42.秋と壊滅の足音
親の実家に帰ったり試しに花火をしてみたり。
それなりに夏っぽいことをしているうちに、休みはあっという間に終了した。
学校。ちょっとだけ足が重い。何が気掛かりって訳でもないけど、長期連休の後ってそうでしょ。楽から苦へのジャンプな訳だからね、うん。
久しぶりの教室では既に、春風と瀬尾が話していた。多少ぎこちなくはあるけど、それなりに二人とも楽しそうな顔。私の席はちゃんと空けてあった。とりあえずウェルカムな感じらしい。
ぬぅ。未だ見慣れぬ光景である。二人は私には気付いていなかった。瀬尾さんの携帯で動画か何かを見ているらしく、私というかそもそも周囲に視界が行ってないっぽい。
茫然と突っ立っているとGL子が寄ってきて、無邪気な笑みで言った。
「久しぶり、須上さん」
「あ……うん。海以来だね」
何だかんだでほとんど話したことがなかった訳で。私は思わず硬くなった。対照的に、GL子は人懐っこい顔で私を見ている。誰とでも仲良くなれる人っていうのは、こういうタイプを指すのかな。
「あの二人、仲良くなって良かったねぇ」
彼女は春風と瀬尾の方に目配せして、言った。
「……まあ、そだね」
良かった……んだろうね、、多分。悪い訳がない。
そうだよ。多分、これがベストなんだ。もう心に壁を張る必要はない。窮屈な毎日は終わったんだよ。
私は、あの頃の自分には顔向けできないくらいマシなポジションを手に入れた。苦楽に振り回されて、生と死を眺めて知ったような顔は、もうしなくてもいいんだ。普通の高校生になっちゃえばいい。
席に向かうと、二人は揃って「お」と声を上げた。
「来たわね。待ってたのよ」
「久しぶりやな、結菜」
予想以上の高待遇に、私は思わず鼻で笑った。
「……ハハ、もうちょっとぎこちない再会にするつもりだったんだけどね」
拍子抜けなスムーズさで互いに適応。楽。これが友情パワーですか。
きっと、このまま楽しいことが続いていくんだ。同じクラスの仲間達と笑って泣いて、卒業式を迎えて。そしていつか過去を振り返って、お互いを一生の親友なんて風に呼んだりするんだろう。
私はそれを望んでる? そういう明るい未来に進みたい? それともそれを、敢えて壊してしまう? わざわざ暗い道に走ったって、得るものなんかないはずじゃんかよ。
……まあ、でも。やっぱ、簡単には決心できない。
「楽」に近付く度、自分が大事な何かから遠ざかっているように思えて仕方がない。私が本当に求めているのは、こういうのじゃなくてさ。
「結菜、どしたん?」
物思いに耽る(って言ったらカッコイイ)私を、春風が気にする。
「ん? あー、いや、ちょっと崇高な悩み事をね」
「フフ、何よそれ」
私の大袈裟な言い方に、瀬尾さんは苦笑した。私がいつもと同じ調子だからか、春風は安心したように笑っていた。
……今くらいがちょうど良い。溶け合うほどの友情はちょっと重いし、前ほどの緊張感もしんどい。
心の距離はせめて三メートルくらいかな。それくらい近付いて……それくらい、離れていたい。
何でもない始業式を終え、早々に帰宅。
アルスくんは玄関で靴磨きをしていた。もはや家政婦じゃん。何でかよく分かんないけど、ふと、携帯電話とコーヒーと宇宙人が頭に浮かんだ。
「あれ、ユイナ? 今日は早いね」
「まあね。休み明けだし友達の誘いは断ったし普段の三倍速で歩いたしそれに多分ゲームがそろそろ終盤だし」
「終盤!?
アルスくんはマンガみたいに数センチほど飛び跳ね、意味もなくアタフタし始めた。
「何で言ってくれなかったんだ」
そんな漫画みたいな驚き方されても困っちゃうぜ。
「……慌て過ぎだって。夏休みのほとんどをパソコンで過ごしたんだからさ。そりゃ進むに決まってんじゃんか」
「そりゃそうだけど……」
アルスくんは苦笑いをしていた。私も同感だよ。確かに、地球の運命を左右するものにしては決着が早い。
普通のゲームよりは手応えあったけどね。只今ラストダンジョン攻略中ですよ。早いよ。作り手に、デバック作業をやるほどの心の余裕がなかったのかもしれない。
「で、今ちょうどボス部屋の前なんだよね」
「思った以上に終盤だね……。そのボスに勝てば、ひとまずゲームはクリアかな」
「そういうことだと思う。新たな展開なんかが始まれば、また事情が変わってくるけどね」
早く帰ってきたのは、それが気になってたってのもある。まだまだ隕石が落ちてくるまで時間はあるから、そんなに焦らなくてもいいんだけどさ。
「心配ごとがあるとすれば、魔法の成熟度くらいかな。ボスに挑むのは夜にして、それまでレベルアップに励むつもり」
アルスくんを自室に引っ張り、パソコンの電源を付ける。
さて、いつものようにゲーム開始。最後のそのときに備えて、もう少しだけ頑張ってみようか。
◇
「見ーつけた。瓜生正義さん、久しぶり」
淡々とした声に、彼は戦慄した。
瓜生正義は超能力者である。具体的な能力名はまだない。二つ名とかもっとない。しかし、使命はある。
彼は……少なくとも彼の頭の中では、未来を見て、スガミユイナが世界を滅ぼすことを知った。そして、その原因とされるスガミユイナの殺害を目論んだ。が、失敗。
自分でももはや何をすべきか迷いながら、普段どおりバイト先のコンビニに足を運んでいる途中。住宅地の出口、交差点辺りで、不意に背後から声を掛けられたのであった。
相手の顔を見て、瓜生は逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。
「瓜生正義さん? で合ってるはずだよな。覚えてるか? 俺のこと」
「……命の恩人の顔を忘れたりはしないさ。顔は知らないけどな」
栗色の髪に、どこかキツい雰囲気の目。謎のバリアで自分をコケシのような凶暴な少女から救った、あの女。今日は男連れだった。男の方はどこか眠たげな顔で瓜生を見ていた。初対面のはずだが、瓜生は彼の顔に既視感を覚えた。
「……スガミユイナ……?」
「ん? よく分かったな。須上結菜は俺の妹だよ」
彼女の連れが答えた。怒りや敵意は感じ取れなかった。立場を考えれば、その口調は少し軽過ぎる。警戒する彼に、女の方が彼の手首を掴む。
「ひとまず会えて良かったぜ。アンタからは聞きたいことがある」
「僕はこれからバイトなのだが」
「だったら連絡先だけでも。できればバイトのシフトも知りたい」
腕を掴む彼女の力が強くなる。軽い脅しのようだった。男……スガミユイナの兄は至って冷静だったが、彼女からは強い意志が感じられ、同時に冷静さが欠落しているようにも思えた。
「痛い、痛いって。止めろ。……教えるから」
力は緩まない。自分の超能力を使えば引き剥がせないこともないが、逆らってしまうと彼女の感情をさらに刺激してしまう恐れがある。
――まるで、僕だな……。
彼はいつの間にか、彼女と自分の姿を重ねていた。焦り、不安、使命感。おそらく、彼女は決意を固めたのだ。多分、何かを守る為に自分を捨ててしまったのだろう。
だから……死をも厭わないのではないか。己の、そして、他人のも――。
◇
夜になった。
頑張った。下準備は、多分これくらいで十分でしょう。
あとは、目の前の大きな扉の先にいる、このゲームのボスを倒すだけですよ。流石に緊張感を持ちつつ、扉の中へと踏み入る私の分身、ユイナ。
「――おお……」
扉の先は暗い林の中だった。靡く木々。時々画面全体が眩しく光って、雷鳴が響く。
画面の中心には、赤い和服を着た女の人がいた。髪にはかんざしが刺さっていて、額にユニコーンのような角が一本。ひょっとしたら鬼がイメージされているのかもしれない。
彼女が敵? 人型のボスは、いつぞやの黒いヒーロー以来かな。画面の中の私は杖を構え、臨戦態勢に入った。
いつでも戦える。そんで、勝つ。
負けるという概念を忘れて、私は彼女へと臨んだ。
――そして、絶望した。
多少の劣勢は、集中力を飛躍的に上げる。
けど、あまりにも歴然とした差があるとき、頭に浮かぶのは負けた後のこと。
勝つ方法じゃなくて、言い訳を考えてしまうんだ。負けた責任は私にあるんじゃない。違う。落ち度は私にはないんだ。私はただ、負けざるを得ない状況にあってさぁ……!
「……くそっ!」
一発逆転。命中率の低い大技を当てに行く。何かの奇跡で、この状況を塗り替えようとする。
そんな賭けをする時点で、私は考えることを止めている。この時点で、私は負けていたのかもしれない。
「絶対零度!」
当たらない。当たる訳がない。無駄な行動をしているうちに、私は簡単に追い詰められていった。
それでも、何か奇跡が起こると思っていた。人生のうちでいきなり異世界人が目の前に現れて「お前地球救うよ」なんて展開よりはあり得るはずなんだよ。当たれよ!
お願いだから形勢逆転してよ……!
堅実な動きで、鬼は私をあっさりと葬り去った。コンティニューが不可だなんて、私は初めて知ったのですが。
「どうしよう」
突然、何もかも終わった。このままだと地球は隕石にやられます。……さあ困った。
「僕も今、結構混乱してる。まさかユイナが負けるとは思っていなかったからね」
アルスくんはそう言って、奥歯を軽く軋ませた。彼なりに、少し責任を感じているようにも見えた。
「――ごめんね、アルスくん」
私は頭を下げた。申し訳なくていたたまれなかったから。
期待を裏切ってしまった。鬼でも超能力者でも異世界人でもない私にできることって、ゲームしかなかったのに。……なのに、それさえもまともにできない。役立たずだ、私。
「ユイナ、少し落ち着いて。打つ手はまだあるんだ。大丈夫だから」
アルスくんはそう言い残し、兄貴の部屋へと入った。兄貴の部屋は現在、アルスくんの工房と化している。
兄貴は受験生のくせに勉強場所を差し出し、アルスくんは知識をフルに活用してゴキブリやら何やらで私をサポートしてくれた。剣先輩は私を守ってくれるし、光村さんも成り行きで何度も私を助けてくれた。
「……ごめん」
兄貴の部屋の前でもう一度謝って、それから私は自分の部屋で、布団を頭から被った。
頭を満たすのは負の感情。といっても綺麗な葛藤なんかじゃなくて、支離滅裂な反省合戦。
できなかった。果たせなかった。守れなかった。ごめんなさい。
……ごめんなさい、か。ふと、頭のどこかが白ける。湧き立つ疑問。どこかに潜む冷静な自分。
どうして、誰の為に謝ってんだろう。反省することで自分を守る私を、もう一人の私が呆れ顔で見ている。……いや、それさえも自衛の為の感情なのかも。
許して欲しかった。
責任は取りたくなかった。
この心の動揺は、結局はそういう願望や恐怖が原因になっているような気がする。
繰り返す謝罪なんか、相手への牽制でしかない。さっきまでの自分を少し冷静に思い返して、その姿が無性に愚かに見えた。
私の馬鹿。
地球が壊れることよりも、責任を取ることの方が怖いなんてさ。我ながら常識人。結局は、その柵から逃げる勇気がないだけ。非常識ぶって……。肝心なところで、あまりにも普通じゃんか。
沸騰しそうな私の頭を叩き付けるかのように、ドアが音を立てて開け放たれた。布団の隙間から見る。アルスくんは入口に立って、険しい表情で言った。
「大丈夫。やり直せる。君がその気なら、最後に一発、賭けることができる」
「……どういうこと?」
「君はもう一つのアカウントを持っている。IDやパスワードが分からなくても、君は確かにあの世界に入っていた。……任せてくれ。異世界の技術者として、再び君を夢の中に連れて行ってみせるから」