37.守護者の休息 1
玄関を開けて、あらびっくり。見慣れぬ靴がありました。
古びたスニーカー。……何か、どっかで見たような。
と、そんなことはさておき。沈んだ気分で帰宅した私は、何かもう誰かと会ったりするような気分でもなく、夕飯までの時間を自室で過ごすことを決めた。
――疲れた。主に精神的に。日本人の一日って、こんなに心に負担がかかるモノだったっけ。
そんなことを考えることさえ面倒臭かった。何かもうしんどい。自室の隅に鞄を投げ、倒れるように寝転がった。
猫になりたい。犬よりは、自由な猫になって気ままにうろつきたいわ。
……ここにいても良いんだ! とか言って、おめでとうって言われたら幸せかな。
ここにいるだけでは満足出来ない私は……ワガママな小娘でしかないんですかね。
◇
一人になりたくて自室にこもったくせに、私は携帯を開いていた。
社会との関係を保持したいのか遮断したいのか、もう自分でもよく分からない。
結局、静か過ぎて耐えれんでリビングへと向かう。思春期してんなーと自分でも思いましたよ、ええ。
帰ってきてから、まだ十分くらいしか経っていなかった。
「おかえり、ユイナ」
アルスくんは、夕方のテレビ番組を見ながら言った。
「ただいまー。というかまあ、帰ってたんだけどね」
……ニュースの内容は、普通だった。
隕石とか世界崩壊の危機とか、そんなことは誰も言わない。
まるで永遠にこの日々が続くかのような錯覚。当たり前なんかじゃない、ただひたすらに面倒な「当たり前の日々」。
――やっぱ現実はしんどいね、うん。
何だかんだで、あのゲームの世界の方が私にとっての居場所だったような。そんな気がする。
「……私、本当に地球を救う訳?」
ふと、そんな言葉が口からこぼれた。
だってさ、世界を救うなんていうありきたりな善行は、私には似合わない。普通に世界を救って終わりなんて、充実した人間にしか出来ないことなんだよ。
私は、誰かにとって都合の良い人間でいたくない。
私が私である為の答え。自分らしい本当の望みは、救済じゃなくて……。
「めつぼ」
「ただいまー」
うがぁあああああああああ!
シリアス発言が呑気な声に邪魔されたよチクショー。
「兄貴、何でこのタイミングで……。あと十秒後にしてくれればカッコイイ感じに」
「は? いや知らんって……」
兄貴は眠たげな表情で、煙でも吐き出すみたいに言った。何となく疲労感のある、間抜けな感じだった。兄貴にはよくあることだけど。
「それより、客が来てるぞ今日は」
「……へ? 客?」
「お邪魔しまーす。……って、大人はいないのか。よう、結菜」
うおおおお!? 心ん中で何か絶叫。
兄貴の後ろからリビングに入ってきたのは、星野先輩だった!
……うん。何となく緊張。
男とか女とか関係なく、憧れの先輩っているじゃん。それが家にいるんだよ! あっはっはっは。おいおいおい!
「な、何しに来たんですか!?」
「迷惑だったか?」
「いや聞き方が悪かったですね! 別に迷惑とかそんなん全然ないです! けど急だし! こんな時間だし!」
先輩が家に来るのは初めてでもないし、私だって、透生くんのいる先輩の実家に行ったりしていた訳だけどさ。……何か落ち着かないというか、テンションのギアチェンジを余儀なくされたというか。
冴えない空気がスポーンと飛ばされた感じというか。そりゃ戸惑うよ。
「今日は泊まりに来た。結菜の部屋に」
「どぉおおおおおおおおおおお」
再び心ん中で叫ぶ。だって何で平日に! あともうちょっと待てば夏休みなんだよ!?
「泊まるって何すか、泊まるって!」
「宿泊のハクの字に決まって」
「そりゃそーだ! けど私が言いたいのはそこじゃなくてですね!」
……落ち着け私。まずは深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。
何だかなぁ。私ってこんなに落ち着きのない奴だったっけ? 意識が戻ってから、どうも感情の動きが極端になっているような、そうでもないような。前からと言われればそれまでなんだけどね。
「……泊める……ですか」
「嫌なら帰るけど」
「いやぁ……じゃ、ないですけど……」
唐突なことでちょっと混乱しつつ、何となくだけど先輩を見る。
綺麗な栗髪ボブカット。鬼という言葉がやけに似合ってしまう、日本的美人。
そんな先輩の姿は、この部屋にはちょっと勿体無い。
というか時代そのものが、この先輩にふさわしくないような気がした。
「嫌じゃないんだな?」
何かちょっとだけ図々しい聞き方のような気がしたけど。
「ええ……まぁ」
実際そんなに抵抗がある訳でもないし、あやふやな言葉を返す。
「それじゃ、決定だな。よろしく頼むわ、結菜」
「…………あー、はぁ」
……何だろうね。性別なんか軽々超えてしまうような、魔的な美しさがそこにあるような気がする。
花火にも、モノを焼き尽くす悪魔にもなり得る炎。何か、何となくそんな感じ。
「……うー……」
見られて困るものはないし、そもそも先輩の入室は別に嫌じゃない。母さんや父さんの許可は……まあ、平気で見知らぬ少年を住まわせてしまう人達だし、問題はないでしょう。
とか考えると、断る理由なんて何もなかった。
……まあそもそも、断ろうなんて最初から思ってなかったけどさ。
◇
当たり前のように家族に馴染み、
当たり前のようにご飯をおかわりし、
当たり前のようにリビングで母さん達と会話する星野先輩。
兄貴もアルスくんもいないのに何だこの和やかな空気……。私はその光景を、呆れることなんてないのに呆れながら見ていた。
「……だからね、おばちゃん的に最近の芸能界には罠が」
昔からだよ多分それ。
「ですよねー。あれですよ、最近の日本人はもっと外来語と日本語を区別しないと」
漢字がもう既に外来語なんですけどね。
「そもそも、何で歌ん中に外来語が入るのよって話よね。タバコとかカルタとか、日本語独特の味を大切に」
「お、母さん、それから剣ちゃん。タバコもカルタも元はポルトガルの言葉なんだぞ」
空気と化していた父さんが口を開いた。頑張ったな。
「うへぇ、マジすか親父さん」
「え、あなたそれ嘘、ホント?」
……ついでに天ぷらもだゾ。言おうとしたけど、頑張った感じを出したくなくて止めた。
頑張ることは格好悪いぜダルいぜが無難だぜ……な教室の空気が、私の中にも染み込んじゃってるみたいだよ。……不本意ながら。
「夜叉って日本語よねぇ」
「いや、夜叉は元々はインドかどっかの何かだったような……。つーか、仏教に関係するのは大抵外からじゃないんですか?」
「へぇ、剣ちゃんは博識なのねぇ」
「ハハ、そうですかね。クラスの中では体育以外劣等生ってことになってるんですが」
……何だかなぁ。
なんか、こうして客観的に見ると、先輩が嫁入りに来たみたいな、そんな風にも見えた。
突然家にやってきたアルスくんや先輩と、こうも簡単に打ち解け合える両親。……その二人から、どうして私みたいな情緒不安定が育っちゃたのか、正直疑問だった。
二十二時を過ぎた頃。
比較的朝の早い両親は眠る準備を始め、リビングには、私と星野先輩の二人が残された。
「……風呂、どうするんすか」
「一緒に入るか?」
「……勘弁して下さい」
別に問題がある訳でもなかったけど、何となく拒否。
「……あー、残り湯嫌だったらシャワーだけ浴びて出ちゃって下さいね」
「気にしねぇよ」
「でしょうね」
予想どおりでしたよっと。とりあえず私は先輩を風呂へと押し込み、更衣室の前で待つ。……どうせ鴉の行水でしょう、あの人は。
……待ちながら、何であの人がここにいるのか考えた。
あと一週間待てば夏休み。まあ、高三の夏休みは勉強とか何とかで忙しいかも知れんけど。だけど、それは別に夏休みに限ったことでもないだろうし。
別に本人に聞けば良いんだけど、気になりだしたら止まんなくて。考えて考えて考えて、
……考えるだけ無駄だった。
◇
「……多少不潔でも大丈夫! って感じしますもんね」
「へ?」
「いや、女にしては早いなぁ……と。兄貴とあんま変わりませんよ」
本当に鴉的スピードで風呂から出てきた先輩……をリビングに連れてって、私もさーっと風呂に入る。
さーっと、とか言いながら普段どおり一時間くらいかかってますぜ、ハッハッハ。
私が風呂から上がってリビングに向かう……と、何か懐かしい音楽が流れていた。
何か……蹴る音と、命が増える音。胸を満たす安心感と、スリルが消えた退屈な気持ち。
「人の家で無限1UPってアンタ……。というか、どこから引っ張り出したんですか、その黄色いベトベトの本体」
「いや、瑞樹に暇だっつったら出してくれた。眠たいから対戦ゲームは断られたけどな」
私に負けまくったのがトラウマになっているだけなんだけどね。運動で勝てない分、ゲームと勉強だけは兄貴に負けないよう頑張ったのだ。昔。
「……ところで、その」
頭をよぎったこともあって。ついでだから、聞いてみた。
「……兄貴とは、他に何か話さなかったんですか? せっかく一つ屋根の下にいるんだし、私よりそっちと話せば良いのに……」
聞いててちょっとニヤついてしまった。
そんな私を訝しむように、先輩はポーカーフェイスな薄ら笑いで口を開く。
「バカ、同じクラスで、登下校中も大体一緒にいる相手だぜ? 今更そんなに話すことなんてねぇだろ……」
「好きなのにですか?」
叩かれた。しかも無言で。
……ふひひはは。赤くなってんのは見逃しませんでしたぜ。ニヤついたらまた叩かれた。
自室で個体値厳選をしていた兄貴を呼んで、ゲーム機を片付けさせる。
「……んじゃ、寝ますか」
星野先輩を私の部屋に連れて行く。日が変わるくらいの時間だった。
「ベッドが一つなんで、あれですね……。ちょっと狭いですけど」
「俺ぁ、寝相悪いから床で良いよ。布団は暑いしな」
「……そですか」
もてなす側として何か申し訳なかったけど、急だし仕方ないかーと妥協。こんな小さなことだったらさ、私だっていくらでも妥協しますとも。
「それじゃ、電気消しますね」
「……へ? もう寝るのかよ?」
パチンという音を合図に、部屋は暗闇に包まれる。
目が慣れるまで何も見えない数分、数秒。
……迷子になったようなこの感じは、何となく心地が良かったりする。
「……おいおい、早いんだな。お前とゆっくり話せると思ってたんだけど」
「や、ただ、電気付けっ放しでうたた寝とかが嫌なだけです。……大丈夫ですよ。パソコンは付けますから」
「パソコン付けっぱは許容範囲なのか?」
「だって、勝手にスリープに入ってくれるじゃないですか」
ポチっとな。ふぉーんとお目覚めのパソコンさんが、暗闇を照らす。
闇に浮かぶ部屋の輪郭。暗い中でこっちを見ている先輩の顔が、何となく幻想的。
……雷が落ちたあの日を思い出す。
画面上に、まるで水面みたいに波紋が広がって、ヤシャと名乗る少年……透生くんが映し出された。
慌てながらも歓喜した私は、一ヶ月後、前よりも壁にぶつかりまくってます。
「……ゆっくり話せるってのは、透生くんのことについてですか?」
パソコンの前。椅子に座って、ネット電話やらチャットとか出来るあのソフトを起動させながら聞く。
「それだけじゃねーけどな。会話なんて、別に目的がなくったって良いんだよ」
「……まあ、そうですけど」
頷きつつ、そうかぁ? と疑問。平日にいきなり人んち泊まり込むのには、目的とか理由があった方が良いような気もするんですけどね。