40.告白
海。
海だ。
うわぁぁぁあいチクショー海だぁぁぁああああどぅわあああああひゃあああ! とは今のところなってない。少なくとも私は。
「うわぁぁぁあいチクショー海だぁぁぁああああどぅわあああああひゃあああ!」
くっそぉ黙れぇぇ! 全生物の共通財産である海を爽やかスマイルで独占するなぁああ!
心の中で叫びつつ、パラソルの下から保護者のように遠目で見てる。
私は、早々に戦線離脱を宣言した。
◇
数分前。
ビーチバレーしようぜーみたいなノリになってさ、仕方がないから私もちょっとだけ空気読んで、浜辺でキャッキャ言いながらしばらく遊んでみた。けど疲れた。身体的にじゃなくて、笑っていなきゃいけないあの雰囲気にさ。
辛いばっかりじゃないよ。むしろ楽しかった。
だけどそれも多分、場の雰囲気のせいだ。楽しげなのは視界に映る光景だけで、私の心そのものが楽しんでる……っていう感じじゃなかった。
「ごめん、ちょっと抜けていい?」
「え、何でよ」
瀬尾さんの目がギラついた。
「あー、いや、ちょっと調子悪いかも。あれだ、アル……あの、坂本がずっと観戦者ってのも酷だしさ。一旦交代ってことで」
「……水着じゃない人にビーチバレーって、流石に酷なんじゃ……」
私に水着を売った瀬尾さんも、流石に男の分までは準備していなかった。
「まあまあ。結構器用だから大丈夫」
「……まあ、良いんじゃない? そうしたいなら」
という訳で、パラソルの下で休んでいたアルスくんに手招き。こっちにくる彼と入れ替わるように、パラソルの下へダーイブ。ずざー。
摩擦でちょっと痛かったけど、そんなこたぁこの際どうでも良いのさ。
「あー……楽だわ」
一人ってこんなに楽なものでしたっけってくらい楽。
……そりゃワイワイキャッキャも楽しかったよ。楽しかったけどさ。怖いんだ。飲み込まれそうで。
青春、優越感、楽、怠惰。近寄ってくるほど、心は揺れる。自他共に認める私の頑固な心さえ、この輝くものの前には、手も足も出ず溶かされそうになる。
魅力的なんだ。空気に乗ってしまえば、疎外感や劣等感に悩まされることもなく、少なくとも今より楽しい日々を送れるはずだから。
……溶かされりゃ良い。
……溶けっっぱなしで死ねば幸せだ。
現に、そういう人達は大勢いる。結構それが理想とされてるようにも思う。
……そういう道を避けて、私はどこに行こうとしてんだろ。
「きゃあああ! 夏鈴、ナイススライダー!」
「それは野球の変化球よ。今のはハットトリックって言ってね……」
「へー、そうなんだぁ」
「……アンタら、どこまでが冗談なんかよう分からんわ」
「全部冗談よ」
「え? ハットトリックっも冗談なの?」
「……えっちゃん、しっかりして」
トリオ漫才を繰り広げる女三人とアルスくんがチーム左。あとの男がチーム右。戦力の差はすごいけど、それなりにみんな楽しそうだ。こっちが劣等感を持っちゃうくらいに。
その威圧的なオーラに、悔しさが湧いてくるような……。
「――あー、馬鹿だなー」
さっきまで、私もあっち側にいたんだよ。無理にでもあの輪の中にいれば、私はこんな風に人を逆恨みすることもなかったはずじゃんか。
誰だよ、連れに押し付けて自分からこっちに来た、一人の方がカッコイイって本気で思ってる根っからの中二病は……。
◇
そして日陰で保護者モード。
パラソルの下は一種の異世界だ。太陽の下ではしゃぐ奴らの馬鹿さ加減も、ここに来て客観的に見て初めて分かるっていうか……。まるで天界から地上を眺める気分。さっきまで胸にあった劣等感が、薄い優越感に塗り替えられる。
まあでも、その馬鹿さ加減が羨ましくも思えてしまって……結局、元どおりだ。
雲自由だなー。隕石見えないかなー。……見えないか、やっぱ。
こんなところに来てまでそんなことを考えていたせいかな。頭の中にはいつの間にか、あの引きこもりの顔が浮かんでいた。
……星熊透生。顔のパーツとかあんまり覚えてないから、どっちかというと思い浮かぶのは名前と声と、雰囲気とか、印象とか。
「どわぁあああ! 坂本が本気出したああああ!」
青春謳歌中の高校生と引きこもり。そんな風に並べると随分違うようにも見えるけど、私達と透生の間に、そんなに大きな差は無いと思う。
「ちょ、やべぇ、どこ狙っても返される!」
「うおおやべぇ負ける負ける」
先輩に暴言で甘え、串カツに釣られ、何故かすんなり私と打ち解け、何か世界を滅ぼす宣言。でも普通の若者。ビーチボールしてるあいつらや私と同じような、普通に誰かに愛されるべき少年……って感じだった。
こっちはみんなで海、で、あっちは……詳しくは知らないけど寂しく引きこもり。私とあいつで、何でこんなに社会的扱いが違うんだろう。
納得がいかない。
「坂本つええええええ!」
友達がいたから?
「おいおい現役でバレーやってたりすんの?」
絆の力で海へレッツゴー! な展開があったか、なかったかの差?
「いや、やってませんよ」
でもそれって、
「うわーそこはやってるって言えよー俺ら自信失くす」
不平っていうか。
「俺らじゃねーよお前だけだよ」
今の私達はさ、
「んだとこら泣いてやろうかコノヤロー」
冴えない苦しんでる人間関係難民を威圧して圧迫して余計に苦しませて泣かせてる最低な青春馬鹿なんじゃないかって。
「……笑ってんじゃねーか」
今の私らみたいな青春バカが全国に沢山いるから、劣等感に苛まれる負け組が後を絶たないんだ。
逆恨みだって分かってるけど悔しい。私がその青春馬鹿の一部であることも悔しい。
被害者の会は被害者の会しか作れない。加害者側に回った今、私は透生くんの味方をする権利さえ失くしてしまった訳で……。
「っていうか笑えない点差になってんぞ」
「うわ。えーと、今何点だっけ瀬尾さん?」
「え? あ、えっと……。あ、あと一点でこっちの勝ちね」
男子三人がどよめいた。
「……こうなったら俺のミラクルレシーブで巻き返してやるぜ!」
「どっちかっつーとスパイクがいいなぁ……」
とか言っている間にアルスくんのスパイクが華麗に刺さった。いや別に靴の棘が地面に華麗に刺さった訳ではなく。
「……あれ、今ので決着か?」
「うわマジか。女三人に負けたのか」
「いや、どっちかというと俺らは坂本マサハルに負けた」
誰だよ坂本マサハルって……。まあ、彼の名はさておき。
試合終了。まさかの逆転劇。一人だけ服を着てとんでもない活躍を見せたアルスくんは誰よりも目立っていた。偽名まで使ってる異世界人がそんなに目立って大丈夫なのか心配になるくらい目立ってたよ。
そんな己の状況など気にしていない様子で、彼は爽やかに微笑みながら言った。
「いやー、危なかったけど、勝ててよかったですね」
「うん!」
元気良く頷くGL子の横では、他の男子が機嫌を損ねていないか、瀬尾さんが顔色を窺っていた。よくあれだけ周囲を見れるもんだ。ああやって集団心理を把握してコントロールすんのかな。結構、ああいう生き方もスリリングで面白いのかも。
で、春風は……。
「あれ、いない……?」
「結菜?」
「どぅおおお!」
いつの間にかパラソルの下に! 春風は何食わぬ顔で、私の隣に座っていた。
しゅ、瞬間移動か……。唖然とする私に、春風は少しだけ険しい目付きを向けた。
「……大丈夫か?」
「頭?」
「ちゃうわ。熱中症なら、場合によっては救急車呼べとも言うし」
「え? えと、ああ……」
そういや、調子悪いとか言っちゃったんだっけ。仮病を使ったことなんか、とっくに忘れてしまっていた。
「まあ、うん。大丈夫。体は大丈夫だから」
「……体は、って何や」
「んー、いや深い意味はないよ。それよりそっちこそ大丈夫? 水分、結構長いこと取ってないじゃん。脱水症状とかになったらあれだよ、海に放り投げて水分補給させるよ」
「……せやから早めに戻ったんや。水分、水分を……あ、あかんわこれ」
春風は宣言どおり、ぱたっと倒れてしまった。
蚊取り線香に敗れる蚊の如く、ぱたっと。
「……え、いや、流石に唐突過ぎなんじゃ……」
ギャグかと思って揺する。よく見たら春風の顔色悪っ。ちょっとこれはまずいかもしれん。
「ちょ、みんな集合っ! 仲間の危機じゃー! おーい!」
「え?」
みんなの視線が春風に集まる。みんな呆気に取られていた。
「……え?」
「死んでる?」
「救急車? それとも葬儀屋?」
「アホー、不謹慎なこと言うなやー」
案外平気そうじゃんか……。
どうにかこうにか起き上がった春風の口に、私はスポーツドリンクを突っ込んだ。
◇
流石に海に放り投げて水分補給させたりはしませんでした。
けど、何故か代わりに関係ない男子が生贄に選ばれ、何故か私が投げることになった。
「いや須上さん優しそうだからこういうのは」
「滅びろ社会ぃー!」
どうにかこうにかジャイアントスイングもどき。海に投げられるより、砂の上で引きずられることの方が辛かったと思う。私は特に反省なんかしていないけどね。
その後、GL子……えっちゃんが自分から飛び込んだ。着地地点は先に投げられた彼の元。
しかもビキニでですよ。
「うわ、しでかした。えっちゃんがしでかした。しでかしたわ……」
瀬尾さんが口元を押さえ、殺人現場を最初に発見した家政婦みたいな形相で言った。
「しでかしたってあーた……」
いやまあ、間違いではないか。むしろふさわしいのかも。大胆行動だったしね。
肉体接触、立場共有、何か良さげな雰囲気などなど……。勝ち組条件クリアしまくりですよ。
案の定、みんなからのカップル扱いが始まった。
二人とも満更でもなさそうなところが絶妙である。腹立つくらい青春っぽい。同じ場所にいる私が、どうして同行者に劣等感を持たなきゃいけないんだろうね。
さて。
みんなが波打ち際ではしゃぎ出した隙に、するりとパラソルの下に戻る。
春風は相変わらずしんどいようで、仰向けに倒れたまま、白い顔で上を見ていた。思わず胸に目が向く。くそぉ、これ以上の劣等感は今の私には危険過ぎる……!
「……戻ってきたんか」
「ん? ああうん。一人にしとくのも何だしさ」
「……すまん」
そう言って、春風は力の無い笑みを浮かべる。
「謝られても困るけどね」
「ほんなら……おおきに。これでええか?」
照れたような言い方だった。思わずこっちまでちょっと照れる。
そう言えば、春風の口から「おおきに」なんて言葉を聞いたのは初めてかもしれない。春風は顔を赤くしながら、そっぽを向いていた。
パラソルの下はやっぱり異世界だ。二人でここにいると、まるで相手と天国で再会したような……そんな気になってしまう。
突如、海から叫び声が聞こえた。
「だーから、違うんだって! こいつが勝手に飛び込んできて!」
「トドメ刺そうとしただけよ! 何でこっちが好きだったみたいになってんのよ!」
一瞬だけラブラブだった二人が、今度は笑顔で言い合いをしていた。
「青春やな……」
春風はその二人を見ながら、深く溜息を吐いた。
「何じゃいその溜息。まさか羨ましいなんて言わないでよ?」
「どうやろ」
「おいおいおい!」
「……羨ましいのが普通やろ。アンタは恋愛とか、せんの?」
慣れないシチュエーション到来ですよ。汗が体のあらゆる部分から噴き出た。春風は私から目を逸らし、恥ずかしそうに頭を掻いてる。
青春到来……か? ちょっと「ごっこ」っぽい気もするんだけども。
「急にどしたのさ」
「いや、えと、ほら。海に女二人や。嘘でも女子高生っぽい話して、華のある思い出を作るのも悪くないかなと」
「ごっこじゃーん。青春ごっこじゃーん。ごっこ遊びじゃーんそれ。小学生並ですよ
「せやな」
二人同時に苦笑した。自然に笑えたのも久しぶりかも。
肩の力が抜ける。私は素の私になれる。きしし、と笑ってみると、春風も軽く笑い返してくれた。
「……まあ、ごっこじゃダメってこともないしね。作ろうか、華のある思い出」
「へ?」
「そっちが言い出したんでしょうが。恋愛話しようってことだよ」
「あ、ああ……。何かあるんか? 浮いた話とか」
「……んー、まあ」
強いて言うなら、剣先輩と兄貴のことか。あの二人の現状はなかなか面白いし、ただの恋愛話よりは盛り上がるかもしれない。
兄貴が先輩の告白を断る絵は想像できないけど、問題は剣先輩が告白しないかもしれないことだ。「俺は普通じゃないから」とか言って、兄貴のことを思って諦めるとかね。ありそうで想像しただけでも切ない。ヨダレが出るほど切ないぜ。
……けど、星野先輩が普通の人じゃないなんて大っぴらに言う訳にもいかない。止めとくか、この話は。
「とりあえずあれだよね。切ないもんだよ、恋愛は」
「ニヤけて言うことでもないと思うけどな……。けど、知ったような口やな。何かあったん?」
どうせ何もないんやろ? ってセリフが聞こえそうなほど、期待の欠片も感じ取れない死んだ目付きだった。甘くみられたもんだなー。こっちだって何もない訳じゃないんだよ!
「あったよ」
「何やて」
「けど、当事者ではない」
「おいいい……やっぱりか。……まあ、ウチかて別に浮いた話はないけどな」
「話題の選択ミスでしょ、これ」
縁がない世界の話は、正直虚しくなる一方だ。スラム街で舞踏会の話をするようなもんですよ。
恋愛面での社会福祉制度ももっと整えるべし。見よこの格差。この恋愛貧民二人の悲しき会話をとくと聞け神様。
「……ほんならあれや。好きとか恋してるとかやのうても、気になってる男とかおらんのか」
「あんまり話題変わってないじゃん」
「芸能人感覚でええってこと。嗜好なら誰にでも語れるんちゃうかなーと」
「……ああ、まあ確かにね。んじゃあ、春風から」
「え」
提案者しっかりしろー。いないならこんな話題を持ち出すなよー。と思ったら、春風は何やら頬を赤く染めている。
「いや、まあ、せやな……。おると言えば、おる……けど」
「おお……?」
恥じらってるよ。春風が男の話題で恥じらってるよ何てこった。
「いや! その! ちゃうねん! ただちょっと、今日初めて男の人を格好良いと思えてな……」
「坂本かー。今日初めてって、他にいないはずだしね」
「うぐ……ダメや、想像以上にダメやこの話題!」
春風は顔を真っ赤にし、悶えた。厭よ嫌よも好きのうちとは、こういう様子を指すのかな。
本当は気付いてもらいたかったくせにさ。じゃないとこんな話題を振る訳がない。
「まあ、確かに色々と日本人離れしてるし、美形には入ると思うけど……。そっかー。惚れたか」
「せやからちょっと良いなと思っただけで……ああ! それよりアンタはどうなんや!」
急速に話の流れを変えようと一生懸命な春風。まあ、そろそろ許してあげてもいいかな。今度は私の番ってことで。
「いるよ」
誤魔化しても仕方ないし、素直に頷いた。
春風は驚愕して飛び上がった。
「……………………ぉお……?」
「いや、まあ、一応ね、うん。そんな、絶句しないでよ……。やっぱ、予想外?」
「……まあ、な。アンタがそういうの誤魔化さへんのが意外で」
「そっちか」
お気に入りがいることには驚かないんかい! まあでも確かに今まで照れくさい話は全部誤魔化してきたっけ。そりゃ驚かれるわ。納得。
「……けど、春風の知らない人だよ」
「恋愛対象か?」
「どーだか。仮にこっちに気があっても、そういう関係にはならないと思う。そもそもこっちも、変な感情は抱いてないしさ」
何しろ敵同士だし。……ただまあ、敵意は正直全然無いんだけどさ。
むしろ、味方になりたい。彼の隣にいたい。あの引きこもりの鬼の隣で、地球の存在についての不毛な議論を一日中やってみたい、みたいなことも思ったりする。
……そっか。
さっきからあいつのことが頭から離れないのは、隕石のことを考えてたからじゃない。
ただただ、こういう青春の場にあいつを連れ出したかっただけなんだ。
「……そいつさ、透明なんだよ」
「妄想上の存在?」
「違う。…・…ただ、世間に認知されてない。あいつはこの地球上に生きてるのに、あいつは……誰かの目に入ることさえ少ない」
「引きこもりか」
春風は随分簡単に答えに辿り着いてしまった。
「……よく分かったね」
「近い経験あるからな。家から出んのは透明人間……そのとおりや。家族以外には誰とも会わんし、疎外感もあるし。それにしても引きこもりに惹かれるなんて、流石はアンタって感じやな」
嫌味を言われたのかとも思ったけど、違う。
春風の目は虚ろで。……まるで星でも眺めるみたいに、私の目を見ていた。
その口から、険しい声が発せられる。
「結菜。……何となく、アンタはそういう負け組の星と違うんかなって思ってる。手を差し伸べる訳でも、慰めてくれる訳でもない。隣に来て、一緒に戦ってくれるから……」
「そうなの?」
春風のベタ誉めに、私は返す言葉がなかった。
……私、そんな良い奴じゃないのに。
「けど、ウチはそうもいかんかった。……アンタのおらん間にあいつらと仲良くなって、無理やりアンタを馴染ませようとして……。何か、自分だけがあいつらと一緒におることに罪悪感があったから……だから、結菜にもこっちに来て欲しくて、結菜の気持ちもよく考えずに……何か、考えたら、あたしは結局自分のことしか気にしてなくてさぁ……!」
春風の目から涙が垂れる。
私は、春風からの思った以上に大きな評価に、罪悪感とよく分からん憤りを感じていた。どこの誰なんだよそれ。私はもっと汚い奴なのにさ……。
「は、春風」
「……ごめん結菜。一つだけ、謝らせて。あたしな、結菜に一つ、嘘を吐いてた」
春風は起き上がり、ティッシュで目と鼻を拭きながら言った。声が震えていた。まるで何かに怯えるような……そんな風にも聞こえた。
左右に揺れる眼差しが、覚悟を決めたように私を捉える。震えを悟られないようになのか、春風は囁くように言った。
「大阪弁の『ウチ』は仮面で、本当の桜木春風はこっちなんだ。アンタや瀬尾や……家の外で見せる顔は全部、もう一人の『ウチ』になりきった演技なんだよ……」