね。いつかのゴキブリのときもそうだったけど、ストーカーみたいな感じが」
「いや……確かにそうなんだけども」
困った調子のアルス君に、私はちょっと笑った。何だかんだで余裕あるな私。これなら大丈夫でしょう。
敵は今までの中では最強。それまでの相手とは、本当に桁違い。けど一回戦った私には、反省という心強い武器がある。
笑ってやろう。ちょっと意識して、余裕のありそうな感じで。ちょっと不自然かもしれないけど。
そうして私は、不敵っぽい笑いを浮かべた。
◇
日々、夜は涼しくなっていった。
夏は去り、秋が来る。心地よい冷たさを感じながら帰路に就く瓜生正義の前に、星野剣が現れた。
「げっ」
「その反応止めろ」
「いや、その……。アンタの相方から、入院したって聞いたんだが……」
「相方? ああ、瑞樹が連絡したのか。確かに普通だったら入院してただろうけど、俺は体が普通じゃないからさ。隙を窺って抜け出したんだ」
自嘲的な言い方だった。病院を抜け出したというのがどこか現実味がなく、疑うという発想も湧かなかった。
「……僕に何か用か」
「俺が病院送りになった原因。知ってる?」
「いや、はっきりとは聞いていないな。彼も、正確に把握はしていないようだったから」
彼……須上瑞樹との会話を思い出す。直接会った訳ではなく、念の為の報告として電話で数分話した程度だったが。「剣が入院したらしい。いや俺も学校側から聞いただけで詳しいこと知らないんすけど」剣という人物の顔と名前が一致せず、しばらく会話が噛み合わなかった。
「話さないといけないようなことなのか? 車に轢かれたとかストーカーに刺されたとか、そういう下らない理由じゃないんだな?」
「違う。アンタにも関係のある話さ」
そう言って、剣はほんの少し躊躇うように目を道端へと逸らした。
「……俺は、ユイナに襲われたんだ」
瓜生の頭の中が散らかった。驚き。予想どおり。言うべき言葉。優越。震撼。意外。汗が頭に滲むのを感じた。
「けど違う。あれはユイナだけど結菜じゃないはずだ。確かに顔は同じだったけど、髪の色も服装も違った」
剣が庇うように言う。だが。
「髪と服しか違わないのか。だったらそいつは間違いなくスガミユイナだじゃないか」
「違う。絶対に違うんだよ……。とにかく、アンタは気を付けろ。常人に毛の生えた程度じゃ勝てないから、戦おうなんて思うなよ。それと、絶対に結菜を始末しようなんて思うなよ。俺が何とかするから。言いたいことはそれだけだ」
まくし立てるように言うと、星野剣は瓜生の前から走り去っていった。
瓜生はしばらくその場に立ち尽くし、考えた。
――ユイナだけど結菜じゃない? 確かに面識のない僕より、星野の方が鼻は効くかもしれないが……。
気持ちの整理がつかない。彼は携帯電話を取り出し、キタムラに電話を掛けた。
「はイこんニちワ、キタムラでござイマス」
「今、星野剣と会った。スガミユイナがいよいよ動き出したかもしれない。だから明日から見張れ。殺さなくてもいい。見張るだけだ」
「了解でス。エ、殺さなクテもいいんデすヨね?」
「ああ。止むを得ない事情があるときは別だが、それ以外のときはいい」
「分かリまシタ。………………何だカ団長、丸クなりマシたね」
キタムラは笑った。
丸くなる。不快という訳ではなかったが、あまり良い気もしなかった。
「どういう意味だ?」
「あ、イエその、悪い意味デハありマセんヨ? たダ、こけしみたイなあの子……光村雫サんですね、あレに襲わレ、星野剣に救わレタ頃かラ、アなタは少しずつ殺害とイう言葉ヲ使わなクなった。孤独の中デ世界ヲ救おうとシていたアナタは、同じ志を持ツ彼女達と出会っテ、人とシて磨きガかかったようニ思ウんデス」
「お前の言葉を聞き続けるのは疲れるな……」
「ハハ、感動のナイ感想デすね。それトモ照れ隠シでスカ」
和やかな声で言うキタムラ。確かに瓜生は照れていた。言われたことは大体当たっていて、それが少しくすぐったい。
「……団長!」
「何だよ」
「共に地球ヲ救いマしょう。光村雫サンや星野剣トともニ。今度ハ、でキるだケ血の流レない方法デ」
その声からは強い意志が感じられた。まるで試合前の運動部。大人になってからは、そのノリは爽やか過ぎて、少し恥ずかしい気もする、が。
「……そうだな」
それも、悪い気はしなかった。
キタムラとの通話を終え、再び帰り道を踏み出す。
自宅近くの公園に差し掛かったとき、彼はふと、ある噂話を思い出した。夏のある日……ちょうど、彼が光村雫に襲われた翌日……この公園には、砕けた金属バットが転がっていたらしい。
自身が超能力を持ち、また周囲にも変わった人種が多い彼にとって、そのエピソードは特別珍しい事象には思えなかった。記憶に残っていたのは、それが偶然近所での出来事だったから。今思い出したことも、偶々。大した理由などはなかった。
何となく公園を覗く。単なる気紛れだ。が……そこに、彼はある発見をした。
ブランコに、スガミユイナが座っていたのだ。彼女はまるで感情を失くしてしまったかのような虚ろな目で、前方を眺めていた。
その風貌は、病院で一瞬だけ見たときよりも、自分が見た未来に登場した彼女に近付いていた。髪は白く、服装は若さのないくたびれたロングコート。一見すると高校生には見えない。
おそらく、星野剣を襲ったのは彼女に違いないだろう。もしそうだとして、どうする? 喧嘩を売って勝てる保証はないが、このまま通りすがる訳にもいかない。
「……お兄さん、普通じゃないみたいだね」
迷っているうちに、向こうから接近してきた。
「――ああ、普通じゃないな。だが、それはきっと君もだろう」
「んー、どうかな。私の基準からすれば、私は普通の極みなんだけどね……」
彼女は、そう言って不敵に笑った。
◇
瓜生への忠告を終わらせた後、剣は次の目的地に向かっていた。
マンション。学生の一人暮らしにしては広過ぎるその部屋の入り口では、相変わらずゴミが壁を作っていた。玄関から先に進めない。清子の姿も見えない。
「ごめんなさいねー。今ちょっとこんな状態なので、どうにかするか帰るかして下さい」
「アンタ、朝は外にいたよな。どうやって出てきたんだよ……まあいいや。下がってろ」
入口を開けるだけなら、ゴミを蹴り飛ばせばいい。足を蹴り出すと、風が渦を巻き、ゴミは玄関から廊下や部屋に散らばった。
ついでに清子にも散らばっていた。
「うおお、とうとう家主までゴミになっちまったか」
「誰がゴミですか! 私の部屋をこんなにしといてよく言いますね! ……っていうのはもういいです。それよりも」
清子は廊下を進み、部屋の奥へと移動した。後を追う剣。やはりゴミまみれのソファに、ぐだーっと座っただらしない家主。
「聞きたいことがあって来たんでしょう? 歓迎しますよ、剣ちゃん。別に隠す気はありませんから」
彼女は、そう言って不敵に笑った。